第1部第22話 風の砂漠〜ダンジョン5〜(2)
「鍵は?」
「かかってないみたいだ……いや、違うな。誰かが開けたんだ」
「そうなんだ。攻略した人たちなのかな」
「だろうな。……しかしこれは……結構厄介な鍵だな。シーフでも一流の腕がないと開けられないぜ、きっと。相当なお宝でも眠ってたんじゃねえか?」
言いながらシサーがドアを引いた。ギィ、と軋んだ音がする。
「……ッ!?」
その瞬間異臭は頂点にまで達した。閉じ込められていた悪臭が、外へ解き放たれる。
中に目を向けて、俺は戦慄の余り思わず声を上げそうになった。咄嗟に自分の口を両手で覆いながら咄嗟に引いた体が通路の壁にぶつかる。シサーもカンテラでその小さな部屋の奥……突き当りの壁の辺りを照らしながら、深刻な顔をしていた。
「これは……」
折り重なるようにしてそこに投げ出されている塊。まるで食い散らかされたように、部品はバラバラに飛び散っている。壁や床には黒っぽい染みが浮かび、ごっそりとそのまま残されているのは多分髪の毛。剥き出しの頭部には骨が覗いている。……複数の人間の、死体だ。あまりにバラバラなので、何人分なのかはちょっと見当もつかないしつけたくない。ここの、冷蔵庫みたいな気温にも関わらず、鼻の裏に沁みこむような強い腐臭を放っていた。
その一番奥の壁際に2つ置かれている、開けられた宝箱が悲しい。その片方の蓋の、留め金の部分に見覚えのあるトラップガイドと同じ石が光っているのが見えた。
「戻ろう」
「う、うん……」
通路へ戻り、元通りにドアを閉めた。青い顔をして口元を押さえたまま吐き気を堪えている俺を宥めるように、シサーの大きな右手が俺の肩を軽く叩く。
「……多分、ギルドのシーフだ」
「え!?」
ギルドのシーフって、まさか……。
「シン!?」
「いや、さすがにそれはないだろう。どう見たって数ヶ月は経ってる。シンって奴と別れたのは、まだ1週間やそこらだろ」
「あ、ああ……そっか」
焦った。ほっとした。
「でも何でギルドのシーフって……」
通路を戻りながら訪ねかけた時、遠くの方からニーナの声が聞こえた。
「シサー!?」
「おお〜?」
何気なく返事をしながら、シサーは低く俺に言った。
「今の、言うなよ」
「……うん」
「通路、明かりは?」
ニーナの声が尚も続く。
「っかんね。途中から点かなくなった。こっちじゃねえってことなのかな……。まあカンテラあるから平気だ」
「もう良いわよ。戻って来てよ」
「ああ。今戻ってるとこだ」
何事もなかったように明るく答えるシサーの声が途切れてから、俺も低い声で問い返した。
「ギルドって、何で」
「ギャヴァンのギルドって話だが。あそこの連中は所属意識が強い。好んでどこかにギルドの紋章を入れている。ドアの近くに落ちていたバックルに、紋章が入ってた」
ギルドの紋章!?ってもしかして……。
「これ!?」
荷物を漁ってシンのダガーを取り出す。渡すと、シサーはカンテラの明かりに翳して頷いた。
「ああ。これか。シンってやつのダガーと同じだってのは」
「そう。……あれ?じゃあ、シンのとは限らないってこと?」
「わからんが、全く同じなら可能性は高いと思うぜ。同じ品物のダガーの同じ位置に同じ大きさの紋章を入れるとは考えにくいからな」
そ、そこまで言われると、本当に同じ物かは自信がないんだけど。
「でも、盗賊団なのに、足跡残すようなことするの?」
自動的にカンテラが点灯する通路まで戻ったので、必要のなくなった手元のカンテラの明かりを吹き消して、シサーは荷物の中に仕舞いこみながら苦笑した。俺もシサーに返してもらったシンのダガーを仕舞いこむ。
「盗賊団つったって、国に睨まれるような悪さをするわけじゃねえし。職業盗賊だからな、ギルドの盗賊は」
ふうん。
「特に頭が今の代に代わってからは、殺しや盗みを厳しく制限していると聞く」
そういうものなのか。
「けどさ……」
さっきの死体の有様を思い出す。まだ鼻が利かない。鳥肌が立った。
「腕の立つシーフが、適わないような魔物がいるってこと……?」
「まあ……」
シサーは片手を顎に当ててつるっと撫でながら微かに首を傾げた。
「シーフは総じて攻撃力がさほどあるわけじゃねえからなあ……何とも言えないが。ヘルハウンド辺りでも、束になって来られたら結構苦戦するんじゃないか?」
シンなんか俺より全然強いですけど。
「シンはチャクラムで人の首とか魔物とか、ばんばんふっ飛ばしてたよ」
「そりゃあ魔力付与道具だな」
「え、そうなの?」
「ああ。普通のチャクラムにそこまでの攻撃力はねえよ。……シーフは基本的にはそういう特殊な武器でも持ってない限り、魔法攻撃が出来ない。魔法を必要とするような相手だった場合は、ちとしんどいだろうな」
「どうだった?」
3人の待っているところまで戻ると、ニーナが小走りに駆け寄りながら尋ねた。
「おお。別に何もねえな。左の方は結構続いてるみたいだった」
「右に折れたら、通路は真っ暗だったの?」
「ああ。まあ……行くなってことだろ。突き当たりだったぜ」
「……じゃあ、こっち、行ってみようか」
俺は視線を逸らして直進する通路の方へ体を向けた。歩き始めるとカンテラが点いて、道標のように俺たちを導く。
「……カズキ?顔色が悪いみたい……」
ユリアが俺のそばに寄って顔を覗き込む。苦労して笑顔を作り、何気ない振りを心がけながら口を開いた。
「何でもないよ」
「暗くなったから怪談してやったら、カズキの奴びびっちゃったんだよ」
「やだ、ホント?」
シサーが脇から助け舟を出した。それを聞いて、ユリアが吹き出す。……そういう、助け舟を出しながら突き落とすような行為は良くないと思う。
「あのねえ……」
「本当だろー」
言いながら前を歩くシサーの背中を軽く拳で殴った。すーごく情けない奴みたいじゃないか、俺。
……びびってたのは、ある意味本当だけど。
「それじゃあもうひとつ、とーっておきのオソロシイ話をしてやろう」
「……すれば」
言っておくが、怪談なんかこれっぽっちも怖くない。……あのさあ、これだけ魔物に遭遇してて、アンデッドモンスターにだって遭遇して、現実の方がよっぽど怖くないの?今更とか言わないか?
「何ぃ〜?可愛くないなあ、お前……。んじゃ話しちゃうぞ。やだったって遅いからな。……昔な、ある山奥にな……」
いつの間にかシサーの漫談なんか聞く羽目になりながら、ぽわーっとカンテラに照らされる通路を進む。けどおかげで、衝撃的なものを見たショックは少しだけ和らいでいた。それを狙ったんだろうか。
……さっきのは、何だったんだろう。
仮に見つけたダガーが確かにシンのものだとしたら、何度も考えたようにシンはここに来たことになるわけだけど……あの奥の部屋の死体がギルドのシーフなら、シンの仲間なんだろうか。
……あれ。でも俺と別れた時にはシンはひとりだったし、あの死体は数ヵ月前……。
完全にシサーの話を聞き流しつつ、手だけは無意識にマップを埋めながらも、俺は自分の考えに沈みこんでいった。
――何度も来ている。
キサド山脈で言ったシンの言葉が蘇る。……シンはキサド山脈を何度も越えているんだ。恐らくは風の砂漠、ここのダンジョンを訪れる為に。
そうか……ギルドは風の砂漠のダンジョンや遺跡を調査したりしているってシサーが言っていた。シンはあのダンジョンを攻略する為にギルドに派遣されてたんだ。そして以前のクエストで、仲間を失った。それが多分、あの死体。
以前失敗したこのダンジョンの攻略をする為にシンはここを再び訪れた。それが、俺たちと別れたあの後。
(……)
何か、大事なことを見落としているような気がする。
「……んでな、そこでじーさんはばーさんにこう言うわけだ。『ばあさん、あのゴブリンはキメラにやられて仲間が全滅して……』。……っておい。カズキ」
大事なこと……何だろう。仲間が、全滅……?
「こら。……こいつ、全然聞いてねえな」
仲間が全滅するような魔物……。
……何で、シンだけ無事に逃れることが出来たんだ?
「そういうことか……」
ある考えに行き当たり、心臓が高鳴った。足を止める。
ひとりでどこかへ向かったシン。落ちていたシンのダガー。何度も訪れている風の砂漠。レガードへの借り。全滅したシンの仲間。なぜかシンだけが助かった。……ワープトラップの、ダンジョン。
「あ?」
突如呟きながら足を止めた俺に、シサーも振り返りながらつられたように足を止めた。って言うか、全員止まった。が、そんなことにも気が付かないほど、俺は自分の考えに沈みこんでいた。
「……ありがとう、シサー」
「おお?」
「シサーの話、為になった」
「だろ?……って何だよ。気持ち悪ぃな」
嫌味かそれは……とぼやきながら再び足を動かすシサーについて、俺も手と足を動かしながら再び考え込んだ。
……間違いないんじゃないかと思う。
シンは、レガードにその生命を助けられたんだ。
だから全滅の憂き目を見る危険の中、多分たったひとり助かった。そして助かったのがひとり……シンだけだったからこそ、シンはダンジョンへの再挑戦へひとりで向かった。
問題は、どうしてダンジョンのこんな奥深くにいるシンをレガードが助けることが出来たのかってことだ。
『王家の塔』へ向かわなきゃならないレガードは、こんなダンジョンに立ち寄る用事なんかない。
(そうか……)
今は完成されてない空間魔法――過去のエンチャンターには自在に扱うことが可能で、ここはその技術が活かされているダンジョンだ。今まで俺たちが遭遇したワープトラップは、あくまでダンジョン内部を飛ばされるものだった。でも、外へ飛ばすトラップがあるとしたら?
このフロアには確かにトラップガイドは見掛けない。でも、ここに入ってからたった1度だけ……あの死体の部屋の、宝箱に。
あれがもし、宝に手を掛ける不届き者を外へと飛ばす、侵入者を追い出そうとする種類のものだとしたら。
「カズキ?……おーい、カズキー」
「駄目ね、何か考え込んじゃってるみたいよ」
シサーは、あそこの扉の鍵はかなり厄介だと言っていた。何か特殊な宝があったとしてもおかしくない。けれど、あそこを訪れたのはその鍵さえも開錠する腕前を持ったシーフたちだった。当然、宝箱のトラップにも気が付いて、作動させずに宝物を入手した。
……そして思いがけない魔物に襲われ、仲間は全滅、戦闘の最中に偶然トラップに引っ掛かったか、敢えて作動させたかはわからないけど、シンは外へ飛ばされた。
恐らくその時シンは満身創痍の状態だろう。加えてこのダンジョンの周辺はバシリスクやサンドワームの多発地帯だ。いくらシンが腕が立つと言っても、ひとりでぼろぼろの状態で逃れられるかは正直疑問だ。
そこを、レガードに助けられた……?
「……そういう、ことだったのか」
「何だ?」
半ば呆然と呟いた俺に、シサーがまた足を止めて振り返る。
「……実はさ……思いつき、なんだけど」
そう前置きをして、再び歩き出しながら俺は今浮かんだ自分の考えを話した。もっとも、さっきの行き止まりに死体があったことは、伏せたままで。
「なるほどな……」
俺の意見を聞いて、状況を正確に把握しているシサーが考え込む。ユリアたちはさっきの死体を見ていないから、何で俺がそこまで考えたのかまではわからないみたいだったけど。
「ただ、わからないのはレガードの行方だな」
「やっぱりシンが鍵だったんだ。……根拠はないけど、多分、シンが知ってると思う」