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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第2章第8話 再来(2)

          ◆ ◇ ◆


 セルジュークを出てシガーラントに向かった俺たちは、そこからバートを目指して国境を越える。

 先までパララーザと一緒だったけれど、キャラバンと言うのがいかに優遇されているのかが良くわかった。

 とてもじゃないが、戦時中の現在、ただの冒険者ごときでは国境を越えるのは一筋縄ではいかない。

 警備の目を掠め、道なき道を踏破し、当初の目的地であるバートの東岸へ辿り着いた頃には、既に花の月に差し掛かっていた。

 そうして苦労して辿り着いたバートだったが、ヴァルスへ船を渡すことは誰もが渋り、一向に海へ出られる気配もない。

 このままでは埒があかないとの結論に達した俺たちは、急遽方針を転換し、陸路をロドリス王国へ向かう。

 ロドリスからファリマ・ドビトークを越えて、エルファーラからヴァルスへ。俺たちに残されている帰国手段は、最早それしか浮かばなかった。

 実に七ヶ月ぶりに踏む、ロドリスの地だった。




「ああ、ようやく過ごしやすい季節になってきたなあ」

 ロドリスとバートの国境地帯には、アンフェンデスと言う大きな都市がある。

 国内で俺の顔が余り目立ちたくないのは今でも同じで、俺たちはアンフェンデスからやや西に位置する小さな村トリルに宿を求めた。

 ひっそりと静かな村には宿らしい宿はなく、旅人のある時だけ宿をかねていると言う農家にお邪魔して一夜を過ごす。

 ロドリス国内については、一刻も早く通り過ぎてしまいたいと言うのが本音だ。

 のんびりする理由もなくさっさと旅立った俺たちは、既に遠くにファリマ・ドビトークの山陰を見つけていた。馬を傍らに引きながら、ジークが欠伸交じりにのんびりと呟く。

「ヴァルスを発ってから、どのくらいが経ちました?」

「カサドールを出発したのが炎の月だから、ええと……六ヶ月ってところか?」

 そうか。カサドールを出てから半年になるのか。

 キグナスとギャヴァンで話していた時のことを思い出す。あの時俺は、こちらの世界で残されている時間は、あと最低半年だと考えた。幸か不幸か、もうしばらく長引きそうだ。

「調子良くいきゃあ、あと半月も過ぎればレオノーラだ」

「しばらくは実家でごろごろしていたいですねえ」

「何すっとぼけたこと言ってんだよ。戦況を聞く限り、おちおちしてらんねえと思うぜ」

 バートの国内では、残念ながら得られた情報はさしてなかった。

 俺はもちろん、シサーにもジークにも頼れるような知人がいなかったせいもあるし、『ここは敵地』と言う意識が警戒心を高めていたせいもあるだろう。ナタリアの時のように、パララーザのような隠れ蓑があるわけでもない。目立つような行動は憚られた。

 得られたのは、シガーラントでだ。セルジュークでモシェルに会った翌日、シェルロは今度シガーラントにまで付き添ってくれて、そこにあると言う傭兵隊から情報を入手してくれた。

 それに寄れば、ヴァルス軍と連合軍はヴァルスの東西にある要塞を巡って戦闘をしてるとかしてないとか。次いで、やはりヴァルスの北東にある盆地にて戦闘があったらしいとは聞いている。いずれにしても聞こえた噂は、ヴァルスの形勢不利ばかりだった。

 だからと言って、戦争だ軍隊だと言う状況に俺が役に立てるとも思えない。

 そんなことを考えていた時だった。遠くの空に、何か不吉なものが疾るのを見たのは。

「何だ……?」

 それを感じたのは、何も俺だけではないらしい。思わず足を止めて三人とも西の空に視線を走らせる。春の始まりを告げる昼下がりの太陽が柔らかい光を注ぎ、冬の終わりを感じた植物たちが目を覚まし始めた穏やかな風景だ。遠くに見えるのは、以前お世話になったロナードの街だろう。

 その街の空に、黒い稲妻が疾った。

 迎え撃つように、地面から闇を伴ったような禍々しい気配が噴き上がる。

 離れていても感じるその瘴気が肌を粟立たせる感覚は、かつて俺にも覚えがあった。

 これは――。

「召喚かっ?」

 硬い声でシサーが小さく叫ぶ。その横顔には険しさが滲み出ていた。並ぶジークも強張った面持ちをしている。

 ――かつて召喚に遭遇したのは二度。

 一度目はロドリスのリシア地方にある魔術師の館で、そして寄り一層近しいのは、ファリマ・ドビトーク……ヘイリーに出会った、あの時だ。

「まさか」

 シサーが飲み込んだ言葉の続きは予想がつく。俺も同じ人物が脳裏に浮かんでいるからだ。

 黒竜の島ヘルザードに姿を消していたはずの黒衣の魔術師が、戻ってきたのだろうか。

 シサーが、俺の意志を確かめるかのように振り返る。

「行ってみよう」

「うん」




 駆けつけたロナードの街は、昼間にも拘らず暗雲が立ち込めて見えた。いや、実際に黒雲が覆っているわけでも、増して空気に色がついているわけでもないから、これは肌に感じる瘴気がそう思わせるのだろうが。

 道行く街人たちも、不安げな面持ちで立ち止まっている。シサーが手近な男に近付いて声をかけた。

 ロドリス語で口早に何事かを尋ねるシサーに、男が顔を横に振りながら何か答える。そして二人して、一際強く瘴気が上がっているように感じられる方角へ視線を向けた。

 その刹那だった。視線を向けた方角の空から、黒い稲光が地上へ向けて疾る。

「カズキ、ジーク、行くぞっ」

 シサーの声に頷いて、俺とジークは走り出した。剣を抜き出し、それを片手に持って走る。人々は呆然としたように、一様に稲光の方角を見ていた。

「何だってっ?」

「さあな。知らんとさ」

 駆けながら、ジークが先ほどの男との会話を尋ねる。シサーも剣を片手に握り、ジークに短く答えた。

 地響きがした。

「何っ……」

 突然、前方の建物の隙間から、まるで土砂流が地面から噴き上げるような光景が視界に飛び込んでくる。思わず足を止めるその間に噴き上げた瘴気は煙のように霞んでいき、そして誰かの絶叫が聞こえた。

「ま、魔物だああああっ!」

 立ち尽くしていた人たちが、その声に弾かれるようにその場を逃げ出した。

 街の一角に突如姿を現したのは、全長十メートルはあるだろう巨大な蛇だ。それもただの大蛇じゃない。うねうねと自在に動く首は九本……説明されなくてもわかる。ヒュドラと呼ばれる魔物だ。

「馬鹿なっ……」

 舌打ちと共に小さく呟いたシサーが、再び駆け出す。こんな奴が突然街中に湧き出るはずがないと言う意味だろう。

「ジークっ! 毒から身を守るようなもん、何かねえのかっ?」

「毒ですね。毒、毒……対毒……」

 ロナードに向かうにあたり、馬は草原に紐で繋いで置いてきている。魔物がいるのならば、逃げられてしまうことが確実だからだ。

 そしてジークは、最低限の荷物だけを纏めて背負い、無駄な荷物は馬に置いて来ている。

 駆けながら荷袋を漁っていたジークが、布を数本取り出した。

「このくらいですねえ」

「何だこりゃ」

「解毒作用のある薬草を織り交ぜて作ったマスクです。ないよりましって程度だと思って下さい」

 まるで大掃除でもするかのように、手渡されたそれを顔に巻き付け、後頭部で布の端を縛る。ヒュドラの首が一本、しゅるるるっと風を切るような音を立てて舌を覗かせた。

「毒息を吐いてくる。気をつけろ」

 シサーの声に応えて頷きかけた俺は、そちらに顔を向けてそのまま凍りついた。

 近付いたヒュドラは、既に建物に遮られることなくその全貌が見える。その足元……と言って良いかわからないが、足があれば足元にあたるだろう辺りに人影が見えた。黒一色のローブを頭から身にまとう小柄な姿――見間違うはずもない。バルザックだ。

「あんたら、冒険者かっ?」

 バルザックがそこにいたのは一瞬だった。ヒュドラに目を取られている今、シサーやジークが気がついたかどうかわからない。口にしようとして、背後から怒鳴るようにかけられた声と複数の足音に遮られる。

「似たようなものだ」

 短く答えるシサーに頷いたのは、フル装備に身を包んだ男たちだった。こちらこそ本物の冒険者だろうか。一人だけロッドを手にしている男性がいる。僥倖だ。魔術師だろう。

「俺たちもだ。たまたまこの街に居合わせたんだが……」

 渋い顔で、鎌首を擡げているヒュドラに目を向ける。

「戦争に人がとられていて、戦えそうな人間が多くない」

「ここにいる人間で何とかするしかないな」

 道の向こう側では、やはり装備を固めた男たちが何人か集まっている。シサーがそちらをちらっと見遣って「街に残ってる傭兵だろう」と言った。

「放っておくわけにゃいかんからな。やるしかねえだろう」

「そっちは魔術師か」

「ああ。リストだ。俺はジルダ」

 リーダー格らしき男が名乗った。こちらもシサーだけが口早に名乗る。ヒュドラが首の一つを大きく振り被るのが見えた。

「頼んだぜっ」

「何だって街中にいきなりヒュドラなんかっ……」

 口々に怒鳴りながら、男たちが駆け出した。対するこちらも展開するように逆方向へ駆け出す。ひとところに固まって敵を集中させる筋合いじゃない。分かれて気を散らし、首を一つずつ取っていくのが得策だろう。

 豪快な破砕音と共に、建物が崩壊する。先ほど首を擡げていたヒュドラが体当たりをしたらしい。片腕で顔を庇いながら、俺はバルザックのことを考えていた。

 どこに行ったんだろう。こいつを召喚したのはあいつに間違いない。

 確かとは言えないが、ざっと見る限り魔法陣らしきものは見あたらなかった。と言うことはあのヒュドラは、バルザックが支配下に置いている魔物……なんだろうか。

 いや、そんなことはとりあえず後回しだ。ヒュドラとバルザックの両方を相手取らなくて済んだのだから、らっきーだと思おう。消えた奴を気にしても仕方がない。

 何にしても、まずは接近を試みなければ話にならなかった。擡げた首はおよそ十メートルほど、太さは五十センチかそこらだろう。剣さえ叩き込めれば、それなりの致命傷を与えられる可能性は高い。

 首の一つが、こちらに向かって踊りかかってくる。避けようと方向転換しかけた俺に、別の方向から違う首が襲いかかるところだった。そこへシサーの剣が割り込んでくる。

「カズキっ。無理はするなよっ」

「わかってる」

 深い傷を負った首が、悶えながらシサーの方目掛けてくわっと口を開いた。微かに緑がかった息を噴霧する。毒だ。後背からは、先ほどかわそうとした首が赤い舌を覗かせながら突っ込んでくる。避けようと咄嗟に体を反らすが、避け切れなかった。首が俺を薙ぎ倒すようにして掠め飛んでいく。そこへ、俺の後方から先端に鎌のついたチェーンが襲い掛かった。ジークの援護だ。

 ヒュドラの本体を挟んだ向こうで、カッっと白い光が閃いた。先ほどの魔術師が使った魔法だろう。氷の礫が、ヒュドラの本体目掛けて幾つも降り注ぐのが見えた。何本かの首を相手取って剣を振るっている戦士たちの姿も見える。

 しかしそんなことはお構いなしに、こちらの二本は俺たちを当面の敵と定めたらしい。血を垂れ流しながら体勢を整えた二本の首は、それぞれが威嚇するように口を開けてこちらを見下ろしている。

 一本が、口を開けたままで滑空してきた。飛んでいるわけではないけれど、まさしく滑空と言う形容がぴったりの動きで顔が肉迫してくる。射程距離に入った瞬間、脇合いからシサーが地を蹴った。剣をその首に叩き込む。正確な打ち込みで、粘液質な鮮血を放出しながら頭部が飛んだ。シサーが地に下りる。

 そして次の瞬間、その体がぐらりと揺れた。

「シサーっ!」

 俺の背後からジークが怒鳴る声が聞こえる。頭部を失った首がホースのように悶え暴れ、血液が塊となって降り注ぐ地面に蹲ったままシサーは動かない。見れば顔色を失い、蒼白だった。先ほどの毒だ、と思い至った時には、俺の体は突然宙に巻き上げられていた。

「うわ……っ」

 もう一本の首だ。まるで髪の毛のようにうねりながら、俺の体を絡め取っている。されるがままに、俺は中空へと持ち上げられた。巻き付いている首が、ぎりぎりと締め付ける力を増していく。

「カズキっ!」

 ジークが俺の名前も呼んだようだが、正直良くわからない。体中がみしみしと嫌な音を立てているように感じられた。無我夢中で剣だけは離すまいと握り締める。

「くぁっ……」

 握り潰されようとしている痛みに顔を歪ませながら、俺は不自由な腕で剣を首に突き立てようとした。けれど手応えとしてはすかっすかっとしたもので、首にとっては痒いからやめてくれ程度のものだろう。ぬらぬらした顔が間近に迫り、裂けたような真っ赤な口が声を上げる。綺麗に並んだ真っ白い牙は鋭く、俺の指より太かった。これに噛まれたら穴だらけだ。

 ……使うしかない。

 唇を噛み締めて痛みを堪えながら、思う。応えて、レーヴァテインが発熱するのがわかった。

「――――シャァァァァァッ!」

 俺の手に握られた剣から炎の塊が吐き出されるのと同時に、空気を裂くような音が間近で上がる。ヒュドラの咆哮らしい。巻き付ける力が緩んだ隙を逃さずに、俺は腕を抜き取った。間髪入れずに目の前の首に剣を突き立てる。途端、支えを失った俺の体が、重力に従って落下した。そこへ、先ほど頭部を失って悶えていた首が俺を弾き飛ばした。

 真っ逆様に地面に落下しようとしていた俺の体は、一転して横に弾き飛ばされる。そのまま建物の一つに叩き付けられた。その衝撃と、締め上げられた余韻を引きずったまま地面に落ちる。今、何がどうなっているのかなんて、認識しようもなかった。痛みに、その場をのた打ち回る。

「くそ……」

 小さく口の中で呟き、俺はようやくうっすらと目を開けた。ぐったりした体に鞭を打ち、無理矢理起き上がる。痛みに顔を歪ませたまま剣を握っていることを確かめると、腕に激痛が走った。尋常じゃない痛みだった。一瞬息が止まる。

 身動きを出来ずにいる俺の前に、誰かが立った。

「久しいな。『レガード』卿」

 その声に、再び薄く目を開ける。黒い人影は、深く被ったフードの下から掠れた笑い声を上げた。

「……バルザック」

 俺がレガードではないと知りながら、嫌味な奴だ。

「ほう。覚えていてくれたとは光栄だな。元気そうで何よりだ」

 ヒュドラに締め上げられた挙句、地面に叩き付けられて痛みの余り声さえ出ない俺にご挨拶だ。

 やっとのことで体を起こし、自分が叩き付けられた建物の壁に背中を凭せ掛けた。真っ直ぐにバルザックへ視線を向ける。

「何で、戻って来たんだ……?」

 荒く呼吸をつきながら、絞り出すように問う。バルザックは笑ったようだった。答えて口を開きかける。

 だが、その口からは何も語られなかった。代わりに、ごふっと言う妙な音が吐き出された。苦しそうに口元を歪め、口を押さえた手のひらにじっと視線を落とす。喉の奥から、ごろごろ言う不快な音が聞こえる。

「何を言っている……」

 ようやく出た声は、痰混じりのしゃがれ声だ。まるで呻いているようだった。

「ヘルザードにいたんじゃないのか」

「何のことか」

 言葉を押し出しながら、俺はちらりとバルザックの向こうに視線を走らせた。いくつものた打つヒュドラの首は減っているんだろうか。ここから見た限りでは良くわからない。







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