第1部第20話 風の砂漠〜ダンジョン3〜(3)
「カズキ!!」
ユリアの悲鳴が遠のきそうな意識を引き戻す。ニーナがレイピアを手に骸骨騎士に駆け寄った。背後から振り翳す。
「くうッ……」
呻きが聞こえた。歯が立たないらしい。
「アモル・オムニブス・イーデム。我らを守りし偉大なる……きゃッ……」
回復魔法を唱えかけたユリアの声が悲鳴に変わる。続く鈍い音。弾き飛ばされたんだ。
「くっそぉ……」
歯軋りして、壁に背中を預けたまま体を起こす。打たれた背中と胸の辺りが軋むように痛んだ。剣は俺より少し離れた位置にある。手を伸ばしても届かない。
骸骨騎士は俺の方へ剣を振りかぶって歩み寄った。無表情でゆったりとした動きがまた、気味の悪さに拍車をかける。
「類稀なる知恵者ノームよ、悪しき者に大地の制裁を!!ダレ!!」
ニーナの魔法が飛ぶ。だが、やっぱり届く前に霧散した。
「『火炎弾』!!」
壁にへたりこんだままのユリアが、魔法石を投じた。魔法の発動こそなかったものの、ぶつけられたと言う感触はあるのか骸骨騎士の顔が僅かにそちらへ向けられる。
その隙を突いて俺は地面を蹴った。タックルをかけるように剣に飛びつく。だが、態勢を整えるその前に骸骨騎士が肉迫した。眼前に迫る。鋭い斬撃で剣を振り下ろした。
「……ッ……」
俺の反射神経に感謝。顔の横すれすれで何とか剣を避ける。俺の代わりに叩きつけられた壁は微かに砕けて耳元に欠片を転がり落とした。
「くっそぉッ」
キグナスの怒声が聞こえる。駆ける音。あろうことかロッドを振り翳して、今にも俺に止めを刺そうとしている骸骨騎士の背後から踊りかかった。
「くぁッ……!!」
だが、一瞬にしてその小柄な体が宙に舞う。血飛沫を上げていた。俺に向けたその剣を、横薙ぎにして背後から来たキグナスに斬りつけたのだ。
「キグナス!!」
怒鳴りながら身を起こす。こちらに向き直る前に脇を狙って剣を払った。
骸骨騎士が跳躍する。バックステップの要領で、こちらを向いたまま後方へと跳んだ。とりあえずこれで距離が出来る。
「アモル・オムニブス・イーデム。我らを守りし偉大なる女神ファーラよ。その下僕に深き慈愛をもって癒しを施したまえ」
ユリアがキグナスに回復魔法をかけている声が聞こえた。その声を背中に聞きながら、示し合わせたわけでもないが、ニーナと同時に飛び掛る。
「うッ……」
「うあッ……」
が、まるで歯が立たない。斬りつけられたニーナが、腕からどくどくと血を流しながら後方へ吹っ飛んだ。ほぼ同時に俺も脇腹を斬り付けられる。立て続けにその剣が俺に振り下ろされ、寸前で剣で受け止めた。
キーン!!
剣と剣がぶつかり合って、僅かな火花が散る。が、最初と同じ、圧倒的力の差で押されて行く。骸骨騎士の左腕が剣から離れた。右腕一本なのにこの強力さと来たらッ……。
(――え?)
ざしゅッ……。
何かに突き刺さる音が聞こえた。一瞬後に、血飛沫。噴き上げているのは、俺の、体。
手から力が抜ける。視線を下げると、骸骨騎士の左腕から突き出ている、研ぎ澄まされた杭のような部分が俺の腹部を貫いていた。不思議と痛い、とは感じなかった。……熱い。
「カズキ!!」
剣が手から離れる。鋭く太い骨が抜き取られ、自分の体がどさりと地面に崩れるのを感じた。床にぶつかる衝撃さえ、良くわからない。
俺を片付けたと思ったのか、骸骨騎士は左腕の俺の血をばっと振り払って体の向きを変えた。次の獲物を探している。
(駄目だ……)
こんなところで、倒れてちゃ。
ユリアが……。
そう思いながら意識が遠のきそうになる。自分の顔の下まで、血溜りが広がっていくのがわかった。指先を動かそうとするけれど、冷たく麻痺している感じで微かにでも動いたのかどうかすらわからない。
「きゃあああッ」
ユリアの悲鳴。
「光を与えしウィル・オー・ウィスプよ!!その身を裁きの矛と変えよ。ポエブス!!」
ニーナ、こいつに魔法は効かない……。
そんなふうに他人ごとのように考えていた意識の片隅で、ガシャーン!!と言う盛大な破砕音に続く慌しい足音と激しい金属音が聞こえた。剣と剣がぶつかり合う音。誰かが何かを怒鳴る。名を呼ぶ叫び声。……歓喜の、声。
(……!?)
その名前が意識の中で形を持った時、失いかけた意識が辛うじて戻った。全力を振り絞って顔を向ける。骸骨騎士が誰かと激しく切り結んでいた。あれほどの剣技、怪力をものともしない、対等に渡り合うその技量。
(無事、だったんだ……)
捜し求めていたシサーの姿を最後に目に映し、俺の意識は暗転した。
◆ ◇ ◆
「よぉ……目が覚めたか」
鈍い頭痛を伴って目が覚める。少し離れた場所に置かれたカンテラの薄らぼんやりとした明りの中、シサーの銀色の瞳がこちらを見詰めていた。
「シサッ……うッ……」
慌てて体を起こした俺は、腹部に根ざす鈍い痛みに打ちのめされて再び地面へと舞い戻った。
「おいおい。無茶すんな。生憎、相当深い傷でな。ウチのお2人さんじゃ全快にまでは出来ないそうだ。魔力の消費も今は激しいからな」
ああそうか。……俺、骸骨騎士に腹を串刺しにされたんだった。
「……そか」
やけに静かだ。床に転がったまま視線をさまよわせると、ユリアもニーナもキグナスも、床に倒れ込んでいた。眠っているらしい。
「あいつは?」
場所は、さっき戦闘を繰り広げていたそのままの場所だ。壁にあいつが切りつけた剣の後が残っている。俺の視線を受けて、シサーは後方を見遣った。つられて目を向ける。
「あ……」
「アンデットモンスターだからな。砂化した」
さっきまで骸骨騎士が身につけていた黒い甲冑や剣が、そこにオブジェのように転がっていた。中身はない。その代わり、微かに盛られた砂がその周囲に散っている。なぜかその向こうに、粉々に砕けたガラスの破片が散らばっていた。
「倒したんだ……。あれは?」
俺の視線に気付いてシサーが苦笑いを浮かべる。
「間に合わねえと思って、咄嗟に手に持ってたカンテラを投げ出したんでな」
ああ、そうか……。
……やっぱ、凄いなあ。俺なんか、4人がかりだって歯が立たなかったのに。
「心配、かけたな」
「無事で良かった……」
「ニーナに散々叱られたよ。泣くわ怒鳴るわ、どっちかにしてくれって感じでな」
言ってシサーは照れたように苦笑した。優しい瞳を、行き止まりの壁に寄り添うように眠っているニーナに向ける。
「心配、してたよ」
「ああ。まさかあんなワープトラップが仕掛けられているとは、思いもしなかった」
本当、悪かったよ、と壁に背中を預けて呟く。
「頑張ったな。良くみんなを守ったじゃないか」
「別に俺が守ったわけじゃない……。俺に、シサーの代わりは務まんないや」
やっぱり、シサーがいると安心する。
俺は仰向けに転がったまま、片腕で目元を覆った。ダンジョンに入ってからの数々の戦闘を思い出す。何度も死ぬかと思った。何度も怪我を負った。シサーがいれば戦闘時間はもっと短い時間で済んでただろう。さっきの戦闘だって、シサーがぎりぎりで駆けつけてくれなかったら、多分全滅だった。……ああ、ユリアはわかんないけど。
「ウィル・オー・ウィスプは」
「召喚しっぱなしだったからな。解放した」
「ふうん。シサー、どうしてたの?」
「どうしてたも何も……とにかく戻らなきゃと思って探索してたよ」
そりゃそうか。
「うろうろしてるうちにワープトラップに気が付いてな。ちょっと気になることがあったんで、ある場所を目指してるとこだったんだ。ちょうどその角を曲がって真っ直ぐ行った先の……もういくつか角を曲がった辺りにいたんだけどな。そしたら複数の足音が聞こえたからお前らかと思ったんだけど、何せ真っ暗だろ。見えやしねえし、間違って魔物の集団だと面倒臭ぇし」
「ふうん」
「戦闘音が聞こえたからな。慌てて駆けつけたんだが、ワープトラップに引っ掛かってるわけにはいかねえから、突っ走るわけにもいかねえし。やべえんじゃねえかって気を揉んだよ」
やばかったです。
「ある場所って?」
「ああ……」
ぽりぽりと頬を掻きながらシサーは伸ばして床に投げ出してあった長い脚を引き寄せた。胡坐をかく。
「どうもこのフロアの中心部に、素直に辿り着けねえ部屋があるんだよな」
「素直に辿り着けない部屋?」
俺は今度はさっきみたいにいきなりではなく、そろそろと体を起こした。ずきんずきんと腹部が痛む。でもざっくり貫通してたことを思えば、やっぱり脅威の回復力だと思う。あのままだったら、きっと死んでたもんなあ。
何とか壁に背中を預けてポケットの地図を取り出した。
「お。お前、そんなもん書いてたのか」
「うん」
「ちょっと見せてみろよ」
言われて手渡した瞬間、シサーは顰め面をした。
「汚ぇ」
酷すぎる。
「……っと……この辺りだな」
シサーは憮然とした俺の表情には目もくれず、『汚い地図』に目を落とす。指で辿って、空白となっている中心部分の更にど真ん中を指で指した。
「この辺は道があるんだよ」
言いながらその周辺を指でぐりぐりやる。それからおもむろにポケットを漁って、紙切れを1枚取り出した。
「あ」
地図だ。シサーも地図を描きながら歩いてたらしい。
「……ってか人のこと言えないじゃん?」
「うるせえな」
大差ない汚さの2つの地図を見比べる。シサーの方が多くの道が書き込まれていた。
「写しても良い?」
「やるから続き書いてくれ」
そうくる?
渋々と受け取って、シサーの書いた地図を書き写しながらあれ?と思った。空白の中心部から斜め右下くらいの位置……小部屋がある。
「シサー。この部屋って」
「ああ。ここも胡散臭いんだよな。壁に魔法陣の掘り込みがある」
「2つの像がある部屋?」
「おう。……行ったのか?」
「うん。まだワープトラップに気付いてなかったから、ここから跳ばされまくったみたいだけど。行った」
そうか。あの部屋はこんな位置にあったんだ。指で地図を辿って行くと、まだ結構ぐねぐねと歩かなきゃならない感じ。
「俺があちこち見た限りでは、気になるのはこの2箇所だな。隠し扉なんかもあったが、空の宝箱があったくれぇで」
隠し扉!?
「うっそ。あったの?そんなの」
「あったぜ。俺が見つけたのは今んトコ2つだな」
言ってシサーは地図上を指で示した。両方とも、俺たちも行っている通路だ。
「全然気が付かなかった……」
「結構わかりやすいぜ。ここのダンジョンマスターの癖なんだろうが、隠し扉がある周辺は煉瓦の組み方が微妙に変わる」
そんなの見てない。
あらかた地図を写し終えて、しみじみ覗き込みながらとんでもないことに気が付いた。シサーの地図は、7割は埋まっている。俺のと合わせて8割弱……でも。
「出口とか階段とか、そういうの、ないの?」
「今んトコ発見出来てねえんだよな。お前らも……だな、これ見ると」
「うん」
「……」
「……」
思わず顔を見合わせて溜め息をつく。
「……最初にいたフロアじゃねえことは確かだろうな」
これで地図の外周は埋まった。ところどころ埋まっていないところもあるけど、周囲の通路を見る限り多分行き止まり。もしかするとこのうちのどこかに階段があったりするのかな……。隠されてたりすると嫌なんだけど。
「ともかく、その2部屋を探って、何もなけりゃあ後はもう、しらみつぶしに地図を埋めていくっきゃねえな」
その言葉に、またも顔を見合わせて俺とシサーは溜め息をついた。