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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第2章第15話 prolusio(3)

          ◆ ◇ ◆


「戦禍の後って言うけど……結構平和なものなのね」

 オアスンでは、辺境だということもあるのか、のどかなものだった。

 そこから南下する道中も不穏な空気を感じることもなく、アンドラーシの言う通り平和なものだ。

 ものはついでと、先ほどの仕立て屋のおじさんに尋ねてみたところ、エルファーラとの国境付近にアバックという関所を兼ねた大きな街があるとのことだった。そこへ行く途中にも、ブノワという小さな小さな農村があるらしい。日暮れまでには、どちらかには辿り着くことが出来るだろう。

 アンドラーシを納得させ、安価なマントと食糧や薬品の補充だけ済ませると、俺たちはさっさとオアスンを後にした。

 空がオレンジ色に暮れなずみ始め、草原の彼方には集落らしき影が見え始めている。

 どうやら今日は、ブノワへ立ち寄るということになりそうだ。

 もちろんアンドラーシは不満たっぷりのようだったが、それでも口には不満を出さずに俺について来ている。どうしても一人になるのが嫌なんだろう。

 魔物に襲われることのない平和な道中で暇を持て余したらしいアンドラーシは、オアスンを出てからひたすら俺に話し掛けて来る。

「ねえ、さっきどうしてあんな探りを入れたりしたの?」

 アンドラーシの質問には答えない。代わりに胸中だけで再び考える。

 レドリックの母親の生家か……。そりゃあレガードのことを知ってたって不審じゃない。いや、知っていて当然だ。

 どちらかと言うと腑に落ちないのは、俺を見て慌てた様子があったところだな。彼らの様子を見る限りでは、レガードの急な訪問を歓迎してはいなかったようだ。俺がレガードではないとわかって、ほっとしたような節がある。

 まあ、元々仲の良い兄弟ではなかったようだし、レドリックサイドからすればレガードは煙たがられていたのだとすれば、さもありなんと言うところか……。

「わたし、カズキがどこかのご子息かと思ってわくわくしちゃったわ。ねえ、本当に違うの? 本当は身分を隠した王子様とか」

 残念ながらこの世界においてどんな身分も持たない浮浪者だ。

「何でわくわくすんの」

「だってそうしたらわたし、カズキに一生ついていくわー」

「迷惑だ」

「何よー。わたしが奥方じゃあ不満だって言うのー?」

「ただの金目当てだろ、それじゃ」

「あらっ。それだけじゃないわよ、失礼ね」

 はいはい。

 呆れたまま、視線を近付いてくる集落に向ける。

 アンドラーシは続けて何気なく、しかしながら、とんでもないことを口走った。

「わたし、カズキのこと好きよ。セラフィの次に。……あっ」

「……何?」

 凍りついた。

「今、何て言った?」

 アンドラーシが、焦ったように両手で口を押さえる。だけど、最後の名前はしっかりと俺の耳に届いた後だ。――セラフィ?

 思わず目を見開いて振り返る俺に、アンドラーシがややバツが悪そうな上目遣いで応える。

「ええっと、突っ込みたいのはどこ? 次にってとこ?」

「違う。……セラフィ?」

「あー、うー」

「ロドリスの宮廷魔術師か?」

『青の魔術師』がアンドラーシの想い人……? どういうことだ?

 宮廷魔術師になんて、おいそれと近づけるものじゃないだろう。ただの憧れならともかくも、簡単に片想いを出来る相手ですらないはずだ。

 アンドラーシは、何者だ?

「あんたの好きな人ってのは、ロドリスの宮廷魔術師なのか?」

 アンドラーシはちらっと俺を見てから、微かに顔を顰めた。それから無言を貫く。思わず俺は真顔でアンドラーシの腕を掴んだ。

「ロドリスの宮廷魔術師とどういう関係だ?」

「い、痛いっ」

「青の魔術師に何か言われたのか」

「痛いってば!」

 怒鳴り返して無理矢理腕を振り払うと、アンドラーシは俺が掴んでいた辺りを庇うようにして俺を睨んだ。

「何よ。何でそんなにムキになるの。何なのよ」

「セラフィに何か指示されてるんじゃないのか」

 こちらも一歩も引かない姿勢で、真っ向から視線を受け止める。アンドラーシはたじたじした様子で、怯えたような目つきを見せた。

「指示って何? 意味がわからないわよ。言ったでしょ。片想いをして振られたんだってば」

「それだけか?」

「それ以外に何があるのよっ。振られたの! 騙されて利用されて捨てられたのよ! そんなこと何度も言わせないで! レハールに向かうのは親戚がいるからだって言ったでしょっ? ロドリスにはいられなくなったから、ヴァルスに向かってるのよっ!」

 だんだんヒステリックになってくる。口を真一文字に結んで、アンドラーシは中空をきっと見据えた。

 嘘では、なさそうだろうか。

 確かに、アンドラーシは最初に俺を見た時に何をわかっているふうでもなかったし、出会いは本当に偶然だ。用心するに越したことはないだろうが、アンドラーシがセラフィの意を含んで何かを企んでいるとは考え過ぎのような気もする。

「わかったよ。悪かった」

 とりあえずはセラフィの手先でなさそうだと納得することにして、一旦矛先を収める。

 俺についてくる理由に青の魔術師セラフィが絡んでないのであれば、それはそれで良い。

 だけど、それはそれとして、アンドラーシがセラフィを知っているのであれば、聞きたいことはないでもない。

 せめて、どんな関係なのかは知っておきたいところだが……拷問や尋問をするわけじゃなし、アンドラーシが話す気にならなければ、聞くことは出来そうにない種類のことだ。

 そしてこの表情を見る限り、今問い詰めても意固地になるだけのようにも思う。

「あなたこそ、何なの? セラフィのことを知っているの?」

「ロドリスの宮廷魔術師だろ」

「それだけじゃないでしょ? 何か隠してることがあるんじゃないの?」

「別に隠していることがあるわけじゃない」

 話していないことがあるだけだ。

 再び歩き出した俺に、アンドラーシも足を動かす。先ほどの件が尾を引いているのか、やや距離を取られたままだ。

「嘘よ。そんなにムキになるなんて、変だわ。セラフィに狙われる心当たりでもあるみたいじゃないの」

「あるわけないだろ、そんなもの」

 何も今すぐに聞きだす必要があるわけじゃない。それほど聞きたいことが多くあるわけでもない。まだこの先に聞けるチャンスがあると期待しよう。

「驚かせるつもりがあるわけじゃなかった。誤解みたいだ。悪かったよ。俺はヴァルスの人間だから、ロドリスの宮廷魔術師と聞いて過剰に反応しただけだ」

 自分でも苦しい言い訳とわかっているが、譲歩するつもりで謝罪する。

「ヴァルスの? カズキはヴァルス人なの?」

「ヴァルス人ではないけどね」

 俺の答えに、アンドラーシはしばらく黙った。そうしている間に、ブノワの集落が少しずつ近付いてくる。

 アンドラーシがぽつっと口を開いた。

「わたし、嘘なんてついてないわよ。セラフィの指示なんて受けてない。脱獄して逃げてきたの。あの人に騙されて」

「……」

「あなたがセラフィとどういう関係なのかは知らないけど、別にわたしはあなたの敵じゃないし、ヴァルスの敵でもないわ」

 アンドラーシの黒い瞳が真っ直ぐに俺を見詰める。

 嘘をついているようには、思えなかった。

「わかった。ごめん」

 俺が小さく頷くと、アンドラーシもほっとしたように頷き返した。




 ブノワの村は、俺がこれまでに見た小さな農村の例に漏れず、村の外と内の境界がわかりにくかった。道や平原から何となく村になっていっているようだという感じだ。

 ここも魔の山に非常に近い集落だが、オアスンと比べて悲哀を感じるほど防衛に力が入っていない。

 窺ってみると、建付けの甘そうな平屋が秩序なく点在している。村の内部にも小さな畑や空き地が多そうだった。

 どこかに一応出入り口は存在しているんだろうが、そんなものを探す必要を感じない。

 歩いていた道を逸れて、村を遠巻きにするようにぐるりと草原を歩いてみる。そうして少しずつ村の方向へ足を進めると、次第に足元の草が薄くなり、やがて道らしき風体に見えてくる。そうしてその小道の先は民家や小さな畑があり、どうやらその辺りは村の内部と呼べそうだった。

「ここも、静かな村ね」

「静か過ぎるな」

 村の端だろうから人気も民家もかなり疎らだが、食事の準備すらしている気配がない。

 と言って、かつて見たリデルのように血の臭いがするでもなければ、人の気配が全くしないわけでもない。妙な感じだ。

 まるで『息を潜めている』かのように思えなくもないが……考え過ぎだろうか。

「レーヴァテイン。魔物の気配とか感じるか?」

 もしかすると何かが徘徊していたりするのかもしれない。

 一瞬そう考えて、俺より魔物に鋭いだろう魔剣に尋ねてみるが、レーヴァテインが微かな音をあげて応えた。

 ――否。

 魔物が出没するというわけじゃなさそうだ。俺が警戒し過ぎなんだろうか。

「何、何? 誰に聞いたの?」

「剣」

「剣っ? その剣、しゃべるのっ? そう言えば、あの熊さんと戦ってる時、変な炎が出てたわね。もしかして噂の魔剣って言う奴?」

 熊さんというほど愛らしいイキモノじゃなかったけどな。

 口をへの字に曲げてアンドラーシの愚問を黙殺しながら、辺りの様子に気を配る。

 どんどん村中へ入っていっているが、人気もなければ、危険なものにも遭遇しない。何なんだ、この変な感じは。

「宿はどこにあるのかしらね」

 まあ、変な物音が聞こえるとか、血の臭いがするとかいうわけじゃなく、静か過ぎるというだけなのだから……農村の夕刻はこんなものなのだろうか。辺境地だし、戦禍の後だし。

(ああ、そうか……)

 もしかすると人間自体がそもそもいないのかもしれない。ロンバルトは最初から参戦しているし、挙句の果てにロドリスらに占領されているはずだ。徴兵やら何やらで、過疎っているのかもしれないな。

 そんなことを思っていると、水を汲みに出て来たらしい老人の姿を見つけた。何だ、いるんじゃないか。

「宿の場所を聞いてみましょ」

「うん。あの、すみません」

 何気なく声を上げる。

 途端、老人は手にした木桶を取り落とした。ガランッという大きな音と、同時に水が飛び散る派手な音が響く。

 けれど、俺たちが驚いたのはそれだけじゃなかった。

「ひっ……」

 振り返った老人は、俺たちの姿を見るなり引きつった表情を見せた。搾り出すような悲鳴が掠れて届き、腰を抜かしたように地面にへたり込む。

 ……。

 そんなに驚かせるつもりはなかったんだが。

「すみません。大丈夫ですか」

 手を貸そうと足を踏み出す。だが、老人は地面を這いつくばるようにして逃げ出した。アンドラーシも、隣で唖然としたように「ええ?」と呟いている。

「お、おじいさん? わたしたち、別に驚かせようってわけじゃ……あの、宿屋の場所を聞きたいだけなんですけどっ」

 アンドラーシが大声を上げるが、老人は聞く耳を持たない。地面に転がった木桶はそのままに、這うようにして開いたままだった扉から、粗末な小屋へ転がり込んでしまった。バタンっと盛大にドアを閉める音が響くと、後に残された俺たちは、ただぽかんとする以外にない。

「……何だ、今の」

「失礼だわ。何だかわたしたちが化け物か何かみたいじゃないの」

 憤慨したように言うが、その言葉は全く正しい。老人の態度は、まさしく恐ろしいものに遭遇した時の姿そのものだった。

「しょうがない、自力で見つけよう」

 と言っても、何だか変な感じだからな。宿が見つかっても泊めて貰えないんじゃないかという不安か浮かぶ。それならそれで野宿するんでも、俺は別に構わないんだが……。

「あなた方、旅の方ですか」

 踵を返しかけたその時、後方からそっと静かな声が聞こえた。若い女の声に振り返ると、二十代後半くらいの女性が、近くの小屋からそっと顔を覗かせていた。

「ええ、まあ」

「どちらから?」

「ツェンカーです。エルファーラへ向かっているんですが」

「そう……」

 俺がツェンカーから来たということを初めて耳にしたアンドラーシが、驚いたように顔を跳ね上げる。それは視界の隅で黙殺し、俺は女性の方に視線を向けていた。柔らかい雰囲気の女性だ。栗色の長い髪が背中まで垂れている。少し考え深げに視線を伏せた彼女は、それから俺たちを手招きした。

「こちらへ、どうぞ」

「え? あ、はあ」

 招かれる理由もよくわからないが、俺とアンドラーシは一瞬顔を見合わせて、それに従った。女性はきょろっと辺りを伺うようにすると、近付いた俺たちに声を潜めて囁いた。

「宿を探しているのね?」

「ええ。今夜国境を越えるのは無理そうなので、ここで宿に泊まれたらと思ったんですが……宿の場所を教えてもらえないですか」

「教えても、泊まれないと思うわ。とりあえず、中に入って」

「は? はい」

 引き摺りこまれるようにして俺たちが中に入ると、彼女は忙しく扉を閉めた。それからドアに背中を押し付けて、外を窺うような仕草をする。

「あの? 何かあったの?」

「いえ、ええ、ええと……」

 アンドラーシが尋ねると、彼女がは口篭るようにして歯切れの悪い返事をした。

 ドアに閂をかけると、どうぞと言うように奥へ促す。

 粗末な外見にそぐった内部で、むき出しの床板は煤けていた。六畳ほどの狭いスペースに古びたテーブルと椅子が置いてある。奥には小さな竈と調理台や野菜籠などが見えた。それから扉だ。もう一つ別室があるらしい。

 掃除は綺麗に行き届いているのか、埃っぽさなどはなかったが、いかんせん建付けが良くないようだ。石造りの壁から隙間風こそ吹いてこないが、窓枠はいびつな形をしているし、色あせたカーテンにはいくつも繕った跡がある。水桶のそばに置かれた野菜籠や小麦の袋は、いかにも中身が不足している感じを受けた。装飾品の類も一切ない。彼女自身が身に付けているのも、薄手の寒そうな衣類だ。

「驚いたでしょう」

 二つしかない椅子を俺とアンドラーシに勧めながら、彼女は疲れたような笑みを見せた。

 遠慮なく椅子に座るかと思いきや、アンドラーシが躊躇うように視線を泳がせる。若干驚いたような表情に見えるのは、先ほどの老人や彼女の素振りにだろうか。

「座らせてもらえば」

 促すと、アンドラーシははっとしたように俺を見た。それからぎこちなく頷き、腰を下ろす。

「ごめんなさいね。悪気があるわけじゃないのよ。だけど、男の人は怖がられてしまうの」

 怖がられたのは俺のようだ。まあ、そうだろう。アンドラーシのような非力そうな女の子を恐れる理由は多分ない。

「帯剣してるのがまずかったのかな」

「それだけじゃないけど……みんな、怯えていて」

「怯えている?」

 椅子に座るのを辞退して、俺は壁に背中を預けた。狭い部屋だから、会話をするのに距離が邪魔になるようなことはない。俺が片手で促すと、彼女は軽く会釈をして椅子に腰を下ろした。アンドラーシと斜向かいになる形で、テーブルの上のポットに手を伸ばす。

「ええ。このところ、少しタチの悪い人たちが度々村を荒らすものだから」

「タチの悪い人たち?」

「そう。逃亡兵だって聞いているけど」

「逃亡兵?」

 アンドラーシがひたすらオウム返しに質問する。彼女は気を悪くした様子もなく頷き、それからはっとしたように目を瞬いた。

「まだ名乗っていなかったわね。あたしはロアナ。あなたたちも、お名前を聞いて良い?」

「わたしはアンドラーシ。こっちはカズキよ」

 アンドラーシの紹介を受けてロアナに小さく頷いていると、奥の扉の向こうから小さな物音が聞こえた。一瞬そちらを振り返ると、ロアナは俺たちに向かって微笑んだ。

「娘がいるんです。アニス。大丈夫よ。こちらへいらっしゃい」

 その言葉を受けて、扉が開いた。アニスと呼ばれた少女が顔を覗かせる。ロアナとよく似た顔立ちの、栗色の髪の少女だ。年の頃はまだ十やそこらだろうか。

 彼女も身に付けているのは粗末な衣類だった。皮製のような小さなブーツは、擦り切れて地肌が見えている。ほっそりとしたと言えば聞こえは良いが、貧相と形容するのが正しいような体つきだ。

「お客様よ。お行儀良くしていてね」

 そばまできたアニスを膝に抱き上げると、ロアナが再びこちらを向く。それからポットのお茶をカップに注ぎ、俺とアンドラーシに差し出してくれた。立ったままでそれを受け取る。






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