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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第2章第12話 愛憎の行方 後編(3)

          ◆ ◇ ◆


 セラフィが執務室で書類を眺めていると、ノックの音が響いた。

 これまでの習慣で一瞬身構えて立ち上がりかけたセラフィだが、すぐに肩の力を抜く。

 もうあの女に執務室へ入り込まれることを警戒しなくて良くなったのだ。

「空いてるよ」

 そう小さく笑い、セラフィはノックに答えた。静かにドアが開かれ、久しぶりに見る顔にそのまま笑顔になる。

「グレン」

「戻りました」

 らしくない硬い声に、どうやらリトリアの一件を気にしているのだろうと推測する。笑みをしまい込んでグレンを部屋へ促すと、セラフィは椅子に掛けたままで頬杖をついた。

「リトリアの件だったら、君が気にすることじゃない」

 既に動き始めていた内乱をグレンの手で阻止しろなどと、無茶な話だ。もちろんクラスフェルドを守りきれなかったのは失点と言えるが、そもそもが国家規模のお家騒動だ。暗殺レベルとはわけが違う。一度阻止出来たとて、それで済む話でもなかったろう。グレン一人で出来ることには、無論限りがある。

「度重なる失点に、猛省に猛省を深めているところですよ」

「知ってるかい。後悔を引き摺って次に影響させるのは、愚か者のすることだ」

 冷たく言い放つセラフィの言葉に、グレンが微かに笑った。

「存じておりますとも。失敗を顧みない人間は、次にその経験を活かすことが出来ないと言うこともね」

 グレンの言葉にセラフィが笑う。これなら大丈夫だろう。頬杖をついたままで目元を柔らかく緩めると、セラフィは真っ直ぐグレンを見た。

「リトリアの新王は、どうだった」

「……クラスフェルド先王陛下とは、いろいろな意味で違う方だとお見受け致しました」

「へえ。女王だっけ?」

「ええ。まだお若い……ヴァルスの王女と近しい年の頃でした」

 それを聞いて、セラフィは鼻を小さく鳴らした。気に入らない。

「ママゴト気分で国政か。良いご身分だな」

 グレンが肩を竦める。

「クラスフェルド先王陛下と違い、どうやら嫌われてしまったようで。対リトリアにおいては、今後は別の人間をあてがう必要があることでしょうね。ソフィア女王陛下は、私のように腹の内が読めない人間はいけすかないようでして」

「人を見る目はあるようだな。それじゃあきっと、僕も駄目だろう」

「ともかくも、ヴァルスサイドに寝返らないよう重々予防線は張ったつもりです。尤も、ソフィア女王陛下も現在は参戦するつもりもなさそうでしたので、どれほど効果があったかはわかりかねますが。事後策として、それが私に出来る精一杯と言うところでした」

「わかった。ご苦労だったね」

 ともかくもリトリアがヴァルスにつかなければ、当面はそれで良しとせねばなるまい。今となってはリトリアの政権交代は、ロドリスにとっても救われた面があるのかもしれない。カルランスが斃れ、幼年のウィリアムが即位すれば、リトリアにとっては攻め入る好機と捉えられかねないからだ。帝国継承戦争終結後、すわロドリス攻略だと仕掛けてきかねない御仁であったのは確かである。

 尤も、クラスフェルドが逝去しなければリトリアの離脱はなかっただろうし、リトリアが離脱しなければカルランスもあれほど弱腰にならなかったかもしれないから、結果論でしかないのだが。

「個人的に、少々惜しいと思いますよ」

 短い沈黙が訪れると、グレンが小さくそう感想を漏らした。目だけで応じるセラフィに、グレンが苦笑を浮かべる。

「クラスフェルド先王陛下を失ったのは、ロドリスとしても、そして私一個人としても……惜しい話です」

「そうかい。珍しいことを言う」

「そうですか? ……そうですね」

 ふっと小さく息をついたグレンが何を思ったかまでは、セラフィにはわからない。沈黙したまま少し言葉を待ったが、グレンはそれ以上語るつもりはなさそうだった。

 それを確認して、セラフィは改めて口を開いた。

「それはそうと、グレンにも伝えておかなきゃならないことがある」

「何でしょう?」

「君がいない間に、ロドリスは大きな転機を迎えた。……陛下急逝の報は、君の耳には届いていたかい」

 グレンが息を呑んで目を見張る。驚きを孕んだ琥珀色の瞳を見つめ返し、セラフィは薄く笑った。

「何と……?」

「我らがロドリスでも世代交代の時期を迎えたと言うことだよ。カルランス陛下は、既に先王陛下となられた。新王はウィリアム殿下だ。近々戴冠式を大々的に執り行うことになるだろう」

「なぜ」

 強張った表情は、しかしながら何かを察しているようでもあった。セラフィに関して、グレンは実に察しが良い。それが少々心地良くもある。

「殺害したのはアンドラーシ。裏で糸を引いていたのはアークフィールだ」

「まさか」

「既に二人とも捕捉されている。アークフィールは、ヴァルスの間諜だ」

 凍りついた表情のままでソファから立ち上がるグレンに、セラフィはすっと瞳を細めて言葉を続けた。

「筋書きとしてはこうだよ、グレン。……アンドラーシは、国王の寵姫たる身ながら、自国の宮廷魔術師に哀れな幻想を抱いていた。恋情と言う幻想だ。それが周知の事実なら、当の本人もそう知っていた。しかし陛下への忠誠心を貫く為に、アンドラーシに靡く素振りを見せなかった。

 そこに目をつけたのがアークフィールだ。ヴァルスの間諜としてクライスラー卿に送り込まれていたアークフィールは、ロドリスの国王を抹殺することを思いついた。戦争の中心はロドリスだからね。だが、自身が手を下してしまえば、以降の諜報活動に妨げになる可能性がある。そこで、アンドラーシを唆した。『あなたの想いを妨げているのは、陛下です。陛下がいなくなれば、あなたの想いは叶うはずだ』とね。

 もちろんそうでったとしても、アンドラーシに何が出来るでもない。だが、陛下との些細な言い争いでの瞬間的な怒りで、魔が差したのさ。彼女は怒りに身を任せ、咄嗟に判断力を失って陛下を殺害してしまった。そんなことはすぐに露見し、寄りによって想う宮廷魔術師に問い質されたアンドラーシは、逆上して叫ぶ。『あなたが全部悪いんじゃないの!』。

 ……わかるかい? 冷たくされてきた腹いせに、彼女は罪を宮廷魔術師に擦り付けようとした。しかし、陛下が殺害されていたのは、アンドラーシ自身の部屋だ。そして宰相と宰相秘書官が、宮廷魔術師の潔白を証明する。アンドラーシは捕縛されるよりない。

 そうして彼女は投獄され、アークフィールも自身の罪が露見して捕らえられる。彼らは後日、国王殺しの憎しみを国民から向けられ、処刑されるのさ。これはどういうことかと言うと、我らが陛下がヴァルスに謀殺されたことに他ならない。国民の全て――もちろん戦地の兵士たちや、連合各国の怒りもヴァルスへ向けられる。復讐戦の始まりさ」

「セラフィさん……」

 グレンが掠れた声で遮りかける。だがセラフィは耳を貸さず、言葉を続けた。

「これから始まるのはね、グレン。カルランス先王陛下の弔い合戦なのさ」

「まさか、無実のアンドラーシ様とアークフィールを……?」

「言いがかりは止してくれ。アークフィールは、真実ヴァルスの諜報活動を行っていた。本人もそう自供しているよ」

「ですが」

「アンドラーシについては、そう……」

 グレンの視線を受けて、セラフィは微かに目線を逸らした。良心の呵責があるわけでは、無論ない。適当な言葉を探しているだけだ。

「不幸だった、としか言いようがないね。……あらゆる意味でさ」

「なぜ、陛下を」

 筋書きは筋書きでしかないと言うことは、グレンは読んでいる。そういうストーリーに則って、違う真実が裏で走っていたことを理解している。

「カルランス陛下は、ヴァルスとの戦争に怖気づいておられた」

 低いセラフィの言葉で、グレンは全てに合点がいったようだった。

 微かに顔を歪めて視線を伏せ、額に大きな手のひらを押し付ける。

「なぜ、それほどに戦争の続行に拘っておいでです」

「君が聞くのか?」

「今更とわかっていますよ。わかっていますが、敢えて言います。マーリアさんが望んでいるのは、本当はそんなことじゃない……」

 初めて、セラフィが口を噤んだ。

「マーリアさんの幸せは、ヴァルスなんかにありません。わかっておいでのはずです。ヴァルスなんか手に入れたって」

「グレン」

 凍てつくような声音で、セラフィが静かに遮った。

「そう、そんなことは本当に今更だ。僕たちが考えるべきはそんなことじゃない。いかにヴァルスに勝利するか、そして勝利の暁にはどう迅速に処理をしていくかだ」

「……」

「僕は、ロドリスを勝利に導く為に、戦地へ行く」

「え?」

 俯いていたグレンは、その言葉で弾かれるように顔を上げた。

 その顔を真っ直ぐ見つめながら、セラフィは柔らかく微笑んでみせた。

「良かったら、君も一緒に来ると良い。神が屈する姿を、君にも見せてあげよう」

「神が屈する姿……?」

 小さく口の中で問い返すグレンの言葉にセラフィが答えるより早く、慌しい足音が響いた。重ねて、ドアが忙しくノックされる。

「セラフィ様!」

 何事かと顔を上げたセラフィは、視線を向けてノックに応じた。

「いるよ。開いてる」

「失礼致します!」

 血相を変えて飛んできたのは、牢を管理する衛兵の隊長だった。グレンの姿を見て敬礼すると、改まってセラフィに向かい合って早口に告げた。

「お話中、申し訳ありません! アンドラーシ様……アンドラーシが、逃走致しました」

「……何?」

 一瞬何を言われたのかがわからず、セラフィはぽかんとした。それから言葉の意味を理解して、眉を顰める。

「まさか」

「申し訳ありません」

 口早に謝罪をすると、隊長は口早に状況を語った。

 見張りの交代で衛兵が入っていくと、いるはずの見張りがいなかった。不審に思って牢の方へ足を向けると、どうしたことか見張りの兵が牢の中で全裸のまま首を掻き切られて死亡していたと言う。牢の扉は開いていて、アンドラーシの姿はどこにもなかった。

 報告を聞き、セラフィはふっと笑った。

(自分の体を餌にして、反撃に出たか)

 思いがけず見所がある。以前からそういう芯の強さ、逞しさが感じ取れていれば、もう少し面白かったものを。

「とりあえず行こう。現場を見せてくれるかい。それから街に捜索の手配を。見つけたら殺すな。処刑をする必要がある。だけど……」

 立ち上がって、グレンに一緒に来るよう促して歩き出す。

 非力な小娘一人、逃したところで大きな損失ではない。

 国王殺害の罪はアンドラーシが背負っている以上、公開処刑が出来ないのは惜しいが、国民の怒りの的にはまだアークフィールが残っている。

「抵抗するようだったら、殺してしまっても構わない。……相手は、国王殺害の重罪人だからね」














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