第2部第1章第1話 モナの思惑(2)
「すべきことは……ギャヴァンの防衛だろうな。国軍南下の報は入っていただろうし、ギャヴァンにおける戦力として数えられるのは、国軍1万とティレンチーノ要塞、自警軍、傭兵。海上で海軍か。……そう、読んでいるのではないか?」
事実、現段階でギャヴァン戦にぶつけられる戦力はそれしかない。
「モナはギャヴァン上陸用に陸軍を用意しているだろう。陸軍が上陸した後、海軍はそこに停泊し、陸軍はそこに海と言う退路があればこそ前面から来るヴァルス軍にのみ備えれば良い。そういう意味では精神的に余裕を持って、占領する」
「……」
「そしてヴァルス海軍をギャヴァン沖でモナ海軍が阻むわけだ」
「……だろうな」
「海上の海軍は、チャラだ。陸上では、正規軍2万対寄せ集めの1万強。しかもモナは、ヴァルスの寄せ集め軍隊がギャヴァンに集まる前に自警軍を叩いてしまえば、後は防戦、籠城。勝算は十分ある」
「ああ……」
「……だが、モナ海軍がギャヴァン沖をどいてしまったら、敵地の只中に残された陸軍の動揺とはいかほどのものになるのだろうな?」
「……」
通路を曲がり、階段をいくつか降りてラウバルの執務室の前に辿りついたところで、シェインが言った。扉に手をかけながら振り返る。
「どかすのがそもそも容易ではないだろう。叩き潰すと言ったって……」
ラウバルの困惑にシェインは苦笑した。
「叩き潰せれば最も早いのだがな。そうはいかんだろう。……だから、自分からどいてもらおうじゃないか。ギャヴァンに攻撃を仕掛けながらな」
「……まさか」
扉を開けて中に入る。続けてシェインも入り込むと、ほとんど定位置となっている長椅子の上に座り込んだ。長い足を組み、膝の上に頬杖をつく。
「どくさ。陸上のギャヴァン戦ではモナ海軍がいなくたって勝算があり、ヴァルス海軍がギャヴァンを見捨てればな」
「見捨てるッ!?だがモナには追う理由など……」
「目先の蠅ばかり追っていては、全体が見えなくなるな。……俺はひねくれ者ゆえ、海軍に南下して欲しいと思われれば北上したくなる」
「北上……」
「馬鹿正直に南下してやる筋合いもなかろう。モナはその時点で既にひとつ過ちを犯しているのだ。自軍と自国の間に敵国の要塞を置いているのだからな。尤も、モナがギャヴァンに迫らなければヴァルスは海軍を動かさないし、ギャヴァンを押さえたい以上他にどうしようもなかったのだろうが」
「では、モナ海軍を放って本国を攻める、と?」
「……モナの背後はがら空きだ。兵力をザウクラウド要塞に集結すれば、南にはキール要塞がある」
ラウバルの問いには正面からは答えず、シェインはやや穿った返答をした。本国を攻めることに意味はない。本国を攻めると思わせることにこそ意味がある。
だが、南下国軍の半数――5千とザウクラウド要塞稼動可能兵力7千のみでは威嚇に欠ける。加えて国軍に潜り込んでいるだろう間諜が、城内留め置きの中にいるのか、北上部隊にいるのか、南下部隊にいるのかが見えないのはやはり心もとない。
シェインには、軍及び要塞を動かすような権限はいっさいない。
ラウバルに動かせるのは……。
「諸侯に出兵の要請はしているな?」
「無論」
「ロドリス戦線に備えて北上するに当たり、一部をザウクラウド要塞を経由させよう。行軍とて宿営地は必要だからな。……諸侯軍が逗留中にギャヴァンが襲撃されれば、いかにスペンサー将軍と言えども、諸侯軍をギャヴァン戦に投与するなとは言うまい」
「……なるほど」
一部とは言え諸侯軍を留め置ければ、戦力は予定よりは増加する。
「傭兵部隊の編成も急がねばな」
「しかしこちらからモナ本国に攻撃を仕掛けるわけにはいくまい?」
「本当に仕掛ける必要はないさ。いつでも仕掛けられる状態にする……フレデリクが、本国を攻められることに危機感を覚えればそれで良い」
「だが、敢えてがら空きにしても南下するからには、本国の護りは当然固めているだろう」
「構わぬよ」
そう答えた意図を明らかにはせず、シェインは続けた。
「目線を海軍に向けたいが為に早くから長々と停泊していた、と言うのもあるのだろうが、ヴァルスがモナ本国へ直接仕掛ける可能性がないわけではない。本国の護りを疎かにしているとは考えにくいしな」
ローレシアにおいて、海軍とはさほど重要視されていない。
そもそも海軍を置き始めたのは、かつてラグフォレスト大陸と戦争を起こしたヴァルスだが、以降海軍の役割とはほぼ監視艇に近しいものがある。他大陸以外では、基本的に海から攻めてくる国が存在しなかった為だ。加えて、陸上の魔物は軍隊ともなれば避けて通るが、海洋の魔物は巨大なものが多く海軍を避けてなどくれない。そうそう現れるものでもないが、海上で砲撃を繰り返していれば襲われる確率は高くなる。ゆえに採算が合わない。
ナタリアが海軍を置いたのは恐らく対ヴァルスに備えて。モナも同様だろう。だが、船上からの攻撃がほぼ、昔の魔力付与道具である魔法弾に偏る為、いずれの国も大した戦力を備えてはいない。
つまり、ヴァルス軍が分裂していて対モナに割ける兵力が限られている現在において、ギャヴァンの防衛などを考え合わせれば、ヴァルスが擁する海軍のみではモナ本国を攻め落とすことは出来ないと考えていると予想がつく。まさかギャヴァンにさして兵力を割かずに、そのほとんどをモナ本国へ差し向けるとは思うまい。
「それに、ギャヴァンはどうする?本当にギャヴァンを見捨てるつもりではあるまい」
当然だ。
見捨てるつもりなら、将軍と軋轢を起こして兵力の南下などさせはしない。
「仕掛けさせるのは、さほど困難ではなかろう。安堵した後であればこそ、人とは咄嗟に突き飛ばすものだ」
「……?」
「戦力を減らしたように見せ、モナにとって、想定外の戦力を想定外のところに叩き込んでやる」
挑戦的な色を浮かべて、シェインはまだ見ぬフレデリクを幻視するように空を睨みつけた。
「焦らせて攻撃に転じさせ……壊滅させるぞ」
「壊滅……」
「海から来るのが、海軍でなければならぬ道理もない」
「……何?」
ラウバルはシェインの言葉に目を見開いた。
「シャインカルクには、モナからの間諜がいる。せいぜい利用させてもらうさ。『兵は詭道なり』、だ。隠した手の内を漏洩させ、更に裏をかいてみせよう」
半ば独り言のように呟き、シェインはラウバルに視線を定めた。
「南で動かせる中から遊撃部隊を編成しよう。幸い、と言っては何だが、舞台は街中――撹乱する場所には事欠かぬ上に、モナは地の利を犯しているからな。味方と思っていた背面から、挟撃してやる」
「挟撃!?」
「……いずれにしても、ギャヴァンでの市街戦は避けられまい。住民に警告を呼びかけるぞ」
「何だ?何だ?」
「ギャヴァンが戦地に!?」
ギャヴァンの街の広場で、国からの使者が市民に避難を呼び掛けていた。街のあちこちにも注意書きを書いた札を貼り付けている。
「避難だって!?」
戦い、と聞いて男たちは血気逸った。元々祭り好きで血の気の多いギャヴァンの民だ。
「逃げろだなんて国もつれねえこと言うじゃねえか」
「ギャヴァンは俺たちの街だ。俺たちが守らねえでどうする!!」
「そうだーッ」
「俺たちの街は俺たちが守るぞッ」
「女子供だけ避難させろッ」
たちまちの大騒ぎを尻目に、ひとりの男が軽い足取りで木々の間をすり抜けて行った。
赤い髪……ヴァルス宮廷魔術師のような明るい赤ではなく、長年寝かせたワインのような深みを帯びた深紅の髪だ。やや癖のある肩までかかるその髪を、鬱陶しげに時折指先で弾きながら足音も立てずに進んでいく。
やがて男は街の外れに出た。港とは逆方向だが海に程近いそこは切り立った岩場が幾つかあり、洞穴のようなものもあいている。そのうちのひとつ……かなり巨大な岩場に危なげなく歩を進め、よく見なければ気がつかないような出入り口に手を伸ばした。遠慮なく開ける。
「ガーネット。……おーい。じじぃー」
住居として使用しているとは言え、そこはやはり洞穴だ。奥は暗い。その闇の中から歯形のついたオレーアの実が、男目掛けて飛んで来た。咄嗟に右手を出して、それを受け止める。
「いつまで経っても年長者に対する礼儀を覚えぬやつだ」
奥から姿を現したのは男にガーネット、と呼ばれた老人だった。本名は誰も知らない。いつの間にかここに棲み付き、男――ジフリザーグが、『守護する者』を意味するガーネットと言う呼称を与えてやったのだ。以来老人はガーネット、或いは単に『洞窟のじじい』と呼ばれている。尤も、その存在を知る者は限られているのだが。
「まったく。ギルドの長が聞いて呆れる……。お前について来る者は皆、心配で目が話せないに違いない」
「余計なお世話じゃい。んだよ、せっかく人が忠告しに来てやったのに」
ずかずかと奥へと入り込みながら、ジフリザーグは木製の椅子を引いて腰を下ろした。テーブルの上にオレーアの実を乗せる。
「忠告?」
「これ」
ひらっと差し出したのは、国から発行された避難警告だ。
「ギャヴァンが戦場に……?」
「ああ。市街戦になるだろうから、逃げたい奴はさっさと逃げろってさ。一応避難民の受け入れ先として、王城の館と要塞と大神殿が指定されているぜ。好きなとこに逃げろや。無事辿り着くよう国が護衛してくれる。今すぐって話でもないから、落ち着いて行動しろとよ」
「お前たちはどうする」
ちらりと目を落として紙をテーブルの上に投げ出すと、ガーネットは腕を組んだ。手に持っていた木製の薄汚れたロッドをテーブルに立てかける。
「俺たちは残って戦う。当然だ。ギルドが逃げ出すわけにはいかねえよ。市民も戦えるような奴の大半は残って戦う姿勢だ」
その返答に、ガーネットは笑った。
「相変わらずノリやすい街だ。……だが、わしはこの街を動く気はないな。せっかくの忠告だが」
「だと思ったよ」
ジフリザーグは背凭れに預けていた背中を起こし、『洞窟のじじい』を覗き込むように前のめりになった。
「んで相談があんだけどさ」
「何じゃ?」
「残る気なら、ギルドの護りに入ってくれねえかな」
「……」
ガーネットがここに棲み付くようになって以来、ジフリザーグを頭と仰ぐギャヴァンの盗賊ギルドは何かとガーネットを目にかけてやっている。そのお礼、と言うわけでもないだろうが、ガーネットはいつしかギャヴァンギルドの専属ソーサラーのようになっていた。ジフリザーグはガーネットの素性を知らないが、内心本当の自分の祖父のように慕っている。
「良いだろう。……何だかんだ言って、お人よしだな、お前さんも」
「面倒見が良くなきゃギルドの長なんかやってらんねえよ」
ダークグレーの瞳を眠そうに瞬かせて、ジフリザーグは頭に手を突っ込んだ。ぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「あの少年も戦うのか?」
「あの少年?……ああ。シンか」
言われて、愛想のない14も年下の弟を思い浮かべる。実の弟ではない。ギルドの長を務めていた父親が拾って来たのだ。今はもうその父もいないが、ジフリザーグはシンを実の家族と思い可愛がっている。ジフリザーグにとっては、ギルドの構成員全てが家族のようなものとも言えるが。
「や、あいつには別の仕事があるからな。外に出してる。……頼むわ。戦場になったら、ちと洒落んなんねえし」
「まあ戦火は及ぶまいが……念には念を入れよう。わかった。ギルドの護りはわしに任せるが良い」
◆ ◇ ◆
やや饐えたようなかびの匂いが鼻につく。地下独特の匂い、とでも言おうか。
『研究中宝物庫』の中で、シェインは古い書物を引っ張り出しては繰っていた。
「こんなところにいたのか」
不意に、扉が重い軋みを上げて開かれる。振り返ると、ラウバルが空に舞う埃に微かに目を細めて視線を舞わせていた。
「おう。どうした」
「来客だ」
「来客?」
パタン、と手にしていた分厚い魔術書を閉じる。年数を掛けて溜め込まれた埃が、その衝撃で本から舞い上がった。思わず顔を背けながら書棚に書物を戻す。
「誰だ?」
「ギャヴァンの自警軍と市民軍の代表者だ」
その言葉に、目を丸くしてラウバルを見詰めた。ラウバルも微妙な表情でシェインを見詰めている。
「……自警軍と?」
「市民軍だ」
「市民軍?」
ギャヴァンには避難勧告を出したはずだ。市民軍の編成命令など下っていない。
「自発的に結成したようだな」
「自発的に?」
しばし顔を見合わせる。どちらからともなく、くっくっと肩を震わせた。笑いが零れる。
「……大した気概だ。逃げるより己の街を己の手で護ることを選ぶとは」
「全くだ。ギャヴァンならではかもしれぬな」
「行こう。そのような見上げた方々を待たせては申し訳ない」
手についた埃を叩き、宝物庫を出る。施錠して歩き出したシェインは、身分を示すご大層なローブは身につけていない。淡い萌黄色のシャツにダークブラウンのパンツである。ヴァルスの宮廷魔術師は、すぐに官服を放り出す癖があるようだ。
「ガウナ殿は」
「迎えをやっている。私がお前を探し回っている間に、もうついてしまっているかもしれぬな」
「それは悪かった」
円形テーブルを置いてある会議室に入ると、中にはシェインも顔を知っている自警軍の隊長と、飄々とした表情の青年が並んでテーブルについていた。深みのある赤ワインのような髪の青年だ。こちらは初めて見る。その斜め前に当たる位置にガウナが腰を下ろしていた。
「お待たせした」
「ご足労いただきまして……」
「ご足労いただいたのは、こちらだろう」
適当に空いている席に腰を下ろす。
「自警軍隊長のボードレーでございます。こちらは……」
「市民軍代表ジフリザーグです」
こちらもそれぞれ名乗りを上げる。自己紹介を済ませ、茶などの雑務をする為に隅に控える女官を下がらせた。作戦を耳にするものは極力少ない方が良い。自分で立ち上がって人数分の茶をカップに注ぎながら、シェインが問う。
「国は避難するよう警告を発したのだがな。市民軍とは?」
「我々の街は我々が護ります。……まあ、ギャヴァン市民は調子に乗りやすいんで」
ジフリザーグと名乗った青年が、肩を竦めた。思わずシェインも苦笑する。茶を注いだカップをそれぞれの前に置きながら、重ねて尋ねた。
「編成は」
「人数は3千。100人ずつの中隊に分かれ、各隊には隊長を置いています。更にそれを10人ずつの小隊に分け、小隊長を」
「見上げたものだ」
ラウバルがやはり苦笑して呟いた。
「自警軍は3千だったか」
「はい」
とすれば、ギャヴァン攻防にあたってぶつけられる兵力は、国軍1万、自警軍3千、市民軍3千、ティレンチーノ要塞から3千、ザウクラウド要塞から7千、諸侯軍から1万。そしてそれとは別に海軍が1万5千。
「……ラウバル。当初の作戦と少々変更しよう」
手を顎に当てて考え込みながら、シェインはラウバルに言った。
「どう変更する」
「モナには、ギャヴァンへ投じる兵力が極小のものと判断してもらわねばならぬ。こちらの兵力を割かずに遊撃部隊が編成出来ると言うことだ。……市民軍の働きに期待して良いか」
後半のセリフは、ジフリザーグへ向けられた。ジフリザーグが黙って首肯する。
「無論、自警軍には、市民に被害が拡大せぬよう努めてもらいたい。……おぬしらの働きが、ギャヴァンを護る」
「……」
「俺は作戦を練ることは出来るが、現場に駆けつけるわけにはいかないのでな……」
事実、そこが弱いところだ。
平常時であれば、国王が陣頭指揮にあたり、国王の護衛と補佐を兼ねて宮廷魔術師が同行する。国王自らが剣を片手に兵士と同じ飯を食し、生命を賭けて戦えば軍の士気は圧倒的に上がる。その間宰相は王都を守り国土の防衛に専念する。
むろん、戦地に出たがらない国王もいないことはないし、そうでなくても主人が王城をあけるわけにはいかぬ場合もある。その場合は、宮廷魔術師を伴って宰相が国王代理として陣頭に立つ。王都にいようと、総大将は国王であり、宰相はあくまで軍の総指揮官に過ぎない。そしてその下に将軍職の人間がつく。
だが今回のケースで言えば、宰相、宮廷魔術師共に戦地に赴いてしまえば国土防衛の指揮をとる者がいなくなる。総指揮官をなくすわけにはいかぬから、いざロドリスと本戦に突入すれば、ラウバルが出征せざるを得まい。シェインは国土の防衛にあたることになる。
いずれの場合も大司祭は国民の救済にあたる為、戦力には該当しない。
……戦場にいない人間が作戦を指示することは、出来ないのだ。よって、実戦部隊の上に立つ人間には、徹底的に作戦を踏まえてもらった上で、尚且つ状況に即した判断力が必要とされる。
王城の内側から軍を操作しようとして、壊滅に追い込んだ例は山ほどある。連携し、信頼出来る現場の人間が必要だ。
「人を使う能力はあると自負している。迅速な状況判断もな」
不敵に言ったジフリザーグに、シェインは期待を込めて頷いた。
「信じるぞ。……作戦を、話そう」