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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第2章第14話 生への闘争(3)

 彼女は最初のうちこそ俺にいろいろと話し掛けてきていたが、余りにも俺が返事をしないので、いい加減飽きたようだ。今は大人しく独り言を呟くに留まっている。

 今日中に山を抜けることは出来るだろうか。そもそも進んでいる方向がアンドラーシの言葉からの充て推量なので、怪しいと言えば怪しい。

 いずれにしても、何らかの変化は欲しいところだけどな……。

「ねえ。香呂、もう一本つける?」

 魔物にも遭遇しないのでしばらく黙々と歩いていたが、ふと思い出したようにアンドラーシが俺に尋ねた。

 魔忌香呂の効果がどの程度あるものなのかわからないが、昨日アンドラーシと会ってから、魔物に一度も遭遇していない。ただしこれは、彼女の言う通り山裾に近い方向を歩いているせいもあるのかもしれない。

 考えてみれば、ファリマ・ドビトークにしろキサド山脈にしろ、標高が上がるに連れて魔物は多くなったのは事実だ。

 そうは言っても、道を外れれば迷うし、外れずにいれば道は奥入ってくしで、これまで選択肢になかったのもまた事実だけど。

「いや、起きてる間はいい」

 短く答える。効果があることを期待すれば、魔物回避アイテムには夜間にこそ力を発揮して欲しかった。そうすれば安心して休憩を取ることが出来る。

「でも、怖いじゃない」

「どうせ使うなら夜間に使った方が良い。俺が起きて対応出来るなら良いけど、せっかくあんたがいるんだったら俺だって少しはゆっくり休みたい。その間、あんたに何とかしてくれったって無理だろ」

「無理よ」

「……だから。今ならある程度は俺が何とか対応出来る可能性がないでもない」

「……随分弱気な発言じゃないの。今なら俺が守ってやるくらい言ってよ」

「最初から言ってるだろ。守れるほどの腕もなければ、守ってやるつもりも大してない」

「ちょっとぉ」

 ふてくされたような声が聞こえるが、生憎とご機嫌を取ってやるつもりもない。

「代わりに剣を貸してやっただろ」

「使えるわけがないじゃないのっ。重いだけよっ」

 どうやら俺が貸してあげた余剰の剣は、いたく彼女のお気に召さないらしい。俺としても邪魔だから持っててくれると助かるという気分でしかないわけだが。

 それきり、再び黙々と歩いていく。大体、木々が生い茂り、草も伸び放題とくれば、おしゃべりしながら歩く気分でもない。声一つで魔物を誘き寄せるかもしれないんだし、それこそ無駄な体力を使いたくもない。

 時折木々の隙間から見える太陽の位置から考えるに、今は昼も間近と言う頃だろう。にも関わらず周囲は暗く、遠くからは奇怪な声が聞こえたりする。

 やがてそれらの音に、微かな水音が混ざり始めた。

「水音……」

 川が近いんだろうか。

 ようやく訪れた変化に、俺は少しほっとした。少なくともこれまで川には出合っていないので、多少なり状況が変わったと言える。

 が、次の瞬間、絶望する。

「……とても渡れないわよねえ」

 木々を掻き分けて川音の方向へ向かった俺が足を止めて絶句すると、後ろから覗き込んだアンドラーシがため息混じりに現実を伝えた。言われなくたってわかってる。

 断崖絶壁と言う奴だ。遥か下方に、ドウドウと音を立てて流れる急流が見えた。対岸も木々に覆われた山で、どうやら向こう側までファリマ・ドビトークは続いている。ロンバルトではない。

「これって、わたしが見た川と同じかしら」

「国境の川?」

「そう」

「さあね」

 その可能性は高そうだけど、だとしたって渡れなきゃ話にならない。次の方向性としては、可能な限りこの川を辿っていくってところだろうか。どこかで渡れる場所にめぐり合えるかもしれないし、向こう側に渡って川沿いに歩けば、ロンバルトの地に下りられることになる。

 そこから川に沿ってしばらく歩く。アンドラーシは、あろうことか、小さく鼻歌なんて歌い始めた。

 心細さと恐怖を紛らわせる為だなんてことには全く気がついてやることが出来ず、俺は真剣に神経を疑った。

 魔物巣食う森で迷って鼻歌を歌う女……シュール過ぎる。

「あ、またあった」

 鼻歌が途切れ、アンドラーシが小さく呟くのが聞こえた。ちらっと振り返ると、アンドラーシは脇に生えた木の根元に目を向けながら歩いて来るところだった。

「あったって、何が」

「石」

「……石なんて数えてたらきりがないと思うけど」

 そっけなく答える俺に、アンドラーシが「それはそうだけどっ」と唇を尖らせていそうな声で反論する。

「綺麗な石なんだもの。さっき見たのは、綺麗な青だったわ。今のは赤よ。こんなに鮮やかな色をしてるんだから、宝石みたいって思っちゃうわよね」

「え?」

 青や赤の石……。

「魔法石だ」

 足を止めてぽつっと呟いた俺に、アンドラーシがぶつかってきた。それから顰め面で俺を見上げる。

「何? 魔法石?」

「それ、どこにある……」

 後方を振り返ったまま足を止めた俺の視界の隅で、不意に草むらが不自然に揺れた。魔物か? 咄嗟にそう判断して、俺はアンドラーシの腕を無理矢理引っ張った。自分と位置を入れ替えるように、強引に後方へ押しやる。

「きゃあっ。何すん……」

 アンドラーシはまだ何も気づいていない。呑気に文句を言いかけるが、俺が剣を構えているのを見て言葉を飲み込んだ。途端、草むらから予想通り巨大な蛾が舞い上がった。グルームウィングという魔物だと以前聞いたことがある。

「アンドラーシ、息を止めてろっ」

「無茶言わないでよっ」

 反論を受け流して俺自身も息を止めると、剣を一閃させた。図体は一メートルほどとでかいが、さして攻撃能力があるわけじゃない。そのぶよぶよした本体が切断され、緑色の体液が飛び散る。そして同時に、空中に光る粉が撒き散らされた。

 こいつの場合、厄介なのはこの粉――燐粉だ。毒成分を含み、これを吸い込むとしばらくの間動けなくなる。麻痺状態に陥るというわけだ。そしてそれを嗅ぎつけるかのように、大物の魔物が現れるとシサーに忠告されたことがあった。

「粉を吸い込むな。行くぞ」

 片腕で鼻と口を覆うようにしながら、アンドラーシの元へ戻る。そのまま腕を引っ掴んで、駆け足でその場を離れた。あの辺りに魔法石があったはずなのに惜しいが、探していて麻痺していては仕方がない。

「ぷはっ、はあ、はあ。何あれ? あれも襲ってくるの?」

「襲うと言うほどのことはしやしないが、あの粉が毒だ。動けなくなったところに、更に魔物がやってくる」

「ええっ?」

「だから吸い込むなって言っただろ。出来るだけ離れるぞ」

「はあいっ」

 川沿いからは離れないよう気をつけながら足早に進み、ようやく俺はアンドラーシの腕を放した。

「でも、凄いわね」

「何が」

「だって、凄く速い対応だったもの。やっぱりあなた、強いんじゃない?」

「気がついたのが早かっただけ。それに、このくらいは誰でも出来る」

「……わたし、出来ないわよ」

「あんたはね」

 この世界で未だに驚くのが、人々の魔物への免疫のなさだ。

 こんな、魔物が当たり前のように跳梁跋扈するような世界であれば、誰もが魔物への対応をある程度心得ていてもおかしくないと思うのは、多分余所者なればこそだろう。

「一年半もこんな生活してれば、嫌でもあのくらい気がつくようになるさ」

 半ば独り言のように呟くと、アンドラーシが拗ねたような声を出した。

「普通は、魔物は集落や農地を襲ったりしないのよ。わからない人が大半だと思うわ」

「そうみたいだな」

 人は、基本的に自分の居住地から大きく離れて移動はしない。せいぜいが近隣の農地や林に出るくらいで、その程度ならば時間帯さえ気をつけていれば魔物と遭遇せずに済む。そのせいか、魔物と戦ったことはおろか、遭遇したことさえない人間も多そうだ。行商人や冒険者、兵士などの特殊な職業の人間を除けば、俺の方が遥かに魔物と戦闘した経験は豊富なんだろう。

「ねえ。カズキはどうして一年半もこんな生活をしているの?」

「別にファリマ・ドビトークを彷徨い続けてるわけじゃないよ」

「わかってるわよそんなこと! だけど、魔物と戦い続けるような生活をしてきたってことなんでしょう?」

「……ま、ね」

「どうして?」

「人にはそれぞれ事情がある」

 説明をするつもりが毛頭ない俺の言葉に、しかしながらアンドラーシはあっさり頷いた。

「そうね。それは言えるわ。じゃあそれは今度ゆっくり聞かせてもらうとして」

 いや、話すつもりは全くないんだが。

「さっき言ってた魔法石って言うのは何なの?」

「ああ、そうだ」

 思い出した。そのことは言っておいた方が良いだろう。……って言うか、どうして知らないんだよ。この世界の住人じゃない俺でさえ知っているものを。

「青・赤・オレンジ・紫・白の五色の石だ。それぞれ、魔力がなくても魔法攻撃を発動する。大きさによって効果は違うが、どちらにしたってあると助かる。今度見つけたら拾ってくれ」

「へえ? そんなものがあるなんて便利ねえ。高いんじゃないの?」

「だから落ちてると言ってる。そうそう拾えるものじゃないけど、こういう山の中なんかには落ちてることがちょくちょくあるんだ。忘れてた」

 拾えるなら、それに越したことはないんだ。それならアンドラーシだって戦力になり得る。

 そう思った俺は、自分が持っていた分を取り出してアンドラーシに手渡した。

「今俺が持っているのがこれだけ。渡しておく。今後拾ったら、あんたが持っていてくれたら良い。いつでも使えるように、手近なところにしまっておいてもらえると助かる」

「わかったわ! 任せておいて!」

 それほど大変なことを頼んだつもりはないのだが、アンドラーシは重要任務を与えられたように、意気揚々と頷いた。


          ◆ ◇ ◆


 しばらく歩いていると、やがて日が翳ってきた。

 野営にちょうど良さそうな岩場を見つけたこともあって、今夜の行程はここまでと定める。だいぶ地肌が見えてきているところを見ると、もう少し先では林が途切れるのかもしれない。

 巨大な岩石が幾つか組み合わさって出来たような岩場の陰で、今夜の休憩を取ることに決めた。

 相変わらず緩い斜面の途中で、疎らになりつつあるとは言え、まだ木や草の生い茂る林の中だ。多少心許なくはあるが、それでもこの岩石の陰さえない剥き出しに比べれば、随分と気分的にマシだった。

「あんたは、岩のそっち側で休憩してくれ」

 俺が岩の裏側を示すと、アンドラーシは仰天したように目を真ん丸くした。

「えっ? カズキはどうするの?」

「俺はこっちにいる」

「嫌」

 ……。

「同じ側にいたら、こっち側に近付いてくる魔物しか気づけないじゃないか。せっかく二人いるんだから、それぞれが違う方向を見張っていれば二方向カバー出来るだろ」

「そうね。でも嫌」

 この女。

 思わずぺしっと頭を叩くと、アンドラーシが「きゃっ」と小さな悲鳴を上げて、不満顔で俺を見上げた。

「信じられない。このわたしの頭を叩くなんて。撫でられたことしかないのよ」

「ああ、そう。それは貴重な経験が出来て良かったね。……だから、あんたはあっち側だって言ってるだろ」

「嫌だって言ってるじゃないの」

「じゃあ俺があっちに行く」

「じゃあわたしもそっちに行く」

「あのなあっ」

 辟易して声を荒げるが、アンドラーシはこれっぽっちも堪えていないかのようだった。むしろ威張るように腰に手を当て、豊かな胸を反らす。

「岩を挟んで向こう側に一人なんて怖いじゃないの。嫌よ。絶対に嫌」

「本来は一人だったはずだろ? だったらそのくらい出来なくてどうするんだよ」

「一人のはずだったかもしれないけど、一人じゃないもの」

 ああ言えばこう言う……。

 うんざりして、俺はそれ以上の説得を諦めた。やめた。これ以上無駄な問答を繰り返して、体力を必要以上に損ないたくない。

 げっそりと腰を下ろして岩に寄りかかると、アンドラーシが満足したように隣に腰を下ろした。

「大丈夫よ。香呂があるんだから。見張ってなくたって魔物は来ないわ」

「そう思うんだったら、見張ってたって良いと思わないのか」

「思わないの。そう思ってたって一人は怖いんだもの」

「あ、そう。じゃあもう良いから、さっさと食って寝てくれ。自分の分くらい、食糧は持ってるんだろ」

「持ってるわ。分けてあげようか?」

「結構です。俺は自分で持ってる」

 元々大して日が差さない山の中とは言え、夜になって日が落ちれば、周囲の闇は一層深くなる。

 ごそごそと荷袋を漁っていたアンドラーシは、小さな声で尋ねた。

「ねえ。火は焚かないの?」

「焚かない」

「どうして?」

「亜人型の魔物は、火の傍に人間がいると知ってる。却って誘き寄せることになりかねない」

「そうなんだ……」

 呟くように言って、アンドラーシはそれからしばらく食事に専念した。俺も静かに携帯食を口に運びながら、体の重さが取れないことをしみじみと感じる。

 少なくともこの山を抜けなければ、この疲労が回復されることはないだろうな。

 魔法石の中に回復魔法を発動するものでもあれば良いのに。生憎と攻撃に有利に働く力しか発動されないからな……。

「ねえ」







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