第2部第1章第2話 フォグリア潜入(1)
ロドリス王国王都フォグリアは、どことなく雰囲気がレオノーラを彷彿とさせる。同じ、王都だからだろうか。上品な活気だ。
行き交う人々の口からは、ロドリス語とヴァルス語が入り乱れている。アルトガーデンを長年支配してきたヴァルスの言語であるヴァルス語は、帝国内の公用語になっていてどこの国に行っても使えると言うことだった。帝国内に限らず、ローレシアの帝国外の王国や他の大陸でもそこそこ通じるらしい。俺の世界で言う、英語に該当する言葉……と勝手に思い込んでいる。
俺は大通りに面したカフェでぼんやりと頬杖をついて、華やかに道を行き交う人の姿を眺めていた。目の前に置かれたカップには紅茶に似た飲み物が注がれているが、口はつけられていない。
ユリアがバルザックに連れ去られて、1ヵ月が経過しようとしている。ニーナが言うには、召還者が消えれば魔法陣は効力を失くしてジンは解放される――逆に言えば、バルザックを倒してジンを解放しないことには『王家の塔』へあれ以上近付けない。
「ね。うまくいったとして、バルザックを倒せるのかしらね……」
「……さあね」
『金髪ロングヘア』の俺の髪に体を隠して、肩からちょこんと顔を出したレイアが尋ねた。『王家の塔』を一度諦めてレオノーラに戻った俺たちに、再びついて来ることになったのだ。
頬杖をついたまま、俺はレオノーラへと一旦戻った時のことを思い出した。
「シェイン!?どこへ行くッ」
シサーがことの経緯を語り終えると、シェインは足早に部屋を出て行こうとした。ラウバルがすかさず言葉を発する。
「決まっているッ。ユリアを捜しに行く」
「馬鹿を言うな!!モナが間もなく攻め込もうとしていると言うのに、王城を放り出して行方をくらますつもりか!?」
「では放っておけと言うのかッ!?」
「王女が戻られた時に、治めるべき国がなくなっていては元も子もなかろう!!冷静になれッ」
「ユリアの身に何かあれば、俺は一生自分自身を許すことが出来ぬッ」
「落ち着けと言っている!!……ユリア様の生命を確実に保証すると言ったのはお前だろう。王女は生きている」
「……」
「ぬかりは、ないのだろう」
ラウバルが思いがけず優しい声で諭すと、蒼白な顔をしていたシェインは沈黙し、瞳を閉じた。
「そうだな……。すまない」
少し落ち着きを取り戻したシェインは、微かに首を横に振って、額に片手を押し当てた。
「『遠見の鏡』からも何も言ってこないのでな……」
「封じられているのだろう」
ラウバルの言に、俺は疑問が湧いた。
「『遠見の鏡』での交信が封じられているのなら、他の防御魔法も効かないんじゃ……?」
ラウバルはゆっくりと頷いた。
「シェインが王女に施した魔法は3種だ。『光の壁』、空間移動そして召喚魔法。……『光の壁』と空間移動の魔法に関しては、魔法が封じられた場合自動発動を期待するのは厳しいだろう。だが召喚魔法は違う。召喚魔法を封じるには、召喚獣の方を封じねばならぬ。ここにシェインが封じられておらぬ以上は、王女の危機に際してシェインが召喚されると言うのは、有効だ」
……召喚獣。
「じゃあ、逆に言えば……ユリアに何かあったら、他の魔法が発動しない以上は……」
「確実に俺が呼び出される」
「……なら、ユリアは現段階で無事、と言えるな」
確認するように言ったシサーに、ラウバルとシェインは同時に頷いた。
「わかった。ともかくお前さん方は国政があるだろう。シェイン、ユリアのことはとりあえず、俺たちに任せてくれ。何らの危害が加えられていないと言うことは、バルザックはユリアに危害を加えることが目的じゃないのかもしれない」
「……」
「その代わり、何かあった場合にはお前が呼び出されるんだろう。その時は、ユリアを頼む」
何かを押し殺すような顔をしていたシェインは、やがて短く息を吐いた。
「……ああ。わかった」
それを見て、ラウバルもほっとしたように俺たちの方に向き直る。
「バルザックは、ロドリスに現在館を構えているらしい。ただし、場所まではわからぬ」
「とりあえず、そいつを見つけなきゃなんねえな」
「ああ。恐らくそれは、それほど困難ではないだろう。……館を与えた人間がいるはずだ」
「フォグリアに潜入して、情報を収集しよう」
「……頼んだ」
風の砂漠へ向かった時のように山越えをするわけではないから、シャインカルクから馬を借り、魔物に遭遇しながらもひたすらフォグリアを目指し、無事到着したのが、1週間ちょい前。
もちろん俺は乗馬なんぞと言う高尚な趣味はないので、シサーの後ろに乗せてもらっていたわけなんだが。情けないことに。
そして、到着して俺がまずさせられたことは、何と女装だった。
「シェインが言ってたろ。レガードの兄貴がフォグリアにいるらしいんだから。大体『青の魔術師』だってレガードの顔知ってるんだし。その顔、何とかしなきゃなんねえよな。と言って顔をとっかえるわけにはいかんし」
「髪型と髪の色が変われば、大分印象って変わるわよ」
「今、髪の色は黒なんだから、いっそ金髪にでもしたらどうだ?短いんだから長くすっか」
「服装も変えた方が良いわよね。あ、わたし、可愛い服、何か買って来てあげるわよ」
「……」
なぜ異世界に来てわざわざ女装なんかしなきゃなんないんだろう……。
ただの変装じゃあいけないんだろうか。
それはともかく、宿を決めた後、俺たちはヴァルス大使に会うために大使館へと足を運んだんだけど、やっぱり公の機関ではそういうアンダーグラウンドな情報は流れてこない。
「仕方ねえから、市井で情報収集するしかねえな……」
とは言え、シサーやニーナはともかく、俺とキグナスは情報収集のノウハウがあるわけでもないし、それから数日はやはり大した収穫を得ることも出来なかった。
状況が好転したのはフォグリアに入って4日目だ。……シサーにとっては、ある意味悪化、とも言えるかもしれないけれど。
「シサーッ!!」
その夜、食事がてら酒場へと入った俺たちに……と言うよりは、シサーに突進してきた人影があった。まさに突進、だ。どうやら同じ店の奥に陣取って盛り上がっていたらしい。
「げ。シ、シリー」
「シリー!!」
思わず俺とシサーの声がユニゾンする。ヘイズで会ったキャラバン、パララーザのシリーだった。ややほろ酔い気味らしいシリーは、剥き出しの浅黒い肩までもほんのり紅潮させてシサーに飛びつく勢いだった。
しかし。
「あーら、お久しぶり」
横合いから氷の冷気を孕んだ声で、ニーナが最上の笑顔を浮かべてシサーの前に立ちはだかった。元々が繊細に整った顔立ちをしているので、氷の彫像に似て見える。
「何だ、まだシサーに張り付いてるのかい」
途端、上がりまくってたシリーのテンションは一気に急転直下、こちらも棘を生やした声と笑顔で応じた。……寒い。
「ええ。シサーがいるところには必ずいますから」
「そりゃあシサーも鬱陶しいこったねえ。男ってのは多少遊ばせてやんなきゃ息がつまっちゃうよねえ」
酒場なのに、この空気の冷え冷え感は何だろう。
「何でもいいから早く何か食おうぜえ」
空気を読めないんだか読む気がないんだか、キグナスが上げた不満の声で、とりあえずパララーザのいる座席へと俺たちも一緒につくことになった。シサーを挟んで右と左に陣取ったニーナとシリーの空気が怖いと言えば怖いのだが、まあ俺には直接は関係ない。
パララーザに混じって食事のオーダーを済ませると、ふいっとシリーが俺の方に身を乗り出した。
「綺麗なねーちゃんだと思ったらあんた……もしかしてカズキかい?」
ご名答。
「え、やだ、カズキちゃんなの?」
パララーザは、人数が多い。前回、俺は他の面々にはろくすっぽ会っていないのだが、多分ここにいるのも一部だろう。それでも10人くらいいる。
でかい円形テーブルの、俺とはやや離れた位置に座っていたメディレスが、がたんと椅子から立ち上がった。相変わらずごつくて巨大だ。
「久しぶりです。その節はお世話になりました」
「それは良いんだけど……」
メディレスがまじまじと俺を見るので、妙に居心地が悪い。
「……ちょっとワケありで女装してるだけで、別に趣味なわけじゃないんですけど」
「そういうこと、言ってるんじゃなくて……凄く、面変わりしたみたい」
……俺が?
言葉を失っていると、食事が運ばれて来た。メディレスが俺の隣に座っていた団員をどかして、代わりにその席を陣取る。思わず俺は自分の顔をそっと撫で回した。……そんなこと、ないけどな。誰にも言われなかったし。
「面変わりって……」
「顔付きが……。うまく、言えないのだけど……」
もじもじと言うと、ちらりと目線を俺に向ける。
「カズキちゃんを包む空気の色が、少し変わったみたいに感じるの。まるで、温度が下がったみたい。……何か、あったの?」
温度?
「……何も、ないよ」
短く答えると、メディレスは何か言いたそうに尚ももじもじと俯いた。が、結局「そう……なら良いの」と頷く。
「ナタは」
グラスの水に口をつけてから問うと、メディレスは小さく首を横に振った。
「あのコは、ウチのコじゃないのよ。シサーと同じで、旅をしている間にふらっと遭遇しては、ふらっといなくなるの」
シサーが以前「パララーザに子供はいない」と言っていたことを思い出す。ナタはパララーザの人間ではないらしい。それにしては、仲が良さそうではあったけれど……。
「じゃあ、ナタって、何者なんですか」
「それは知らない」
「ひとりで、旅を?」
「わからない。一緒に移動したりもするけれどね。ウチにいる間は仕事を手伝ってくれたりもするの」
「ふうん……」
その後、一部だけに凍えた空気感を残しつつも俺たちはパララーザの面々と友好を図り、結果としてシリーたちは俺たちの情報収集に協力をしてくれることになった。
これは、かなりの効果だ。
まず人数が違う。加えてパララーザは何度もフォグリアにも来ているから、あちこちの市民に顔が利く。各地を旅して回っていると言うことは、市井への潜り込み方にも慣れているし、どこをどうすればどういう情報が得られるかを実に良く知っているのだ。
そしてやはり、有益な情報が引っ掛かってきたのはパララーザの情報網だった。
「カズキッ。来た来た来たッ」
キグナスが慌ただしく戻って来た。それを受けて立ち上がる。
「行こう」
言いながら俺は、腰に長く巻き付けたスカートのようなものの下に身につけているパンツの、太ももに備え付けたダガーの柄の感触を確かめた。
俺とキグナス、そしてレイアはここ数日、ある家を張っていた。
舞い込んできた情報は、フォグリア近郊の森の中にあると言う一軒家のことだ。
数年前までナタリアのサーティスと言う女性が静養がてらここに住んでいたらしい。だが、既に年老いて身寄りもなかった彼女はひっそりと人知れず姿を消した。
当時の使用人はごく数人。そのうちのひとりが現在フォグリアに住んでいると言うのだが、この男――ドルヴィスは陰気な感じの男で人付き合いもしない、仕事らしい仕事もしていない、ほとんど家に籠もりっきりなのだと言う。そのドルヴィスが唯一交流を持つ人物が、フォグリアの出張専門娼館『青兎の館』のリーザと言う女性らしい。
そういうサービスってのは、どこの世界にもあるものだ。
リーザは、ここ半年ほどドルヴィスはかなり羽振りが良いらしく、かなりの頻度で呼ばれるようになり、小遣いまでくれるようになったと仲間に話していたらしい。
これは怪しい、と言うことになる。タイミング的に言っても、ぴったりだ。
大体、何ら働いていないで家に籠もりきりなのに食っていけてる辺りも怪しいのだが。
……が、直接行って確かめてみようにも、サーティスの家屋と言うのも所詮は噂話。具体的な場所まで知っている人間がいない。いや、いるんだろうけれど、わからない。……ドルヴィスを除いて。
これはもう、ドルヴィスに場所と金の出所を吐かせてみるしかないだろう、と。
そういうわけなんだが。
ターゲットに警戒されては困るので、武器を大っぴらに携帯は出来ない。けれど、服の下に装備するにはバスタード・ソードではさすがに抜くのに苦労する。なので、ダガーを装備したのだ。
「しっかしお前……ほーんと、女装が似合うなあ」
「ホントよねー」
「……褒め言葉と受け取っておくよ」
嬉しくないんだが。
人込みを縫って、建物を陰から伺う。
「……どうする?」
「……眠らせてくれ」
「らじゃ」
俺たちが視線を定めているのは、人込みをこちらに向かって歩いて来る赤毛の髪の若い女の子だ。かなり若そうに見えるが、体のラインは成熟しきっていると言う見事なアンバランスさの持ち主で、くわえて清楚な顔立ちとは裏腹の扇情的に露出度の高い服装をしている。リーザだ。
ドルヴィスは情報通り彼女のことを相当気に入っているらしく、俺たちが張っていたこの数日でも既に2回は呼んでいる。
家に籠もりっきりで、ノックをしてもなしの礫のドルヴィスに扉を開けさせることが出来るのは、彼女だけ。申し訳ないが、利用させてもらうしかやりようがない。
「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、オーランドゥム・エスト・ウト・シト・メーンス・サーナ・イン・コルポレ・サーノー。『眠りの粉』」
大通りから死角になる、入り口の壁の陰に彼女が入った瞬間、キグナスが『眠りの粉』の魔法を発動させた。ノッカーに手を伸ばしかけていたリーザがどさりとその場に崩れ落ちる。
「……隠さなきゃ」
「その陰にでも寝かせておこう」
ドルヴィスの家の出入り口脇にある木製のベンチの下に、そっと寝かせる。折りよく、カバー代わりにかけられている布がすっぽりとベンチを覆っているので、ドルヴィスが扉を開けたくらいでは見えないだろう。外に置かれているせいか、やや薄汚いそんなものを若い女の子にかぶせるのはいささか気が引けると言うのが正直なところだけど……彼女には罪はないものの、仕方がない。
再び扉の前に戻り、俺は小さく溜め息をついた。キグナスがにやにやと笑う。
……果たして俺に、娼婦の真似が出来るのだろうか。
いや、立っているだけで良いんだ俺は。笑顔笑顔……。
「嫌だなんて言うなよ。他に方法ねえーんだから」
「……せっかく女装してんだから、利用した方がまだ俺が救われる」
自分に言い聞かせ、キグナスに下がるように身振りで示す。ノッカーに手を伸ばした。
ガンガン。
やや間を置いて中の物音が途切れ、返事が聞こえた。
「……はい」
喉に何か詰まっているみたいな、男の声。
俺の肩からちょこんと顔を出したレイアが俺を見上げて笑った。それからドアに向かって声を上げる。
「『青兎の館』から来ました、出張サービスですぅ〜」
「……」
沈黙が返った。
「あのう……」
「リーザじゃないな」
「ごめんなさぁい。リーザは今日、急遽お休みになっちゃったんです〜。それでわたしが、代わりに」
「……」
また沈黙が返る。俺は辛抱強く返事を待った。
「聞いてないぞ」
「そんなぁ。お願いしますー。わたしこの仕事始めたばかりで、お客さんがまだあんまりいなくって。お安くしますから、せめて見てから考えてもらえませんかぁ?」
レイア、なりきってないか?
ややして扉が薄く開けられた。だが行動に移すには少々早い。内側からチェーンロックがかけられているのが見える。俺はにっこりと引きつった笑顔を浮かべた。……なぜ異世界に来て、男に媚びなきゃならんのだろう。
中から顔を覗かせたドルヴィスは、女装の俺を見て好色そうな光を瞳に浮かべた。次いでドアを閉じ、再び開けられた時にはチェーンロックが外されていた。
「良いだろう」
「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、エト・アルマ・エト・ウェルバ・ウルネラント。『沈黙の風』」
すかさずキグナスが沈黙の魔法を唱える。ドルヴィスの顔が凍り付き、咄嗟に閉めかけたその扉に、俺は足を突っ込んだ。スカートもどきの長布の下から、素早くダガーを抜き出す。
通りを行く人の目につかないよう気をつけながら、鈍い光を放つその刃をドルヴィスの首筋に当てた。
「……入れてもらおうか」
ドルヴィスはぱくぱくと何か口を開け閉めしたが、魔法で封じられているので何の音声も漏れない。金魚のようだ。
自分の声が機能を果たしていないことを悟り、ドルヴィスは諦めたように身を引いた。表面上はにこやかさを取り繕いながら中に足を踏み入れる。
「おじさーん、ひさしぶりぃー」
大通りへのカモフラージュなのか、言いながらキグナスも俺の後に続いた。……お前のおじさんは宮廷魔術師だろう。