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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第2章第10話 制裁(1)

「随分と、手が行き届いておられるのですね」

 フォグリア郊外にあるセラフィの邸宅に足を踏み入れ、アークフィールはそう感想を漏らした。

 宮廷魔術師と言う身分を考えれば恐ろしく質素ではあるが、綺麗に磨かれ、整理の行き届いた様子を見れば、セラフィがこの邸宅に愛情を持っていることがわかる。

「そうかい? 戦争が始まってから、なかなか帰る暇がなくてね。随分荒れてしまった気がするけれど」

 先に立ってアークフィールを促すセラフィが笑った。ハーディンではなかなか見せない穏やかな表情に思える。

 たまには息抜きに、郊外の邸宅へ遊びに来ないかとセラフィに誘われたのは、三日ほど前のことだ。

 直属の上官でもないのに、国王の寵愛を受ける宮廷魔術師の自宅を訪問するなど畏れ多くはあったが、拒絶もまた致しにくい。結局のところこうして、唯々諾々と従っている。

 ハーディンの人間と必要以上に親交を深めるのは良くないと自戒をするものの、反面、魅力的でもあった。

 信頼こそ、新鮮な情報の最たる通り道なのだ。宮廷を牛耳る宮廷魔術師とくれば願ったりである。

 そしてアークフィールは個人的に、この宮廷魔術師を決して嫌いではなかった。セラフィに相対する誰もが好意的であるのと同様に、アークフィールもまた例外ではない。積み重ねてきた親しみを覚えてもいる。

 だが、警戒は必要だ。

 宰相の秘書官と同時に担っている彼のもう一つの任務は、露見すれば叱責や免職では済まない。

「本当に使用人を置いていないのですね」

「ははっ。そう言ったろう? 人の手が入るのは嫌いなんだ。こっちだよ、アークフィール」

 招かれた部屋は応接だった。暖かくなり始めた日差しが注ぎ、広いリビングを明るくしている。

「大して面白いことがあるわけじゃないが、ハーディンから離れるだけで気分転換になる。……お茶で良いかい」

 セラフィの言葉に、アークフィールは立っていた窓辺から慌てて振り返った。

「あ、そんなことは私が……!」

「良いんだ。たまには奉仕するのも悪くない。元々僕は、そういう出自だしね。人にかしずかれるのに慣れていない」

「……」

 セラフィがカップをニ脚テーブルに置くのを眺め、それからアークフィールは顔を上げた。その顔を見て、セラフィが笑う。

「言っていなかったかな。言っていなかったかもしれないね。僕は、ヴァインで生まれ育ったんだよ」

 ヴァイン……。

 胸の内で愕然と繰り返す。行ったことがあるわけではないが、その名前は聞いたことがあった。人が近づかない魔の山ファリマ・ドビトークにかつてあったと言うはみ出し者の集落。

 何らかの理由で他の者と暮らすことが出来ない人間が、貧しい暮らしをしている場所だ。

 そこで生まれ育ったと言うのか? セラフィが?

「まさか」

 生まれ備わっているようなたおやかな気品に、思わずアークフィールは苦笑していた。とても信じることが出来なかった。

「まさか? そうは見えない?」

「失礼ながら……正直に申し上げれば、信じにくいです」

 笑いを浮かべたままのセラフィの目に笑いがないことを感じ、そのまま口を噤んだ。セラフィの繊細な指がカップに伸びる。

「そう? まあ、陛下にも口にするなと言われているしね。僕自身は構わないのだけど。なぜそこにいたかまではわからない。多分、父が原因だろうと言うことくらいだ。そこで幼少期を過ごした僕は、後にバラデュール家の養子となり、知っての通り王城で働く身になった。だからね、慣れていないんだ。人に奉仕されるのは」

 思いがけず上官のプライバシーに触れることになり、アークフィールは押し黙った。セラフィがからかうように笑顔を向ける。

「君は、国を憎んだことがあるか?」

 咄嗟に言葉にならない。

 国を憎む……そう、自分は国を憎んだからこそ、もう一つの任務を負うことにした。自分から志願したのだ。この国に報復を加える為に。

 アークフィールは、ヴァルスの為に働くことを、自ら課した。

 セラフィが軽やかに続ける。

「僕はある」

「えっ? まさかセラフィ様が」

「信じてもらえないかもしれないね。だけどね、アークフィール。知ってるかい。ヴァインと言う集落は、この国に存在しないんだ」

「……?」

 ヴァインが既に絶滅して事実上存在していないことは知っている。

 何を言いたいのかがわからず、アークフィールはそっと眉根を寄せた。セラフィを見つめたまま、慎重に口を開く。

「ええ、ヴァインが既にないことは存じておりますが」

「そうじゃない。ヴァインは初めから、ロドリスに存在していなかったんだ」

「……どういうことです?」

「あの集落は、ただロドリスの治める地域にあるだけの、どこの国にも所属していない集落だったと言うことになる。ロドリスはその存在を努めて黙殺してきた。徴税もなければ保護もない。そういう存在だったんだ。だから公式の記録のどこにも、ヴァインと言う村を見つけることは出来ない」

 それは知らなかった。初めて聞く事実に、アークフィールは目を丸くした。セラフィが失笑する。

「それはそれで辻褄が合っている。だからこそ僕は法の裁きを受けずに済んでいるんだが」

「え?」

「いや……。あそこで何が起ころうと、ロドリスと言う国家は関知しない。何が起ころうが知ったことじゃない。ヴァインでの生活は、ひどいものだったよ」

「そう、なんですか」

「ああ。だけど、ヴァインを下りて一度エルファーラに入った僕は、その後ロドリスに戻ることになった。そこでの生活もまた、ひどいものだった」

 優美な仕草でカップに口をつけたセラフィを見つめ、まだ信じられない思いがある。

 この穏やかな笑顔の裏で、彼は何を感じ、何を見、彼の身に何が起きてきたのだろうか。

 初めて、そんなことを考えた。

「国の力が作用している空間で、国民としての義務を強いられる。けれど国は民の為に何をしてくれるだろう? 何かをしてくれるだろうか。答えは否だ。何もしてくれない」

「セラフィ様」

「ああ、僕が口にして良いことじゃないかな。けれど今は休暇中と言うことで多めに見てくれ。アークフィールの胸に閉まっておいてもらえれば、問題はない」

 くすくす笑うセラフィに合わせ、アークフィールも強張った笑みを浮かべた。

 宮廷魔術師の口から出て良い言葉ではない。けれど、セラフィ個人の思いとしては、納得がいかぬこともなかった。

 なぜなら、アークフィールもその気持ちは良くわかるからだ。

「国は、何もしてくれないんだ。義務を強要し、何の恩恵も施さない。搾取だけだ。僕が苦しんでいる時に救いの手を差し伸べなかった国は、僕に対して国の為に働けと言ってのけた。僕が自分の努力で得てきた力を、ただ差し出せと言ってきたんだ」

 聞きながら、アークフィールはセラフィの経歴に思いを馳せた。

 有名なエルレ・デルファルの出身ではない。私塾で魔術を学んでこの若さで宮廷魔術師になると言う異例の才覚の持ち主だ。見捨てられた集落ヴァインからここまで辿り着く道のりは、果てしないもののようにも思える。だが、セラフィはそれを成し遂げた。その裏には、どれほどの辛苦があったろう。

 その過程で、国に対して憎悪を抱くような出来事があったとしても、おかしくはないと思えた。事実、この国は至るところに手が届かぬまま放置をしてきている。

「どうしてセラフィ様は、国の為に働こうと思えたのですか」

「国の為に働こうと思えたわけじゃないさ。僕自身の興味だ。自分自身の能力を活かす場所として、最も適しているだろうと思えた。それに」

 セラフィの視線がアークフィールを捉える。薄く笑った口元には、どこか嘲笑めいた笑いが浮かんでいる。

「僕を虐げてきた国家が、僕の言いなりに動く。面白いじゃないか」

「……」

「認めさせてやろう、そう思ったよ」

 なるほど、セラフィの憎悪は、アークフィールとは逆の方向に働いたらしい。

 そう理解して、アークフィールは肩の力を抜いた。ふうっと深い吐息をつく。

 今のセラフィを見ていれば、誰も彼もから愛され、才覚に恵まれ、何不自由なく生きてきたかのようにも思える。美貌、穏やかな気品、優雅な物腰、その全てが高貴な生まれ育ちを想像させ、まるで穢れなど何一つ知らずに温室で育ってきたかのような。

 だが、その認識は間違いだったようだ。

 そしてその間違いは、アークフィールに親近感を抱かせるのに十分なものだった。

「胸中、お察し致します」

 もう少し深く聞き出してみたい気がした。

 だが、上官に尽くすべき礼儀があり、保つべき節度がある。もどかしさを感じながら抑制するアークフィールに、セラフィが話を振った。

「君は、リシア地方の出身だったか」

「あ……」

 仕草でソファを勧められ、腰を下ろしながら返す言葉に詰まった。

「はい、私は、その……」

 嘘ではない。ハーディンに来る前はどこにいたかと言えば、リシア地方にあるブレヴァルと言う街だった。

 だが、本当の出身地はそこではない。

 セラフィに話させておいて黙っているのは、潔くないような気がした。だが安易に話すのはまだ躊躇われて、口ごもる。

「私は……」

 いや、大丈夫だ。大丈夫のはずだ。出身地を口にしたところで、何がばれようはずがない。虚偽を告げるには、真実を混ぜるのが鉄則だ。真実に近づけた虚偽は、暴かれにくい。

「私は、元々はガレリア地方の出身でした」

「ほう?」

 セラフィの瞳が、興味深そうに動く。アークフィールは殊更ゆったりと笑ってみせた。

「実の両親に死なれましてね。ですから私も、ドリュケール家の養子と言うことになります」

 現在姓を名乗っている家名を上げると、セラフィが視線を伏せて吐息をついた。

「そうか。では、僕と似たような身の上と言うことになるな」

 一層心を許したかのような笑顔に、アークフィールの良心がちくちくと痛んだ。嘘は言っていないが、真実を告げてもいない。

 人との距離を一定に保つ手腕は、己の身を守る為に培ってきたはずだ。誰にも怪しまれずにヴァルスの諜報活動を行う手腕はある。人に踏み込ませない技術を持っているはずだし、全て柔らかくかわす術も身に付けている。

 なのに、先ほど緩んだ心の壁が、脆くなっている。

 アークフィールの密やかな心の葛藤に気づく様子もなく、セラフィが続けた。

「それがなぜ、リシア地方に」

「父の古い知り合いがいまして。両親が亡くなった後、その方を頼ってブレヴァルへ向かいました。身を立てようと働いていた店で、現在の義父に気に入られまして」

 両親が亡くなった後のことは、大きく省いている。

 直接ブレヴァルに向かったわけではない。その間に、大きな転機が訪れている。

 だがそれは、口が裂けても言えない。

 ようやくカップに手を伸ばし、口をつけかけたところで、セラフィが嘆息した。

「そう。苦労人だね、君も」

 ソファに深く体を預け、セラフィは肘置きに頬杖をついた。涼やかな青い髪がさらりと額を滑り、アークフィールは思わず見惚れた。

 本当に美しい人だ。そして利発でもある。ロドリスの王城は、得がたい人材を得たのだろう。

 純粋な心でこの人物についていけたら良かったのに。

 そう思わずにいられず、アークフィールは目を伏せたまま答えた。

「そんなことは」

「そう……君はガレリア地方出身か。ガレリアのどこだい? ルッセンか?」

 ルッセンは、ガレリア地方で最も大きな街だ。辺境を治める辺境伯が常駐する街でもある。

 そしてそれは、アークフィールの生まれ育った故郷だった。

 再び頭の中で警鐘が鳴る。

「いえ……なぜ、ルッセンと?」

「いや。大した思い付きじゃない。……こんな話を思い出したからさ」

 得体の知れない不安が、アークフィールの表情を硬く強張らせる。無言で視線を上げるが、セラフィは穏やかさを消すことなく、何の思惑も読み取れなかった。

「ガレリア地方は、知っての通り、豊かな地域だ。ロドリスの収益の六分の一を賄っている。当然そこを治める諸侯の力は強く、決して侮れたものではない」

「そう、ですね」

「コンラッドと言う家がガレリア辺境伯だったのは、十七年ほど前になる。知っているかい?」

「……いえ。良く、覚えておりません」

 何かを探られている……?

 胸に芽生えた疑心が、声を掠れさせた。口の中がからからに乾く。喉がまるで張り付くようだ。

 カップに手を伸ばすことさえ不審を招くのではと思うと、それさえも躊躇われた。

「そう? コンラッドはね、アークフィール。リトリアと手を組もうとしたんだ」

「……まさか。動機がありません」

 何を答えて良いものか、白紙の思考の中に必死に言葉を探す。だが、中身のない言葉ばかりが浮かび上がり、いつもの自分らしくない受け答えだとの自覚はあった。

「事実だよ。動機については推測するしかない。けれど、陛下と不仲であったことが動機の一つとして考えられる。コンラッドは、陛下に対して批判的だった」

「そうなのですか」

「ああ。尤も、僕もその頃はまだヴァインだ。リアルタイムに知っていたことではないけれどね。公的事実として残されている。アークフィールが知らないとは思えないけれど」

「そうでしたか? 申し訳ありません。記憶から抜け落ちているようで」

 知らぬはずがない。宰相の秘書官として、知らずに済む史実ではない。いかにも不自然とはわかっているものの、一度動揺した心が冷静さを欠いていた。

「だったら、覚えておくと良い。ハーディンとしては、寝耳に水の騒ぎだ。ガレリア辺境伯がリトリアと手を組めば、大事になる。何せガレリアはリトリアとの国境地帯、裕福な地域に君臨するコンラッドは、経済力も兵力もある。もちろん情報もだ。コンラッドを放っておくわけにはいかない。だが、コンラッドに呼応する勢力もリトリアとの進行状況もまるで掴むことが出来ずにいた。焦ったハーディンは、全く間抜けな真似をしたのさ」

「間抜け、ですか」

「ああ。焼き討ちだよ」

 セラフィの目が、すっと細められる。アークフィールの脳裏に、あの日の凄絶な光景が蘇った。

 父と母は、あの炎に飲まれて消えた。

 コンラッドの屋敷と共に。

「……誰が、その、決断を……」

 聞いてはいけない。今更聞いてどうする。調べようと思えばいくらでも調べられたものを、今日まで禁じてきたのは何の為だ。

 余計な憎悪は、自身を滅ぼす。そんなことより冷静さを取り戻せ。

 セラフィは、明らかに、自分を探っている。

「さてね」

 あっさりとセラフィは肩を竦めた。苦笑するように顔を横に振る。

「書類を漁れば明らかだろうが、生憎とそこまでは記憶していない。だが、誰にでもわかることがある。提案したのが誰だろうが、認可したのは」

「……」

「陛下だ」

 ロドリスの国王カルランスが王位についたのは、二十六年前のことだ。コンラッド家の焼き討ちが起きた時、ロドリス国王はもちろんカルランスだった。

 拳を握り締めて穏やかな表情を作り上げたアークフィールは、セラフィの気遣うような視線にぶつかり、戸惑った。

(何だ?)

 セラフィは、何を考えている……?

「あの焼き討ちは、兵を派遣して行われた。夜襲だ。屋敷から逃げ出そうとする者は、容赦なく斬り捨てられた。コンラッドが反撃出来る暇も与えず、もちろん逃げ出すことなど許さず、その全てを炎に封じたんだ。結果として、使用人を含めた全ての人間が殺されることになった。住み込み、通い、関係なく、その時屋敷にいた者全てだ」

「ええ……」

「けれどその時、一人の少年を逃したのだと言う」

 胸に渦巻く黒い焦燥を表情に出すまいと、アークフィールは能面のような顔でセラフィを真っ直ぐ見返した。セラフィは気にする様子もなく、微かな笑みを消すことのないままで穏やかに続けた。

「少年の名は、恐らく……カエサル・クライトマン。屋敷住み込みではなく、近隣に住まう通いの造園技師の子息だ」

 ここまで語られて、何を言いたいなどと愚問でしかない。カエサル・クライトマン――かつての自分の名前だ。

 アークフィールの拳に力が入った。微かに震える。冷たい汗が背筋を伝った。

「なぜ、彼だとわかったのです?」






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