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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第2章第2話 突破口(3)

 手の中で駒を弄びながら、コルテオは目を細めて親指を顎に軽く押し付けた。

「知っているか? ヴァルスとリトリアは現在、剣を交えて相対する立場に立っていることを」

「無論」

「それを承知の上で、それだけの為にリトリアを彷徨うと? 命がけと知りながらか?」

 コルテオが口にした通り、全くの私情でヴァルスへ戻らずリトリア国内をふらふらしていると言うのは、理由として非常に弱いことはわかる。

「俺を、クラスフェルドに近づけねば良い」

 危惧しているのはクラスフェルドの身の安全と機密情報の漏洩か。

 ならばその危惧を取り除いてやれば、信用度は少しは上がるはずである。

「俺がヴァルス貴族であると言うことが不安要素ならば、クラスフェルドに近付けぬことだ。おぬしが常に俺を見張っていて、不審に思えたらいつでも殺すが良かろう」

「言うな」

「そうでも言わねば身動きが出来そうにないからな。俺の目的は、人探しだ。それ以外には何もない。ゆえに、それ以外に関わるような行動を取ることはない」

 それは本心のつもりだ。

 もちろん得た情報をヴァルスに帰った時にラウバルに報告しないわけにはいかない。偽らざる本心をと言えば、ヴァルス官僚の立場を忘れたことはない。その立場から気掛かりであるのが半分、真にソフィアを案じるのが半分――状況によっては、ヴァルスへ有利な状況に導ければと考えているのももちろんだ。

 ことは帝国継承戦争の行方に関わる。それはヴァルスの運命をも左右する。状況を掌握しておきたいのは事実だ。

 だが、シェインはクラスフェルドに近付くつもりはない。近付きたいとも思わない。リトリアの騒動に、自身が深く加担をしたくはない。ソフィアの身柄を助け出したら、彼女の信じる誰かに預けて手を引きたい。

 それきり無言で盤を睨むシェインに、コルテオもしばし目を逸らさぬまま黙った。小さな音を立てて駒が置かれる。

 やがて、コルテオが片目を軽く細めて口を開いた。

「彼女に、何らの感情を抱いているわけではないのだな?」

 一瞬、言われている意味を理解出来なかった。

 素で目を瞬き、しばしの脳内凍結を経てから、ゆるゆると合点がいく。そして次の瞬間、吹き出しそうになった。

 ソフィアはまだ若い利発な女性だ。なるほど……シェインがソフィアに対して恋情を抱いているとの邪推がそこにあるらしい。

(その手もあるか)

 一国の主でさえ、女性が原因となって戦を巻き起こすことも史上に存在する。時にそれほど人を狂わせ、熱に浮かす強い感情である。たかだか一貴族の若僧に過ぎない自分が振り回されたとて、ありえない話ではなかろう。

 ならば、それに乗ってみるのも一つの手段か。

(ではこの際俺には、我が立場を忘れるほどソフィアに焦がれる一途な青年になってもらっても良いな)

 自分で考えて寒い。

 だが、吹き出している場合ではない。コルテオの真剣な眼差しがそこにある。

 否定も肯定もせず無言のシェインに、コルテオはやがて深い吐息を落とした。

「そうなのだな」

「……」

「彼の人の立場を知っているのか」

 コルテオの問いに、シェインは視線を戻した。微かに目を伏せる。

「リトリア貴族の娘だろう。知っている。それが、どうした」

「お前が知っているのはそれだけではないはずだ」

 フリッツァーとの話で既に、ソフィアがリトリア国王の庶子であることを推察した旨は知られている。フリッツァーから話を聞いているのであれば、コルテオもまた、そのことを知っているだろう。

「そうだな。だが、それとこれとは関係ない」

「本気か」

「言っている意味がわからぬが、俺は自分を救ってくれた人を目の前で攫われて放ってはおけない。それだけだ。……ヴァルスもリトリアも関係ない」

 苦い表情で視線を逸らすシェインに、コルテオは再び無言に陥った。この沈黙は何だろう。シェインも口を閉ざしたままで、コルテオの胸中を図る。

 彼の中では『リトリアの王位継承者に片恋を寄せるヴァルス貴族の青年』と言う図式が出来上がったのだろう。クラスフェルドを戴き、反乱を鎮圧する立場に立っているとすれば、この事態をどう解釈するだろうか。

 コルテオの心中に頭を巡らせながら、シェインは盤に手を伸ばした。今度こそ勝ってやる。負けず嫌いが頭をもたげる。

「アレマンは、何者だ?」

「クリスファニア伯さ。王城で執事長を務めておられた」

「国王擁護派か」

 質問でも確認でもない。ただの独り言である。コルテオが笑った。

「気に障るか?」

「まさか。リトリアの内情に口出しする気はないさ。ただ、文官が反感を持つ中で忠心を保つにはそれなりの理由があるのだろうと思ってな」

「そうだな」

 つまりアレマンにはクラスフェルドに忠誠を尽くす理由があると言うことだ。何だろう。

「アレマン卿とフリッツァー卿はどのような知り合いだ?」

「無論、共に陛下にお仕えする仲だ」

 シェインの駒の配置に唸り声を上げながら、コルテオはわかりきっている返答をしてみせた。その顔を眺めながら、シェインは微かに眉根を寄せた。

 フリッツァーとアレマンは、それなりに親しいはずだ。でなければ、誰が味方かわからず娘の身柄がかかっている状況下で頼るはずがない。もちろん共にラナンシー城で仕えた間柄ではあろうが、それだけでは頼るに足りないだろう。

 コルテオから視線を逸らして盤を睨みながら考え込むシェインの耳に、不意にノックの音が飛び込んで来た。コルテオが答えると、衛兵ではなく侍従らしき人物が姿を現した。

「アレマン卿がお呼びです」

 来た。

 シェインの心が僅かに緊張する。

「わかった」

 頷いて立ち上がりながら、コルテオがシェインににやっと笑いかけた。

「勝負は預けよう。アレマン卿に会わせてやる」


 連れて行かれたのは、与えられた部屋のある塔から通路で繋がっている隣の建物だった。こちらが本邸だろう。

 更に階段を上り、奥へと向かう。応接室へ通されると予想していたシェインだが、案内されたのは小さな部屋だった。来客に適しているとは言えない古びた部屋は薄暗く、書籍などが積まれて埃っぽい。少ない窓からの光を助けるように、カンテラの橙色の灯が部屋に赤味を帯びた光を投げ掛けている。

 どうやら、アレマンの書斎のようだ。奥には樫のどっしりとしたデスクが置かれ、アレマンはそこにいた。

「お前か。フリッツァーの娘を探していると言うのは」

 頭のてっぺんだけが見事に禿げあがった白髪の小柄な老人は、威圧感のあるしわがれた低い声言った。

「ああ」

「良いだろう。使ってやる」

 緊張感のある老人だ。部屋中の空気がピリピリしているように思える。今し方までシェインと軽い口調で会話を交わしながらテーブルゲームをしていたはずのコルテオまで、自身のボスを前に神妙な面持ちをしていた。

 アレマンが歪んだ笑いを浮かべる。

「コルテオが認めたからな。使ってやる。ただし」

 言いながらアレマンはデスクの内側からこちらへ出て来た。片手にはショートソードを握っている。シェインは身動きせずにその動きを見つめた。まさかいきなり戦闘にはなるまいが、何かあったらこちらも応戦せねばならない。だが、早まってもならない。

「私は裏切りを許さない」

 身動きしないシェインの首筋に、アレマンが抜いた白刃がひんやりとした鋭利な感触と共に押し当てられる。

「良いな。裏切りは許さん。ヴァルスは忘れろ。不審な真似をしたら、その場で殺す」

「ああ」

「使えないと判断しても、その場で殺す」

「……わかった」

 本気だろう。

 文官とは思えない鋭い目に、本物の殺意を嗅ぎ取る。

「必ずコルテオのそばにいよ。単独行動は許されん。コルテオ、この男の顔が知られていないことを上手く使え」

「わかりました」


          ◆ ◇ ◆


 帝国内で三大勢力と言えるリトリアとの国境は、最も弱小国であるモナにとって最大の脅威である。

 特に政権がクラスフェルドの手に渡ってからは、気を抜くことが許されない。

 ゆえに、その侵入を恐れて外郭が築かれており、常日頃からそびえる要塞が警戒をしている。

「ロンバルトの宮廷魔術師は、レドリック殿下とアンジェリカ公妃について何か吐いたか?」

「はい。アンジェリカ様については、まだご存命にあらせられたとのこと」

 モナ王都シドから到着したばかりの足で、カサドール公カールはハンノ要塞の指揮官執務室へ足早に向かっていた。

 先日、リトリアのモナ進軍を受けてのヴァルス援軍が、シドに到着した。

 率いて来た諸侯にシドを任せ、カールはモナ防衛に努めるべく……そしてシェインの力になるべく、国境へとやって来たのである。

「そうか。シェイン様も喜ばれることだろう」

 しかしながら、そのシェインはこちらに合流することを拒んだらしい。「別件がある」と言う謎のセリフで別行動を望んだと聞いている。使いの者と共に要塞へ来てもらえるかと思ったが……全く我が道を行く人物である。

(こちらに合流して戴きたかったがな……)

 本人の立場や性格上、合流をすれば指揮権を握ってくれたことだろうに。戦力としても大きな励みになるのは言うまでもない。

 だが、いないものは仕方がない。

 はっきりとは聞かされていないが、リトリア情勢に大きく関与してしまう恐れがある、とだけ伝え聞いている。シェインにはシェインの考えが何らあるのだろう。いずれにしてもヴァルスの不利益になることはないだろうが。

「エドアード殿は」

 執務室に入り、ドアが確かにしまったことを確認してから、カールは伴ってきた将軍に密かな声で尋ねた。

「いえ。まだ先の連絡以外、何も」

「そうか。シェイン様から連絡があったら、最優先にして届けてくれ」

「はい」

 彼を下がらせて一人になると、カールはその場に立ったまま考え込んだ。

(フレデリク公か……)

 エンまでロンバルト宮廷魔術師を迎えにやった使者からの情報を脳裏に蘇らせる。

 極秘にカールのみに伝えるようシェインから指令を受けた使者は、強ばった顔でその情報をカールに告げた。

 シェインが現在同行している青年エドワード――彼は近々、フレデリクとして返り咲く為にモナに戻るかもしれない、と。

 どのような思惑を持ってであるとか、その場合カール率いるヴァルス軍はどのような心構えで対応を望まれているのかは、現状闇の中である。

 もちろんシェインがそう言うのならば無計画にと言うことはないだろうし、この状況下で再びヴァルスに叛旗を翻すほど、フレデリクも愚かではないだろうが。

 何にしても、シェインからの指示待ちであることは確かだった。国境に布陣しているリトリア軍にも、今のところ目立った動きはない。

 それから数日の内は、警備と巡回を強化しながら、リトリアの攻撃に備えて戦略会議を行う緊迫した日々が大過なく過ぎた。

 ようやくシェインから連絡が入ったのは、カールがハンノ要塞に入って一週間が経過してからだ。

「これが雲啼クロムか」

 事前に、シェインの元へ送った使者からセルジュークの精霊使いの話は聞いている。

 使えるかどうかわからないと聞いていたが、無事使うことが出来る環境下にいるようだ。

 ともかくもシェインが無事でいることと、シェインから情報が来たことにひとまず安堵を覚えながら、カールは折り畳まれた小さな書簡を広げた。

 記されていたのは、古語と呼ばれているものだ。簡易暗号である。今はもう使われていない古いヴァルス語で、綴りが覚えにくく、文法が複雑な為に広く普及しなかった。帝国成立前のものだ。

 それゆえに国外はもちろん、ヴァルス人であってもわざわざ学んだ一部の人間しか読むことが出来ない。手紙を送る相手が古語を踏まえていると言うことを知っていれば、解読されるか否かの危惧を抱く必要もない。ただし、無関係の人間に読まれる可能性はないでもないので、使用する場合は限られる。

 恐らくは、複雑な暗号を作っているような時間がなかったのだろう。

 そう判断して視線を落としたカールは、読み進めながら自分が緊張して行くのを感じた。

 ――エルフだけを連れて、記憶喪失の『エドアード』がそちらへ向けて発った。リトリアの事情はここに記すわけにはいかないから、彼から聞いて欲しい。

 モナ軍の指揮権は、エドアードに渡せ。彼からの正式な要請があれば、モナ主導で指揮に従って構わない。

 ただし――。

「カール殿ッ」

 不意に遠くで怒声と喧噪が聞こえ、同時に部下が飛び込んで来た。

「どうした」

「リトリアが、攻撃を開始しましたッ! 現在マウヌ川上流にて巡回の騎兵隊が応戦中。迂回してモナ国内に侵入を図った模様ですッ」

「敵の数は」

「はっきりとはわかりませんが、恐らく偵察隊の二、三千かと」

「わかった。すぐ行こう。ヴァルス騎兵二千を先行させ、ヴァルス・モナ両国からあわせて三千の歩兵に陣型を整えさせろ」

 部下が忙しく答えて出て行くと、カールはシェインの書簡に火をつけた。憂慮の元は隠滅してしまうのが一番だ。

 そのまま暖炉の中に放り込み、足早に部屋を出て行く。

 ――ただし、ヴァルス軍はあくまで補佐だ。

 ――エディの意向に注意を払え。

 暖炉の中で、書簡が静かに燃え崩れていった。











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