第2部 砕けた心 第1章 黒衣の魔術師
第2部 砕けた心
第1章 黒衣の魔術師
「安いよッうちはどこよりも安いよッ」
「ティレルの実、今が旬だよーッ。籠盛り今なら10ギルでどうだッ」
「流れの大道芸人モントの軽業が見られるのは今日までだよー」
ギャヴァンはいつでも祭りのように賑やかだ。炉端商が声を張り上げて果物を叩き売りすれば、向かいの飲み屋から馬鹿騒ぎが零れて来る。大通りでは大道芸人が曲芸を披露し、道行く人からは歓声と拍手が上がった。絶え間なく音楽と歌声が流れ、笑い声がかしましい。
いつも通りのはずのその光景。だが、ふらりとギャヴァンを訪れた旅人がいたら不審に思ったかもしれない。
――この街には、女性が……あるいは子供が。
……いないのだろうか?
そんな街の中心部から外れた港では、ちょうど着いた船が荷の積み降ろし作業に入っていた。
「さっさと終わらせて、冷たいエール酒でもぐっと行きたいねえ」
船から、眼帯をはめた屈強な男が降りてきた。この船の主グローバーだ。後ろに束ねた長い、オレンジ色の髪が日に透けて光る。
肌は陽に焼けて黒く、丸太のような太い腕は、いかにも海の男といった風情だった。
「よっしゃあー。気合い入れて片付けっぞぉーッ」
ギャヴァンに来るのは2,3ヶ月ぶりになる。この街は、グローバーの故郷と似た空気があり、好きだった。
グローバーが気合いの声を上げると、仲間たちの間からそれに応えて歓声が上がる。が、その歓声が急に途切れた。
「何だ、あれ……」
「どうした?」
「頭……あれ……」
船員の声に促され、後方を振り返ったグローバーの目に飛び込んできたのは異様な光景だった。
沖に浮かぶ黒い塊。
思わず凍り付く。
「何だ……」
呆然と呟いたその数瞬後、グローバーの瞳にオレンジ色の光が映り込んだ。黒い塊から吐き出される、オレンジ色の光――。
「逃げろぉーッ!!」
叫ぶ間もあらばこそ、魔法弾と呼ばれる魔力付与道具からの砲撃が港へ次々と飛来した。
「うわあああッ」
「た、助けてくれえッ」
船員たちに落ち着いて街の方へと退避するよう指導しながら、グローバーは再び海上に浮かぶ怪物に目を向けた。
甲板にはためく国旗。あれは……。
(……モナ)
「……来たか」
クレメンスの意向である、ヴァルス領内ひいてはアルトガーデン帝国内に国民の安全の為に設けられる防護壁と旅小屋の設置についてシェイン、財務大臣アドルフと打合せをしていたラウバルは、通路を慌しく駆けてくる足音に、資料に落としていた目線を上げた。
「……?何です?」
アドルフがかけた眼鏡をずり上げながら問う。だが誰も答えぬうちに扉が慌しく叩かれた。
「宰相ラウバル殿!!至急奏上したい議がッ……」
「入れ」
「失礼しますッ」
転がり込んできたのは近衛警備隊隊員のひとりだった。顔色が蒼白だ。
「どうした」
「た、ただいまギャヴァン自警軍より早馬がッ……」
「……モナか」
「はッ。モナが、ギャヴァンに向けて襲撃を開始致しましたッ」
「わかった。下がって良い」
扉が閉まり、隊員が出て行くとラウバルはシェインに視線を注いだ。その視線に応じて宮廷魔術師が目を伏せて小さく笑う。
クレメンスが存命中に来てくれるとは僥倖だ。ヴァルス軍には戴く主が存在している……!!
「……始まったな」
「ああ。負けているわけにはいかない。……叩き潰してくれる」
帝国統一暦1529年花の月第4週。
アルトガーデン継承戦争開戦。