第1部第13話 ギルザードの夜
「黄昏てるじゃねえか」
ギルザードは、一応草原地帯にある街とは言え、やはり砂漠の街だ。乾いた土で出来た通り沿いの街並みは、土を焼いた煉瓦造りの建物ばかりで、軒並み背は低かった。風が強いせいだと言う。
街の中を通り過ぎる風も乾いていて砂塵を含んでいるせいで、街の空気は僅かに黄色く煙っているようにさえ見える。時折、僅かな草原地帯に生えている木々が風に弄られるような音が聞こえてきた。
深夜の来訪ではあったけれど、旅で何度もここに立ち寄っているシサーは衛兵も知っているらしく、ヘイズの時みたいに押し問答になるようなこともなくあっさりと門の内側に入れてもらうことが出来た。
シサーたちが宿泊していたと言う割と大きめな宿に潜り込み、荷物を置いて携帯食で簡単な食事を済ませた後、俺は、一応ロビーと言えそうな出入り口付近の空間に置かれているソファでひとりぼんやりと座っていた。洗ったばかりの髪がまだ湿っぽい。
砂漠の街だからか公衆浴場はなく、仮にあったとしたってこの時間じゃあやってないんだろうけど……仕方ないので、宿の人に迷惑がられながらも無理矢理お湯をもらい、それで体を拭くのが精一杯だった。
熱射に晒される昼間と違い、ぐんと空気に氷のような冷気を含んだ夜ではお湯でも体を拭くのはひどく寒い。乾燥してるから、髪なんかはすぐに乾くと思うけど。
にしても、やっぱり何か中途半端だ。……ま、やらないよりはね。
「シサー」
当初はギルザードについたら情報交換をしようと言う話だったんだけど。ギルザードまで強行突破と言う羽目になったせいで、みんな宿についたら即効で眠ってしまっている。話をするのは明日という事になりそうだった。
ぼんやりと窓の外を眺めて頬杖をついていた俺は、その声に振り返った。ロビーには明かりはなく、窓の外の月だけが唯一室内を照らす光源だ。
「湯浴みに行ったきり帰ってこねえし」
言いながらシサーは、どすんと俺の向かいのソファに腰を下ろした。
宿には、俺たちの他にも客がいるみたいだったけど、そんなに多くもなさそうだ。いずれにしても、みんな寝静まっている。
「ああ、うん……。ごめん」
「別に構やしねえけど。キグナスは寝ちまったぜ」
「うん」
「随分、戦い慣れ、したんじゃねえか?」
「……」
考え込んでいたことだったので、俺は言葉に詰まった。
ソファの背凭れにふんぞり返るように寄りかかり、両手を天に伸ばしたシサーは俺の顔を見て首を傾げた。
「どうした?」
「……人に、襲われたんだ」
「人?」
俺の掠れた声に、シサーのシルバーの瞳が真面目な色を宿す。
「キサドの山頂に辿り着いた時に。俺を、レガードと間違えてた」
「カズキ、じゃあッ……」
がばっとシサーが身を起こす。俺はその続きを待つことなく頷いた。
「レガードを襲撃した、と言っていた」
「身元はわかったのか?」
黙って首肯する。強い風が、ガンと壁を叩き、窓を震わせた。透き間から時折入り込む風が、甲高い嫌な音を立てる。
「『銀狼の牙』って言ってた。……知ってる?」
「『銀狼の牙』?」
シサーは記憶を探るような顔をしていたが、やがて肩を竦めて俺に視線を戻した。
「いや、知らねえな。何者だ?」
「盗賊団、みたいだ。……ガレリアってどこにあるの?」
「ガレリアか?ロドリスとリトリアの境にある山だな。……ガレリアの?」
また、黙って頷く。シサーは片眉を顰めた。
「何でまた……」
それから話を促す。
「それで」
「戦闘の最中に、姿を消したと言っていた」
「戦闘の最中に?」
「バルザックがどうとかって言ってた」
「バルザック?」
シサーが何かを思い出すような目つきをする。
「……知ってるの?」
尋ねてみると、シサーは複雑な顔をしながら首を傾げた。
「聞いたことがあるような気もするんだけどな」
思い出してよ。
「良く覚えてねえ。そいつは?」
「バルザックが魔法を使って、その場にいた全員目が眩んで……視力が戻った時には姿がなかった、って」
「間違いないのか。嘘をついている可能性は?」
俺は黙って顔を横に振った。
「ないと思う。……その人は俺のことをレガードだと思ってた。その場にいたはずのレガードに対して、嘘をつくとは考えにくい」
それを聞いてシサーは微かに苦笑した。
「『お前その場にいただろう』と思っただろうな」
「うん。そんな顔をしてた」
つられて俺も小さく笑った。
「そのバルザックとか言う奴が、魔法で連れ去ったのか?」
俺はまた顔を横に振った。否定ではない。わからない、の意だ。
「でも、『銀狼の牙』はバルザックと……一時的とは言え仲間だったし、『銀狼の牙』はレガードを探していた。俺のことをレガードだと思ってもいた。……違うような気がする」
「やっと手がかりが掴めたと思ったらまた謎か」
「うん……。シン、と言う人は知ってる?」
唐突に出された名前に、シサーは困惑の表情を浮かべて否定の意を返す。俺は小さく息を吐いた。
「シサーたちとはぐれた後、俺とユリアはシンと言う人に助けられたんだ。漆黒の髪に漆黒の瞳の。……ギャヴァンの、シーフ」
「ギャヴァンの?」
「うん。ギルドの人間だって言ってた」
「それが何で」
「レガードに借りがあるって言ってた」
「借り?」
シサーが考え込むように黙る。俺もそこで一度口を閉ざした。
山頂での出来事を、思い出していた。吹っ飛んだ生首。白磁のような雪の上に舞い散った、赤い花びら。……俺に、人が斬れるだろうか。何度考えても、わからない。
「ギャヴァンのシーフが、ロンバルトの王子様に借りねえ……」
ばすっと再び背凭れに背中を預け、肘掛に頬杖をつくとシサーは気だるそうに呟いた。
「うん。……シサー。レガードの顔って、知られてるわけじゃないんだろ」
「ああ。一国の王子様だからな」
「知ってたんだよ。シンは。俺がレガードに似過ぎているのが気になって、後をつけてた」
「……」
「ユリアを、レガードの婚約者だと言ったら、『王女様じゃないのか』って言った」
「……何者なんだ?」
「わからない」
シンの無愛想な顔を思い出す。そっけない口調。
そして……。
「『また会うことになる』って言ってた」
「そいつがか」
「うん」
また、沈黙が訪れる。少しずつ下り始めたものの、まだ高い位置にいる下弦の月が、一瞬雲にその姿を隠した。その動きに忠実に、月明かりに照らされたシサーの顔を雲の陰が通り過ぎていく。月を覆い隠す雲が通り過ぎるのに合わせるように、シサーが身動ぎをした。
「そのシンとか言うやつが、レガードと遭遇するなら『王家の塔』に向かった時としか考えられないな」
「……そう?」
「ああ。……ま、幼少の頃とかそういう話ならわかんねえけどな。レガードはシャインカルク城に住んでいたこともあるし」
その話は俺もユリアに聞いた。
「ただ、その頃の話じゃねえとすると……それ以降、レガードがギャヴァンに立ち寄ったことはねえんじゃないかな。少なくとも、俺は知らないな」
シサーがヴァルスの禁軍にいたことを考えれば、そしてユリアやシェイン、一応ラウバルなんかとも面識があることを考えれば、レガードがギャヴァンに立ち寄ることが耳に入ってもおかしくない。
もしかすると、シンは……俺が思うよりも遥かにレガードの行方に関して有力な情報を持っているのかもしれない。
「しかし、何だってガレリアの盗賊団なんかがレガードを襲ったんだ?」
「青い髪に青い瞳の男に、金を渡されて頼まれたって」
そしてあの男はシンに首を掻き切られた。
思い出して青褪めている俺には、部屋の暗さが幸いしてシサーは気が付かなかったようだ。視線を窓の外に移して考え込むような表情をした。
「青い髪に青い瞳の男……」
「……心当たりが?」
「なくもない。有名人だ。が、会ったことがあるわけじゃねえし、そういう容貌だと言う噂を聞いただけでな。……それに、青い瞳に青い髪の男が満更いないってわけでもねえし」
「誰?」
「……ロドリスの宮廷魔術師だよ」
宮廷魔術師、と聞いてシェインを思い浮かべた。赤い瞳に赤い髪。まるでシェインと対照的じゃないか。
シサーは考え深げな視線を彷徨わせてから、ふっと顔を上げた。
「実はこっちも、ちょっと厄介なことがあってな」
「厄介なこと?」
嫌だなあ。
そう思ってから、思い当たった。キサド山脈を下るその道すがら、シンの呟いた言葉。
――前に来た時は、あんなものはなかった。
「……竜巻?」
尋ねてみる。シサーは渋面を作って頷いてみせた。
「気が付いたか」
「シンが教えてくれた。あそこは普段、塔が見える場所だって」
「良く知ってるな。……まあ、ギルドの人間だったら当然か」
「何で」
シンも、何度もキサド山脈に来ていると言っていた。そして俺たちと別れる時も「行くところがある」と。
黙ってシサーを見つめると、シサーは苦笑いをして片手をひらひらと振った。
「そんなご大層な話じゃない。風の砂漠にはいくつか遺蹟があるし、ダンジョンがある。つまりお宝が眠ってるってことだ。盗賊団が調査してたって不思議はねえだろ」
ああ……そういうことか。
「キグナスは、シェインの代わりにユリアを守る為、お前のフォローをする為に、シャインカルク……いや、シェインに派遣されたんだ」
今、唐突に話が飛んだ気がする。
……とは思ったんだけど、キグナスがなぜいるのかも知りたかったので、俺は黙って続きを待った。
「本当はもっと早く合流する予定だったらしいんだがな。ちょうど時期を同じくして風の砂漠へ調査団が派遣されることになった。いくらキグナスがソーサラーとは言っても、まだ見習いでもあるしひとりで後を追って旅をするのは安全なわけじゃねえからな。その調査団の出発を待って一緒にギルザードまで来たってわけだ」
調査団……。
「レガードの件とは、別件?」
再びシェインの言葉が蘇る。――妙なことが起こっていそうだと言う、声が。
「別件だ。……別件と言い切れるかどうかわからんが」
そこでシサーはいったん言葉を切った。視線を窓の外に向ける。相変わらず、外では風が強い。
「ニーナも言っていただろう。シルフが荒れていると」
リノの村でだ。思い出して頷く。何か、わかったんだろうか。
「奇妙な一団が『王家の塔』を目指していたらしいと言う情報があったそうだ。そしてそれを境に普段は起こらない竜巻が、風の砂漠で異常発生した」
「異常発生……。じゃあやっぱりあの竜巻は……」
「『王家の塔』を囲むように発生している」
囲むように……!?
「気になったんでな。俺たちもカズキたちの到着を待つ間、少し砂漠に出てみた。それほど接近したわけじゃないからはっきりとはわからんが、あれは『王家の塔』を中心に据えて発生している。……多分、近付けないだろう」
「シルフは、何か教えてくれないの?」
「竜巻の方向へ近付くに連れて、会話が成り立たなくなるらしい。シルフからは情報を得られない」
俺とシサーは互いの顔を見合って黙った。
『王家の塔』に近付けない……普段、発生しない竜巻によって。――偶然なのか?『王家の塔』に向かったと言う一団は……例えば、『銀狼の牙』……?
「まあ、このくらい離れていれば、シルフもおかしくなるわけじゃないらしいんでな。カズキたちが下山してきたのを知らせてもらうことも出来たわけだが」
「あ、そうなの?」
通りでうまく再会出来たと思った。
「ああ。お前たちとはぐれた後、すぐにニーナがシルフを呼び出してお前らの安否と居場所を探ったんだがな……。目印があるわけじゃないし、シルフがお前たちの場所を掴んだって、こっちには上手く伝わらない」
「そうなの?」
「俺は会話が出来るわけじゃねえからわからんが。下級精霊には、いわゆる言葉なんかを明確に話すことは出来ないみたいだな。ニーナなんかは意思の疎通が図れないわけじゃねぇけど、場所を説明しろと言うのはちと難儀らしい。しかも、結構離されてたみたいだからな。どうにもならなくて先に来ることに決めたんだ」
「そう言えば、レイアは?」
忘れてた。
シルフの話で思い出して尋ねてみると、シサーはついていた頬杖を外し、ソファに深く沈みこんだ。
「ユリアはシェインと交信を義務付けられていたんだろう」
「ああ……うん」
「ユリアの荷物が俺たちの手元にあるってことは、交信が途切れる。代わりにしてやろうにも、こっちはやり方がわからない。仕方ないからレイアに事情を説明させにシャインカルクに帰した。身軽に移動できるのはあいつだけだからな」
「ああ、そうか……」
ユリアは今日は疲れきって、部屋に入るなり寝てしまったみたいだし、無事合流できたことをまだ知らないだろうからやきもきしてるかもしれない。
話をしている間に、月はどんどん傾いていく。それに伴っているわけじゃないだろうけど、風の強さはますます増していくばかりだ。
体は疲れきっているし、昨夜は寝ていないしで本当は死ぬほど眠いはずなんだけれど……妙に頭が冴え渡ってしまっていた。シサーと交わした会話に頭をめぐらせる。
「……『青の魔術師』か」
「その、ロドリスの宮廷魔術師?」
「ああ。俗称だがな。『青の魔術師』と呼ばれているな」
まんまじゃん。
「もし、その……『銀狼の牙』にレガードの殺害を依頼したのが『青の魔術師』だったら……どういうことになる?」
俺の問いに、シサーは低く答えた。
「……アルトガーデンに対する、謀叛と捉えられても仕方ないだろうな」
レガードがつくはずの帝位を狙っている人間は、いくらいたっておかしくない。俺が知っている範囲でも、アルトガーデンは膨大な領土を持つ。……レガードが暗殺されたら起こることは帝位継承者の再選。
あれ?でも。
「レガードの顔って、知られてないんじゃないの?」
シサーは肩を竦めた。
「そこまでは知らんよ。だが、公の場で高貴な身分の人間が顔を曝さないと言ったって、王城に仕える人間は当然知っているし、外遊する時はどうしたって部下の者がつく。部下がついていれば高貴な身分の人間だと言うことくらいはわかるし……ま、本気で調べる気なら知ることは不可能じゃねえだろう。まして……」
そこで顔色が曇ったのは、月影のせいじゃないだろう。
「……身内に裏切り者でもいれば、話は早いな」
「……」
裏切り者……。
「シェインが何か掴んでいるかもしれねえな」
「ああ……うん」
こちらとあちらで情報交換をすれば、不確かなことも確かなこととなるかもしれない。考え込みながら、俺は頷いた。
「……と。随分話し込んじまったな。疲れてるだろ。お前も今日はとにかくもう休め」
言ってシサーが話を打ち切るように立ち上がるのにあわせて俺も立ち上がった。
「……また、人に襲われるかもしれない」
ぽつりと言った俺の言葉の意味を問うように、シサーが心持ち顔をこちらに傾ける。
風が建物を微かに揺るがす振動を足元に感じながら、もう一度、苦く、言葉を押し出した。
「シサー……俺には」
「……」
「……俺には、人が斬れるかどうか……わからない」