第1部第25話 隠された目的(2)
「我が主も、心を悩ませておいでです。ですが、過去を重石として未来の可能性を摘み取ることは我らがフレデリク公の本意とすることではありません」
「いずれにしても、現段階ではロドリスは何の解答を与えることは出来かねます。――信頼を得るには、何らかの痛みが伴うものですね」
言外に、ロドリスと本当に組みたければ動いて見せろと告げる。その意図を正確に読み取り、モナの使者は低頭した。
「……は」
「ただし、時期を見誤ってはいけません。ひとりよがりは周囲に迷惑をかけることにもなりましょう。場を改めて、次回はフレデリク公にお話を伺いたく。……今日は、ここまでにしましょう。陛下、宜しいですか」
ようやく思い出したようにセラフィは形だけ御簾の後ろの君主に声をかけた。
「良い。おぬしに任せる」
「では、そのように。フレデリク公に宜しくお伝えいただきたい」
一層頭を下げて立ち上がったローデツォに声をかけると、ローデツォは立ち上がったまままた頭を下げた。扉へ向かって歩き出す。
「ああ……」
その背中に、セラフィは最後の一言を投げ掛けた。
「誤解なさいませぬよう。……ロドリスに、叛意の意志は、ありません」
「……しかと」
ローデツォが退出すると、御簾がするすると巻き上げられた。カルランスがおどおどとセラフィを見詰める。
「ど、どういうことなのだろうな、セラフィ」
そこの胴体のてっぺんについているのは飾り物なのかと尋ねたくなる。笑顔を殺さず、カルランスに向き直ったセラフィは腕を組んだまま口を開いた。
「2つしかありません。ひとつは、ヴァルスの燻り出しの可能性。代替わりに際し、事実忠誠を貫く意志がある国と、ともすれば叛意を燻らせている国を炙り出すのです。もうひとつは、使者の言葉が真実だった場合ですね」
「と申すと……」
「モナに叛意があり、ロドリスと組んでヴァルスを叩きたいという意志です」
他に考えられまい。くどくどとつまらない説明をせねばならないことに頭痛を覚えながら、セラフィは頭を切り替えた。……果たして、どちらだろう。
(まあ、種は撒いた)
モナが本当にロドリス陣営につくつもりがあるのならば、近日中に行動を開始するだろう。モナがヴァルスを叩くのであれば、協力体制をとることにはやぶさかではない。しかしモナの目的と利害関係の擦り合わせも必要となるだろう。加えて先走られては少々困る。モナが単独でヴァルス侵攻を開始すれば効果は半減だ。どうせ組むのならば、挟撃しない手はないのだから。
「しばし様子を見ましょう。モナに対して軽はずみな態度は身を滅ぼすことにもなりかねない」
そう進言して謁見の間を退出する。続いて足早に自分の執務室へと向かった。リトリアからグレンが戻って来ているはずだ。
「グレン」
何の前触れもなく部屋のドアを開ける。瞬間がくりと床に伏しそうになった。
「……ここは君の寝室ではないよ?」
「はッ……し、しまった。ついうっかり……」
主のいない上司の執務室の長椅子で涎をたらして爆睡するとは良い度胸だ。セラフィの言葉で目を覚ましたグレンはがばっと体を起こして口から垂れた涎を拭った。
「……涎はついてないかい」
「それも味のうちでしょう」
「……」
ついつい汚物を見るような視線でグレンと長椅子を見詰める。臆した様子もなく、グレンは寝そべっていた体を起こして長椅子にきちんと座り直した。
「それで?」
「リトリア国王の要求は以下の3点です。ロドリスのガレリア分割、現ヴァルス領土における一部の植民地化、加えてヴァルスの交易権の剥奪」
聞いて顔を顰める。グレンと対する形で長椅子に腰を下ろした。
「足元見てるな」
「ヴァルス領なんかもらっても困っちゃうって言っていた割りに、しっかりヴァルス領の植民地化も要求してますからねえ……いやはや。食えない食えない。セラフィさんと良い勝負……あいたッ」
手近にあったクッションをグレンの顔面目掛けて投げ飛ばし、セラフィは考え込んだ。
ヴァルス領に関しては問題ないだろう。戦争終結後に、同盟内で会議がもたれるはずだ。その際にどの国がどこを分割するかは決定される。交易権の剥奪に関しても、同盟諸国の望むところだ。問題はガレリア。しっかりとロドリスの力を殺ぐ要求をも突きつけるあたりは、抜け目がない。
ガレリア分割とリトリア出兵を天秤に掛けた損得勘定だ。
「で?」
「お互い検討の余地ありですねーと言い残して逃げ帰ってきました、はい」
「ああそう」
さすがにセラフィの一存で飲める条件ではない。議論の場を持つ必要がある。
「他の諸国の動きはどうですか?」
立ち上がって部屋の隅のティーポットを勝手にごそごそと漁っているグレンの背中が問い掛けた。長椅子の背もたれに肘をつき、やや斜めにその後ろ姿を見遣りながら肩を竦める。
「ナタリアは問題ない。バートは返事を保留にしている。ヴァルスの様子を窺っているんだろう。キルギスも同様だ。ただしキルギスの方が手応えがある。時間の問題だろうね」
「そりゃあめでたい」
「……どのあたりが」
「保留にしているってことは、考えているってことですよ」
そう楽天的に行けば良いが。
勝手にお茶を注ぎ、セラフィの分と合わせて手に戻ってきたグレンは、再びセラフィの向かいに腰を下ろした。
「リトリアの件も含めて一度幹部会議が行われるだろう。追って指示を出すよ」
「ええ。……マーリアさんは、お元気ですか?」
グレンは不意に話題を変えた。セラフィは頬杖をついたままテーブルの上のカップに手を伸ばす。
「相変らずだよ。寂しい顔で僕を見送る」
「ハーディン城へ招いてしまえば解決なんじゃないですか」
グレンの言葉に、セラフィはゆっくりと首を振って茶を口に運んだ。
「マーリアには、見せたくない」
王城に渦巻く策略や陰謀を。……尤も、現在最たる陰謀を廻らせているのは他ならぬセラフィ自身だが。
――だからこそ。
「ハーディンのコワイお姉さん方が嫉妬に駆られないとも限らないですからねえ……」
グレンは両手を頬にあてると、大げさにぶるぶると震えてみせた。
セラフィが囲っている女性がいるとあらば、特にアンドラーシ辺りが怖い気もする。セラフィとマーリアはそういう間柄ではないのだが、何がしかの誤解が生じないとは限らない。
「でも一緒にいてあげられる時間が少ないんじゃないですかぁ?」
ぶるぶるするのをやめて、今度は縁側で日向ぼっこをしている老人のように背中を丸め、ずずーっと下品な音を立てて茶を啜るグレンに気のない視線を投げるとセラフィは遠くを見た。
「それで良いんだ。一緒にいる時間が増えれば、マーリアまで……」
「セラフィさん」
自嘲気味のセラフィの言葉に、グレンが声を荒げた。珍しいほどの真剣な表情を見て、セラフィは場も忘れて少しおかしくなる。
「前にも言ったはずです。あなたが汚れているわけではありません。……手を汚すのは、私の仕事なんですからね」
「……冗談だよ」
「いーえッ。今日と言う今日は私、断っ固としてッ!言わせていただきますッ。知ってますかぁ?私、怒ると怖いんですよぉ〜?」
両手を腰に当てて鼻の穴を広げて言うが、残念ながら本人が意図したほどの迫力はない。
「セラフィさんは、マーリアさんと幸せになることだけを考えていれば良いんです。……あなたの傷は、あなたのせいではないんですから」
「わかってるよ」
全てを知るグレンの染み込むような優しさに、セラフィの答える声が、かすれた。
「……セラフィさん」
「……」
「……ヴァルス攻略に躍起にならなくても、マーリアさんは……」
「聞きたくない」
言いかけたグレンの言葉を、セラフィは目線を逸らしたまま制した。尚も何かを言いたげな視線をグレンはセラフィに注いでいたが、黙殺すると諦めたように小さく溜め息をつく。
「それはそうと」
こほんと咳払いをしてグレンは調子を変えるように乗り出した体を背もたれに預けた。
「レガードさんの行方はどうなりました?」
セラフィは黙って顔を横に振った。黒衣の魔術師は現われない。
「近々バルザックを訪ねてみようとは思ってるんだ」
「おひとりで!?」
セラフィがバルザックと組んでいることを知っているのは、ハーディンでもグレンだけである。
「……そうだけど」
「いけません、そんな!危ないッ」
「危ないって言ったって……」
「あんな得体の知れないじーさんと2人きりになって、妙な気を起こされでもしたらどうするんですッ」
「は?妙な……?」
「襲われちゃいますよ……ごふッ……」
返す言葉を持たず、グレンとの間にあるテーブルから本を取り上げ投げ付けた。グレンは敢えなく地にひれ伏す。
「他に言うことはないのかい」
「ないれふ……」
グレンが情けない顔で潰れたまま答えたところで、カツカツと窓を叩く音がした。視線を向けると鳥が中へ入れて欲しそうに窓辺にとまっている。伝書鳩代わりのゴーレムだ。
『銀狼の牙』はセラフィの素性も知らなければ、連絡先も知らない。そのために『銀狼の牙』に貸し与えたのだった。古典的ではあるが、便利でもある。
「ようやく、か」
セラフィは立ち上がって窓辺に歩み寄った。窓を開けて伝書鳩を中に入れてやる。慌ただしくバタバタと中に入って来ると、伝書鳩は真っすぐセラフィの腕にとまった。足には手紙がまきついている。
セラフィに本で殴られたまま長椅子に突っ伏していたグレンががばッと起き上がると、ぎょっとしたように体を震わせて飛び上がった。
「ゴーレムさえこの態度……こんなに頑張っているのに……。私の何がいけないんでしょうかねえ。セラフィさんだって私のことをちっとも評価して下さらないし、お給料もあげてくれないし、ごはんにも連れてってくれないし、お菓子もくれないし、特別手当もないし。セラフィさんだけじゃありませんよ。ええええ。セラフィさんだけだと思ったら大間違いです。そうです、大体この前花屋のチュリーザさんのとこにお邪魔した際にもですねえ……」
「……」
ぶちぶちと愚痴たれ出したグレンを放り、セラフィは小さく「ウェルブム」と呟くと、その足から手紙を抜き取った。セラフィ以外には手紙を抜き取ることが出来ないよう、呪文を施してある。
抜き取った、幾重にも折り畳まれた手紙を開くと見知った文字ではなかった。『銀狼の牙』の頭ヘルの文字ではない。とは言え、伝書鳩を飛ばすにも呪文が必要となる。間違いなくセラフィの元に飛んできたと言うことは、ヘルから託されたか……あるいは。
(消されたか?)
だが、誰に。
(決まっている……)
考えながら書面に目を落とし、セラフィの表情が真剣なものに変わる。あからさまに変わった顔色に、べらべらと誰ひとり聞くことのない講演をたれていたグレンが口を噤んだ。
「朗報ですか?それとも……」
「朗報、と言って良いのかな」
「何です?」
「レガードが見つかった」
「……!!」
「現在『王家の塔』をめざして風の砂漠を旅している最中だそうだ。『銀狼の牙』の頭はレガードに消された」
「……」
「『銀狼の牙』残党は現在レガードを追跡中。どうするか判断を仰ぐと言って来ている。……やっぱり生きてたみたいだね」
言ってセラフィがテーブルの上に投げ出した手紙を手にして一読すると、グレンはやや考えるようにして口を開いた。
「私が行きましょうか?」
「頼みたいのはやまやまだけどね。でも駄目だよ、それは」
「……そうでしたね」
近衛警備隊が次期皇帝を暗殺すれば、当然ロドリスはその責を問われよう。わざわざ異国の魔術師と辺境の盗賊団を使った意味がない。
「しかし、レガードさんが生きていたとなれば、ヴァルスの方も何か感づいたのでは?」
「だろうね。馬鹿ばかりじゃないだろう。まあ良いさ別に。明確な口実さえ与えていないければ、ヴァルスは仕掛けて来られない」
ようやく気を取り直したようにセラフィは再びカップを取り上げた。蔦の葉をモチーフにした美しいその模様を楽しむように眺めながら、しかしやや怒気を含ませた声で呟く。
「……バルザックは、裏切ったかな、やっぱり」
「なぜです?」
「『銀狼の牙』ごときに見つけられるものを、バルザックが見つけられないと思うかい?」
「んでもバルザックさんにも出来ないことはあるでしょうし」
「そりゃね。それは認めるよ。じゃなきゃそもそもレガードを仕損じたりしない。でもあのじーさんは、便利なオモチャを持ってるはずだ。名前までは知らないけどね」
「便利なオモチャ?」
「大昔の魔力付与道具だよ。どこで手に入れたんだか知らないけど」
「……どうするんです?レガードさんは」
膝の上に両肘を乗せ、組んだ両手に顎を乗せながらグレンは問うた。問いながら、その答えを知ってはいるけれど。
「決まってるだろう?」
優雅にカップを口元にようやく運んでセラフィは目を引くような華やかな笑顔を浮かべた。
「消すんだよ」
◆ ◇ ◆
セラフィの執務室を退室し、近衛警備隊第1隊室へと足を向けながらグレンは目を細めて窓の外へと視線を向けた。
王城内を歩くにはいささかお粗末なそのぼさぼさの髪に手を突っ込み、更にぐしゃぐしゃとかき混ぜる。もはや止めとさえ言えるその行動を通り過ぎる女官が不気味なものを見る眼差しで見ていたが、にへら〜っと笑いかけてますます怖がらせておいた。……いや、グレンにしてみれば微笑みかけているつもりであって、怖がらせているつもりではない。
(わかってるんだかわかってないんだか……って感じですよねえ……)
それはお前だ、と言う突っ込みがどこからも入らないのを良いことに、自分をまんまと棚に上げ、空の青さを眺めながら、年下の上司の端正な顔を浮かべた。あどけないその笑顔の裏に落とされた影。抑圧された傷と痛み。
セラフィは自分の容貌が武器になることを良く知っている。それによって傷つけられてきたセラフィは、グレンと出会った時には既に逆にそれで自分を守る術を身につけていた。そして人を人とも思わない考え方を平気でしながら、そんな自分を自嘲している。
他人を信じず、愛さない彼にとって、マーリアは特別だ。恐らく、グレンもまた特殊な位置にいると思って良いだろう。そして逆もまた然りだった。グレンにとってセラフィは、己の存在に意義を与えてくれた唯一の存在だ。セラフィとは逆に、心ではなく体に闇を宿すグレンを知る唯一の存在。
権力や地位にさして固執するようなタチではないセラフィが、ヴァルスの攻略とアルトガーデンの覇権に野心を燃やしているのは、それがマーリアの為に出来ることだと思っているからだ。ただし、それが本当にマーリアが望むことなのかと言うと……。
(セラフィさんさえそばにいてあげれば、マーリアさんは、それが幸せだと思うんですけどねえ……)
グレンはセラフィの望むように協力するだけではあるのだけれど……。
セラフィには、マーリアと幸せになって欲しいと密かに願っている。
2人の間にあるものが男女の愛情などではないことは承知の上だ。それに宮廷魔術師という地位にあればこそ、結婚関係さえ政治の対象となりうる。マーリアのような、過去に全滅し、現在は存在しない辺境の村の孤児とあれば不可能に近い。
(まあ……今のままでは、と言う話ですけど……)
セラフィの思惑通りにことが進めば、また違う意味で不可能だろう。セラフィ自身には、マーリアの幸せを望む気持ちはあっても、自分自身の伴侶にするつもりはまるでないのだから余計なお節介と言うところか……。
マーリアの村を全滅に導いたのは他でもないグレンフォードだった。危うくマーリアも、そしてセラフィをもその血塗れた刃にかけるところだったのだが。
(運命とは皮肉なもんですねえ……)
まさかこの自分が近衛警備隊などになってロドリス王城内をうろうろするとは。
魔物と紙一重だったあの頃には考え付きもしなかった。いや……。
(今も大して変わりはないですか……)