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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第2章第5話 emissarius(3)

 コルテオこそが、まさしく『国王の命との天秤と差し迫れば、いっそ消してしまおうとする輩』であったと言うことか。ソフィアの身柄を確保して事態を収める為に、想いを寄せているらしい外国貴族を猟犬に仕立て上げたと考えれば納得がいく。クラスフェルドが息を引き取って尚、シェインを片付け、ソフィアを狙おうとしたのは、全ての事態を引き起こしたその怨嗟と言うところか。シェインのことは、要するにソフィアを片付けるに際して邪魔となると判断したのだろう。

 胸の内で組み立てて合点をいかせながら、シェインはソフィアを振り向いた。栗色の大きな瞳が、悲しげな色を漂わせて微かに笑う。

「無理に仕立て上げようとしたり……逆に存在を消してしまおうとしたり……全く、忙しいな」

「それが、国の中心部だ。悲観するな。敵ばかりでもなかろう」

 さりげなく言いながら、フリッツァーに真っ直ぐな眼差しを向ける。

「ここにおられるフリッツァー殿筆頭にな」

「無論」

「アレマン卿も、ソフィアの味方だろう?」

「ああ」

「あなたにとって、無条件に信用出来る相手だったか」

 視線を逸らさぬまま、探るように問い掛けると、フリッツァーは目を伏せるようにして口元に笑みを刻んだ。

「アレマンは、ソフィアの母親の、父親だ」

 想像していなかった関係性に、シェインは一瞬腰を浮かしかけた。母親の父親……では、ソフィアにとって祖父にあたる人物ではないか。

「アレマンが若かりし頃、傍仕えの侍女に生ませた子がソフィアの母親だった。残念ながら彼女は産褥の床で死に至ったが、ソフィアの母親は元気に生まれた。だが、正妻から疎まれてな。私の元で侍女として引き取った」

「では、ソフィアの母親は……」

「アレマンの娘で、私の傍仕えの侍女だ」

 元帥であったフリッツァーの屋敷で、クラスフェルドはソフィアの母と出会ったのだろう。そうして身分違いの恋で身籠った娘を、クラスフェルドは信じられる部下に預けた。

 陰謀が目論まれた時、フリッツァーにシガーラントを与えたのは、彼の身を慮ってのことだったのかもしれなかった。

 少なくとも、クラスフェルドにとっては追放ではなかったのだろう。恐らくはフリッツァーもそう理解していたのではないだろうか。

「この先、リトリアはどうするつもりだ。……ソフィア」

 深く息をついて背もたれに深く体を預けると、シェインは顔をソフィアの方へ振り向けた。壁に寄り掛かったまま、ソフィアが静かにこちらを見返す。

「わたしがリトリアを立て直す」

「俺をここへ呼んだ理由は?」

 今求められているのは、一個人としてのシェインではない。ヴァルス宮廷に権力を持つ存在としてのシェインだ。

 ソフィアは、身動ぎせずにシェインを見返したまま、口を開いた。

「ヴァルスには、我々リトリアへの不干渉を要求する」

「それは、継承戦争からリトリアは手を引くと言う意志と受け取って良いのかな」

「そう。わたしたちリトリアは、戦争への関わりを望んでいない。少なくとも今のところは。わたしたちは、わたしたちの国内をきちんと整えなければならない。リトリアは継承戦争から手を引く。それに対して、ヴァルスはリトリアへの干渉を一切しないで欲しい」

 リトリアとしては、中枢部が混乱を極めた状態である。シェインがそれを知っていると言うことは、ヴァルスがそれを知ると言うことでもある。弱っているところをヴァルス軍に攻められれば、ソフィアとしては立て直すどころではない。その憂いを絶っておきたいと、そういうことだ。

「つまり、モナにもリトリアから手を引かせろと言うことだな」

 淡々とした口調で確認するシェインに、ソフィアが硬い表情で頷いた。フリッツァーが後を引き取る。

「まだ未確認の情報ではあるが、国境において陛下が送り込んだ一団がモナとの戦闘を展開しているらしい。聞いた話ではヴァルスの援軍、そしてリトリア軍の暴虐を受けた集落から生き残った人間を集めて戦いを挑んでいると聞いている」

 襲撃を直に経験している人間は、その復讐心を煽ってやれば果敢な戦士となる。目の前で妻や子供を陵辱されたり殺されたりした男たちの怒りは、計り知れない。兵力の不足を、エディは怒りと言う燃料で補ったと言うわけだ。

「決着はまだか」

「恐らくは。その軍を、我々は呼び戻す。モナにもリトリアから撤退してもらいたい。ヴァルスからは、それを強制出来るだろう」

「それはどうかな……」

 シェインは微かに顔を顰めた。フリッツァーの耳にはまだ入っていないのかもしれないが、モナには公王が戻っている。もちろんヴァルスとモナの力関係がそう簡単に変わるではないが、エディが君臨した以上は今までの暫定政権のようにヴァルスの完全なる言いなりにはならないだろう。

「大体、ロドリスがそれを許すのか」

「ロドリスとの交換条件を撤回し、中立を約して交渉にあたる。……繰り返す。我々は継承戦争から全面撤退する。ゆえに、ヴァルスも今後戦争が終結するまでリトリアには不干渉を貫き、モナにも撤退を要求する」

「いいだろう。俺が交渉窓口として、リトリアの意志はヴァルス宮廷に持ち帰る」

 またラウバルに奏上しなければならない事象が増えた。だがまあ、それも仕方あるまい。ヴァルスとしては、リトリアが撤退を明言するのは望むところなのだから。

 頷くシェインにソフィアがほっとしたように相好を崩した。

「後ほど、書面は纏めさせる。わたしは、ヴァルスとの良好な国交を望んでいる」

「それはありがたいな。今後もその方針を貫いてくれることを祈っておこう」

「離宮の外に安全が戻ったら、アレマン卿の館に案内させるよ。準備が整うまで、そちらでの滞在を願う。少し、先ほどの部屋で待ってもらうことになるけれど」

「わかった。……フリッツァー卿」

 話すべきことは終えたと感じ、ソファから立ち上がる。共に腰を上げたフリッツァーに、シェインは片手を差し出した。フリッツァーがそれを受ける。

「ソフィアを、支えてやって欲しい」

「言われずとも」

「シェイン」

 背を向けかけたシェインに、ソフィアが追うように口を開いた。

「ヴァルス王女……いえ、女王? 彼女は、わたしと同年代と聞いた」

「ああ。そうだな」

「父王が身罷られてのこの騒動、わたしは深く共感し、そして同情する。今は手を貸して上げられる状況ではないけれど、共に女性同士――いつか、協力体制を築くことが出来たらと思う。……そう、伝えて」

 女性ならではの柔らかく温かな言葉に、シェインはふっと口元に笑みを刻んだ。

 激震する帝国に君臨する女性同士、確かにわかりあえるかもしれなかった。

 国と国との関係の第一歩は、人と人だ。

「必ず伝えよう」

 ドアの前まで来て、歩みを止める。

「シェイン。……ありがとう」

 ソフィアとフリッツァーに一礼して部屋を出ると、シェインは表情を引き締めなおした。

 クラスフェルドの崩御と有力貴族らの叛乱で崩壊したリトリアは、フリッツァーとアレマンを後ろ盾とするソフィアの即位で次の時代に向けて動き出す。

 ヴァルスへ帰ろう。

 己の立場に立ち返り、後は全ての事態に決着をつけるだけだ。


          ◆ ◇ ◆


 ヴァルス王国ハンネス盆地は、底の平らな碗型をしている。

 なだらかに隆起している東側の丘に布陣したヴァルス軍を統括するのは、王都レオノーラより派遣された貴族クルシュマンだった。五十代に手が届こうと言う壮年の将軍は、これまでも幾多の戦陣に参加して指揮を経験している。

 それを補佐するのは、ラルド要塞の将軍ガーフィールである。

 ロンバルトにおいて宮廷魔術師シェインを失い、連合軍とヴァルス軍の戦いに合流することも適わず、自らが掌握していた要塞をも失った。彼自身としても、ここは何としても勝利を収めたいところである。

 見下ろす盆地には、リトリア軍の陣営が見える。

 小競り合いは繰り返しているものの、未だ大きな決定打はない。高度に布陣しているこちらに対し、攻めあぐねていると言うのが実情だろう。

 だが、いつまでもこうしてぐずぐずしてはいられないとわかっている。

 ヴァルス陣営の遥か後背には深い森が広がっており、そちらの方角――西側からはナタリア・バート軍がこちらへ向かって進軍しているとの情報があった。まだいつ頃到着を予定しているのかは定かではないが、目の前のリトリア軍と連動しているだろうことはわかっている。

 届いた情報によれば、ナタリア・バート軍の総勢は、およそ三万弱と聞いている。リトリア軍と合わせれば、その勢力は五万の大軍ともなる。

 援軍が到着する前に、リトリアに決戦を挑んで活路を見出すか――そう決意しかけていた時だった。レオノーラより、ラウバルからの情報が届いたのは。




「何……?」

 ハンネス盆地で行われた戦いの報告を携えた使者は、セラフィとユンカーの視線を受けて身を縮こまらせた。

 それから、滝のような冷や汗と共に、再び言葉を押し出す。

「で、ですから、その、ハンネス盆地の会戦では、リトリアとバートの同士討ちとなり、更に糧食に火を放ったヴァルス軍は、ロンバルト軍の迫る方面を避けてどこかへ移動してしまった模様で……」

 刺すような険しいセラフィの視線に耐えかねると言うように、使者は深く頭ごと視線を落とした。その様子を見遣りながら、さすがに怒りを隠すことが出来ない。

 報告の概要は、こうだ。

 リトリア軍、そしてナタリア軍の離脱したバート軍は、ヴァルス軍を間に挟んでそれぞれ東と西に位置していた。ナタリアの離脱を悟らせぬよう、バート軍にはナタリア軍の国旗も携えさせ、連行している捕虜にはナタリア軍の装備を身に付けさせた。圧倒的勢力による挟み撃ちで、ヴァルス軍の士気を地に落とす目的がある。ともすれば、逃亡兵を誘致することも出来うる。

 だが、日の光の下ではこけ脅しの勢力と見破られかねない。

 そこで、リトリア軍と連動してバート軍に夜襲をかけさせたのだ。

 偵察に出ていたらしいヴァルス軍の一部と遭遇したバート軍は、それを好機と捉え、即刻攻撃を開始した。僅かな兵力しかその場にいなかったヴァルス軍はすぐさま撤退し、自軍へと引き返した。もちろん逃すまいと、闇の中、後を追ったバート軍はヴァルス軍と遭遇し、そのまま乱戦にもつれこんだ――はずだった。

 だが、気がついてみれば、バート軍と戦っていたのはリトリア軍だったと言う。

 途中で異常が発覚して双方剣を引いたものの、両軍被害は決して少なくはなかった。特にバート軍は、莫大な被害を蒙ったと言う。

「それは一体どういう……」

「バート軍と遭遇したヴァルス軍とやらが、要するに陽動だったんでしょうね」

 使者を下がらせ、困惑顔のユンカーの問いに答える。

「バート軍が夜襲を仕掛けてくる前にヴァルス軍本隊は移動を開始し、それを悟らせない為にバート軍と遭遇するよう遊撃部隊を派遣した。もぬけの空の元ヴァルス陣営にリトリア軍が辿り着いた頃、バート軍を引き連れたヴァルス遊撃部隊が戻ってくる。リトリアはそれとは知らないから、ヴァルス軍の襲撃と勘違いして戦闘態勢に入る。そうして引き連れて来たバート軍との乱戦状態に持ち込んでから糧食に火を放ち、当のヴァルス軍は闇に紛れて行方を晦ます」

 説明しながら、セラフィは次第に目を細めた。ユンカーが深いため息を落とし、椅子にどすんと背中を預ける。

「何てことだ。向かった方角としては、南でしょうか。ロンバルト軍と遭遇していないと言うことは……」

「ロンバルト軍の南下を知っていて、避けたのだとすればどうします?」

 セラフィにしては珍しく、険しい表情を崩さぬままに問い掛ける。ユンカーが背もたれから僅かに体を浮かした。セラフィをぽかんと見つめる。

「え?」

「整理しましょうか。ヴァルス軍は、リトリア軍とバート軍に夜襲という形で挟撃されるのを避ける為に一芝居打った。それが、バート軍と遭遇した遊撃部隊であり、リトリア軍との乱戦に持ち込んだ役者です」

「ええ」

「当の本隊は、現在位置不明。北からはロンバルト軍二万が南下して来ているのだから、ヴァルス本隊が北上したのであればどこかで遭遇するはず。だが、まだその報告はない。南下した可能性がありますね」

「はい」

「しかし、ヴァルス軍は本来リミニ要塞を防衛する為に布陣していたはずです。ならば方角的には北上すべきであり……もしも南下したのだとすれば、理に適わない。背に腹は変えられないと、一時撤退を図ったと考えられます。無難でしょうね。北上すれば、ロンバルト軍と遭遇して戦闘にもつれこんでいるところを、罠に嵌めたリトリア・バート軍の追撃にさらされかねない。全滅です。リミニ要塞の援護どころではない」

 説明しながら、ある可能性に確信が増し、険しさが増していくのを止められなかった。セラフィの言葉を聞いたユンカーも、次第にその意味に気がつき始めたらしい。見開いた目に、緊迫の色が浮かび始める。

「セラフィ殿。お待ち下さい」

「……何ですか」

「なぜ、ヴァルス軍はそれほど正確にたった一つの抜け道を掴むことが出来たんです?」

 ――そう。問題は、それだ。

 もちろんヴァルス軍だって周囲の情報を掴む為に、陽動ではない本物の偵察隊も飛ばしているだろう。

 だが、戦地で掴める情報には限りがある。しかしながらこの動きは、連合軍の動きや状況を正確に掴んでいなければ出来ることではない。ロンバルト軍が現在南下していることを知らなければ、ヴァルス軍は北上するのが適切だ。

 それが意味するものは、何か。

「情報を流している者がいる」

 ヴァルス軍は、事前に連合軍の動きを知り得たのだ。だからこそ、罠に嵌めて自らは行方を晦ますなどと言う芸当が出来たに違いない。

 だが、誰が? ヴァルスに情報を横流ししている人間は、どこにいる?

 ハーディン城の人間か。それとも現地か。あるいはリトリア、ナタリア、バート、ロンバルト……いずれの国かもしれない。最も在り得るのはロンバルト……。

(……何だ?)

 考えを巡らせながら、同時にこれまでの出来事を脳裏に蘇らせていく。浮かんでは消える情報や言葉を次々に送り、不意にセラフィは表情を凍らせた。

 蘇った一つの光景に、深く覚えた違和感。

 あの時は気がつかなかった。いや、一瞬の違和感は感じたのかもしれないが、気に留めることもなく受け流した。なぜならば、その時は違うことに気を取られていたからだ。

 ロンバルトの宮廷魔術師が捕らえた、ヴァルスの宮廷魔術師の身柄をどう扱うかについて考えることで手一杯だった。

 だが。

 記憶の中の声が耳に鮮明に響いた時、セラフィは戦慄を覚えて立ち上がった。

 ――……今はまだ、ご無事なのですね。

 その言葉は一体、誰に対して敬意を表していたのだ? 誰を案じての言葉だった? ほっと息をついた安堵の横顔は、何の為だ?

 時として言葉は、真実の心を吐露することがある。

(そうか……お前か……)

 爪が手のひらに食い込むほどきつく握り締めた両手を、テーブルに押し付ける。

 ユンカーが唖然としたようにセラフィを見つめた。

「セラフィ殿?」

「心当たりを見つけましたよ。情報を流している人間に」

 セラフィは、きつく唇を噛み締めて空を睨み据えた。

 あらゆる情報を知ることの出来る立場にいる。王城にいるのだから使者に困ることもない。

 まだ可能性の一つ……だが、見過ごすことの出来ない可能性だ。

(――アークフィール……っ!)











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