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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第2章第5話 emissarius(2)

 吐息と共に視線が背けられる。シェインの視線を横顔に受けたまま、ソフィアは物憂げな眼差しで続けた。

「あなたは、ヴァルスに必要な人だもの」

「ソフィア」

「ヴァルスの宮廷魔術師なんでしょう」

 ソフィアの問いは、思った通りのものだった。やはり知れていたか。フリッツァーだろうか。

 予想したほどの動揺は湧き上がらず、ただ、何を言葉にすれば良いか迷った。こちらも敢えて表情を動かさずに吐息をつく。

「悪かった」

「あなたが身元を偽った気持ちがわからないわけじゃない。でも」

 言葉を切ったソフィアは、硬い表情のまま続ける。

「リトリアを陥れようとしたわけではないと、それだけは信じさせて欲しい」

「俺がクラスフェルドを手にかけたわけではない。もちろん叛乱を起こしたわけでもない。……俺は、個人として行動したつもりだが」

「……そう」

 皮肉な言い方だが、ソフィアは素直に受け入れた。ようやく白い歯を覗かせる。ソフィア自身も、シェインのことを信じたいと思っているのだろう。

 しばし沈黙の時間を漂ったが、やがてソフィアの言葉が会話を引き戻した。

「それで、その」

 サイドテーブルの上からポットを取り、カップに水を注ぐと一脚こちらへ差し出す。それを受け取ってシェインが口に運ぶのを見つめながら、ソフィアは躊躇いがちに、歯切れ悪く口を開いた。

「エディは……?」

 掠れた細い声に目を上げる。カップを下ろし両手で支えながら、不安定な心情が滲み出しているソフィアに、シェインは眉根を寄せた。

「エディは……」

 その原因に思いを馳せつつ、口を開く。ソフィアは、エディに何らかの思慕を寄せているのだろうか。

 そう気づけば不憫であり、複雑だった。

 ソフィアはリトリアを継承するだろう。となればモナ公王に思慕を寄せるなど、気楽な話では済まないに決まっていた。結論としてはどうにもならないと言うことは知れている。

「自国を治める為に、帰国した」

 努めて感情が滲まぬように伝える。理解が出来なかったらしいソフィアは、長い睫毛を瞬いてシェインを凝視した。

「え?」

「エディは、モナ公王としての責務を果たすべく、自国へ帰った。いや、俺が帰したと言うのが正しいかな。クリスファニアまでは俺と共におぬしの行方を追っていた。リトリアの状況を知るに連れて、そしてエディがモナ公王であることを踏まえるに、クリスファニアに置いてはおけないと言う俺の判断だ」

 一気に言い切る。ソフィアはまだ飲み込めないと言うように表情を凍り付かせていた。

「フリッツァーがどう動くかも読めなかったゆえ、ソフィアを救い出す為に手勢が必要と考えてのことでもあった。どうやら、思うほど連携は取れなかったようだが」

 結果としては、フリッツァーと言う同じ意志を持つ人間が手勢を従えてクレーフェ邸を襲撃していたので事なきを得ることが出来た。たが、もしもフリッツァーがいなければ、手勢のいないシェインにはどうにも出来なかっただろう。

 結果オーライとして見過ごすわけにもいかない。それについては改めてエディと話す必要がある。ヴァルス官僚として、モナ公王フレデリクと。

 ここから先は、共に旅した友人ではいられまい。――外交だ。

 そう考えて微かな苦味を覚える。ソフィアはソフィアで、別の苦味を覚えたのだろう。困惑を纏わせたまま、顔を歪めて目を伏せた。

「モナ、公王……?」

「ああ」

「嘘でしょう……?」

 形ばかりの問答であると言うことは、シェインの雰囲気で既に察知しているのだろう。だが、確かめずにはいられないと言う表情でソフィアが問いを発する。

「事実だ」

 それきりソフィアは、またしばらくの間、黙った。その胸中は推し量ることが出来ず、シェインも視線を逸らす。

「そうか」

 やがて、重さを孕んだ沈黙の中、ソフィアがぽつりと呟きを落とした。その声に顔を上げるが、ソフィアの表情には何の感情も読み取ることが出来なかった。

 それを見て、ユリアを思う。

 国という一大事の前に押し潰されていく個人の感情。だが、それを乗り越える強さを育てなければ、人々の生活を支えることなど出来ないのかもしれない。

 彼女たちは、普通の女性としての幸福を犠牲にして国を率いていくという重荷を背負っている。

 しかし、自身が幸福を得ずして、人々の幸福を支えることなど出来るだろうか?

 取り留めのないことを考えながら、シェインは口を開いた。

「ソフィア」

 もう自分がリトリアですべきことはないだろう。

 後はヴァルスへ戻り、一刻も早く己の職責を果たすことだ。

「これまでは一個人だった。ここからはヴァルス官僚として尋ねたい。答えたくなければ答えなくて構わない」

「何」

「ソフィアは、リトリアを継承するのか」

 シェインを見返す栗色の大きな瞳が、微かに動揺を浮かべる。だが、大きく息を吸い込んだソフィアは、動揺の色を消し去って強く頷いた。

「リトリアは、わたしが継承する」

「では、結果として叛乱軍の思い通りの展開になったわけか」

 クラスフェルドを片付け、代わりに年若い女性であるソフィアを戴いて権力を握る――叛乱軍が目論んだのは、結局のところそこなのだろうから。

 だが、ソフィアは唇を噛んで強い怒りを瞳に浮かべた。その怒りが向けられているのは、シェインではないだろう。恐らくは叛乱に加担した者たち、父王の命を奪った輩、そして救えなかった自分。

「思い通りの展開になどなるものか。王を弑逆して事態の転換を図ろうなど、思い上がりも甚だしい。わたしを押し上げて権力を自ら握るつもりだったのだろうが、そうはさせない。残念なことに、わたしは思い通りになるほど大人しい性格はしていないんだ。父に背いた罪は償ってもらう」

「見込み違いだったってところだな」

 苦笑をするシェインに、ソフィアは鼻の頭へ皺を寄せた。

 ソフィアの性格は、アルノルトらも掌握済みだっただろう。だが恐らく彼らの計算違いは……。

「そうすんなりといくのか」

「どういうことだ?」

「多くはことの事態を知らぬ者ばかりだろう。おぬしが簒奪を企てた首謀者だと言う者も出てくるだろうし、身元不確かだと罵る者も出るのではないか」

「義父が……フリッツァー卿が、わたしの後ろ盾についてくれる。クリスファニア伯もだ。フリッツァー卿は、生前の父から直筆の遺言書も預かっていた。それが、何よりもわたしの後ろ盾となってくれるでしょう。父は、わたしを後継者として天に定めた」

 彼らの計算違いは、恐らくそこだ。フリッツァーがシガーラントから駆けつけること、そしてクリスファニア伯が手を貸しているということ。

 フリッツァー卿はかつて元帥でもあったほどの有力貴族だ。そしてクリスファニア伯アレマンは言わずもがなである。宮廷魔術師もこちら側についているようだから、恐らくは上手く立ち回ってくれることだろう。

 そう信じられて、シェインはほっと安堵の息をついた。それを見て微かに笑いを漏らしたソフィアは、やがて表情を引き締めなおして口を開いた。

「シェイン」

「何だ」

「良かったら、義父に会って欲しいのだけれど」

「ああ……? それはもちろん構わないが」

「そう。良かった。義父が話したいことがあるそうだ。……行こう。別室であなたを待ってる」


          ◆ ◇ ◆


 ソフィアについて部屋を出る。

 改めて確認すると、体に不具合はなく、損傷した衣服も新しいものに取り替えられていた。

 被害が及ばなかった建物なのだろう。見る限り荒れた様子のない整えられた通路を歩く。外からは、未だ怪我人の救助や後始末に追われる喧騒が響いていた。

 窓の外に広がる暗い夜空に、中天を過ぎた月が見える。もうじき朝が来るのだろうか。

「シェイン」

「ああ」

「義父は、あなたを信じた、と言っていたよ」

 前を歩きながら、ソフィアが微かに顔を振り返る。それを見て、シェインは苦笑を浮かべた。

「疑問だ」

「疑問?」

「なぜ信用してくれたのか、俺にはわからない」

 正直に言って顔を横に振ると、ソフィアが僅かに目を細めた。それから顔を前に向き直る。背中で揺れる長い髪を眺めながら、シェインは回答を待った。

「一つには、義父が信用しているクリスファニア伯が、あなたを使うと決めたからだと聞いている」

「アレマンか」

「そう。クリスファニア伯は、絶対的に国王――クラスフェルド陛下を敬愛していたコルテオが、あなたを使いたいと言ったからだと」

「……ほう」

 コルテオの推奨がアレマンの意志に繋がり、それがフリッツァーの信用へと導いている。それは間違ってはいないようだ。

「他の理由としては?」

 ソフィアが『一つには』と言ったことが気にかかり、シェインは更に促した。ソフィアが小さなため息を落とす。

「あなたが、ヴァルスの宮廷魔術師であるとわかったこと」

「……エルレ・デルファルかな」

「そう。ごめんなさい。義父が無理を言ったみたい」

「それについては、エルレ・デルファルに俺の情報があると思わせてしまった俺の落ち度だろう。だが、それが俺の信用に繋がった理由がわからんな」

 ヴァルスを動かす黒幕の一人と知れれば、リトリアとしては警戒するのではないだろうか。そう思ったことが身分を伏せてきた理由である。

「まず、ヴァルスと言う国の高位官を務めていると言うことで、野蛮な人間ではないと言う判断がある」

「それは買い被り過ぎと言うものだろう。下劣な人間だって、身分があって上手く立ち回れば高位につくさ。ヴァルスにだってその程度の人間は山ほどいる」

「あなたはそうは見えない。それに、宮廷魔術師である人間が、もしも身分を伏せて卑劣な行為をしたとすれば、後で露見した場合にヴァルスと言う国の品位を落とす。義父は、あなたはそのことを知っていると判断した。……知っていると思うけど、リトリアには元々、反ヴァルス感情を持つ人間は反ロドリス感情を持つ人間より多くはないんだ」

 失笑するシェインに、ソフィアは柔らかく、しかしながら真っ直ぐに応じた。

「では、そもそもコルテオが俺を受け入れた理由は何なんだ? アレマン卿とフリッツァー卿にはどのような関係がある?」

 一つの扉の前でソフィアが足を止めた。シェインの問い掛けに、緩やかに顔を横に振る。振り返りながら、ソフィアはドアノブに手を伸ばした。

「それは、義父から聞いて。……ソフィアです。入ります」

 ノックに続いた中からの返事に、ソフィアが扉を開けた。

 胸の内に残る疑問は幾つかある。コルテオは何を思ってシェインを登用し、そして片付けようとしたのか。フリッツァーとアレマンはどのような関係なのか。ソフィアが継承した後、彼女はリトリアをどうするつもりなのか。エディがモナ公王であった事実を、ソフィアはどう受け止めたのか。――ヴァルス官僚として自分は、ソフィアやフリッツァーに何を言えるのか。

 ソフィアに続いて中に入ると、部屋の広さはシェインが寝かされていた部屋と同程度だった。中央のテーブルセットはゆったりと置かれ、壁沿いにチェストや多少の装飾品が置かれている。

「怪我の具合はどうだ」

 ソファの一つに掛けたフリッツァーが、シェインに微笑みかけた。ブレストメイルを除いて、武装解除されている。

「掛けなさい」

 促されるままに、向かい合う形でソファに腰を下ろす。ソフィアは窓際の壁にすとんと寄り掛かり、顔を傾けるようにして外を見遣った。

「ソフィア様も」

「いえ。わたしはこちらで。話を聞いています。お気になさらず」

 静かに顔を横に振るソフィアに、フリッツァーもそれ以上無理強いはしなかった。小さく頷いて、日に焼けた精悍な顔をシェインに向ける。

「体の調子は良さそうだ」

 慎重に口を開き、シェインは先ほどの問いに答えた。

「聞けば宮廷魔術師殿のご助力があったとのこと。差し支えなければ、後ほど礼を述べたい」

「わかった。後で呼ぼう」

「あなたが俺を呼んでいると伺ったが」

 シェインの言葉を受けて、フリッツァーが深く頷いた。

「まずは、私から礼を述べたい。ソフィア様の安全を守る為に力を尽くしてくれたこと、感謝しよう」

「礼を言われるほどの役には立ってないな。何せ……」

 ちらりとソフィアを見ると、ソフィアが目を瞬いてこちらを見返してきた。その顔を見て苦笑が零れる。

「逃げられている」

「あっ」

 ソフィアの顔色が赤くなった。大声を上げてしまった自分に、広げた手のひらで慌てて口を押さえる。これまでの重々しい表情が瞬時に掻き消え、それを見たシェインはようやく少しリラックスした気持ちになった。

「加えて、肝心の時には俺が瀕死の重傷だ。結果として何をしてやれたわけではない」

「ごめんなさい。逃げたのは、その、本当に悪かったと思っている。だけどもわたしは……」

「わかっている。別に責めているわけじゃない。今はな。さっきは責めるを通り越して、胸の内で罵ったものだが」

「ちょ……」

「クラスフェルド陛下は、防衛の指揮を務めていたのだな」

 フリッツァーに顔を戻しながら確認をする。無言で頷くのを見て、思わず深い吐息をついた。

 クラスフェルドが、部下に全てを任せて自身は後宮の奥に引っ込んでいる人物であったら、もしかすると生き延びたかもしれない。ソフィアがクラスフェルドに進言出来なかったのは、恐らくクラスフェルド自身が最前線で戦っていたせいだろう。一段落がついたあのタイミングで上手く遭遇出来たものの、僅かな差でフラクトルの方が早かった。

 フラクトルが、あれほど切羽詰った状況まで待っていた理由は何だろう。本人が死してしまっている為に確認のしようがないが、もしかすると迷いがあったのだろうか。信義を貫くか、裏切るかの葛藤。クラスフェルドが心許す腹心――それだけの信頼を勝ち得るには、相応の関係を築いている必要がある。フラクトルの方でも、クラスフェルドに対する深い敬愛があったのは間違いないのだろうから。

「コルテオの狙いは、ソフィア様だった」

 無言で考えていると、フリッツァーがぽつりと口を開いた。意味を図りかねて、シェインは眉根を寄せた。

「コルテオは、国王を敬愛していたのだろう」

「そうだ。敬愛していたのはクラスフェルド陛下――しかしながら、ソフィア様の継承は受け入れていなかったと言うことだ」

「……何?」

 思ってもいなかったことを言われ、フリッツァーを凝視する。フリッツァーは表情を変えず、意図的にか淡々と語った。

「恐らくは、クラスフェルド陛下のお命が狙われるというこの事態も、ソフィア様の存在如何と考えていた節がある」

 そこまで聞いて、思わず声を上げそうになった。自身がコルテオに向かって口にした言葉が蘇る。

 ――だからこそ国王手の内にとっては不要ではないのか。






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