第1部第17話 ひとつの真実(2)
そのままモナのこれまでの弱小ぶりをあげつらい始めた大臣たちに、シェインは何を言う気力もなくして頭を巡らせた。やらねばならぬことは、いくらでもある。少なくとも、まだクレメンスは生きている。その間には恐らくモナも含め諸国は攻めては来まい。ならば、クレメンスの在位中に出来ることをしておかねばならない。
大臣たちは頼りにならない。後にラウバルに直訴する必要があるだろう。
実りのないまま会議を終え、大臣たちが退室した会議室で、シェインは椅子に踏ん反り返って両腕を頭の後ろに回して不機嫌な顔をした。
「……やっておれぬ」
「そう言うな。これまでヴァルスを支えてきたお歴々だ」
「これまではこれまでは……。聞き飽きたわ。昔語りをしたければレオノーラの飲み屋でやれ。良い店を案内してやる。最大の敵は諸外国ではなく自国の要人どもだとは笑い話にもならぬな」
完全に臍を曲げているシェインを、ガウナが穏やかに嗜めた。
「歴史は侮れたものではありません。培われてきたものこそが、本領を発揮する場合もありますからね。もちろん、培われたものが全てではなく、その上に新たな土壌を築く場合もありましょうが。……お話を伺いましょう」
注意しなければわからないほどほんの僅か、ガウナの声が低められる。その声にシェインは預けた体を起こした。
「ロドリスが攻めて来ないとの根拠を話せ」
「その前にバルザックだ」
先ほどの不機嫌さを引き摺って強気に言い放ったシェインの言葉に、ラウバルとガウナは目を見張った。
「レガードに扮したカズキが襲われた。襲ったのはロドリス辺境の盗賊団。……以前、バルザックと組んで、レガードを襲撃したそうだ」
「何……」
「『銀狼の牙』――その盗賊団だが、そいつらはある男に金を掴まされて頼まれたらしい。頼んだ男の特徴は青い髪に青い瞳。……一致するだろう」
「やはり『青の魔術師』か」
「なぜ、バルザックと組んだと」
ガウナが静かに尋ねた。それを受けてシェインは、立ち上がってテーブルの上に置かれたポットを引き摺り寄せると、カップに茶を継ぎ足しながら続ける。
「襲ってきた奴らが漏らしたそうだ。だが、レガードの行方は依然として掴めない。戦闘中に行方をくらましたそうだから、バルザックが何か知っているかも知れぬとは考えているのだが……。だとすると、バルザックの目的がわからぬな」
言ってシェインはラウバルを見据えた。
「何があった」
「……」
「そもそも『青の魔術師』と手を組む理由もわからぬが、仮に途中で翻ったとしてその意図もわからぬ」
「なぜ翻ったと思う」
「カズキの襲撃にバルザックは姿を現していない。『銀狼の牙』は『青の魔術師』の依頼を受けて、襲撃後もレガードを追っている。ロドリスがレガードの行方を知らぬ証拠だ。無論バルザックが翻ったのではなく、本当にレガードの行方を知らぬ可能性もあるがな」
飲むか、と言う仕草でポットを押しやると、ラウバルは頷いてまずガウナのカップに、次いで自分のカップに茶を注いだ。黙って口を運ぶ。
「宮廷と無関係の奴らを使うのは、ヴァルスに確たる尻尾を掴まれたくないからだろう。つまりロドリスはまだヴァルスと正面きって争いたくない。実際、ロドリスと戦ってもヴァルスは負けぬだろう。だがそう言い切れるのは、上に頂く主がいて、ロドリスが単独である場合に限る」
「……」
「クレメンス陛下が戦陣におらず、レガード王子が陣営に加わらない。弔い合戦でもない限り、ヴァルスの士気は上がらぬな。兵の士気は勝敗を分ける。ロドリスが各国と同盟を結んで攻め入ってきた場合、苦しいことになる。……恐らくそれを狙っているのだろう」
「つまり、レガード王子がシャインカルクもしくは王城が把握する範囲内にいないことと、クレメンス陛下の崩御、そして……」
「同盟の成立か」
呟いたガウナの言葉を引き取るようにラウバルが呟いた。
「だから、ロドリスが動くには時期尚早だと」
「ああ」
頷いてカップを引き寄せると、シェインは指先でカップの淵を弾きながら頬杖を付いた。
「ただ、モナの動きはロドリスと共謀しているようには思えぬな」
「単独か?」
「わからん。ロドリスの動きに刺激された可能性はある」
ロドリスが各国と同盟を組むべく使者を飛ばしたのだとしても、モナにはいっていない可能性は高い。大臣たちが自負するようにモナがヴァルスに受けている恩恵は多大なもので、周知のことだ。
ヴァルス寄りの国に声をかけると言うことは、ロドリスの動きがつぶさにヴァルスへと漏洩する可能性を否定出来ない。呼び掛けるとしても、まずは味方に付く可能性の高い諸国と秘密裏に連絡を取り合い、そこが固まってからとなるだろう。危険を冒しても味方に引き入れたいリトリアは別にしても。
モナが単独であるとすれば、ロドリスを中心とした各国の動きを嗅ぎ付けて、出遅れまいとしたとも考えられる。だとすれば、モナはヴァルスを攻める意志表示としてまず海軍を動かし、その後にロドリスにモナから使者を送った可能性さえある。
「ロドリスの目的はどこにあると見る?」
シェインの言葉に、ラウバルは白銀の瞳を向けた。
「アルトガーデンの覇権以外考えられまい」
「だろうな。レドリック王子がたれ込んで、ロンバルト、ヴァルス、ロドリスの三国併合を夢見たロドリスがそれに乗ったフリをした。無論、改めてレドリック王子は排除する腹積りだ」
異論はなかったので、ラウバルは黙って頷く。それを確認してシェインは挑戦的な一言を投げ付けた。
「ではそのロドリスと組んだ黒衣の魔術師の目的は、どこにあるのだろうな?」
「……」
「何者だ、やつは。目的は何だ」
畳み掛けるように矢継ぎ早に問うシェインに、ラウバルは吐息をついた。
「詳しいことは、話せぬ」
「この後に及んでいるのだぞ」
「ロドリスと組んだ目的まではわからぬ。だが、奴の狙いなら知っている」
「何だ」
ラウバルとガウナは一瞬顔を見合わせた。その後に静かに口を開く。
「バルザックの目的は、『ストームブリンガー』だ」
◆ ◇ ◆
何となく、やる気のない雰囲気の流れるリトリア王国王都セルジュークの王城ラナンシーで、現国王クラスフェルド11世に対峙したエレナは、その怠惰な空気感に気圧されながらも一応、片膝を床につき正規の姿勢を取った。
「お前らか、ロドリスの使者と言うのは」
クラスフェルドは黄色く濁った瞳を面倒臭そうにエレナに向けた。濃紺の髪はぼさぼさで、ダークブラウンの瞳は眠そうだ。無精髭は生えているし、身に纏った衣類は質こそ良いものの着乱れている。玉座の肘掛にだらしなく凭れかかって裸足のままの片足は体に引き寄せられ玉座の上に立てられていた。
とても国の主とは思えない。まかり間違えたら浮浪者だと思ってしまいそうだ。
(これが一国の使者に対峙する王の態度か!?)
憤慨しそうな気持ちを何とか宥めながらエレナは顔を伏せた。
だが、戦陣以外において身分の高い者は御簾の後ろに姿を隠していることが多いこのローレシアにおいて、たかだか使者風情の前に姿を現してくれる辺りは、敬意を表してくれている……わけではないだろうが、そう思いたい。
「は。ロドリス王国ハーディン王城より参りました近衛警備隊第1小隊隊長エレナ・セル・ド・ロシェルと申します」
「ほう。で、そっちの無礼なうどの大木は何だ?」
言われてエレナははっとした。クラスフェルドの有様に唖然としていて、こちらの馬鹿のことを忘れていた。礼を尽くした正規の姿勢を取るどころかぼんやりと突っ立っている。慌ててエレナはうどの大木……もといグレンを床へと引き摺り倒す。
「へぎゃッ」
「失礼仕りました。武骨な軍人ゆえ、少々礼に悖るところがございまして……」
相棒を床に叩き付けておきながらエレナは再度深々とクラスフェルドに頭を下げた。しおしおとグレンはエレナに倣って姿勢を正す。
「名は」
「あ、私ですね、エレナさんの下に配属されております、近衛警備隊第1小隊隊員グレンフォード・ラ・シェ・ソードベリーと申しましてですね、ミナサマからは愛情込めて『グレン』と……」
尚も余計なことを口にしそうなグレンをエレナは背後で密かに殴りつけ、その高い頭を平伏させる。王の気質によっては、あるいは王城の空気によってはその場で即刻打ち首にされかねない。寝言は寝て言えと言いたくなる。
「ほう。お前の方が年上に見えるがな。部下か」
「いやあ、一生懸命働いてはいるんですけれどねえ……」
だがクラスフェルドのお好みには合ったらしい。昼間から酔っ払っているようなその赤ら顔を笑いの形に歪め、グレンに問う。
「軍人と言うが、戦功を立てられんのか」
「結構立ててる方だと思いますけどねえ……どうにも暴走する癖がありまして。若者の命は私には預けられないと言うことでしょうかねえ……」
もそもそと答えたグレンの言葉に、クラスフェルドが体を起こした。この怠慢極まりなく見えるリトリア国王は、その能力を戦場でこそ発揮する。勇猛さでは他国の国王に類を見ない武王なのだ。それゆえ、政治事には関心が持てず、また、王城でじっとしているのが性に合わぬ為に王城では遊び呆けている。おかげで大臣たちはきりきりまいだが、その武勇に一目置かれ、気さくに民衆の中に入り込んでいく為、民の信頼は篤い。
「……ほう。ではお前か」
眠たげだった瞳に鋭い光が宿った。起こした体をやや前傾にして乗り出すように尋ねる。
「は。何がでしょう」
「とぼけるな。お前のことなのだろう。『ジェノサイド・イブリース』とは」
グレンはだらしない笑顔を浮かべて頭に手をやった。
「いやあ〜。そうおっしゃってくれる方もおられるみたいですがね。『天使』なんて言われるとやっぱりちょっと照れちゃいますね。あれですかね、やっぱりこの可憐な容姿がそう思わせるんですかねえ」
「『天使』と言うにはいささか天使に失礼だがな。良い。話を聞こう。王城を警備すべき近衛警備隊がわざわざ何の用だ。こうしている間にも王の身が危険にさらされているやもしれんぞ」
にやっと意地の悪い笑顔を浮かべ、ようやく話を聞く姿勢になったリトリア国王に、愚にもつかない世間話がこのまま展開されたらどのタイミングでグレンを切り捨ててくれようと考えていたエレナは我に返った。
「アルトガーデンへの忠誠を、諸国協力の元、今こそ示されるべきかと」
潜められた声に、しかしクラスフェルドは身動ぎせずに言葉を返した。
「忠誠とは?」
「アルトガーデンはご存知の通りいくつかの王国公国より成り立っております。一大事の折には各国が協力して帝国を支えるのが定めであり、大恩ある帝国への忠義」
「一大事と来るか」
どれほど言葉を飾ろうと、その真意は見えていると言うように、クラスフェルドはにやにやと笑いを浮かべながら先を促した。
「現皇帝がお倒れになられたのはご存知でいらっしゃいましょう」
「無論」
「クレメンス8世皇帝陛下にはお世継ぎがおりません」
「……おかしなことを言う。王女がいるだろう。そしてその王女がロンバルトの王子と婚約するとクレメンス殿から直々の書簡が届いたのは俺の妄想か?」
「帝国にとってのお世継ぎとは男児のみ。かつて女性が皇帝位を継承した試しはございません。安易な婚姻政策でロンバルト如き小国の、しかも第2王子にアルトガーデンの帝冠が渡るとあっては笑止千万にござりましょう。お世継ぎが途切れた場合には公平を喫して選挙を行うべき。そのことをヴァルスに教えてやらねば、歴史ある帝国が笑われましょう」
ロドリスは当面、戦争が終結すればロンバルト王子レドリックを擁立するつもりではいるのだが、それはこの際置いておかれている。『公正な選挙』を行い、レドリックを当選させれば良い話なのだ。ヴァルスと言う大国が倒れれば、票の取得の裏工作など幾らでも謀ることが出来る。
「つまり、共にヴァルスを攻めろと」
単刀直入に言ったクラスフェルドに、エレナは敢えて明言を避けた。言質を取られてはたまらない。
「……飴ばかりばら撒いていては腐るばかり。時には鞭も必要かと存じます。アルトガーデンへの忠義の証として」
あくまでも謀叛ではなく、アルトガーデンの為なのだと言う姿勢を崩さない。その内心が見え見えであったとしても、体面とは重要なものなのである。
「実のある話をしたいが、良いか」
「何なりと」
「その場合、リトリアの利益はどこにある」
「……出兵には多くの痛みを伴います。過ちを犯そうとしているヴァルスを正す為、アルトガーデンの為とあらば懐が痛むのも致し方ございませんが、その代償をヴァルスに少々負担していただくことも道義に悖ってはいないかと考えます」
「つまりヴァルス領の分割か」
立場を考えれば仕方ないのだが、いちいちまだるっこしいエレナの言をクラスフェルドは明け透けに言い直す。言葉に詰まってエレナは一層深く頭を下げた。
「だがリトリアはヴァルスと離れてるからな。正直ヴァルスの領土など分割されても統治に困るな。むしろ俺なんかはロドリスの分割をした方が便利なのだが」
挑戦的に言ったリトリア国王にエレナは顔を上げた。
「それはロドリスに対し兵を挙げると言う脅しですか」
「そうは言っておらんだろう。利益関係の話だ。ま、空想だな。俺には少々空想癖がある。大目に見てくれ」
声を荒げかけたエレナを制すように、それまで黙ってやり取りを聞いていたグレンがのほほんとした声を出した。
「私たちの提案を考慮する余地がある、と言うお話をなさってるんですよねえ」
「グレン……」
「つまり、私たちが出兵の代償をヴァルスに支払ってもらう。その代わりロドリスはリトリアにご協力いただいた謝礼を払う。……おっしゃるのはガレリア地方辺りでしょうかねえ」
「ほう。そのように掛け合うと言うか?『ジェノサイド・イブリース』」
「そう焦ってはいけませんよ。急いてはことを仕損じる、慌てる乞食はもらいが少ないと言いましてね。私あたりが良い見本……いやいやそうじゃなかった」
「グレン!!」
「交渉の余地はある、とお見受け致しますが?」
ロドリスにとってガレリア地方は決して安い土地ではない。だが、リトリアの出兵を取り付けなければ対ヴァルス戦は些か苦しいことになるし、勝利を収めてヴァルス北部にある酒造地帯シュレード及び豊かな緑と鉱山を有するロンバルトを分割出来れば安い買い物とも言える。
「いずれにしても、私たち使者の権限で決定出来るものではありませんからねえ。その辺はおわかりいただきたいとは思いますけれど」
グレンの世間話でもするような物言いに、クラスフェルドはおかしそうに笑った。
「良い。リトリアの出兵条件はロドリスのガレリア分割、現ヴァルス領土における一部の植民地化、加えてヴァルスの交易権の剥奪だ。以上の条件を飲むと言うのならば、アルトガーデンへの忠誠を示す機会と受け取ろう」
「しかと承ります」
リトリアの出兵如何で、戦況は大きく変わることになろう。
歴史に大きな動きを刻みつけようとしている自分に、エレナはその身を震撼させた。