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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第2章第3話 リトリアの征旗(3)

          ◆ ◇ ◆


 その夜、エディからの書簡を携えた雲啼クロムに返信を託して放ったシェインが、現在与えられた部屋で物思いに沈んでいると、どこかからざわめきが響いたような気がした。

 ふと顔を上げて、辺りを伺う。

 しかし、宵闇はすぐに静寂を取り戻した。気のせいと片付けかけたところで、再びざわめきを耳にする。

「何だ?」

 立ち上がり、先ほど閉じたばかりの窓に手を掛ける。そこへノックの音が響いた。答える前に、コルテオの声が聞こえる。

「入るぞ」

「何かあったのか」

「わからん。が……」

 扉を開けたコルテオは、やや険しい表情で窓の外へ視線を向けた。

「起こった、かもしれんな」

 クラスフェルドへの叛旗だ。すっと背筋が冷えるような思いが走り、シェインはコルテオを押しのけて扉の外へ向かいかけた。

「俺が様子を見てくる」

 逸るシェインを、コルテオが苦笑して押し留める。

「落ち着け。お前は自由裁量を与えられているわけではない」

 そうだった。コルテオが余りにもゆったりと寛容に構えているものだから半ば忘れていたが、コルテオがシェインのそばにいるのは監視の意味も含むのだった。

「ソフィアに何かあったらどうする」

 苛々と室内を歩き回るシェインに、コルテオは苦笑いを浮かべてドアに肩をもたせかけた。

「今、見に遣らせている。少し待て。お前が歩き回ったって絨毯が汚れるだけで、状況が好転するわけではない」

 返す言葉もなく憮然とソファに腰を下ろしてみせると、コルテオは満足したように頷いて部屋の中へ足を踏み入れた。

「ソフィア様の身に大事が起こることはなかろう。国王に背く身からすれば、彼女の存在がシンボルだ。彼女無くしては、掲げるべき旗がない」

「だからこそ国王手の内にとっては不要ではないのか」

 コルテオを真っ直ぐ睨み据えながら問う。仮にも王の庶子とあらば一応大切に扱うだろうが、ことが国王の命との天秤と差し迫れば、いっそ消してしまおうとする輩もいかねまい。幸いにして、ソフィアはクラスフェルドが後継を指名しているわけではないのだ。

 コルテオが困ったように片手を挙げた。

「とにかく落ち着け。事情を確かめぬことには、ここで何を話したところで架空の話だ。装備だけ整えておくんだな」

 コルテオの言葉は尤もで、シェインは唸りながらも黙りこくった。立ち上がって不慣れな手つきで装備を整える。それを終えると、することがなくなった。じりじりと、ただ報告が戻るのを待つ。

 やがてもたらされた報告は、やはり暴動を告げるものだった。

 最初に動いたのはアルノルトだ。アルノルトが兵を動かして、グウレイグ離宮を襲撃するように仕向けた。

 しかしながら、思いがけず国王が素早い反撃に出たらしい。アルノルトの軍がグウレイグ離宮の間近に迫った頃には、驚くべき速さで兵がクレーフェ邸を取り囲んだと言う。

 つまり火の手が上がっているのは、二カ所だ。

「先日の会議が原因か」

 兵を采配すべく兵舎へ向かうコルテオに倣って慌しく移動しながら、短く吐き出す。コルテオが応じて頷いた。

「だろうな」

 五日前に行われた会議で、クラスフェルドがモナを制圧する意志を強く明言した。つまりは国境地帯のみで満足するつもりは決してないと言うことだ。更に南方における戦線へ向けても兵役を徴収するとの言に会議は紛糾、アルノルトは即刻の蜂起を決意したと言うわけだ。

「クレーフェ邸に行って来る。許可をくれ」

 リトリア国王の臣下たるアレマン、ひいてはコルテオらは、国王の命を守る義務がある。グウレイグ離宮が急襲されているとすれば、援護に駆けつける必要があるだろう。

 だがシェインは違う。シェインにとって気がかりなのは、クラスフェルドの安否ではない。ソフィアの安否だ。

「行ってどうするつもりだ」

「混乱に乗じてソフィアの身柄を引き受けてくる。どうやるかは、行ってみなけりゃわからんな」

 だが、この機を逸すれば、チャンスはもう巡ってこないだろう。

 コルテオはしばし黙ってシェインを見つめていたが、やがて目を伏せて頷いた。大きな手が、肩を叩く。

「わかった。だが、彼女を見つけたら必ず俺のところへ戻って来いよ。決して悪いようにはならないゆえな」

 シェインとしても、フリッツァーがどうしているのかわからない以上、他に預ける先がない。

「ああ」

 硬い表情で頷くシェインに、コルテオは屈託なく笑って見せた。




 シェインが馬で駆けつけた頃、クレーフェ邸は既に火の手が上がっていた。取り囲む兵の数は、二千……いや、三千か?

 その様を見て、血の気が引く。もしも中に本当にソフィアがいるのだとすれば、共に捕らえられるに決まっていた。待ち受けるのは叛逆の主犯としての処刑だ。

 血臭に満ちた喧騒の中、この中に入ることは適うのだろうか。攻める鎮圧軍と守るクレーフェの私兵が怒号と刃鳴りを上げる。きつく唇を噛んで、ともかくも近付こうと馬を翻したシェインは、喧騒の中から己を呼ぶ声に気がついた。

「シェイン殿っ!」

「……フリッツァー卿」

 振り返って目を見張る。フル装備に身を固めた熟練の将軍と言った風情の男は、間違いなくシガーラントのフリッツァーだった。

「いつ、ここへ……っ」

 驚愕を隠し切れないまま、馬を寄せる。フリッツァーの招きに応じていることを見て取って、周囲が道を開けた。

「六日前にクリスファニアに到着をした。街中に兵を入れることは適わなかったので、市外に陣営を張っていた」

 では、アレマンはフリッツァーの動きを知っていたことになる。コルテオは知らなかったのだろうか。それともシェインに伏せていただけなのだろうか。

 胸の内に渦巻く疑問を飲み込みながら、しかしながらそのような場合ではないと、とにかく決然と顔を上げる。

「中に入りたい。ソフィアの無事を確認したい」

「今、全力で捜索をさせているが、何せ抵抗が激しい」

 邸を見上げる苦い表情の中に、ソフィアを真に案ずる親愛を見て取って、シェインも視線を邸に向けた。石造りの壁の向こうには、広い庭園が見える。丁寧に手入れされていただろう広葉樹の向こうに、舐めるような赤い炎がちらちらと見えた。

「剣は使えるか」

 目を奪われていると、フリッツァーが真っ直ぐにこちらを見ていた。その目を、力を込めて見返す。

「使える」

「お前は、魔術が使えるのだったな」

「ああ」

「……ソフィア様に恩義を感じていると言う言葉を、私は信じる」

 低く落ち着いた声に、信じられない思いが過ぎった。唖然と見つめるシェインに、フリッツァーが鷹揚に笑みを覗かせた。

「己の立場を知っていれば、馬鹿な真似は出来まい」

 シェインの背筋に衝撃が走った。――どういう意味だ?

 だが、問い返している時間はない。場合でもない。フリッツァーも深くは語らずに意志だけを告げた。

「アレマンがそなたを使うと決めた。ならば私は、異論はない」

 ともかくも、フリッツァーとアレマンには相応の信頼関係があると見て間違いないのだろう。アレマンは、コルテオの後押しによってシェインを使うと決めた。ならば感謝すべきはコルテオか。

 不明瞭ながらも、胸の内でコルテオに感謝を捧げる。シェインは気負った表情で真っ直ぐフリッツァーに明言した。

「俺はソフィアを裏切らない」

「信じよう」

 フリッツァーの言葉を受けて、シェインは崩れた塀へと馬を翻した。口の中で呪文を完成させながら、戦闘の最中へ突っ込んでいく。

 半ば馬で体当たりをするように押し込んでいくと同時に、シェインの周囲を風の壁が取り巻いた。殺到しかけたクレーフェ家の兵士が、慌てて身を引いていく。それに構わず、シェインは庭園へと駆け込んだ。

 この機を逃せば後がない。

 ソフィア――どこにいる……!


          ◆ ◇ ◆


 全身に、地が響くような低く重い衝撃を感じたのは、まだ夜明け前のことだった。

 眠りについていたソフィアは、ベッドの中で意識を引き上げられ、すっと血の気が引くのを感じた。すかさずベッドから跳ね起きる。

(何があった……?)

 状況を確かめようと耳を澄ませる。どこかで激しい物音が響き、再び重い衝撃が地面を揺らした。

「まさか」

 時が来たのだ。

 蒼白になる思いで窓辺に駆け寄ったと同時に、ドアの外から物音が聞こえた。

「ソフィア様っ!」

「ヴェリッサ!」

 侍女のヴェリッサだ。引きつった声に、弾かれるようにドアへ取り付く。扉を開けると、強張った表情のヴェリッサが立ち竦んでいた。

「何が起きた?」

「襲撃ですっ」

「襲撃?」

 眉を顰める。ヴェリッサが青い表情のままでソフィアを見上げた。

「アルノルト卿の思惑に気がついた陛下が、ことが起こる前に鎮圧軍を差し向けたのです」

 そこまで一気に言うと、ヴェリッサは何かを押し切るように低い声で続けた。

「今なら、脱出出来るやもしれません」

「何……」

「このままでは、ソフィア様も反乱軍として捕らえられてしまいます。身の潔白を証明することは出来ません。ヴェリッサは存じております。陛下に逆らうことは、ソフィア様の意ではないと」

 言葉を継げずに見つめるソフィアを、ヴェリッサは硬い表情のままで見返した。

「混乱の最中であれば、脱出も可能かもしれません。今を逃せば、もう機は失われます。どうか、鎮圧軍の目をすり抜けてお逃げ下さいっ!」

 しかし、どこへ逃げると言うのか。鎮圧軍が夜襲をかけてきたと言うのであれば、屋敷の周囲は取り囲まれている。逃げられるとは思えない。しかしこのままここにいれば、ソフィアの弁明など無意味でしかないだろう。ヴェリッサの言葉には一理ある。

「アルノルトは」

 部屋へ取って返し、身動きしやすいように着衣を整えながら尋ねる。ドアのところに佇んだまま周囲を伺うヴェリッサは、潜めた声で口早に答えた。

「わかりません。しかし、ソフィア様の身柄を押さえようとすることは確かでしょう。あなたを盾にとって逃げ出せば、あなたに逃げ道はありません」

 何が何やら状況の把握は出来ないが、ともかくもクレーフェ家をこうして襲撃しているのがクラスフェルド手の内の者であることはわかった。事実、そうでなければ夜襲などされる言われはない。

「ソフィア様。これを」

 ヴェリッサが差し出した物を見て、ソフィアは驚きを隠せなかった。剣だ。

「どこからこんなものを」

「こちらへ向かう途中、衛兵の詰め所に寄って参りました。咄嗟のことで出払っておりましたから」

「……ありがとう」

 受け取って手早く帯剣しながら、ヴェリッサに問う。

「ヴェリッサはどうする」

「わたくしは、ここに」

「なぜっ……」

「足手纏いになります。わたくしならば大丈夫ですよ」

 そうやんわりと微笑んだヴェリッサは、そっと片手をソフィアの頬に当てた。

「たかだか侍女ですもの。恩赦を取り計らって戴けることでしょう。だからお気になさらず、お行きになって下さい」

「でもっ!」

「これほどの状況にならなければお力添えを出来なかったわたくしを、お許し下さいませ。……さあ、行ってっ!」

 建物の外からは慌しい足音が聞こえてくる。同時に、この建物の階下から人の声が聞こえた。複数の足音が向かってくるのを感じ、ソフィアはやむなく踵を返した。

 逃げ出せるだろうか。わからない。鎮圧軍に見咎められれば犯罪人として取り押さえられ、邸内の人間に見つかれば盾とされ反乱軍に引きずり込まれる。逃れねばならぬ手が、余りにも多過ぎた。

 絶望的な思いを胸に抱きながら、ともかくも邸内で物音の響かない方へと走る。防戦に手一杯なのか、まだそれほどこちらに人手が割かれていないのがありがたかった。

 出口へ向かう途中、人の気配がすると物陰に飛び込む。まだソフィアが部屋にいると思っているのか、慌しい足音は隠れるソフィアのそばを真っ直ぐ通過していく。

 何とか建物の外へ抜け出してみると、視界の隅で橙色の炎が空へ伸びているのが見えた。炎だ。アルノルトの滞在していた本邸に、炎が上がっている。ならばあちらは、混乱の只中だ。そしてこちら側にはまだ、人手が回っていない。

 庭を突っ切って、茂みの陰に身を潜める。途端、建物の方からいくつかの足音が飛び出してきた。ソフィアが部屋にいないことを知られたらしい。

 緊迫に、鼓動が速まる。背筋を冷たい汗が伝った。乾いて張り付くような喉に唾液を飲み下し、息を潜める。

 いつまでもここに隠れてはいられない。どこへ向かう? 手薄な外は、どちらだ。

「何としてもソフィア様を見つけ出せっ!」

 聞こえる怒号は、エブロインのものだった。アルノルトはどうしたのだろう。応戦しているのか、それとも……。

 声と足音が間近に散らばる。ソフィアは気配を消したまま、茂みの陰を移動した。だが、移動出来る距離は限度がある。そっと伺うと、裏庭を幾つかの陰が行き来するのが見えた。これでは移動が出来ない。

 鞘に収めたままの剣の柄を握り締める。汗が手のひらに滲んだ。腕が震える。抜け出せると思えない。いっそ、ここで自害してしまえば父上に迷惑にならないだろうか。

 もう一度チャンスを探して、今抜け出してきた建物の方へ目線を向ける。

 そちらの一角が内側から吹き飛んだのは、その刹那のことだった。

(なっ……?)

 ソフィアのみならず、庭に散らばった衛兵らも動きを止めてぎょっとしたようにそちらを注視している。身動き出来ずに唖然としたまま、ソフィアの脳裏に一つの言葉が浮かび上がった。

(魔術……)

 裏付けるように、次の瞬間、天から稲光が地を打った。自然には起こり得ない、人為的な現象。

 しかし、ソフィアの知る限り邸内には魔術を操る人間はいない。いなかったはずだ。だが、魔術以外にどう説明をしたら良いのだろう。

 では、誰が。

 ――……ああ。まあ、一応はその端くれだな。

(シェイン?)

 記憶の中の言葉が、ソフィアの胸に一抹の希望を投げかけた。

 シェインは魔術師ではなかったか。封じられた魔力を取り戻したのかもしれない。そしてその力を手に、ソフィアの元へと駆けつけてくれたのでは。

 息を飲んで建物を見つめるソフィアの視界で、炎が上がった。明らかに火矢などではない、自在にのたうつ炎の波。

 それを背に受けながら、男が黒い影のように衛兵たちの前へ姿を現した。

「ソフィアを返してもらおうか」

 低い声が耳朶を打つ。

 不敵な眼差しを煌かせて佇んでいるのは、確かにシェインだった。












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