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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第2章第15話 prolusio(1)

 アンドラーシがうまく隠れられたのかは、俺にはわからない。

 あっちを追って行ってしまったらどうしようか――そんな心配もないわけじゃなかったが、アウルベアーの重い足音と荒い息遣いが、俺のすぐ背後に迫って来ていた。杞憂に終わったようだ。

(頼んだぞ……っ)

 ――レーヴァテイン!

 空気を切る音がしたと感じた瞬間、俺は力一杯地面を蹴った。ほぼ同時に一瞬前まで俺がいた場所にアウルベアーが突っ込んで破砕される。辛うじて避けた俺は地に足を着くと同時に剣を身構えて振り返った。アウルベアーは丸太のような野太い腕を破砕して抉った地面に突っ込んだまま、獰猛な目付きで俺の方を向く。

 咆哮が上がった刹那、剣先から炎の奔流が噴き出した。うねるようにのたうって、敵目掛けて一直線に迸る。岩場を目指して走ったのは、この為だった。燃え移るものがないここなら、遠慮なくレーヴァテインの魔力を放出することが出来るからだ。

 アウルベアーの体を覆う毛に、炎が燃え移った。それを消そうと荒々しく両腕を振り回すアウルベアーに、更なる攻撃を浴びせるべく剣の魔力を重ねて発動させる。剣先から生み出された炎狼が、これまた咆哮を響かせて空を蹴った。


 ――――――どくん。


(……!?)

 その瞬間、何か――何とも言いようのない感覚が俺を襲った。

 衝撃、そうじゃない、実際に体感したわけじゃない。精神的なぶれ、違う、違和感? 内面的な衝撃というのが一番しっくり……。

 いや、そんなことを考えてる場合じゃない! 今は目の前の敵を片付けることが優先だ!

 今何があったのか、何を感じたのかすらよくわからないが、俺は強引に意識を切り替えた。

 炎狼は狙い通り放たれて、アウルベアーに襲いかかっている。何も問題はない。

 俺が短い空白を漂っている間にも、アウルベアーと炎狼は激しくもみ合っていた。いくつもの唸りが重なり、アウルベアーの硬そうな毛は部分的に炎を噴き上げている。炎狼に裂かれただろう部分は、焼け爛れたような生々しい傷跡を見せていた。

 だが、程なくして炎狼が振り払われた。岩壁に向けて跳ね飛ばされ、叩きつけられると同時に消滅する。

 敵の消失を認識したらしいアウルベアーは、誇らしげな雄叫びをあげた。赤く怒りに燃えるような眼差しを俺に向ける。ぶるんと背中の毛を一震いすると、四肢を地面についた。鼻息荒く地を蹴る。

「クアアアアッ!」

 空気を低く震わせる咆哮と共に、俺へ向けて突進してきた。

 横へ跳ね飛びざまに、剣で切りつける。が、さしたるダメージを与えられた様子もなく、アウルベアーが左前肢を振り上げた。俺の腹に直撃し、衝撃と同時に爪が肉を抉る鋭い痛みが走る。勢いそのままに吹っ飛んだ俺の体は地面に叩きつけられ、背中で荒い岩地を滑った。アウルベアーは、間髪入れずにこちらへ突っ込んでくる。

 逃げなきゃ轢かれる。そうは思うが、体が思うようには動かない。

 上半身を起こし、間近に迫ったアウルベアーに視線を向けたところで、不意にその動きが停止した。自分の意志ではなく、無理矢理引っ張られて止まったような不自然な急停止だ。見れば、その足元から動きを封じるように触手が絡みついているのが見えた。――ノームの手!? どうして。

(アンドラーシ!)

 思うように動けないことへの怒りでたける アウルベアーの後方に、アンドラーシの姿が見えた。ピッチャーのように投石した姿勢のまま、荒く肩で息をしている。顔面はここから見ても蒼白だ。

 アウルベアーの動きが封じられている間に片をつけるべく、俺は跳ね起きた。そこへ更にアンドラーシが魔法石を投じる。中空に出現した氷の矢がアウルベアーに襲いかかった。効果を理解して投げているとは思えないが、的確な攻撃だった。アウルベアーは、捉えられていない前肢を持ち上げて二本立ちになると、牙を剥き出しにしながら上体を捻る。

 団扇のような手で襲い来る氷矢を薙ぎ払う背中に向かって、俺は走った。氷矢がいくつも突き刺さる。その肩を狙って剣を翳し、地を蹴った。突き刺さった瞬間、レーヴァテインが火柱をあげる。目の前が赤く染まり、アウルベアーが炎に包まれ――――



 ――――どくん。



 視界がぶれた。

 脳を直接襲ったかのような激しい衝撃を感じた。





 目の前には一面の黄色い風景――累々と続く砂漠。

 吹きすさぶ黄色い風に、黒いローブがはためく。腕に抱えるのはぐったりとしたユリア。

 目の前で、首が、飛ぶ……――





「うわああああああっ!」

「カズキっ? カズキ、どうしたのっ?」

 アンドラーシの叫びと共に、今見た光景が消滅した。……な、何だっ?

「カズキ?」

 俺が握るレーヴァテインの刃は、まだ燃え盛るアウルベアーの体に突き刺さったままだ。その巨躯は動く様子はなく、力尽きて地に伏していた。

 目を見開いて呆然としたままそれらを見て取り、ひたすら呼吸を繰り返す。


 今 俺 が 見 た も の は 何 だ っ た ん だ ?


「カズキ、火傷しちゃうわ」

「アンドラーシ……俺は今、ずっとここにいた……?」

「え?」

 質問の内容がわからないと言うように、アンドラーシが目を瞬く。

 炎を噴き上げる血濡れた剣を握ったまま、俺は虚空を見つめて茫洋と繰り返した。

「俺は今、ずっとここにいた……?」

「いたわよ?」

「じゃあ、何か違う景色が見えたりした?」

「してないわ? 何よ? どういうこと? 幻覚でも見たの?」

「……いや……何でもない……」

 幻覚……。違う。幻覚じゃない。俺は確かにあの光景を知っている。

 だけどどうして突然、風の砂漠の記憶なんて。

 まだ炎を上げる剣を抜いて拭うと、鞘に納める。アウルベアーは動く気配がなかった。氷竜を屠った剣の威力は伊達じゃない。

「アンドラーシ、怪我は」

 まだどこかぼんやりとしたまま、俺はようやくアウルベアーの死体から離れた。凍りついたかのようだったアンドラーシが、呪縛を解かれたように駆け寄ってくる。

「わたしは怪我なんか一つもないわよっ! わたしじゃない、あなたでしょうっ?」

「俺?」

 言われてみれば、いや、思い返してみればずっと痛かったように思うが、改めて腹部に視線を落とすと、なかなかのスプラッタぶりだった。マントも上衣も切り裂かれ、そこが夥しい血に染まっている。

 内臓に届くほど深く抉れていないのは自分でわかっているが、それでも傍から見てれば慌てるには違いない。

「止血するから、座って!」

 その言葉に、俺は大人しく従った。早くここを離れたい気持ちもあるが、新たな魔物が駆けつけるまでは、多分まだ少し猶予があるだろう。それなりに強力な魔物であるアウルベアーがうろついていては、恐らくこの近辺に小物は近付いていなかっただろうから。

「もうっ……こ、こんなに血が出てたら、痛いじゃないのっ……」

 なぜかアンドラーシは涙声だ。これほどの怪我を見るのが初めてなのかもしれない。

 岩壁に背中を預けて深く息をつく俺の傍に座り込み、アンドラーシが荷袋を漁る。清潔そうなタオルと、それから薬草を引っ張り出した。

「ど、どうすれば良い? やり方がよくわからないの」

「貸して」

 衣服をはだけて、傷口を確認する。左の脇腹にほど近い腹部に、十センチほどの幅の傷が三本走っていた。深さは一センチくらいだろうか。あいつの爪が抉り取っていったんだろう。

 タオルを受け取って、一度腹部を押さえて血を拭う。それから薬草を患部にあてて、その上から改めてタオルを押し当てた。

「お、押さえてれば良い?」

「自分で押さえられる」

「でもこれじゃあ動けないわ……包帯の代わりになるものがあれば良いかしら?」

「あれば助かるけど……あるの?」

「あるわ」

 そう言ってアンドラーシが引っ張り出したのは、鮮やかな小花模様の散ったショールのようなものだった。見るからに上品な、仕立ての良いものだ。

「え? ちょ、汚れる……」

「いいの。いらないわ」

 そう言ってアンドラーシは、躊躇いなくショールを広げた。手早く適当なサイズに折り畳むと、俺を抱き締めるように正面から背中へ手を回した。タオルを抑えるように、包帯の要領でショールを巻き付ける。

「きつい?」

「平気。……いいの、本当に。って言っても、もう手遅れだけど」

 俺の腹に巻きつけられたショールは、既に血で汚れている。アンドラーシは、ふっと寂しげに微笑んだ。

「いいのよ。もういらないわ。ロドリスがくれた物は。そりゃあ、必要なものなら持っとくけど。思い出や装飾という意味なら、もういらない」

「ありがとう。助かった」

 真っ直ぐに礼を言うと、アンドラーシが目を丸くした。それから、やや慌て気味に顔を伏せる。

「当たり前じゃないの。人の命とショールじゃ、比較にならないわ」

「命ってほどじゃないけど」

「ひねくれたこと言わないのっ。……それに、助けてもらったのはわたしの方だわ」

「そう?」

 そういうつもりがなかったとは言わないが、何にしても俺にはああするしか戦いようがなかった。

 軽く肩を竦めて、岩に寄りかかったまま立ち上がろうと試みる。地面を滑った背中も無傷とはいかず、正直痛かったが、いつまでもここにはいられない。早くもう少し身を隠せるところに移動するべきだ。

「ねえ、火傷はしてないのね」

「してないよ」

 無理矢理立ち上がる俺に、アンドラーシが慌てて手を差し伸べる。

「もう少し休んでからにしたら?」

「休める場所を見つけてから落ち着いて休む方がマシだと思う」

「でも」

「そのうち別の魔物が来るかもしれない」

 俺の言葉に、アンドラーシは制止の言葉をようやく飲み込んだ。代わりに、俺の荷物を抱え込む。

「わかった。じゃあ、早く移動しちゃいましょう。その代わりに、わたしが荷物を持つからね」

「……いいよ、別に。持つよ、自分のくらい自分で」

「嫌。わたしが不愉快だから持たせてあげないわ」

 ……。

 どうしてもと言うのなら、それは別に構わないんだが。

「じゃあ、頼むよ」

 軽く肩を竦めると、アンドラーシの言葉に甘えることにする。

 この程度の怪我なら、今までにだって散々あったことだ。トラファルガーやヒュドラの時に比べれば、我慢出来ない傷じゃない。

 そうは言っても五体満足のようにはいかず、やや朧な足取りで歩き出す俺に、アンドラーシがついて来る。

「ねえ、どうして火傷をしなかったの? あんな炎の中にいたのに」

「いろいろとね。炎のダメージは受けないんだ、俺」

「ええっ? 凄い、どうして」

「特殊体質」

「ホント?」

「嘘」

 痛みを紛らわせるつもりで、軽口を叩く。アンドラーシが拗ねたように「ちょっとぉ」とぼやく。

 ……ああ。言い忘れていた礼がまだあったな。

「そうだ、もう一つ」

「何よ」

「魔法石、助かったよ。ありがとう」

「ど、どういたしまして……」

 ぼそぼそと照れ臭そうなアンドラーシの返事を聞きながら、俺は、先ほどの幻覚のことを思い出していた。

 俺の目にだけ見えた、風の砂漠の風景。

 あれは一体、何だったんだろう……。


          ◆ ◇ ◆


 アウルベアーとの遭遇から一日、俺たちはようやく国境の川を渡る橋を見つけることが出来た。

 橋があると言うことは、先人がどこかへ向かう――あるいは、どこかから来たことを示している。進路に希望を持った俺たちは、そこから更に彷徨うこと二日で、とうとうファリマ・ドビトークから外へ続く道に辿り着いていた。

「ああ、ようやくロンバルトなのね」

 ゆるゆると外へ続く下り坂も、次第に周囲の木々が途切れていく。

 まだ夕刻前で空は青さを残していて、久々に見る青空が爽快な気分にさせたのは確かだ。

「見て。集落よ。村かしら。町かしら」

 俺たちの歩く道は、草原から田畑へと伸び、遠方には集落の影さえ見える。アンドラーシでなくとも、はしゃぎたくなると言うものだった。

「村じゃないか。防護壁もなさそうだし。あっちに見える街は、少し大きそうだな。防護壁がある。でもちょっと遠いな」

「そうね。でも、どっちに行ったって人がいるのよね。今日は宿に泊まれるんだわっ」

「人はいるんだろうけど。魔の山を抜けたからと言って、一概に安心は出来ないと思うよ」

「えっ? どうしてっ?」

「草原にだって魔物はいるんだ。旅人だって襲われたりするだろ」

「そ、そうか。そうよね」

「ま、戦時中だし、ロンバルトは軍隊がいるだろうから、そうそう遭遇することもないだろうけど」

「わかってるなら先にそう言って!」

 そう言っている間にも、下り坂は次第に平坦なものへと変わる。

 周囲もいつの間にか木々が途切れ、どこまでも続く平原へと変わった。

 ファリマ・ドビトークを脱出したと言えるだろう。そこまで来て、俺はようやく一息ついたような気分になった。

 さて。この先だが……。

「アンドラーシ」

「ん?」

 足を止めた俺に気がつかず、アンドラーシは弾むような足取りで数歩先へ進んだ。それから気づいて振り返る。

「こっから先は、好きにすれば良い」

「え?」

「あんたはヴァルスを目指すんだろ。どういう進路を取るのか知らないけど、あとは好きに行けば良い」

 アンドラーシが裏切られたような顔で俺を見つめた。

「ヴァルスのどこを目指しているのかわからないけど、どう行くんだとしても、戦禍の過ぎたロンバルトなら魔物はそう襲っては来ないと思う。町から町へ昼間に移動すれば、それほど危険じゃないだろう。頑張って」

「ま、待ってよ」

 元々、予定にない同行者なんだ。あっさり言って方向転換しようとする俺を、アンドラーシが追いかけて来る。

「薄情モノね、相変わらず!」

「ひどい言われようだな。まあ、いーけど」

「カズキはどこに向かうって言うの?」

「俺は、エルファーラに向かう」

 ファリマ・ドビトーク沿いに南下して行ければ、どこかでエルファーラに入れるはずだ。もしかするともう一度ファリマ・ドビトークの山裾くらいは入らなきゃいけなくなるかもしれないが、エルファーラなら国境越えもさしたる苦難じゃないだろう。

 答えながらもすたすた歩く俺に、話しかけるアンドラーシもくっついて来てしまう。

「エルファーラに何をしに行くの?」






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