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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第2章第3話 リトリアの征旗(2)

 シュケルナー街区は、国王が滞在するグウレイグ離宮を挟んで、クレーフェ邸のあるコークマルト街区と反対側に位置する。

 一度アレマン邸に戻ったシェインとコルテオは、昼を挟んで午後、アレマンに同伴して邸を出た。シェインは、アレマンの警護としてコルテオが率いる警護隊に組み込まれている。全く何だってリトリア貴族の護衛をしているのだろう。本来魔術師であるシェインを慮っての軽装備とは言え、防具類を身に付けるのは慣れていない。体が重い。

 アレマンが議場のあるクリスファニア官邸に入ると、私兵隊は一旦任務から解放される。官邸警備がいるからである。

 本日の会議は、国王不在時の国政について検討すべく、文官のみが召集をかけられたと聞いた。内々の小規模な会議となるはずだった。

 だが、官邸の出入り口付近が俄かに騒がしいと感じられたのは、アレマンが議場に入って間もなくのことだった。

「どうした? 何か予定外のことでもあったのかな」

 会議に出席する各々が引き連れてきた配下の者は、会議が終わるまで控えの間にて待機である。簡単な飲み物が用意され、配下の人間同士のささやかな交流の時間と休憩の場となる。

 コルテオの既知の人間に、新しく配下に加えた者だと紹介されていたシェインは、窓の外に視線を向けて問うでもなく呟いた。周囲の人間も異変を感じて、それぞれ顔を見合わせている。

 やがて、様子を見に行っていたらしい男が、飛び込んできて報告をもたらした。

「陛下がいらっしゃったご様子ですっ」

「何?」

 その場が急に慌しくなる。今日の会議にはクラスフェルド出席の予定はなかったのだ。それが突如お出ましとなったので、官邸の方が慌てているのだろう。

 間もなく官邸の人間が正式に陛下来訪の意を告げると、控えの間にいた人間は次々と廊下へ出て行った。国王来訪の際には、通路に並んで出迎え、敬礼をもって通過を待つ。ヴァルス宮廷も大差ない。

 だが、これでクラスフェルドの顔を見ることが出来る。騒ぎの渦中にある人物を拝んでおくのも悪くはない。

 コルテオに従って廊下へ歩み出ながら、シェインも周囲に倣った。宮廷魔術師たる身としては、今しばらくこのような儀礼的慣習を行うことが少ない。見習いの頃以来の感覚である。

(しかし、なぜ急に?)

 そもそも今日の会議が何なのか、なぜ国王が急に来る気になったのか、シェインにはわからない。眉を顰めながら状況の変化に首を傾げていると、やがて廊下の先が騒がしくなってきた。ご到着のようだ。通路の奥に小さな人だかりが姿を現した。

(あれがクラスフェルド……)

 胸の内で確認をしながら、周囲に倣って姿勢を正す。付け慣れない防具が音を立てた。

「言うまでもないが、中央が陛下だ」

 装備に身を固めた威風堂々とした男を、コルテオが小声で示す。伸びた髪と無精髭は精悍で日に焼けた屈強な肢体と相まって、国王と言うよりは将軍である。口元に浮かんだ笑みを見て、皮肉屋なのだろうと言う気がした。

「そのすぐ後ろに続いているのが、宰相のフラクトル殿だ」

 続く紹介に、シェインは目線だけで確認する。ひょろりと背が高く、どことなく人好きのする顔立ちの男だ。国王より二十近くは年上だろうか。

「陛下の信頼も篤い、腹心と言ったところか」

 コルテオは、クラスフェルドが引き連れて来た何人かを続けてシェインに紹介した。顔と名前を頭にたたき込みながら、クラスフェルドが近づくのを待つ。

 クラスフェルドが、目の前を通過した。その瞬間、シェインの胸の内を言いようのない衝動が駆け上がった。

 ――ここが、戦場であったなら。

 迷うことなく戦いを挑んだことだろうに。

 ヴァルス貴族としての強い義心に駆られ、そんな己に少なからず驚いた。無論、暗殺者でもあるまいし、こんなところで不意打ちを食らわせたいとは思わないのだが。

 刹那、クラスフェルドがふっと顔をこちらへ向けた。目と目が合う。何かに気づくはずもないが、どきりとする眼差しだった。

 やがて国王一行が通過して議場へ入って行くと、各貴族が連れてきた配下の人間は再び控えの間へ移動をした。これから会議が終わるまで、シェインも含めた彼らはすることがない。

「なぜ宰相がいる? まさか出征に伴っているわけではあるまい?」

「それは知らんよ。呼び出されたんだろうさ。これが終わったら、セルジュークへ戻るんじゃないか」

 窓際に立つと、綺麗に整備された街並みが眺められた。晴れやかに澄んだ空には霞むように白い雲がかかっている。目を細めてそれを眺めやりながら問うシェインに、コルテオが並んだ。

「陛下の来意は何だと考える?」

 突然訪れた緊張から解放されて、場の空気が緩む。ささやかな談話を交わし始めた配下の人間たちに視線を戻しながら問うと、コルテオはどことなく険しさを秘めた横顔で「さあな」と呟いた。

「俺にわかるはずもない」

「出陣はいつなのか決定してはいるのか」

「してはいるのだろうが、俺にわかることではない。……そう言えば、陛下はソヴェウレイユに先行部隊を派遣したらしいぞ」

「先行部隊?」

 この期に及んで?

 クリスファニアからモナ国境までは、もう目と鼻の先だ。先行部隊とは一体何事だろう。自らが迅速にクリスファニアを発てない理由でもあるのだろうか。……それは、反乱の危険性を感じていると言うことなのか?

 モナ国境には、既にリトリア軍が布陣している。それは確かなことだ。そこへ更に国王より先に先行する部隊がある。その必要性がどこにある?

 状況が読めずに眉根を寄せたシェインは、手持ちの情報を増やそうと更に問いを投げかけた。

「フリッツァーはどうしている?」

 あれきり、フリッツァーの動きもまた闇の中のままだ。だが、その問いに思ったほどの成果は得ることが出来なかった。シェインに対する回答は、またも曖昧なものだった。

「さあな」

「連絡は取っているのだろう?」

「俺はたかだか傭兵隊長だからな。アレマン卿は連絡を取っているのかもしれないが」

 それきり口を閉ざすコルテオに、シェインは正体不明の違和感を覚えた。この感覚には覚えがある。あれは、そう……アレマン邸に初めて連れて来られた日の夜のことだ。

 ――フリッツァーは、手放しに協力を受け入れるほど俺たちを信頼していたのか?

 あの時、そんな違和感を覚えた。

 だが、その正体が掴めない。クラスフェルドは何をしようとしている? 黙ったまま考えを巡らせるものの、自らの中に解を見つけられずに不安定な苛立ちだけが募った。コルテオも何を思っているのか、些か険しい表情で窓の外に視線を定めている。

 やがて、控えの間の外に人のざわめきと気配を感じた。どうやら会議が終わったようだ。気づけば時計の針は一時間以上の経過を告げていた。控えの間の扉が開放され、配下の人間は各々が仕える文官を見つけて後に従っていく。

 どことなく荒々しい態度で出て行く彼らの姿に一層眉根を寄せていると、アレマンが姿を現した。恭しく一礼をして付き従うコルテオに、アレマンが低く告げるのが微かに聞こえた。

「ことが起こるぞ。構えておけ」


          ◆ ◇ ◆


 リトリア国内を、二つの影が静かに移動していく。一つの馬に同乗する二つの影の内、一つは子供のように小さい。

「本当にこっちで合ってるのかあ?」

 クリスファニアを脱出し、その北にある商業都市アバックにて馬を手に入れると、エディとシーレィはようやく西北へと進路を取った。

 直接ハンノ要塞へ向かうのは、当然のことながら危険である。回り道とわかっていても、一度北上して軍隊の徘徊するだろう範囲を避けなければならない。

「合ってる」

 短いエディの返答にシーレィが嘆息するのが聞こえるが、意に介さずにエディは黙々と馬を進めた。

 ……そう。やはりハンノ要塞へ直接向かうことは、どう考えても得策ではない。キルギスを僅かに挟んでモナへ北から入り、王都シドへ向かうのが最も妥当だ。

 もしもエディが真実フレデリクであるのならば、尚更である。シドとハンノ要塞ならばさほど距離もないのだから、王権を確かに握ってから公王として要塞へ赴く方がスムーズだ。

 その判断の元、エディとシーレィは一旦キルギスへの国境越えを目指している。馬も入手したことだし、順調に行けばクリスファニアからおよそ十日といったところか。

 モナへの入国はさほど困難とはならないはずである。シェインからモナ駐留ヴァルス軍の責任者に何らかの通達が行っているのだし、手の打ちようはある。

 それよりも問題なのはリトリアからの出国だった。見咎められない為には人目につかない進路を取るよりない。

 慎重に道筋を選び、川を挟んで陣を構えると言う軍を避ける為に山間の道を進む。リトリア、キルギス、モナが裾野へ広がるその山岳地帯を移動中、ふと景色に視線を向けたエディは、そのまま馬を止めた。

「どうしたの?」

 エディの後ろでシーレィが、もぞもぞと身動きをする。エディは小さく顎をしゃくった。

「ん? 何……軍隊?」

 エディの視線を辿ったシーレィが小さく呟いた。距離は遠く離れている為、低位にいる向こうは気づく由もないだろうが、高みにいるこちらからは良く見える。

 軍隊らしき一団が、森林の中を移動している様子だ。

「そなたは私より目が良いだろう。国旗が見えるか」

「見えるよ。リトリアだね。それが?」

 尋ねるシーレィには答えず、エディは静かに視線を注いでいた。なぜだろう。気にかかる。

 国境に布陣していると言うリトリア軍にしては、些か規模が小さい。それとも木陰に隠れて見えないだけなのだろうか。あるいは、本隊から離れて行動している伏兵か。

「シーレィ。ここで野営をしよう」

「えっ? まだ日は高いよ。もう少し進める……」

「進むより先に、見ておきたいものがある」

 幸いにしてここは見晴らしが良い。この先も、同じように観察に適した場所に出会えるとは限らない。

 両軍が衝突する前に辿り着きたいのはやまやまではあるが、今ああしてリトリア軍が動いていることを考えれば、開戦する前にハンノ要塞に到着することは、どう急いだところで不可能だろう。

 であれば、情報を少しでも拾い集めてから駆けつけるのも一つの手ではあるはずだ。情報をいかに握っているかで勝敗を分ける戦も少なくないのだから。

 エディとシーレィがその場に落ち着くことを決め、数時間が経過する。日が沈む頃、森林の合間に見え隠れするリトリア軍はどうやらモナとの国境を越えたようだ。エディが見守る中、まるで蟻の群れのような黒い塊が遠く平原を過ぎていく。

 どこへ行く?

 一つの予感を胸に抱いて、エディは微かに目を細めながら監視を続けた。飽きてしまったシーレィは、木の枝によじ登ってとっくに眠っている。

 彼らの姿が丘の影に隠れて見えなくなっても、エディはその方角に視線を定めていた。

 そしてそれを捉えた時、エディは奥歯をきつく噛み締めながら険しい表情を滲ませた。

「あれは……?」

 木の上から、寝ていたはずのシーレィの掠れた声が聞こえる。振り向きもせずに、エディは低く答えた。

「小さな集落だ。レニエと言う、数百世帯しかないようなな。そこが、襲撃を受けている」

「えっ」

「くそ……どういうつもりだ……」

 腹のうちに湧き上がる憤怒の感情は、やはり自分がモナに根ざす人間であることを証明しているのだろうか。心の片隅でそんなことを考えながら、エディは考えを巡らせた。

 やはりリトリア本隊から切り離された部隊か。レニエを焼き討ちにして、モナ軍との戦端を開く。

(……?)

 そう考えて、何かがしっくり来ないことに気がついた。

 違和感の正体は何だ。

 レニエに残虐の暴風が吹き抜けていることを証明する黒煙を睨みつけながら、やがてエディははっと目を見開いた。

 布陣しているリトリア軍は、国王軍であろうが反乱軍であろうが、いずれにしてもクリスファニアの出方を待っているはずだ。

 戦端がモナからの先制によって開かれたのならば致し方ないが、仕掛けているのは明らかにリトリア軍である。少なくともわかる範囲でモナ軍からの動きには思えない。

 であれば、今まで沈黙を保っていたリトリア軍が仕掛けた理由は何だ? 彼らは国王軍で、やはりクラスフェルドから進撃の命令を受けたのだろうか。

 ――何か、エディには見えない意味があるに違いない。

 そう嗅ぎ取ったエディは、険しい表情を崩さぬまま踵を返した。これ以上ここに留まり続けることに意味はない。見えるものなど限られている。

「シーレィ。行くぞ」

「えっ? はっ?」

 野営をするつもりですっかり腰を落ち着けていたシーレィが、仰天したような声を上げた。

「行くってっ!」

「シェインに催促の書簡を出せ。至急、クリスファニアの情報を寄越せとな」




 日暮れの村に、細い黒煙がいくつも立ち上っている。

 それを見上げて目を細めながら、リトリア将軍マンフレードは厳しい表情を浮かべた。これが、モナ軍を招く狼煙となるだろう。

 周囲に溢れる濃い血の匂いは、既に鼻腔が麻痺して感じ取れない。立ち並ぶ家屋の影から若い女性の泣き叫ぶ悲鳴が聞こえる。兵士への意に染まぬ慰めを提供した後、彼女は死を持って苦痛と屈辱から解放されることだろう。

 マンフレードは、まだ三十代半ばを過ぎたばかりである。クリスファニアから派遣されたリトリア軍八千を率いるリディアファーン将軍より、偵察と陽動を兼ねた部隊を任された。

 総勢二千五百を率いてモナ軍の動向を確認すると、リディアファーンへの使者を飛ばし、ハンノ要塞北東に位置する小さな集落への襲撃を開始した。

 リトリア国境軍と連動した動きではない。

 彼らは恐らく「何かが起こった」ことは理解するだろうが、それが何なのかわからぬまま、この後に控えるだろうモナ軍の攻撃への応戦で手一杯になる。そうしてマウヌ川の戦いは火蓋を切って落とされる。

 もうすぐだ。もうすぐ、モナ軍が起こった出来事を確かめようと押し寄せてくる。

「マンフレード将軍っ!」

 村の略奪を粗方完了した頃、周囲の警戒に充てていた兵の一部が報告を携えて帰還した。

「モナ軍の巡察隊と遭遇、応戦中ですっ。増援願いますっ!」

「わかった。先導を頼む。敵勢力と状況は」

「恐らく千には満たないかと。現状、こちらの方が優勢です」

 報告を受けて、一部を村の略奪に残したまま至急軍を整える。誘われるままマウヌ川上流の木々に囲まれた狭い平地で、リトリア兵とモナ兵が刃を交えている現場へと駆け付けた。

 マンフレードは、そこで思わず息を呑んだ。

(何だ、あいつは……)

 刃鳴りと馬の嘶き、怒号の飛び交う中、その男だけは異質に見えた。

 ロドリスの客将だ。

 村はお任せします、といち早く偵察部隊へ志願した彼に、クラスフェルドを立てる意味もあってこの部隊を任せたのはマンフレードである。この場で戦っていることに異議はない。

 しかし、何だ。あの魔性めいた殺気は。

 グレンの周囲には、既に死体の山が築かれている。彼を仕留めたいモナ兵が、何人も躊躇するようにしている姿が見えた。

 ゆらりとグレンが顔を上げる。この距離で見えるはずもないが、眼鏡の奥で琥珀色の瞳が無感情に細められたような気がした。次の瞬間、グレンの姿が一瞬ぶれた。そう思った時には素早い動きで、数人のモナ兵が血飛沫を噴き上げていた。

「何だ、あいつは……」

 今度は口に出して呟いていた。マンフレードの視界の中で、グレンは掛かってこようとしないモナ兵に自ら突っ込んで行く。モナ兵の刃はロドリスの客将を傷つけることはなく、そして二本の刃が閃く度に赤い霧がその周囲に舞うのが見えた。

 口元に微かな笑みが滲んでいるように見えて、僅かにぞっとする。黒い陽炎を纏っているような錯覚を覚えた。

「将軍っ!」

 肌が粟立つ思いで硬直しているマンフレードに、将校が声を上げる。モナ軍……いや、ヴァルス軍の到着のようだ。地に響く馬蹄の音に、マンフレードは強張っていた表情を拭い去った。

「ヴァルス騎兵か」

 手強いだろう。前哨戦と侮っては泣きを見る。

 総力戦のつもりで勝利を掴み、モナ軍を本物の総力戦へと導かなければ。






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