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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第2章第8話 再来(3)

 いずれにしても、誰もこちらで起きていることには気がついていなさそうだった。自分で状況を打開するしかないようだ。

「なぜこんなところに魔物を召喚した」

「セレモニーだよ」

「セレモニー?」

 からかうような響き。本当に儀式に必要だと言うわけではないだろう。恐らく、だが。

「強大な力を呼び出すには、生け贄が必要だろう?」

 こいつ……。

「最後に勝つのはわしだ……」

 勝つ? 誰に? 

 バルザックは、そこでまたひとしきりむせ込んだ。気づかれないよう、剣を持つ手に力を込める。気が遠くなりそうな激痛が走った。それを堪えると、まるで腕が痙攣しているように震えた。

 空間移動の魔法を使うこいつは、対峙したとしてもなかなか倒せる機会は掴めそうにない。だけど今、俺が身動きが出来ないと思って油断しているように思える。呪文を唱える間がなければ戦えない魔術師は、敵との間に距離を置きたがる。にも関わらずこうして俺の間近まで来ているのは、油断をしているその証明のように思えた。隙をついて切りかかれば、もしかすると一太刀食らわせられるかもしれない。

「弱ってんだろう?」

 召喚魔法は生命力を使う。それを消費しない為に言霊魔法を身につけたと言うバルザックは、引き伸ばしてきた生命の期限が尽き始めているはずだ。先ほどからむせこんでいるのは、その象徴なんだろう。隙を作る為に、俺は言葉を押し出した。

「生命を削ってまで、あんなものを召喚する必要があったのか?」

 こちらを見たらしいバルザックに向かって、俺は後方のヒュドラを顎で示した。バルザックが、微かにそちらを傾けた瞬間、体を跳ね起こしてその足元目掛けてレーヴァテインを叩き込む。今持てる、渾身の力だった。

「貴様っ……」

 くそ、甘かった。辛うじてと言う避け方ではあったが、それでもこの状況で避けられたダメージはでかい。片膝を地面についたままで剣を薙いだ俺は、それで決定的に態勢を崩した。加えて腕の激痛に剣を取り落とす。立て直す前に『風の刃』が俺に襲い掛かった。まともに食らうしかなく、切り刻まれながらすぐ背後の建物に再び叩き付けられる。

「今からでも遅くはなかろう。お前には死んでもらおう」

 バルザックがしゃがれた声のまま低く言う。致命傷と言えそうな傷を幾つも体に刻まれた俺は、もはやただ呻くことしか出来ない。目を開くことさえ出来なかった。全ての音が遠く、ヒュドラと戦っている向こうの喧騒さえ靄の向こうの出来事のようだ。ただ、バルザックがすぐそこで呪文を紡ぐ声だけが聞こえる。

「ごほっ……」

 その途中で、再び咳き込む音が混じった。もう少し体がまともに動くのであれば、隙など幾らでもありそうなものを。ここにいるのが俺じゃなくて、シサーだったら。だけどそのシサーも、先ほど毒の直撃を食らって倒れたまま、今どうしているのかさえ俺にはわからない。

「置き土産だ」

 掠れた声でバルザックが告げるのと同時に、強い衝撃が俺の座り込む地面から噴き上がった。瞼の裏が赤く、上へ向かって噴出する水流の中に飲まれているような感触を全身に受ける。熱い。

 そう思って目を開けた俺は、自分が置かれている状況を認識して、薄く笑った。

 は……『炎の柱』だ。

 外から見ればきっと、地面から噴き上がった一抱えもある炎の奔流の柱に飲み込まれているんだろう。俺は一瞬にして豪火に焼かれて消え失せているはずだった。バルザックもそう思っているに違いなかった。

「残念だったな」

 口の中で小さく呟く。レーヴァテインの鍵によって守られている俺に、炎の魔法は通じない。

 改めて、火系攻撃を受け付けないことのメリットに気付かされる。

 魔術師が好んで使う攻撃魔法には風と炎が多い。だけど炎の攻撃魔法を受け付けない俺は、致命傷を受ける確率が二分の一に近い。

 先ほど落とした剣を拾い上げ、炎の柱の中、ゆらりと体を引き摺り起こす。ダメージは食らわなくとも、周囲で噴き上げる炎の感触に体が揺らぐ。その前の『風の刃』のダメージで、体を支えるのがやっとだ。背後の壁に体を凭せ掛け、荒い呼吸を繰り返した。

 建物が石造りだったのは幸いだ。これが木造だったら、炎に飲まれて燃え落ちているだろう。炎で負傷はしなくても、燃え落ちてきた木材には負傷する。そうならなくて良かった。

 バルザックはまだ、そこにいるだろうか。視界を遮られていて、俺からは見えない。そう思いながら、俺はレーヴァテインの魔力を発動させた。炎の塊を『炎の柱』に向かって――いや、その外に向かって打ち込んだ。外から見れば、噴き上げる炎の奔流の中から炎の塊が打ち出されているように見えているだろう。

(駄目だ……)

 体が持たない。

 噴出する火柱が止むのと同時に、体を支え切れずに地面に崩れ落ちる。体中に感じる鋭い痛みに、これ以上耐えられなかった。ぐっしょりと濡れて感じるのは、溢れ出す俺の血液だろう。

 バルザックがそこにいるのかさえ、もう、確かめる気になれなかった。


          ◆ ◇ ◆


 目を開けると、辺りは暗かった。薄暮に包まれた部屋の中、一つしかない窓から微かに暮れる空が見える。

 横たわったままぼんやりと周囲を見回した俺は、自分が小さな部屋のベッドに寝かされていることに気がついた。少し離れた隣にもベッドがあり、そこにも誰か人影が横たわっている。陰になっていて、それが誰なのかはわからない。その向こうに見えるベッドは、無人だった。

 見覚えがある。

 そう考えて混沌とした記憶をゆっくりと探る。俺は前にもここに……ああ。そうだ。以前ロナードに来た時に泊まったんじゃないだろうか。ガルシアの家だ、多分。

 どうしてこんなところに?

 体を起こそうとして、俺はすぐにベッドに沈み直した。全身がきりきりと痛み、体を支えようとした腕に力が入らなかった。

 仕方がないので、しばらくの間そこで横たわったまま、ぼんやりと思考を彷徨わせる。窓の外からは、いろいろな音が聞こえていた。トラファルガーに襲われた後のフリュージュに似ている。

 階段を上がってくる音が聞こえ、誰かが近づいてくるのがわかった。足音が部屋の前で止まり、静かにドアが開く。

「シサー……」

 喉が張り付いたみたいに、掠れた声しか出なかった。けれど、静かな部屋にはそれで十分だった。入ってきたシサーが、俺の声に目を瞬く。

「目が覚めたか」

「うん……」

「良かった」

 そう呟くシサーは、まるで泣きそうな表情に見えた。口元に笑みの形を作り上げて、俺のそばへ近づいてくる。

「今度こそ死んじまうんじゃねえかと思ったぜ」

「何で」

「お前を見つけた時には血塗れで、ぴくりとも動かなかったからな」

 隣で寝ている人影を気遣ってか、抑えた声でシサーが静かに笑った。その顔をぼんやりと見上げて、隣のベッドに視線を移す。

「あれは……?」

「ジークだよ。まだ、意識は戻らねえな」

「ジーク……」

 ジークは身動ぎもせず、ただ小さく浅い呼吸を繰り返している。彼に何があったのかは、俺には全くわからない。

「シサー、毒は?」

 俺がその前に見たシサーは毒を受けて地面に倒れたところだったことを思い出して尋ねる。

「ジークが持っていた毒消しと、リストの解毒魔法で何とかなった」

「リスト?」

「一緒にヒュドラと戦ってたパーティの魔術師だ」

 ああ。そう言えばそんな人がいたように思う。

「だけど、最終的にヒュドラにやられちまってな。他に魔術師はいねえし、ロナードには神殿もないから聖職者もいない。他の奴らはフォグリアの神殿に連れて行くことも出来るが、俺たちはそういうわけにもいかねえからな。医者が診てくれたが、魔法みたいにはいかねえ。ちと痛むだろうが、頑張ってくれ」

 申し訳なさそうに言われ、俺は黙って顔を横に振った。痛いのは痛いが、それは別にシサーのせいではない。

「じゃあ、ヒュドラは倒したんだ」

「ああ」

 頷いたシサーは、それから深く吐息をついて、手近な椅子を引き寄せた。ベッドの脇に寄せて、腰を下ろす。

「カズキだけでも目が覚めてくれて助かった。もうじきフォグリアから衛兵が来る」

「フォグリアから?」

「ああ。ヒュドラが暴れ回ってる時には動かなかったくせにな。カタがついたと見て、ハーディンが差し向けたんだろう。状況も把握しとかなきゃなんねえし、聖職者の派遣もしなきゃなんねえ。聖職者だけなら黙ってカズキたちも治療してくれるだろうが、衛兵が一緒じゃそうはいかねえからな。むしろ、とっととここを出なきゃなんねえだろう」

 どうしてフォグリアは自国の街が襲われているのを見過ごしたんだろう。

 ようやくそのことに今更ながら疑問を覚えていると、シサーが吐き出すように俺の疑問に答える。

「王都の防衛を優先したんだろうよ」

「え? どういうこと?」

「ただでさえ戦争に人手を取られている。フォグリアにほど近いロナードを襲っている魔物は、下手すりゃ気を変えてフォグリアを襲いに来るかもしれない。その時、ロナードへ兵を派遣した後だったら王都の戦力は低下していることになる。……だから、ロナードを見殺しにしたんだよ。魔物に差し出したんだ。この街を好きなだけ襲って、それで気を済ませて下さいってな」

 なるほど。そう言うことか。だから片がついた今頃になって、兵と聖職者を派遣して体面を保とうとしているのか。

「ロドリスの国王は、腑抜けだ。そういう君主を戴いた国民は、哀れだな」

 苦々しい表情でそこまで言うと、シサーは気を取り直すようにばさりと前髪をかきあげた。

「ま、そんなわけだ。下手なもめ事になる前に出ないと、助かるものも助からなくなる。特にお前はな」

 まだ俺の首にどの程度の価値があるかはわからないが、確かにさっさと姿をくらます方が賢そうだ。

「何も今すぐにってわけじゃない。もう少し休んでて平気だろう。出るまでに、何とか動けるようになってくれ」

 お応えしたいのはやまやまなんだが。

 そう思いながら「善処します」とため息をつくと、シサーは苦笑いを浮かべた。

「ここは、ガルシアの家?」

「ああ。元、だけどな。まだ誰かが住んでいるようじゃなかったから、ちと拝借させてもらった」

 それからシサーは、しばらく窓の外に視線を向けて黙り込んだ。何を思っているのかは、俺にはわからない。俺も少しの間、沈黙を保った。

 静かに口を開く。

「バルザックだったよ」

 シサーの視線がこちらを向くのを感じながら、俺は天井を見つめたまま言葉を続けた。

「俺を襲ったのは、バルザックだ」

「戻って来てやがったか」

 苦く呟くシサーに頷き、俺は事の次第を話した。ヒュドラに弾き飛ばされたこと、そこへバルザックが現れたこと、奴の言葉、そして『炎の柱』。

「シサーはあいつの姿を見なかったの」

「ああ。見てねえな。俺がお前を見つけた時は、いなかった。お前一人だ」

 じゃあ、レーヴァテインが発動した魔法は、全く無駄だったのかな。こればっかりはバルザック本人に聞かなきゃわかんないが。

「どこに行きやがった」

 シサーが聞くでもなく小さく呟いた。応えて小さく顔を横に振る。

「わからない」

「何とかして追えりゃあいいが、手掛かりになるもんはありゃしねえしな……。くそ。今とっ捕まえられりゃ……」

「捕まえることに、意味があるのかな」

「……どういうことだ?」

 見返すシサーに、俺は殊更無表情に低く答えた。

「今更追うことにどの程度の意味があるのか、わからないんだ。……あいつを消さなきゃ、『王家の塔』の解放が出来ない。だけど、あいつは黒竜さえ呼び出せれば、『王家の塔』に、もう用はない。黒竜を呼び出せなくともジンを縛り付けているには限度がある。……いずれにしても、解放されるのは、間もなくのように俺には思える」

「カズキ」

 シサーがため息混じりに渋面を作った。

「投げ出してるようにしか、聞こえねえよ」

「そういうわけじゃないけど」

「実際のとこ、追う手段や方策があるわけじゃねえからな。お前がどう考えたところで俺たちの行動を変えられるわけじゃねえさ。でもな、わかってるか? お前が今言った二つの結果には、大きな違いがあるんだよ」

 シサーの視線は、真っ直ぐ俺を射るかのようだった。その鋭い視線に微かな居心地の悪さを感じて、俺は顔を逸らす。

「わかんねえのか?」

「わからない」

「わからねえお前じゃねえと思うがな? あいつの力が持たなくて解放される分には、平和なもんさ。誰も争わない。誰も傷つかない。あとは戦争だけ終結すりゃあそれで済む。だがな」

 不意に、ぐいっと腕を掴まれた。強い力に俺は顔を顰めた。もし俺が怪我人でさえなければ、胸倉を掴まれていたかもしれないと思うような苛立ちをはらんだ声が続く。

「黒竜が蘇ったら、人が死ぬんだよ」

「……人なんて、今だって死んでる」

「それ以上だ」

 低い声でシサーが短く宣言した。

「フリュージュを見たろう。たった一時間であのザマだ。ロドリスのリデルは覚えてるか? 集会場を染め上げてたのは人間の血だ。お前の体に流れてるそれと同じもんで、あの部屋は染め上げられてたんだよ。ああいうことがまた起こる。黒竜の召喚を黙認するってことは、ああいう事態をまた引き起こすってことを認めてるようなもんだ」

「わかってるよ。でも、だからと言って何が出来るとも思えない」

「出来るか出来ねえかは、やってみなきゃわかんねえだろうっ!」

 ばんっとでかい音が聞こえた。苛立ちのやり場がないかのように、シサーが壁に平手を打ち込んだようだ。

「やってみもしなきゃ、永遠に出来るはずがねえだろうが! やれることがわからねえんなら、やれることを考えるところから始めろ」

「……」

「――いい加減で、前を向け」

 大声で喚くでもなく、腹の底にずっしりと響くような声で、シサーが腕を掴む手に力を込めた。

「お前は、自分が受ける傷を恐れて現実から目を背けてる。考えないようにすれば、それは自分を避けてくれるか? そんなはずがねえだろう」

「……」

「生きてる人間を大切にしろ。これ以上の惨事を食い止められるんなら、食い止めることを考えろ」

「しようがない。バルザックの行方なんて、わからない」

「言ってんだろ? 『キモチのモンダイ』だってよ」

 そう言ってシサーは、低く笑った。怒りの滲む笑いだった。

「やる気のねえ奴は、チャンスがあったって動かねえんだよ。止める気のねえ奴は、またあいつに遭遇したって止められねえよ」

 投げ捨てるように俺を解放したシサーは、そのまま立ち上がった。唾棄するように、俺を睥睨する。

「頭を冷やせ。今のお前にはどんなチャンスもモノに出来ねえ。迷惑だ」

 シサーが部屋を出て行くと、暗い部屋に静寂が戻った。

 まるで水の中を漂うような心許なさを覚え、ぎゅっと目を閉じる。

 わからない。わからない。わかりたくない。

 自分の胸中に寄る辺を見つけることさえ、今の俺には出来なかった。















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