第3部第2章第13話 それぞれの邂逅(2)
街門前で問い質される恐れはあったが、シェインはそれを近隣の農民に取り入ることで解決することにした。街の外へ日々出入りする農民の手伝いをし、その荷運びを申し出ることで衛兵の目を誤魔化すつもりだった。
だが、街門に近付くにつれ、衛兵の数が思いの外多いことに気がつく。
「戦時中だからと言うわけでもなさそうだな」
半ば独り言のように呟くと、農民の男が律儀に答えた。
「朝出る時はそんなこともなかったからなあ。罪人でも逃げたかな?」
その言葉に成る程と思う。こうして見ていると、入る人間より出て行く人間への取調べが強化されているようだった。入る時は良いが、出て行く時にが苦労をするかもしれない。
そう考えながら、帰宅する農民たちに混じって街門を抜ける。案の定、入り込むにはさほどの手間はかからなかった。逆に、出て行こうとしている人間の多くが足止めされ、厳しい取調べを受けているようだ。
(まあ、大して関係があるでもないか)
そう結論付けて農民らの片づけを最後まで手伝うと、シェインは何食わぬ顔をして市内に足を向けた。
芳しい花の香りが鼻につき、もう花の月も終わろうとしていることを思い出す。
息吹の月が終わる前にはレオノーラに戻れていれば良いのだが。
やはり街の中には衛兵の数が多いように思う。ぎょっとするほどではないが、首を傾げる程度に。いつも衛兵が一人立っているところに二人いる――そんなふうに思わせる程度の違和感。血眼になっているとは言わないが、何かを気にして気休め程度の増員をしているという印象を受けた。
そして、それと同時に慌ただしさを感じる。具体的に何がどうと言うわけではないが、空気が浮き足立っているように思えた。
何があったのだろう。
考えてシェインは、フォグリアに入って最初に目に付いた道具屋へ入った。
「いらっしゃい」
丸顔の背の低い男が、人の良さそうな笑顔で迎える。
「携帯食が欲しいんだが」
「あるよ。今なら十個入りのセットもある。お買い得だ」
「じゃあそれでいい」
代金を支払って、男が品物を包むのを眺めながら、何気ない口調で尋ねる。
「何かあったのか?」
「何か?」
「騒々しい気がするのだが」
シェインの問いに、男が顔をしかめた。
「知らないのかい? 公開処刑があったのさ」
「公開処刑?」
「ああ。私はあんまりそう言うのは好かんのでね、詳しくは知らないが。物見高い連中は集まってたみたいだよ。午前中に処刑が終わって、午後からは晒し首にされるんだろうさ」
「場所は?」
品物を受け取りながら尋ねると、男は咎めるような目つきを見せた。
「広場だよ。街の中心にある広場だ。行くのかい」
「どうするかな。俺も物見高い方でね」
公開処刑ならば、犯したのは大罪だ。叛逆や要人の殺害あるいはその未遂、他国への情報漏洩などが該当する。何の罪を犯したのか調べて損はなさそうだった。
店を出て、男に聞いた広場の方へと足を向ける。途中、少し回り道をしてハーディン周辺へと向かった。
もちろん王城の周辺とあらばシェインを見知っている者に遭遇する可能性が上がる。慎重にしなければならないとわかっているが、見てはおきたい。
城の周囲に張り巡らされている城壁に沿って歩いていると、どうやら通用門らしきものにぶつかった。何気なく足を止める。ちょうど小部隊が出て行こうとしているところだった。
公開処刑が済んで、その後始末だろうか。それにしては少し物々しい印象を受けるのだが……。
訝しく思い佇むシェインの前で、女が通用門から出てきた。成りから察するにメイドのようだ。部隊の指揮官らしき人物に何か話しかけ、二言、三言、言葉を交わすと、見送るように深く頭を下げる。何か伝言でもあったのだろう。
しばしそちらの方を眺めていると、顔を上げたメイドがこちらに気がついた。目が合ったのをきっかけに、シェインはそちらへ歩き出した。
「ちょっと尋ねても良いか?」
女がシェインの方へ向き直る。目鼻立ちのはっきりした女だった。メイドではなく娼婦と言った雰囲気の女だ。
「何?」
「やたらと衛兵が多い気がするが、何かあったのか教えてもらえると嬉しい」
やや胡散臭そうな目つきでシェインを見ていた女は、軽く肩を竦めた。
「大したことじゃないわ。罪人が逃げたのよ」
「罪人が逃げた? 公開処刑があったんじゃないのか?」
あっさり口を割るところをみると、緘口令が敷かれているわけではなさそうだ。わざわざ市民に触れまわるわけではないだろうが、口止めするほどでもないと言うことだろう。
「公開処刑はあったわよ。それとは別口」
「別口?」
「と言うわけでもないかしらね。共犯だって聞いてるから」
「……何の罪を犯したんだ?」
女は、そこでやや声を潜めた。
「国王殺害」
「なっ……?」
一瞬意味を図りかねて、シェインは女を見返した。彼女もシェインを見返して、それから朱の唇に笑みを象る。
「あんた、結構いい男ね」
らしからぬ蓮っ葉な物言いに、シェインは違和感を覚えた。娼婦出身のメイドだろうか。高位官の誰かが入れ込んで、自分仕えのメイドに引っ張り込んだのだろう。呆れた話だが、ない話ではない。
「それは光栄」
「髪の色がもっと鮮やかだったら、もっと好みなのに」
「残念だな」
と言って、元の鮮やかな赤髪に戻すわけにはいかない。だが、彼女の好みだとは幸いだ。好みの男に娼婦は口が軽くなる。
彼女の言葉につきあって見せてから、シェインは話を戻した。
「君は結構重要なことをあっさりと口にしたが、問題はないのか」
「ないわよ。今朝公開されたことだから。あんた、知らないの?」
「ちょっと田畑を手伝ってたもんでね。知らなかった」
公開処刑をする際に、その罪状を公表したのだろう。国王殺害――ロドリスも世代交代か、と苦い想いで胸中に呟く。敵国と一概に喜ぶ気にもなれなかった。人間の悪意は聞いていて決して気持ちが良いものではない。
ともかくも、国王カルランス七世が殺害され、公開処刑されたのは犯人の一人もしくは一部となる。そして一方でその仲間が逃げたと言うことのようだ。衛兵の数が多いことに、ようやく合点がいった。
「何にしても、あなたが脱獄者に間違われたりするようなことはないから、安心すると良いわ」
深刻な顔で黙るシェインをどう受け止めたのか、女があっけらかんと笑う。
「なぜ言い切れる?」
「女だからよ」
「女? 逃げたのが?」
「そう」
頷いてからやや神妙な表情を浮かべてみせると、彼女はため息混じりに言葉を続けた。
「結構気に入ってたのに。わたし」
「犯人をか?」
「やったと信じてるわけじゃないわ。何かの間違いよ」
「誰なんだ?」
寵姫アンドラーシ様、と女は目線を伏せた。
記憶のどこかで聞いた気もするが、はっきりとは思い出せない。シェインには特にコメントのしようがなかった。事実関係だけ聞いている分には、ないでもないとしか言えない。護りの堅い国王に近付いて暗殺するのは、寵姫には容易いことだからだ。自害するつもりもあるのであれば、陰部に毒を仕込んで交わることだって出来るのである。そういった例も、多くはないがないでもないし、男が美女に弱いのはいつの時代も同じことだった。
「ねえ。わたし、今日早番なの。夕刻には仕事を上がれるわ。食事でも行かない? ゆっくり話してみたいわ」
「いいね。俺も夜は暇なんだ。ゆっくり話が聞きたいな。ところで公開処刑されたのは……」
彼女とシェインの目的はどうやらすれ違っているような気がするが、それはこの際目を瞑る。話を聞けて、ついでに温もりを分かち合えるのであれば、こちらとしても特に文句はない。美人のお誘いを断るのも気が引ける。
だが取り急ぎ尚も話を引き出そうと言葉を続けかけ、ふと口を噤んだ。女が目を瞬いてシェインを見上げる。それを感じてはいるものの、シェインの目線は彼女の背後に定められたままだった。
通用門の向こうにある通路を歩いている男――見覚えがある。
「あれは……」
「え?」
女がシェインの言葉に振り返った。「ああ」と面倒臭そうに頷く。
「知り合い?」
「いや、そういうわけじゃない。一介の庶民に過ぎない俺が、王城に知り合いなんかいるはずもないだろう? 見たことがあると思っただけさ」
「ああ、そうかもね。しょっちゅう街を出たり入ったりしてるから。グレンフォードって言ったかしら。近衛警備隊よ。でも名ばかりで、実際はセラフィ様の腰巾着ね」
「グレンフォード……」
その名は聞いたことがあった。
(『殺戮の天使』か……!)
今更ながらそのことに気づき、背筋がぞっとした。
グレンとはクリスファニアの離宮で遭遇している。内部に招じ入れてくれたのが彼だった。リトリア国王はロドリスの客将を気に入っているようだと聞いてはいたが、それが彼だったと言うことか。
つくづく、あの時、己の正体がバレずに済んで良かったと思う。もしバレていたら、あのどさくさに紛れて消されかねない。そして魔術師は、名立たる剣の使い手には勝ち目はなかった。呪文を紡ぐ時間を与えてくれないからだ。
愕然と見つめる視線に、グレンの方も気がついたようだ。ふと顔を上げ、そして僅かに目を見開いた。琥珀色の瞳がこちらを捉えるのに気づき、さっさと消えるべきだったと思った。だが、今更走って逃げるわけにもいかない。
「おや」
グレンが軽い口調で呟く。長い足を交互に突き出してこちらに近付いてくるのを見て、メイドの女が首を傾げた。
「やだ。やっぱり知り合いなんじゃないの」
「そういうわけじゃない。言ったろ。見たことがある。向こうもたまたま覚えがあったんだろう」
視線をグレンに定めたまま、小さくそう答える。その間にもグレンは、すぐそばまで近付いてきていた。
「どこかでお会いしたような気がしますねえ」
「俺もそう思ったところさ」
「こんなところでナンパですか?」
「綺麗な女性には声をかけろと、爺さんの遺言でな」
今も生きている祖父が聞いたら怒り狂うに違いない。
その軽口を拾う愚は冒さず、グレンはシェインを穏やかな表情で眺めた。だが、その瞳に笑いはない。
「お会いしたのはリトリアですね」
「互いの記憶が確かならな」
「このようなところでお会いするとは奇遇極まりないですが、どのようなご用で?」
「言ったろ。ナンパだと」
シェインの素性に気づいているとは考えられない。グレンには、シェインの情報が少なすぎるはずだ。内乱が終結してからもシェインはしばしリトリアに留まっていたが、ソフィアやその周辺の人間が漏らすとも考えにくかった。
しかし警戒はしておくに越したことはない。
「リトリアから遥々ロドリスまで?」
面倒な空気を察知したらしいメイドの女が、微かに後退する。それを脇に見ながら、シェインは肩を竦めて見せた。
「あの時言わなかったかな。俺は単に雇われていた傭兵に過ぎない。内乱の片がついて、リトリアは戦線も離脱した。これ以上いたって仕事はないだろう。ゆえにリトリアを離れて、南下してきた。それだけのことさ」
「ほう……」
グレンが微かに目を細める。怪しんではいるだろうが、それ以上でも以下でもあるまい。いずれにしても、この場を離れたらさっさとフォグリアを出た方が良さそうだ。今夜は野宿になりそうだが、致し方ない。のうのうと宿屋に宿泊する気にはなれなかった。
「デートの約束にも水を差されたみたいだな。引き下がるとしよう」
女が訝しげにシェインとグレンを見比べるのをちらっと見てそう笑うと、数歩後退する。
その時、グレンが微かに顔をしかめた。
「どうした?」
痛みを堪えるような様子が気にかかり、シェインも眉根を寄せる。
「いえ。ちょっと古傷が疼いただけですよ。お気になさらず」
さらっと答えると、グレンは柔らかく微笑んだ。
「お気をつけて」
「そりゃどうも」
「……そうそう。知っておられますか?」
何かを思い出したような口ぶりに、踵を返しかけたシェインは動きと停止させた。振り返った姿勢のままでグレンの顔を見つめる。グレンも真っ直ぐシェインの顔を見据えていた。
「本日、公開処刑があったんですよ」
「ああ。先ほど聞いた」
「彼の罪を聞きましたか?」
「……国王殺害、と」
何が言いたいのかわからず、シェインは事実のみを簡潔に述べた。グレンが応えて頷く。
「そう。我らがロドリス王国の国王が殺害されました。遺憾すべきことです」
「そうだな」
「増してそれが、ヴァルスの差し金だったなどとわかった日には、憤懣やる方ないと言うものでしょう?」
「ヴァルスの差し金?」
意味を掴みかねて、シェインは言うべき言葉を見失った。黙ってグレンの顔を見つめる。
琥珀色の瞳が、すっと細められた。
「ヴァルスの間諜だった男です」
一瞬、シェインの思考が停止する。グレンの言葉が形にならない短い瞬間を経て、シェインは臓腑を抉り出されるような深い衝撃を味わった。
今、何と言った?
「ヴァルスの間諜だった男……?」
不審に思われるとわかっていながら、手が小刻みに震えるのが止められなかった。完全な白紙となった頭で、見開いた目をただグレンに向ける。
「ええ。そうです」
(カイザー!)
その名が胸に浮かび、心臓がどくんと一際大きな音を立てた。グレンがシェインの顔色を読んで薄い笑いを刻む。
「おや? 顔色がお悪いようです。まるでそういうお知り合いでもおられるかのようですね」
構う気になれなかった。直感で感じる。グレンはシェインが何者であるか察しているのだ。
挑発は、裏付けを取る為だろうか。感情を曝すことは素性を露呈することであると理解しながら、シェインは己を押さえきれなかった。グレンはシェインに手を下すだろうか。否、と言う気がする。これは恐らく警告だ。これ以上ハーディンの周囲をうろつくなという。
グレンに答えず、シェインは踵を返した。先ほど聞いた広場へ向けて走る。道は次第に人で混み合っていき、何かの祭りかと錯覚するほどだった。いや、事実彼らにとっては祭りなのだ。
国王殺害? そんな馬鹿な。シェインはそんな指示は下していないし、そんな先走ったことをするほどカイザーは愚かではない。では何だ? 答えは限られる。間諜であることがバレて、国王殺害の濡れ衣を着せられたのではないか?
何の為に。真犯人が自らの罪を隠匿する為か。ヴァルスへの敵愾心を煽る為か。いずれにしても、シェインは確信していた。カイザーは断じてそのような罪は犯していない!
唇をきつく噛みしめて、広場へ駆け込む。聞くに耐えぬ罵声が飛び交う人だかりの方へ向かうと、ちょうど兵士が曝し台を設置し終えたところだった。兵士に害の及ばないようまだ抑えられてはいるが、彼らが下がった途端に人々は投石を始めるだろう。裏切り者との罵声と共に。
そうだ、裏切り者だ。裏切られた者たちは、報復をする権利がある。いや、権利の有無ではなく、行う。
わかりきっていたことだ。
人々をかき分けて無理矢理最前にたどり着くと、曝された無惨な首に脳内が空白となった。
面相は暴行で変わり果て、識別するのは難しい。ましてシェインが最後にカイザーに会ったのは、十六年も前になる。
だが、その髪に見覚えを感じた。
血で汚れているが、さらさらだっただろう金緑の髪を見た瞬間、衝動的な吐き気と眩暈がこみ上げた。
「おい。後から来て割り込むな」
「首を見て具合が悪くなるようなら、後ろで見物してな、ご令嬢」
蒼白のシェインの顔色を見て、周囲の粗暴な声が野次る。小突かれるように弾き出されたシェインは、我知らず、頬を熱い滴が伝い落ちるのに気がついた。
わかっている。国王を殺された聴衆は――事実はさておき――怒りをそこへ向けるしかない。
だが、許すことが出来ない。カイザーに投石など、断じて許容出来なかった。
「うわっ……何だっ?」
曝し台と人だかりから弾き出されたまま、背を向けて呆然と立ち尽くすシェインの背後からどよめきが上がる。
「火事だっ……逃げろ、危ないぞ!」
「火を消せ!」
押し寄せる熱を孕んだ空気に背を向けたまま、頼りない足取りで歩き出す。
何の作用によってか突然曝し台に噴き上がった火柱に人々は恐慌を来した。投石など行えるはずもなく、ただ、罪人の首が炎に浄化されていくのを見守るしかない。
自らが無意識に『炎の柱』を発動させたことに遅ればせながら気づき、シェインは一度足を止めて振り返った。
烈しく噴き上げる炎の中にカイザーを見つけることは、もう出来なかった。