第1部第2話 旅立ち(1)
「でぇ……大抵どこの国にも*****ってのがいてぇ、ウチで言うシェインだな。あいつはあー見えて******若手でぇ……俺の****……」
「待って。ところどころわからない」
「どこ?」
「どこってゆーか……。レイア、キグナスの言ったこと繰り返して」
「『どこの城にも宮廷魔術師ってのがいて、ウチで言うシェイン。シェインはああ見えて重鎮の中で最も若手で、俺の叔父』」
「ああ、はいはい……。宮廷魔術師ね……キグナスもっかい発音して」
俺が突然拉致されてから、数週間。
俺の視界で、ようやく見慣れてきた赤い前髪がちらついている。
あの日、初めて宰相ラウバルと宮廷魔術師シェイン、そしてあの後に大神殿の大司祭とか言うガウナっておじーさんに会わされた俺は、そのままなぜか、髪を染められた。
全部じゃない。前髪の一部……右側の一房だけ。
それに何の意味があるかは、まだ、聞いていない。ってか、教えてくれない。
制服を奪われて与えられた衣服は、妙に肌触りの良い、そして俺的に「どこかファンタジー」な衣服。
そして、誘拐犯の本拠地から帰る術さえ見出せずに、俺が取り組まされているのは、何となればお勉強だった。
まずは、言葉の勉強。
幸いにして『それぞれの耳に勝手に理解出来る言葉として伝わるレイア』がいる。
キグナスが、いわゆるこの国の言葉――ヴァルス語って奴を俺に聞かせ、レイアがその意味することを俺に伝え、俺はその音と意味を思い切りカタカナだの日本語だのでメモっては覚える。
これをひたすら朝から晩まで繰り返し叩き込まれ、何となく俺が聞き取れるようになってくると、今度は言葉の勉強がてら、この世界のことを教わる羽目になっている。
……自分の世界のことでさえ勉強中の身だと言うのに、何やってるんだろう、俺。
「んでぇ……この大陸は?」
「えぇと……四大大陸のひとつで……」
テーブルに広げた地図の最北に描かれている大陸を、キグナスが指さす。
それを受けて俺は、唸りながら先日教わった各地の名称を思い出した。
「フレザイル」
「正解。んじゃこれ」
「東が……トートコースト大陸。西が、ヴァルスのあるローレシア大陸。ついでに南がラグフォレスト」
キグナスが拍手で正解を示した。
今、俺がいるのは、ローレシア大陸の最南端にあるでかい国ヴァルス、更にその王都レオノーラにあるシャインカルク城だ。
つまり、俺をさらった首謀者は、ヴァルスの王女様ってことになるんだろう。
ちなみに、まだ会わせてもらえていない。俺の言語能力では失礼だと、レイアが立ちはだかっている。
失礼たってしょーがなくないか!? 勝手に拉致っといて、何て勝手な……と憤ったところで、レイアが頷かなければ会わせてもらえず、脱走したところで帰り方がわかるわけじゃない。
最初こそ抗議をして暴れる俺は部屋に閉じ込められてたわけだが、1日で抵抗する気が萎えた。
暴れたって、ごく普通の高校生である俺に、言葉もわからない異国で『異世界の王城から脱出を図って自分の世界へ戻る』なんて真似が、誰かの協力もなしに出来るものか。
で、仕方なしに、言われるままに勉強している。学校よりひどい。
「あーッ。もう無理。先生、休憩……したいって、何て言うんだっけ」
「はい、調べましょうかあ」
くっそぉ……。
俺が鼻の頭に皺を寄せてメモ帳をひっくり返していると、部屋のドアが開いた。
「何だ。勉強などしてるのか。勤勉だな」
軽い口調で言いながらノックもせずに入って来たのは、ヴァルス王国の宮廷魔術師シェインだった。……俺に勉強させてんのは、あんたと宰相のラウバルだろーが。
シェインは、暇なのか物好きなのか、こうしてちょくちょく俺たちの様子を見てはどこかへ連れて行ってくれる。本人、実に遊び好きらしく、元々ふらふらと街に遊びに行っているみたいだ。賭博場だとか遊技場だとか市場だとか……娼館だとか。
良いのか? 高級官僚。
「カズキを街の視察に連れてってやろう」
「……シェインて仕事してんの」
「馬鹿言え。視察は立派な仕事だ。……キグナス。先に行って馬を2頭、借りだしてくれ」
「馬? どこ行く気だよ。街で騎乗は禁止だぞ」
「わかっている。たまには外に行ってみようと思ってな」
シェインの言葉にキグナスが肩を竦めて出て行くと、無意味に地図を指先で撫でながら、シェインがレイアを見た。
「どうだ? 調子は」
「んー。……ま、馬鹿ではないわね」
もっと言い方があるだろう?
悪いんだけど俺、学校での成績はかなり優秀だったんだからな、ちくしょ〜……。
こんなところでその能力を発揮することになろうとは。
これを俺の世界でやっていれば、俺の将来は安泰だ。東大でもケンブリッジでも合格確実。
「そのようだな。これだけ話せるようになるとは立派なものだ。頑張ったな」
ストレートに褒められて、少し照れた。
「シェインさあ……」
「おう」
「いい加減、教えてよ」
俺も無意味に地図の……ヴァルスの上を指でなぞりながら言うと、シェインが無言で俺を見た。
「俺が……ここに、連れて来られたわけを」
ヴァルスの周囲には、いくつかの国がある。
ローレシア大陸そのものには、12。
そして、その中でも特に8つの国が、ひとまとめに帝国アルトガーデンと称されている。
「アルトガーデンには、王国とされる大国が3つある。まずは、ヴァルスだ」
部屋を出て、キグナスの待つ外へ向かいながら、シェインが説明してくれた。
お勉強が休憩に入って、レイアはどこへともなく姿を消している。
「帝国ってからにはコウテイ……コウテイって何て言うの? えぇと、帝国の王様」
こうして、わからない単語はわかる言葉を駆使して確認し、その都度覚える。ヴァルス語は、今の俺の印象では日本語より字数や単語、文法が少なく、英語よりはちょい多い。……気がしてる。
「皇帝は無論いる。それが我がヴァルスだ。元来は帝国内8ヶ国とヴァルス大神殿の大司祭、そして教皇領エルファーラが選挙権を持ち皇帝を選出するが、大司祭は無論のこと、エルファーラや、ヴァルスの隣国ロンバルトもヴァルスを支持している。元々アルトガーデンの基礎を作ったのがヴァルス王国だからな。有利に出来ているのだ」
ここに来てからしばらくシャインカルク城の中で生活をしているけれど、俺は未だにこの内部さえ把握していなかった。
余りに広過ぎるのもあるけど、それほど自由に城の中を歩かせてもらえないってのもある。誰か知らない人に会ったら、とりあえず曖昧に微笑んどけとだけ、言われた。
その理由もまた俺は、聞かされていない。
「ふうん。汚いの」
「汚いのではない。創始者の特権と言ってもらおう。……いずれにしても、ヴァルス王家が、通常アルトガーデンをも統べる皇帝家として君臨している」
「うん。……で?」
「帝国内の各国については、キグナスから既に聞いたか?」
「……」
聞いた、けど。
「覚えてない」
「王国が3つ。これはヴァルスを筆頭に、ロドリス王国そしてリトリア王国だ。他は公国。バート公国、ナタリア公国、キルギス公国、モナ公国、ロンバルト公国。ついでだから帝国外の国も羅列してやろうか。マカロフ王国、ワインバーガ王国、そしてツェンカー独立自治領に教皇領エルファーラ」
「……そんなずらずら言われても覚えられない」
「聞き流しとけ。どうせいずれ、嫌でも覚える」
「嫌でも覚えるほど長い間いるつもりはないんですけど」
「当面、覚えておく必要があるのは、ロドリス王国とリトリア王国、そしてロンバルト公国だな」
俺の小さな抵抗は、シェインにあっさり受け流された。
王国と公国って名称が違うのにも意味はもちろんあるんだろうが、今、そんなもんまで突っ込む気になれない。脳細胞が過労死する。
「何で?」
「ロドリスとリトリアは、ヴァルスに拮抗する強国だ。そしてロンバルトは、おぬしを召喚した理由に直接関わる」
すたすたと長い足で俺の前を歩いていたシェインは、そこでふと俺を振り返った。
直接関わる? ロンバルトってトコが?
「何……」
「ロンバルトには、王子が2人いる。第1王子レドリック、そして第2王子レガード」
レガード……。
聞き覚えがある。こっちに拉致られた最初、浄化の森でレイアが俺に向かって言った名前だ。
……まさか。
「おぬしの容貌が、レガード王子と酷似している」
……………………………………………………。
おぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。
シェインの言葉に、思わず俺は足を止めた。
ちょっっっっっっっと、待て。
「……じゃ、何?」
「何だ?」
「俺は、ロンバルト王子にそっくりさんだってだけで、こうして攫われてきたと……そういうこと?」
「おお、良くわかったな」
わかったも何もわからいでか。
冗談じゃないッッ!! ……そう怒鳴る為に口を開きかけた俺は、俺の剣幕に笑いを浮かべたシェインの横顔に翳りを見つけて、言葉を飲み込んだ。
シェインが続ける。
「レガード王子の、行方が知れない」
「え?」
「レガード王子と、ヴァルス王女ユリアは、婚約者だ。……ヴァルスを、ひいてはアルトガーデンを後継するレガード王子が、王位継承の儀式の為に『風の砂漠』にある『王家の塔』へ向かった。そして、消息が途絶えた」
「……」
王位継承者が行方不明……。
シェインが、歩いていた通路を左手に逸れる。それに従って俺も階段を降りながら、言葉の続きを待った。
「そもそもが、レガード王子との婚約が、波乱含みでもあったわけだ。先ほど名前を出した王国を覚えているか」
「えぇと……ロドリスと、リトリア?」
「ヴァルスを含めた王国、三国は、拮抗した勢力と言える。無論、我らがヴァルスが最強ではあるが、ロドリス、リトリア、共に国力の豊かな強国だ。ゆえに、反目し合っている」
三国志の魏呉蜀みたいなもんだろうか。
要は、三竦みってやつか?
「現ヴァルス王クレメンス8世陛下が、レガード王子とユリア様の婚約を発表した際、ロドリスが抗議の声を上げている」
「何で?」
「ロンバルトは、ロドリスと国境を接しているからさ」
良くわからない。
「クレメンス陛下には、直系の子供がユリア様ひとりしかいない。女性が帝国を継承した前例はなく、ゆえにユリア様と婚約する人間が、必然的にヴァルスとアルトガーデンを統べる。ユリア様が誰と婚約するかによって、それが他国である場合、その国の国力が一気に跳ね上がる。それは、わかるな?」
「うん」
「ロンバルトの第2王子が継承することによって、ロドリスと国境を接するロンバルトがヴァルス領土に等しくなる、と言うのがロドリスの意見だ」
「はあ」
「認めて欲しければ、ロドリスにロンバルトを併合させ、永久不可侵を誓え、と」
……。
んな横暴な。
「何で、第2王子なの?」
「一応のところは、第1王子にロンバルトの継承権があるからと言うことになっているな。だが、レガード王子はヴァルスと懇意にしていて、シャインカルクに数年間滞在していたこともある。ユリア様とも既知の中で、縁が深い。何より、利発で指導力に富んでいる。クレメンス陛下は、レガード王子の能力を高く評価している」
「第1王子は?」
「……ま、あらゆる才能を弟に譲ってしまったのだろうな」
ひど過ぎる。
つまり、無能な兄はいらんから有能な弟をくれと、そう聞こえる。
端的に失礼な第1王子レドリックへの感想に呆れていると、長い階段を終えてまた通路を進みながら、シェインが言葉を続けた。
「『王家の塔』は、大した難所ではない。どこぞのダンジョンのように魔物が出たりトラップが仕掛けてあったりするものではないのだ。当然だな。王族の人間が出向く場所なのだから」
「ふうん。何するの」
「世界を遍く統べる女神ファーラから、王位を継承する許しを得るのさ」
「神から?」
「ああ。だから、『王家の塔』でどうかなったと言うのは考えにくい。そして、各国にレガード王子行方不明を知られるわけにはいかない。……余計なトラブルを招く」
「例えば?」
「誰かがレガード王子の身柄を見つけてみろ。本当に亡き者にされる。……レガード王子が事実いなくなれば、ユリア様の婚約は再び宙に浮く」
ああ、なるほど。
「だから、カズキを探し出したのだ」
「……は?」
これまでも何度かシェインたちに連れて来られた、馬場へ抜ける通路に出る。シェイン越しの向こう側には、外へ続く扉が見えていた。窓の向こうに、キグナスの白金髪がふわふわと揺れるのだけが見える。
「ヴァルスの、アルトガーデンの運命は、おぬしの肩に、かかっている」
「……あの」
「レガード王子の代わりに、『王家の塔』へ行ってくれ」
「……いや、その」
「おぬしが動けば、きっと事情も明るみに出るはずだ。その為に、どうしてもその容姿を持つ人間が必要だった」
「……だから、あの」
たじたじになる俺に、足を止めたシェインが真っ直ぐな視線を向けて、繰り返した。
「レガード王子として、『王家の塔』へ向かってくれ」
「……」
「……レガード王子の、そしてアルトガーデンの命運は、おぬしにかかっている」
―――――――――――そんなこと、出来るかよッッッッッッ!!!!!!!!
◆ ◇ ◆
レガードは、黒髪に黒い瞳の、18歳の若者だそーだ。年齢は、俺より2つ上。ただし、髪には一房、赤髪が混じっている。
俺の髪が染められた理由は、そこにあったわけだ。顔は放っておいてもうりふたごらしいから、制服を奪い、レガードの服を押し付ければ、即席レガードの完成。非常に迷惑だ。
(王女様、か……)
俺がこの世界に連れて来られたわけを聞かされてから、また、数週間……。こっちに来てからは、1ヶ月と少しの時間が流れた。
言葉を叩き込まれ、この世界を学ばされ、冗談程度に剣の握り方だけを教え込まれて、今日。
……王女様と謁見させてもらえると聞いている。
(どんな人なんだろう)
街の上空を吹き抜けてきた風が、俺の前髪をふわりと持ち上げた。
シャインカルク城のテラスからは、王都レオノーラの美しい街並みが遠くまで一望出来る。
遥か彼方の山々まで抜けるように景色が広がって気持ち良く、俺はこれまでも度々ここに足を運んで気分転換をしていた。
今日も、王女ユリアと会う前に、少し考えたくてこうして足を運んでいる。
……現国王クレメンスは、余命幾許もない、と聞いた。
そもそも婚約を発表した頃は健康であったはずのクレメンスだけど、ロドリスが抗議の声を上げて協議を始めてから間もなく、重い病に伏したのだそうだ。
魔力をもってしても、病気に関しては回復は不可能だと言う。
(王子様の、身代わり……)
俺にそんな真似が、出来るんだろうか?
だってここ、魔物が横行する世界だぞ?
幸いにして街に籠もりっ放しの俺は、未だかつて魔物を見たことはなく、正直なところ実感は今ひとつないわけなんだけど。
王女ユリアと会って、それが済んだらレオノーラを発ってくれと、シェインからは言われている。詳しいことは改めて話すとしか言われていなくて、その詳細はまだ知らない。
(……帰りたいな)
もう1度街を眺めた俺の髪を、風が攫った。心地良い風。
(雄高……元気かな)
いつの間にか俺の心に、迷いが生じている。
絶対帰りたいと思っていた。
絶対、帰させると思っていた。
だから、言葉を覚えた。元の世界に返してくれるよう直談判する為だ。
そうしたら、この世界の事情を知った。
王女と言う重い責任を負う少女を助けてあげたい、と言うそんなヒーローめいた気持ちもなかったわけじゃないと思う。女の子に頼られればそりゃあ嬉しいわけだし。……こんな『異世界』なんてとんでもない状況でさえなければ。
余命幾許もない父王、そして共に国を背負って立つはずの婚約者は行方不明、油断をすれば獲物を狙うハゲタカのように一挙に襲い掛かってくるかもしれない諸国。
これを放り出したら……男じゃないだろう、やっぱり。……とか。
この世界に、最初の時よりはほんの少しだけ慣れ始めてもいる。慣れてみれば……興味がわかないと言うのも多分嘘になるんだろう。
大体、今の俺には帰れる手段もわからない。
俺に出来ることなんて、きっとたかが知れてるんだろうけど……。
「そうやって黙ってれば、王子様の気品に近いものはないでもないんだけどねえ〜」
ぼんやりと、まだ見ぬ王女の胸中に思いを馳せ、そして俺自身がどうすべきかを考えあぐねていると、そんなデリカシーのかけらもない声が聞こえた。
もちろん、レイアだ。
「何だよそれ」
振り返ると、レイアが青空を背景にふわふわと宙に浮いていた。
「だって口開くと、到底気品がないんだもの」
「うるさいな」
「だから一部の人間以外と口を利くのを禁じたのよ。レガード様の気品が疑われちゃう」
庶民の出なんだよ俺わ。
ホンモノの王子サマと比べるなよな。
無言でクレーム光線をびしびしと飛ばす俺を軽く流して、レイアがふわりと俺の顔の前に下りてきた。
そして、にっこりと微笑んだ。
「時間よ。ユリア様に、会いにいきましょう」