第1部第18話 風の砂漠〜ダンジョン1〜(2)
◆ ◇ ◆
朝の光の下で見ると、ダンジョンの入り口から見えるその空間ってのは確かにそれほど深いものではなく、すとんと飛び降りれば何なく着地出来る程度の深さだった。覗き込むと足場は1メートル四方くらいのほぼ正方形をしていて、錆びた鉄板みたいな1枚続きの床になっている。
降りてみると床にしてはいささかぼこぼこの感触だった。良く見れば何か掘り込みがあって装飾がある。そしてそこからすぐに階段が続いていた。まさに踊り場って感じだ。
足場から入り口への僅かな壁は入り口を固めているのと同様の煤けた煉瓦が組み上げられて造られており、ちょうどサンタクロースが入る西洋の家の煙突ってこんなかなあとか勝手に思う。……そんなメルヘンチックな代物じゃあ全然なくて……ダンジョンに続いてるんだけどさ。
とりあえず、塞がれていると言うところまで行ってみることにして、順番に足場に下りた。砂の下に造られているせいなのか、ひんやりとした空気が足元に溜まっているかのようだ。足場からすぐ続いている下り階段は先が全く見えない真っ暗さで、加えてそこから流れ出てくる冷気が緊張を誘う。
外の天気は今日も乾いた晴天で、太陽の光が眩しいくらいだ。だからこそ尚更、階段から来る陰湿な静寂が……不気味さを感じさせる。
ウィル・オー・ウィスプを先行させて飛ばし、そのすぐ後をシサー、ニーナが、続いてユリアを真ん中に挟むようにしてキグナス、俺と続いている。
先頭の明かりから結構離れているので、俺のいる辺りは薄暗い。周囲の様子は薄らぼんやりとしか見えないんだけど、やっぱり煉瓦造りになっているみたいだ。天井は高くない。いや、むしろ積極的に、低い。170ちょいの俺もかなりの圧迫感を感じるんだから、俺より長身のシサーは何だか支えそうだ。
幅も狭くて1メートルくらいだし、段のひとつひとつは足場が30センチもないし、嵌め込まれている煉瓦は抜けかけていてぐらぐらしているものさえある。その癖傾斜は急なので一歩一歩が慎重になった。何だか閉塞的な気分になって来る。
砂漠にぽかんと開いている穴だし、風も強いから、中には結構砂も吹き込んでくるらしく、段の隅や壁の煉瓦の僅かな隙間なんかに砂が吹き溜まっていた。外と通じているせいか、ダンジョンで連想しがちな湿っぽさはなく乾いている。冷蔵庫を思わせる、冷気を孕んだ乾燥だった。
「砂漠の中に穴なんか開いててさ、砂が吹き込み過ぎて埋まっちゃったりとかしないの」
ざらつく砂で滑ったりしないよう気をつけつつ、すぐ前を歩くキグナスに問う。
「埋まってないんだから良んじゃねえの」
「……それで俺に答えたつもりになってんだったら、お前って不思議な奴」
「……失礼な奴だな、お前って」
俺たちのやり取りを聞いていたのか、ニーナが前方でくすくす笑いながら答えてくれた。
「この前までは塞がってたのよ。誰も立ち入れなかったの。入り口を開けることが出来なかったみたいね」
「ふうん?いつ開いたの?」
「はっきりとはわかんないわね。……いつだった?」
後半のセリフは前を歩くシサーに向けられたものだろう。「あ〜?」と唸るようなシサーの声が遠くで聞こえた。場所が先頭としんがりなのに加えて、シサーは前方しかも下を向いているので、実際の距離以上に遠く聞こえる。
「そうだなあ……3ヶ月前くらいだったか?お前とギャヴァンで会う前に旅に出てたって言ったろ?その時だな」
「ふうん?」
「あん時もバシリスクに遭遇しまくってたからな。面倒臭くなって逃げてるうちにこっちの方に来ちまったんだ。んで、開いてたもんだから、覗いた」
「入らなかったの」
「興味がねえって言ったろ」
本当に興味なさそうに言ってからシサーは付け足した。
「ほら、入り口の足場の床、あったろ」
「足場の床?ああ。鉄板」
「あれが入り口を塞いでた」
「え!?」
それであんなぼこぼこだったのか。床にしては豪華だと思った。扉だったのか。
「どうやって開けたのかしら」
黙って話を聞いていたユリアが疑問を発した。ニーナの声が短く応じる。
「わかんないわ」
さして長くもない階段を下り終えて、平らな道に入る。狭さは相変わらずだ。階段の上より、更に冷え冷えとした空気が流れている。上の穴から僅かに届く外の明かりと前方のウィル・オー・ウィスプの明かりでぼんやりと見える感じでは、ずっと同じように煉瓦造りの床と壁が続いているみたいだ。
「わざわざ爆破して塞ぐってことは、上の扉を元に戻すことは出来なかったんだろうな。……ま、侵入を防ぐ目的よりは、攻略済みを証明する為でもあるんだろうが」
じゃりじゃりと砂混じりの床を歩く複数の足音と、上の方で風の鳴る音を聞きながら俺は妙なことを考えていた。
ここのダンジョンが開いたのが、シサーたちが知る限りと言う限定付きだけど、3ヶ月くらい前。レガードが行方不明になったのも……ほぼ3ヶ月前。
……偶然だろうか。
でも、ダンジョンなんかに用のないレガードとどう繋がるのかなんか、考えても思いつかない。……あ、そうだ。シン。シンがここに来たのかも知れないんだった。シンは何しに来たんだろう。やっぱ攻略する為なんだろうか。ダンジョンに来る用事って言ったら、普通は他に考えられないんだけど。
ここに来たのかもしれないシンと、来るわけのないレガードと、ダンジョン。そしてシンはレガードに借りがある……。
……。
「はあ……」
何だか無駄に考え込んだ気がする。やーっぱ関係ないのかな。ただの偶然かなあ……。
溜め息をつくとキグナスが振り返った。
「何だよ、『はあ』って」
「……別に」
「ついたぜ」
前方でシサーの声が聞こえた。それと同時に足が止まる。続いているはずの通路のその途中、壁が突き崩されていて瓦礫の山が天井まで積もっていた。いや、天井が崩れているのかもしれない。大なり小なりの、砕けた煉瓦の山。
階段を下りきってからそんなに歩いたわけではないけれど、この辺りまではさすがにもう外の明かりは届かない。ウィル・オー・ウィスプの頼りない明かりが光源の全てだった。振り返ると後方には薄闇が広がっていて、階段の最下段の辺りに外から零れる僅かな光が見えるくらいだ。
「駄目ね」
「いや、わかんねーぜ」
ユリアの溜め息が聞こえる。通路を塞ぐ瓦礫の山の前に屈み込んだり軽く叩いたりして、あちこち探っていたシサーがくぐもった声で答えた。うず高く積もる瓦礫の天井の方、ちょうどシサーの顔よりちょっと上くらいの高さの壁との境に手をかけている。
「これ、意外と厚くねえな」
「厚くない?」
「ああ。手を抜いたんだか爆破物が不足してたんだかわかんねーけど。少なくともこっち側は、崩せそうな気がする」
言ってシサーは剣を抜いた。天井にごく近い辺りの壁と瓦礫の隙間に差し込んで、そっと動かす。
「でもシサー……危ないんじゃないの」
ニーナが顰め面で言った。
「こんなとこで爆破した馬鹿がいるってことは、その辺の天井や壁も弱ってるってことでしょう。下手なことしたら、崩れるんじゃないの」
「うまくやるからまかせとけって……」
半分神経が違うとこにいっちゃってるみたいに言いながら、シサーは剣で少しずつ瓦礫の山の一部を掘り出したり突き出したりして少しずつ崩していった。パラパラと細かい煉瓦がその動きに合わせて床に零れ落ちる。時に少し大きい破片ががらがらと山を滑り落ちた。
「シェイン、ラウバルから何か聞き出せたのかなあ」
ぼんやり立っていても何の役に立つわけでもないし、みんなでやるような作業でもない。勢い、通路確保はシサーに任せっ放しになって俺たちはその場に座り込んだ。幸いシサーも結構喜々としてやってるようだし。
「ラウバル殿の口を割らせるのはハンパじゃねえと思うけどなあ」
「シェインと言えども?」
「シェインと言えども」
「シサーは、結構こういう作業好きなのかしらね」
俺と同じように感じたらしく、くすくす笑いながらユリアがニーナに言った。ニーナが呆れ顔で肩を竦める。
「そうね。どっかの村に行った時に、村で唯一の橋が大雨で流されたんだけど……何か喜々として復旧に加わってたわよ。おかげで橋が完成するまでわたしもその村に足止めよ」
意外と言えば意外だけど、ハマりと言えばハマりのような気もする。
んでも、天井が崩れても砂が入り込んできていないってことは、上の階とかがあるんだろうか。階と階の間が開いた浮き床構造みたいになっているんだとすれば、天井が崩れて砂が雪崩れ込んでないのもわかる。
「シサー、代わろうか」
しばらくシサーが黙々とその作業に熱中し、天井と瓦礫の山の一角にほんの僅かな空間が開き始めた頃、さすがに悪いような気がして言ってみると、シサーは元気な顔で振り返った。
「馬鹿。こういうのは繊細かつ頭を使う作業なんだよ。おいそれと他の人間に任せられるか」
そうですか……。
やりたいならありがたいんだけどね。俺はやりたくないし。
しかし、魔物を切るだけじゃなくて瓦礫掘りもやらされる魔剣って一体……。
◆ ◇ ◆
「よっしゃー。突破だぜぇ」
呟きなのか喜声なのか判断が付かない微妙な声をシサーが上げたのはそれから30分くらい経ってからだった。慎重かつ大胆と言う、何とも矛盾したシサーの『瓦礫掘り』を見るともなしに見ていた俺たちは、その声を受けて立ち上がる。
瓦礫の山の上の方の一角に、人1人が腹這いになってくぐれるかなってくらいの穴がぽっかりと開けられていた。
「お疲れ様ッ」
ニーナが笑顔で駆け寄る。シサーはちょっと得意そうに腰に手を当てて「まあ任せろよ」って……ファイターとしての職業とは違うと思う、何か。
「ありがとう、シサー」
礼を言ってシサーが開けた穴に近付いて覗き込んだ。暗くて良く見えない。高さはちょうど俺の顔の位置とほぼ同じくらいだ。少し瓦礫の山を登って向こう側に抜けるような形になるだろう。
「とりあえず、行ってみっか。穴、開けちまったし」
何を今更と突っ込みたくなるようなことをシサーが言って、ウィル・オーウィスプを先に穴の向こう側に送り込むとシサーが穴に手をかける。
「これ、登ってる間に崩れない?」
「崩れてくれたら崩す手間が省けるじゃねえか」
……埋まるだけだと思う、その場合。
足元のちょっと大きめの瓦礫の山に足を掛けて、シサーは体を両腕で懸垂するように引っ張り上げた。上半身をひとまず穴の向こう側に出してから、ひょいっと片足を穴の縁に引っ掛けたかと思うとあっと言う間に姿を消す。
「大丈夫?」
ニーナが穴を覗き込む。身長が俺とほぼ同じくらいあるニーナにとっても穴の位置は顔と同じくらいの高さだ。
「おう」
「じゃあ……わたし、行くわね」
シサー、ニーナに続いてユリア、キグナス、俺と隊列順に穴を乗り越えて向こう側へ降り立った。さっきと違って背後は、穴が開いているとはいえ瓦礫の山で塞がれている。天井は相変わらず低いし暗いし、あまり気分が良いものでもない。
不意に、何か嫌な予感がした。何だろ。根拠があるわけじゃないんだけど……ぞくっとする。……良く、ない……感じ。
「おっとぉ……」
ウィル・オー・ウィスプを翳して進行方向を見据えたシサーが楽しそうに呟いた。何だかんだ言って、結構興味ありありなんじゃないの?シサーって。
「ダンジョンって感じだなあ」
ウィル・オー・ウィスプの明かりに照らされたものは、俺たちのいる通路から続いている分かれ道だった。今俺たちがいる瓦礫の山から少し先は僅かに広い円形の空間になっていて、天井が高くなっている。その壁には5つ、まるで塗りつぶしたような闇が口を開けていた。
分かれ道に続く通路の入り口の高さはどれもこれまでの通路と同じく2メートル弱くらいで、幅は1メートルくらい。全てが相変わらず煉瓦造りで、ぱっと見た限りは同一のものにさえ見える。通路の奥はどれも真っ暗で果てしなく直進しているように感じられた。
……何だか背筋が寒かった。果てしなく続く暗闇と言うのは、その奥からやってくる何かを思わせて不安感を煽る。
それに拍車をかけるように、奥で風の音らしき不気味な唸りが聞こえた。壁や天井に反射して響いているのがまた一層不気味だ。ユリアが微かに体を震わせて息を飲んだ。
「……どうするの」
ニーナもあまり良い気持ちはしていないらしい。ちろっとシサーを横目で見ると、シサーは腕を組んで1つの通路の奥を見据えた。
「うーん。どーすっかなー。……やめとくか?せっかく穴まで開けたけど」
くるっと顔だけ振り返ってユリアを見る。ユリアが俺を見た。……いや、見られても。
「俺、何かさっきから嫌な予感がするんだけど」
何か答えを要求されているような気がして仕方なく口を開く。シサーが片眉を上げた。
「嫌な予感?」
「うん、まあ……。別に根拠があるわけじゃないんだけどさ」
シサーはもう1度通路の奥をちらっと見て肩を竦めた。
「んじゃ、俺、ちょろっとその通路だけ探ってくるわ」
「え!?本気?」
「ああ。様子だけ窺ってくる。すぐ戻ってくるさ。……ニーナ、ウィル・オー・ウィスプ、借りるぞ」
「あ、うん。一緒に行こうか」
「いや、偵察するだけだ。みんなを頼む。変な横道とか入りゃしねーから安心しろって」
「じゃあ、ここでみんなと待ってる」
ニーナが頷くのを見届けて、シサーは5本のうちの真ん中の1本……俺たちがずっと歩いて来た通路のその延長線上にある通路へと足を向けた。小さな明かりと共にその暗闇の中を進んでいくシサーの背中は、あっと言う間に闇に飲まれて見えなくなる。
「もう。子供みたいなんだから」
「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、ペティテ・エト・アッキピエーティス、『導きの光』」
キグナスが呪文を唱えてロッドの先に仄かな明かりが灯る。ニーナのウィル・オー・ウィスプにばかり頼って彼女の魔力を消費することを危惧したのかもしれない。
再びぼんやりとした光に包まれ、俺たちはその場に座り込んだ。絶え間なく通路の奥から響く風の悲鳴。シサーが吸い込まれた闇を見つめる。
薄暗く照らされる壁や通路を眺めていて、不意に奇妙なことに気が付いた。良く見ると壁に石が幾つも嵌め込まれている。ひし形の、石。何色なんだろう。暗いせいで正確な色なんかはわからないんだけど……多分、青とか紫とか、そんな感じ。
それだけなら別にそんなに奇妙なことでもないんだけど、一定の間隔で配置されたその石は、僅かに光を放っているものと放っていないものがある。本当に僅かで見間違いかと思うくらいの差なんだけど。と言って、光っているものはずっと光っているわけじゃなくて、互い違いに……ちょうどクリスマスツリーのライトみたいにランダムに点滅してるって感じ。
(何か、意味があるのかな……)
ダンジョンに無意味な装飾をわざわざ施すとは……思えない。
再びぞくりとした悪寒が背筋を駆け上がっていった。何だろう、何か……。
「……行こう」
「え?」
突然立ち上がった俺に、ユリアが驚いたように問い返す。
「こんなわけのわからないダンジョンで、短い間でもバラバラになったらいけないような気がする。今なら、まだそう遠くへは行ってないだろ。シサーを、追おう」
「カズキ……」
ニーナも立ち上がった。
「そうね。今なら追いつくでしょ。……怖いわ、何だか」
急いで、とは言っても足元にトラップなんか仕掛けられてたらたまらないので走り抜けるわけにはいかないんだけど、出来る限り慎重に、でも急いでシサーの後を追う。何だか不安で胸がどきどきした。後を追うようについてくる俺たちの足音さえ煩わしいほどの……。
「やべーとこに迷い込んじまったのかな」
明かりを持つキグナスを先頭に、ひたすら暗い通路を進む。早くシサーに合流したい。
『導きの光』の遥か先は本当に深い闇で、多分今この明かりが消えたら俺は自分の手でさえ見ることが出来ないだろうと思う。
気をつけて見ていると、通路の壁にもさっきの円形ホールにあったのと同じような石が埋め込まれていた。結構な距離を置いて、ぽつんぽつんと。
(……?)
「あ、いた」
ニーナが喜びを滲ませた声を上げる。俺たちの進行方向に、ウィル・オー・ウィスプの明かりが見えた。
「シサーッ」
ニーナが駆け出す。「何だよ、お前ら来ちゃったの?」と言うシサーの声を予想した。
「シサー?」
が。
「返事がない……」
キグナスの声色にも不安が滲む。俺の中の焦燥感は先ほどの比じゃなかった。空気が一際冷たくなったかのように感じられて鳥肌が立つ。
「シサー!?」
思わず駆け出していた。キグナスもユリアも、続いて駆け出す。俺たちより圧倒的に早くウィル・オー・ウィスプの元へ辿り着いたニーナの悲鳴が聞こえた。
「ニーナッ」
シサーの姿は、どこにもなかった。