第3部第2章第7話 存在の理由(2)
ジャスティの傭兵シャルロは、俺たちを快く受け入れてくれた。年齢はシサーやジークと同年代ってところだろうか。今まで会ったシサーの傭兵仲間は総じておじさんばかりだったので、少しばかり意外に思う。
「久しぶりだね。相変わらず今もニーナと一緒に暮らしているのかい」
背が低く、どことなくちんちくりんな感じの男性だ。ドワーフを想起させられながら、招き入れられた家で椅子に腰を落ち着ける。
「狭いところだけど、泊まっていくかい?」
シャルロの言葉は決して謙遜ではなく、本当に家は狭かった。突然三人も押しかけては、寝場所などないのではないだろうか。
そう思ったのはシサーも同じらしく、苦笑を浮かべて否定する。
「いや、まさか突然連絡もなしに押しかけて、そこまでしてもらうわけにはいかねえよ。宿を探す。気にしなくて良い」
「そうかい」
「ああ。それより、お前さんを尋ねてきたのは、ちょっとリトリアの状況について教えちゃもらえねえかと思ったからなんだ」
「リトリアの状況?」
お茶を手ずから運んでくれたシャルロが、俺たちにカップを差し出しながら首を傾げる。
「帝国継承戦争だよ。俺がヴァルスに居座ってるのは知ってるだろう」
「ギャヴァンと言ったっけ? 港街だったな。訪ねて行くと言ったきり、まだ訪問出来ていないが」
「それはいつでも良い。ただし、運良く俺がいればの話だがな。……そう。ギャヴァンだ。今は諸用があってこうして出ているが、一応はこれでもヴァルスに籍を置いている。今ヴァルスがどんな状況に陥っているのか知っておきたいってのはあるんでな。敵対してたはずのリトリアがどうしているのか知っておきたいってところさ」
シャルロが椅子のひとつに腰を下ろす。それを見て取って、シサーはカップに手を伸ばした。
「お前が家にいるってことは、傭兵の召集はかかっていないのか」
「いや、俺は傭兵稼業をやめようかと思ってるところなんだ」
「ほう? そりゃまた何で」
少しアテが外れたようだ。傭兵をやめるつもりなのなら、戦争の情報も新鮮なものは入っていないかもしれない。
そう考える俺の前で、シャルロはゆっくりと顔を横に振った。
「嫌気が差した、それだけだよ。深い意味などない。この町が気に入ってもいるから、何か商売でも始めてゆっくり暮らそうかと思っているだけさ」
「隠居には早えなあ」
「違いない」
苦笑するように顔に皺を浮かべてみせたシャルロは、それから背もたれに深く体を預けた。
「だから、小耳に挟んだ程度のことしか知らないけれどね。リトリアはどうも継承戦争から手を引くことになりそうだ」
「……何?」
シサーが身を乗り出す。シャルロは重々しく頷くと、深い吐息をついた。
「先日、ヴァルスとロドリスに書簡を携えた使者を送ったらしいと聞いたよ」
「何でまた。あれか? クラスフェルド国王が、連合軍に与したものの単独行動を図っているとか何とかってのが関係あるのか」
「いや、違う。……世代交代だ」
「世代交代っ?」
シサーが目を見張る。その横でジークも小さく息を呑んだ。
「何があった」
「何があったのか、確かなことは俺たちのような一般市民にはわからないさ。ただ確かなことは、クラスフェルド陛下が亡くなったこと、後を継いだのは女王であること。この二つだけだ」
「女王? クラスフェルドには娘がいたのか」
「それも、初めて知ったことだ。だが、娘なのだと聞いている。女王が戦争を忌避したがっているんだろう。だからリトリアは新政権の成立と共に撤退を決めた」
願ったりだ。
だけどクラスフェルド王は、なぜ死んだんだろう。俺はリトリアについての知識は余りないが、壮年の国王だったんじゃなかったろうか。突然死ぬような年齢でもなかったような気がする。そして、まだ独身だったように思った。
二人の会話を聞きながら、俺はかつてキグナスやレイアに教えてもらった特徴を思い返していた。リトリアは確か文化国。文系の国だ。芸術とか文学を愛する伝統に重きを置く国だと。にも拘らず、クラスフェルドは少し異質で、根っからの戦争好きだった。だからこそヴァルスは、リトリアとロドリスを共に敵に回すことを恐れていたんじゃなかっただろうか。
そこから導き出されるイメージから考えると、クラスフェルドが突然死んだと言うのは今ひとつ結びつかなかった。シサーなんかは、俺より一層結びつかなかったようだ。納得がいかないように眉根をぎゅっと寄せている。
「何か変な感じだな」
「変な感じは、陛下が存命だった頃にもあったんだよ」
「え?」
深く椅子に掛けたまま、シャルロは顎鬚を撫でた。日に焼けた丸顔に、ちょぼちょぼと生えた顎鬚は今ひとつ様になっていないようだ。
「戦争が始まり、傭兵隊に召集がかかった。しかしそれは、どうも各諸侯が、各々単独で傭兵を集めているってふうだったんだ」
「それは別に不審じゃねえだろう。各諸侯が自分らで傭兵を徴収し、取り纏め、それを率いて陛下の下へ集い国軍の下に組み込まれる。どこでもやってること……」
「そう。その通りならね。だけども、召集された傭兵を纏めた諸侯は、国王の下へ馳せ参じる様子がない、と言うのがあちこちで見られたらしいよ。しばらく前の話だけれども」
「馳せ参じる様子がない?」
シサーが眉を顰める。シャルロのその言葉通りなのなら、諸侯は兵力を蓄えはするものの、それを国に投じる様子がなかったと言うことになる。
「もちろん全ての諸侯がそうだってわけじゃない。国王の為、引いてはリトリアの為に率いていった諸侯もいくらでもいる。けれども、馳せ参じなかった諸侯は手元に集めた兵をどうしたんだろう、どうするつもりなんだろう。――そういう、不審な匂いが」
「……反乱の準備がなされていたってことか」
「そういう噂がなかったとは言わない。だが、俺も風の便りで聞いた噂でしかない。さっきも言ったけれど、それもしばらく前の話になるし、市民に下りてくる国の状況というのはリアルな話ではないんだ。タイムラグがある。大きな話があったとしても、それは少し遅れて耳に届く。だから何かあったとしても、俺たちの耳に届くのはもう少し先になるのかもしれない。今も傭兵隊に所属していれば別かもしれないが、それも二月ほど前に脱退してしまったし、血生臭い話は流れて来なくなった」
そこまで言ってカップに口をつけると、シャルロは少し思案するように窓の外を見遣った。彼の言うようにリトリアにおいて辺境地であるこの町の夜は、静かだった。
「明日は二十日か……ちょうど良いな」
口の中で小さく呟いたシャルロは、改めて顔を上げるとシサーに提案をした。
「セルジュークに行ってみたらどうかな」
「ああ。それほど回り道にはならねえから、寄ってみるつもりだったが。それが?」
「俺の知り合いに少し話を聞いてみよう。明日の朝に発てば、夜には到着出来る。急げば夕刻前に辿り着くことも出来るだろう。有益な話を聞けるかもしれない」
リトリアがヴァルスに使者を送っているのであれば、俺たちが知ろうとしている話は既にラウバルやユリアの元には届いている可能性がある。手土産にはならないかもしれないが、俺たち自身が状況を把握すると言う意味では無意味じゃない。
「二十日の夜には、ミサがあるんだ」
「ミサ?」
「そう。我々セムの集いがある」
知っているのが当たり前と言うように答えてくれるが、生憎と俺には何のことだかわからない。眉根を寄せていると、シサーが補足するように口を開いた。
「セムと言う民族がいるんだよ。ヴァルス人だとかリトリア人だとか言うだろう? 正確に言えばヴァルスもロドリスも、そしてリトリアも、主に分布しているのは、同じヴェルキア民族と言うがな。アルトガーデンのほとんどの国は、ヴェルキア民族の国家なんだ。キルギスはキルギス民族の国家だし、ナタリアの北部やツェンカーなんかは、イリアス民族で構成されてる。そういうのと同様に、セムと言う民族がいる。ただ違うのは、セム人種は国を持たないということだ」
「ああ、彼はセムが何かわからないのか」
民族の定義ってのが良くわからないが、ゲルマン人だとかアングロ・サクソン人とかって言う、あれだろうか。俺的にニュアンスが近いのは。
シサーが俺に説明するのを聞いて、シャルロが顎鬚を撫でる。それに首肯してみせると、シャルロはシサーの後を引き取って口を開いた。
「セム人は、独自の神を持つ。この大陸で唯一、ファーラを頭上に頂かない人種だ」
そんな人たちもいるのか。ローレシアのみならず、ラグフォレストもファーラ教が浸透しているふうだったから、俺はほとんどこの世界に唯一絶対の神のような認識を抱いていた。
けれど、良く考えればトートコーストも確かファーラを頂かない……多神教か何かだっただろうか。と言うことは、冷静に考えれば唯一無二の絶対神と言うわけではなかったんだ。
「それを理由に、かつて侵略戦争が起きた。まだアルトガーデンさえもない遠い昔の話だよ。けれども、それによって国を失い、居場所をなくした我々は、生存する為にファーラを祀る国に拠らなければならなくなった。そうして散り散りになったセム人たちは、今は各国にいる。それらを、セム系リトリア人だとか、セム系ヴァルス人だとかと言うね」
ふうん。ユダヤ人みたいだな。
キリスト教からの迫害を受け、国を追われ、他人の国に居場所を見つけられずに苦しみぬいた民族。
「セム人が他人の国にいられる理由は、他の民族に比べて数学的能力が極めて秀でているからだ。リトリア人には出来ない金勘定が我々には出来る。それが理由で金融関係の仕事をする者も多い。金の管理は、どこでも必要なものだ。どこの貴族も財政管理人を持っている。その財政管理人にセム人は多い」
ああ、なるほど。
と言うことはつまり、有力貴族の保護下に置かれているセム人が多いと言うことだ。
「我々は国がないゆえに、民族としての同胞意識が種族を支える唯一の頼みでもある。そのせいか、ひどく同胞の繋がりが濃いんだ。とても大切にする。そこには身分や今住んでいる国も関係がない」
そしてそれはそのまま、彼らが有力者に強い人脈を持っていることも意味するわけだ。
財政管理人には直接何の権力もないかもしれない。けれどもその財政管理人たちは、有力貴族に繋がっている。複雑に入り組んだ強い人脈を各国に持っているとも言い換えられる。
「二十日の夜には、セムの集いがある。セムの誰かの店で、ミサを行うんだ。その後に親交を深める為に食事をする。そういうことは頻繁に行われてはいるけれど、二十日の夜には必ずみんなが参加する。セムは同胞にとても親切だ。その友人である君らも、その恩恵を受けることが出来るだろう」
理屈を超えた結託と信頼がそこにあると言うことは話を聞いていてわかったが、疑問がわいたので俺は口を開いた。
「シャルロは、二十日にはいつもセルジュークまで行くんですか」
「いや、違うよ。普通は自分の住居の最も近いところで行われるミサに行く。俺も普段はそうだ。けれども、セルジュークのミサの方が多くの情報を知ることが出来る。力のある貴族は、王都に住んでいるものだから」
つまり俺たちの為にわざわざセルジュークまで足を運んでくれると言うことらしい。
話を聞きながら、何となく排他的な印象を覚えなくもなかった。セムと言うだけで無条件に受け入れ信頼すると言うのならば、逆にセムではないことが拒絶の理由にもなったりすることもあるんだろう。内に優しいと言うことは、外に冷たいと言うことと表裏一体のような気もする。
でも……そうか。もしも海外に移住して、近くに日本人の集う場所があれば、俺は足を運ぶのかもしれないな。いや、今この国に日本人のやる店でもあるのなら、俺はやっぱり足を向けたりするんだろう。どれほど馴染んで来たとは言っても、この世界の住人に日本人の匂いを求めるのは無理なんだから。
これは、故郷を懐かしんでいると言うことなんだろうか。
セム人と言うのはきっと、そういうことなんだろう。
「ミサと言うことは、司祭のような方がいるんですか?」
シサーとジークは、俺と違ってセム人とやらについての知識はある。とは言え、やっぱり絶対数の少ない人種のこと、別次元の出来事でリアルにはわかっていないらしい。ジークが質問を挟む。
シャルロがジークの方に顔を向けて、緩やかに横に振った。
「我々は、順位を決めない。神がいて、その次に司祭が来て、と言うようなことはない。神の次は、我々全てが同等だ。だから取り仕切る人間はいない。皆で同じように神に祈りを捧げて、歌を歌い、互いの存在と出会いを喜び合い、そして親しむ」
それを聞いて、なるほど少数派になるわけだ、と言う気がした。
数が増えれば、どうしたって人は順位を決めたがるだろう。皆平等だと言う教えの元であってもきっと。
多くを学んだ者が偉くなっていき、人に教えを説いて上に立つ。どんな団体にもそれは必ず存在する。それが組織の在り方だから。そうでなければきっと存続は出来ないだろう。いずれ……すぐではなくても、セム人の教えと言うのはこの先淘汰されていってしまうに違いなかった。
「では、明日の朝、一緒に出発をしよう。君たちはミサに参加は出来ないけれど、どこかで待っていてくれたら俺が仲間を連れて合流する。それでどうだい?」
「そうしよう。手間をかけるが、宜しく頼む」
締め括るように言ったシャルロにシサーが礼を述べると、シャルロは優しげな笑みを浮かべて頷いた。
「セムではなくても、シサーは大事な友人の一人だからね」
継承戦争は、そもそもモナのギャヴァン襲撃で開始された。
シャルロと別れて帰った宿のベッドで、寝返りを打ちながら思い返す。
ギャヴァンにおける防衛戦、そしてロンバルト海上での海戦。その二つが、最初の戦いだ。
そうしてモナの公王が行方不明になると同時にモナはヴァルス占領下に下り、一方でロドリスにおいてシェインとロドリスの宮廷魔術師セラフィとの戦いが起こった。ロドリスを宣戦布告に追いやったのは、きっとそれが原因だろう。そして対するヴァルスとしても王女を拐かされたと言う……更に言えば後継者レガードを行方不明に追いやった要因を作ったと言う憤りをもって対抗の構えを見せた。
しかしながら、そんなヴァルスに賛同したのは、元々ヴァルスを後ろ盾としていたロンバルトのみ。ロドリスは着々と同盟を結び、まずはナタリアそしてバートを味方につけた。更にリトリアの参戦。そしてロンバルトの敗戦により、ヴァルスはただ一つの味方を失い、ロドリスは友軍を増やした。
苦肉の策としてヴァルスが乗り出した対応策が二つ――モナの徴兵と、ツェンカーとの同盟。
これは、共に成功の兆しがあると言っても良いんだろう。
少なくともツェンカーは協力を諾としてくれたし、モナにはカサドール公カールが軍隊を連れて滞在している。彼は無能には思えなかった。
俺が確かなこととして知るのは、ここまでだ。
ここからは現状、憶測に過ぎない。
まずはナタリアの離脱。トラファルガーの影響だろうか。それともヴァルスとツェンカーの同盟? 残念ながらこれは、確かめることが出来なかった。
いずれにしても、ナタリアの離脱が真実なら敵国はマイナス一。けれども、プラス一になったはずの友軍も同じくマイナス一。ツェンカーとナタリアは相殺になると見た方が良い。
次いでリトリア。不審な点はあるにせよ、クラスフェルドが倒れ、新女王が即位したのは確からしい。そしてその女王は、戦争からの離脱を望んでいる。
つまり、リトリアは敵国としては消えたと見なして良いだろう。
残るはロドリス、バート、ロンバルト。
モナがもう少し国力を回復出来れば、あるいは、そう……キルギスが今からでもヴァルス陣営に加わってくれれば。
「キルギスは……」
口の中で小さく呟く。
キルギスは確か、使者の戻りがないと言っていたと思う。つまり、イエスとは言っていないかもしれないが、ノーとも言っていないということだ。
このままそ知らぬふりを決め込むのかもしれないが、あちらに転がる可能性もないではない。逆にこちらに転がる可能性も。
何を待ってるんだ? キルギスは。いや、そういうことじゃないんだろうか。
俺の小さな呟きに答える声はない。シサーもジークも、同じ部屋の狭いベッドで眠りに落ちている。
キルギスは確か騎馬民族だ。名馬の産地であるヴァルスのウィレムスタト地方を凌ぐと言う。つまりはヴァルス騎兵を越える存在だ。こちらに引き込めれば、ロドリス陣営と戦える。いや、こちらの方が恐らく優勢になる。
キルギスが参戦しなかった理由はなんだろう? 興味がなかったと言ってしまえばそれまでだが……。
(リトリアの存在か)
それもあったのかもしれない。
そもそも隣国であるモナも反ヴァルスとして進軍していたわけだし、加えてすぐそこにある大国リトリアもロドリスに与して参戦している。これでキルギスがヴァルスについたところで、両軍から攻められれば堪らないだろう。参戦するには少しリスクが大きい。
だけどモナ、リトリアの両国がロドリス陣営と言えなくなった今、状況は少し違うんじゃないんだろうか。
だとすれば、もう一度交渉に当たってみる価値はあるように思うんだが。
眠気が襲ってきて小さく欠伸をすると、俺は目を閉じた。霞んでいく意識の中で、ぼんやりと考える。
(キルギスは、モナの隣国か……)
モナを使って、キルギスを動かすことは出来ないだろうか。