第1部第24話 大神殿の封印(2)
「それが!!状況が変わったんだな!!」
武力派のルーベルトが当選確定と言うことは、まさかと思うがツェンカーもヴァルスへ戦争を挑もうとしているのだろうか。ツェンカーはかなりの破壊力を持つ重装歩兵を有している。戦力としては、かなり手強い相手と言えたはずだ。ワインバーガ王国との小さな紛争も絶えず、戦い慣れしてもいる。
暗澹たる気分になったラウバルだが、ノースの言葉は全く違う方向へと向かっていった。
「フレザイルの様子が気になってるんだ、ツェンカーは」
「フレザイルの?」
シェインが頓狂な声を上げた。恐らくラウバルと同じ方向に頭を廻らせていたのだろう。
「フレザイルが何だ?あそこには戦う相手がおらぬだろう」
「人はね」
「まさか……」
「トラファルガー……?」
シェインの後ろにひっそりと立っていたラウバルの呟きをしっかり受けて、ノースがびしりとシェインに突きつけた指をラウバルに向けた。
「まさしく!!」
「目覚めたのか?」
「や、それが良くわかんねーみたいなんだけどさ。時折、咆哮が聞こえるようになってるらしくって。まだ完全には眠りから覚めてないにしても、覚醒は近いんだろうって」
氷竜トラファルガーに備えて、武力派のリーダーが選ばれると言うわけか。ツェンカーはローレシアの中でもワインバーガやナタリアの一部と並んでフレザイルに近く、海の上に氷の大陸を望むことが出来る。トラファルガーが活動期に入って、その被害を最も受けるのは歴史を紐解いてもツェンカー地方だ。
「へっへー。そんなわけで、俺の故郷からリーダーが初めて出ることになりそうってわけだよッ。俺は鼻が高いよ……」
ノースはだぼだぼとグラスにエール酒を注ぎ足し、立ち上がったままそのグラスを天に翳した。
「かんぱーいッ」
「ほどほどにしとけよ」
苦笑してその場を離れる。道を逸れて『聖なる道』へと差し掛かると、人通りは急に絶えた。
「ツェンカー独立自治領も代替わりか」
「吉と出るか凶と出るか」
いずれにしても、正式に決定すれば外務官から報告は上がって来るだろう。情報を入手するシェインの手腕に、ラウバルは呆れて良いやら感心して良いやら区別がつかずに呟いた。
「……しかし見事なものだ」
「何もしておらぬが」
ただ歩いているだけで、あれほど声を掛けられ情報が寄せられるのは並大抵のことではない。ラウバルが頻繁に街に下りたとしたって不可能だろう。シェインならではではなかろうかと心で結論を下し、民衆間の情報収集はやはりシェインに一任しておこうと密かに決意する。
「王女の様子はどうだ」
石畳を敷いた、幅2エレ弱ほどの『聖なる道』はその両側に花が植え込まれている。気の早い花は既に蕾を膨らませ、今にも花開きそうに見えた。心地良い風が緩やかにその葉を揺らす。等間隔で植え込まれているホーレフの木がさらさらと囁いた。
「何やら地下に迷い込んでおるようだ」
「地下!?」
「大方誰かがどじを踏んだのだろう」
今、王女と共に旅をしている面々を思い出す。女性2名はともかくとして、男性3名はいずれも何らかのポカをしてもおかしくないような気がしたので、シェインが指すのが誰のことやら判別がつかない。
風の砂漠には確かに前人未踏のダンジョンや遺跡がまだ残っている。そのうちのひとつに迷い込んだと言うことだろうか。おいそれと間違えて迷い込めるような場所でもないはずだが。
「レガードの手掛かりがあるやもと思って入り込んだらしいな」
「そうか……」
「調査隊と遭遇したそうだぞ。じき戻るだろう」
草原に新しい緑が息吹き始め、ゆるゆると昼下がりにこうして大神殿への道を歩んでいると、ふと現状の忙しさを忘れそうな気がしてしまう。
現在、シェインの進言を受けて、使者を飛ばす各国の割り出しと使者の選出、そしてヴァルス領内の各町村への出兵準備の通達などを行っている。兵糧や武器、防具の調達も行っておかなければならない。キール島の海軍も、共有海域上のモナ海軍を刺激しないよう準備を進めるように通達してある。
モナかロドリスかと言う点はこの際置いておいても、いずれ必要になることは火を見るより明らかな為、この辺りについては重鎮たちも協力的だ。
「モナは、相変わらずか」
「……どう踏む?」
逆に問い返される。
シェインは、幾つかの国に間諜を飛ばしているはずだ。尤もこれは全くの個人の裁量でやっていることなので、その報酬は自らの懐から支払われている。よってどこの国に何人飛ばしているのかまでは関知していない。することでもない。
「私はお前と同意見だ」
「と言うと、モナは友軍ではないと」
「ああ。フレデリク公には一度だけお会いしたことがある」
「先の戦争の折りか?だが、あの時はおぬしは……」
遮るようにラウバルは首を横に振った。ナタリア・マカロフ戦争においては、ラウバルは出陣していない。シェインもまた同様だ。2人が戦陣に立つとすれば、それは直接ヴァルスに関わる大事にのみ限られる。
「いや、もっと公が幼少の頃だ。まだほんの6歳、7歳……そのくらいだったろうか」
モナに王子が誕生した際の祝いの席であったと記憶している。フレデリクの弟だ。クレメンスの代理人としてラウバルと当時の外務大臣が祝賀の為モナを訪問したのだった。その頃シェインもまだ10歳やそこらだろう。王城に出入りするようになるのはその6年後だ。
「ほう。どう見た」
「屈託のある方だと」
「……ほんの子供が?」
「ああ」
厳格な父王とフレデリクは確執があったと言う。厳しい教育を施されてきたフレデリクは、冷酷無比な寡黙な男として育った。幼いながらに、皮肉な色を瞳に浮かべていたことを覚えている。あの時、何やら寒いものを感じたその印象は見事に的中してしまったようだ。
「ヴァルスの政治にひどく興味を覚えていた。軍部に関して、或いは政治に関して、幾つもの鋭い質問を投げつけて来ていたな。外務大臣がまごついていたぞ。君主としての資質を感じた。いや……」
君主ではなく……。
「支配者か」
「そのように見受けられた。……風評では確かに、室内に籠もるのがお好きな物静かな青年と聞いている。柔和で、剣などろくに使えないと」
「ああ。一応、そのようになっているな」
「そう思わせるのが手なのだろう。しかもそれを、公位継承の遙か前から周囲に植えつけている。先見の明がある。……そして野心家だ」
「では俺の知る情報を曝そう」
シェインは硬い表情で視線を前に定めたまま言った。話の内容とは裏腹に、頭上を、春の訪れを告げる小鳥が囀りながら旋回する。
「新しい情報としては2つだ。まずひとつは、ロンバルトのレドリック殿下が行方不明だそうだ」
「では……」
「ああ。間違いなかろう。裏切り者はレドリックで確定だ。行き先はロドリス以外にあるまい」
「……。もうひとつは」
「モナは、ロドリスに使者を送った」
「何?」
「海軍を動かした翌日のことだ」
ラウバルの視線を感じているはずだが、シェインは前方に視線を固定したままで続けた。
「使者への対応及びその内容は不明。だが、明らかだな。モナはロドリスと手を結んだ。海軍の目的はヴァルス侵攻だ」
「その話を、スペンサー殿には……」
そこでようやくこちらに顔を向ける。険の浮いた表情だ。
「話すわけがないだろう。言ったところでどこまで信用するやら」
「拗ねている場合ではないぞ」
「拗ねているわけではない。告げれば情報の在り処を問われよう。情報源は、俺独自の情報網だ。果たしてその言葉を受けてスペンサーが動く気になると思うのか」
「……」
「我が国の重鎮たちは、自国の宮廷魔術師より他国との過去を重んじる風習があるようなのでな」
口調だけ聞いていればシェインが拗ねているようだが、言っている内容は真実だった。恐らく情報の出所はシェインの放った間諜だと言ったところで、鼻で笑われることだろう。その結末はラウバルにも想像がついた。
「だが、ますます火急となるな。挟撃される日が近くなる」
「まあ、一概にそうとも言えまいよ」
「同盟か?」
「ああ。モナから使者が送られようと、速急に返事はしてないだろう。相手がモナであればロドリスも慎重にならざるを得まい。自分の信用が置ける各国との同盟が成立せねば動くとは思えぬ。……その場合モナの動きはどうなるだろうな」
コツン、と足元の小石を蹴飛ばしてシェインが呟いた。答えは出ている。
「……単独で仕掛けてくるか」
「だろうな」
頷いて、僅かに首を横に振った。
「いや、事実そうなるかはわからぬが……せめてそうあって欲しいと願うのみだ」
モナは既に海軍を動かしている。だが思うようにロドリスは動かない。モナは焦るだろう。いつまでもぼんやりと海上に浮かんでいれば、開き直ったヴァルスから先制攻撃をくらいかねない。ロドリスの同盟成立まで果たして待てるだろうか。恐らく否、だ。ロドリスの重い腰を上げさせる為、そして信用を勝ち取る為、功を焦ってヴァルスに仕掛けてくる。
……そしてまた、そうでなくてはヴァルスにも現状勝機がない。指導者のいない軍で勝利を収めるには、各個撃破するしかないのだ。
◆ ◇ ◆
大神殿は既に春であるかのように花が咲き乱れていた。美しく手入れされた庭は見る者の心を慰め、一時の平穏をその心に与える。
「やはりお出でになりましたか」
ラウバルがここへ来るのを感じていたのか、ガウナは既に大神殿の入り口に佇み迎え入れてくれた。尤も、シェインを伴っているとは思っていなかったらしく、小さな目を見開く。
「奥へ」
大神殿本堂へ続く入り口を回避し、廻る通路へ足を向ける。本堂沿いにしばらく進み、渡り廊下を通って更に奥へ向かった。
「アモル・オムニブス・イーデム。我が偉大なる主ファーラよ……封じられし扉を開きたまえ」
綺麗に整えられた木々の間を縫っていくと、大神殿の半分程度の大きさの堂がある。ファーラ大神殿に仕える司祭たちすらも立ち入ることの出来ない空間だ。何重にもガウナの護りの魔法が固められている。
白亜の石で出来た重い扉に向かってガウナが魔法の解除を発動させた。それからゆっくりと扉の取っ手に手をかける。開いた堂の内側にまずガウナが足を進めると、ラウバルとシェインもそれに従った。
中にあるのは、外から見れば意外なほど小さな部屋だ。天井こそ高いものの、床面積はほんの4畳程度である。入り口から正面には祭壇が置かれ、ファーラに奉納された供物や護符などが捧げられていた。両脇には太い柱を思わせる、やはり白亜の石棚があり、置かれた聖杯には聖水が注がれている。
そして……。
「『ストームブリンガー』か」
シェインが祭壇の後ろの壁の高い位置に視線を向けて呟いた。ここに入るのは初めてのはずだ。
「ああ」
白亜の壁の天井と床の中ほどの位置に、クリスタルで作られた透明の箱が固定されている。その中に閉じ込められた、闇色の巨大な諸刃の剣。――魔剣『ストームブリンガー』だ。
主が訪れたことを知ったのか、ストームブリンガーはキィィィ……と超音波のような高周波の僅かな音を立ててその身を微かに振動させた。呪われし魔剣が、己の欲求を主へと訴えかける。
――血ヲ……
「良く懐いているじゃないか」
口をへの字に曲げてシェインはストームブリンガーから目を逸らさずに呟いた。どう受け止めて良いものか迷い、ラウバルはその言を黙殺する。
ラウバルの知る限り、バルザックが執拗にラウバルを狙う理由のひとつがこれだった。黒衣の魔術師の望みは魔剣ストームブリンガーを手に入れること。……いや、前の持ち主はバルザックだったのだから、奪い返すこと、と言うべきなのだろうか。例えそれが不正に入手したのだとしても。
「いつ以来だ」
「グロダールだな」
「あれ以来か。さぞ腹が減ったことだろう」
「……」
ストームブリンガーは、己の意志で血を求める。そしてその刃を埋めた相手の生命を吸い取り、己が主に注ぎ込むのだ。主の方が剣に負ければ、ストームブリンガーの意のまま、ただの殺戮者と化すだろう。
現在の持ち主はラウバル。本来召還師とは、己の生命を削り、召還獣を呼び出して使役する為短命となるのだが、ラウバルの場合はストームブリンガーによって永き生命をもたらされていた。ラウバルの生命を繋いでいるのは、これまで手にかけて葬り去った生命だ。
そんな己を忌み、ラウバルは大神殿にこの壊すことも捨てることもままならぬ剣を封じた。持ち出すのは、戦場のみ。普段はごく普通のバスタード・ソードを帯剣している。
ふと、ユリアの曇った顔が浮かんだ。なぜラウバルがこの剣を持つのか、忌み嫌いながらも手放すことをしないのか、込み入った理由をユリアは知らない。知るのはガウナのみだ。だが、シェインにしろユリアにしろ、ラウバルの長寿の秘密がストームブリンガーにあることは元より承知である。
自己の手で断ち切った生命を取り込み、生命を繋ぐことに苦しむラウバルを知り、ユリアはラウバルがこの剣を握って戦いに出る時、悲しい顔をする。優しい王女だと思う。
「守護を、強化することは出来ますか」
静かにガウナに問う。入り口間際で2人を見守っていたガウナは、小さく頷いた。
「私で出来る範囲は越えておりますけれども。大教皇にお願いすれば、可能でしょう」
「大教皇のお力をお貸しいただけるよう……お願い出来ますか」
「やってみましょう」
言ってガウナはゆっくりと奥の壁へと歩み寄った。その壁を節くれ立った手でそっと撫ぜる。その奥にもうひとつある、完全に封じられた部屋へと意識を向けた。
「ここに封じられし者も……暴れ出さないとは限りませんからね……」
振り返ってラウバルを穏やかな表情で見つめる。
「念を入れ過ぎるということはありません。可能な限り早い対応を心掛けます」
「お願いします」
「……戦の際には、お持ちになるのですね?」
ユリアと同じ、悲しい瞳をガウナはラウバルに向けた。シェインは口を挟まずに黙って2人を見つめる。ラウバルはその視線に応えて静かに頷いた。
「……はい」
「呪われし永き生命を繋ぐ為に……」
首肯する。
「義務が……誓いが、ありますから」