第3部第2章第2話 突破口(2)
まるでシェインの素性を知っているような言葉である。
(やはりか……)
胸の内で、その言葉の意味を考えた。答えは一つしかない。
「しがない駆け出しの冒険者と言うのを信じてくれたのではなかったのか?」
コルテオは、ソフィアの義父であるシガーラント候フリッツァーと繋がっている。そうでなければ、初対面のシェインの身柄を押さえることに意味があるとは思えない。コルテオが街で行っていた競技にシェインが飛び入り参加をしたのは、恐らくコルテオにとって幸運な偶然だっただろう。フリッツァーの見張りを撒ききれていなかったかと思うと、少々悔しい。
だが、ならばこれは朗報だろうか。フリッツァーと繋がっていることが判明した時点で、コルテオは敵ではないはずだ。
疑問なのは、一体コルテオが……フリッツァーが、どこまでシェインの素性を理解しているのかである。
通常であればエルレ・デルファルは一個人の情報を開示するようなことはないはずだが、フリッツァーが例の事務局長とやらにゴリ押ししたのかもしれない。もしくは、シェイン自身がフリッツァーに告げた「貴族階級である」と言う情報のみかもしれない。先ほどの言葉では、それもまた考え得る。
「俺以外に信じて欲しくば、証明書を用意するよう勧めた」
「つまり『俺以外』が信じてくれぬのだな」
「どうかな」
「俺の行動を押さえておけと。相違あるか?」
「相違ない」
深くソファに体を沈め、コルテオは目を伏せた。カップをテーブルに置いてその顔を眺めながら、コルテオが何を知っているのかをどう引き出すか考える。
だが、その前にコルテオの方から問いを発した。
「どこの国の貴族だ」
にやっと笑うコルテオの顔を見て、知っているのではないかと言う気もした。いや、知っているが言い過ぎなら、感づいているでも良い。何かを握っていながら尋ねている……そんな印象を受ける。杞憂だろうか。言葉面だけを捉えれば、コルテオは「シェインがどこかの貴族階級である」――フリッツァーに告げたものと同程度しか知らないとも見える。
「ヴァルスだ」
内心に躊躇いを残しながら、それを感じさせないようにシェインはあっさりと答えてみせた。
国名、身分、名前、そして容姿――これだけ情報が揃えば、何も知らずともシェインの身元を調べることは可能だ。それを思えば危険ではあるが、コルテオに対して伏せることは却って状況を悪くすると判断した。仮に調べられたとしたって、その回答はすぐに戻って来るわけではない。シェインが自らの口から家名を告げなければ、しばらく時間はかかる。
「ヴァルスの貴族が、リトリアで何をしたい?」
「『ヴァスル貴族』と言う認識は置いておいてもらいたいのが俺の希望だ。ヴァルス貴族ってだけで捕らえられかねないご時世だからな」
「それを承知で素直に口を割るとはな」
「ある御仁にはしらばっくれて通したぞ」
一瞬虚を突かれたような表情を見せたコルテオは、やがて薄く笑った。
「捕らえられたらどうするつもりだ?」
「捕らえられる前にとんずらするつもりだったさ」
言いながらシェインは、す……っと片手を自分の顔の横まで持ち上げた。口の中で小さく紡ぎ出した呪文に、天へ向けた手のひらにふわりと炎の玉が浮かび上がる。
一つ、二つと増えていく火の玉は、シェインの手のひらの上で円を描くように飛び回り、やがてその中心部に一際大きな炎の塊が現れた。室内の温度が急激に上がる。コルテオの額に汗が微かに滲んだ。
「……魔術には、それなりに自信がある」
くいっと握りつぶすように指を動かすと、火炎が全て消失した。息を詰めて表情を硬くしていたコルテオが、目を見開いたままふっと笑う。
「この戦力が欲しくはないか」
「我々の為に使うと?」
「『我々の為』ではない。『俺の探し人の為』だ」
低いシェインの言葉に、コルテオが再び笑った。
「あとの二人は何者だ?」
手の中のカップを弄びながら、コルテオが窺うようにこちらを見た。とりあえずエディの素性が知られていない様子にほっとする。シェイン以上に、エディの素性は危険だ。シーレィについては、シェインも『出稼ぎのエルフ』だと言うことしか知らない。
「さあな」
短く答えて、シェインは肩を軽く竦めて見せた。
「俺にもわからん」
「部下ではないのか? エディもどこかの貴族だと聞いたが?」
「期待を裏切って悪いが、部下ではない」
コルテオが疑うように目を細めた。そんな視線を向けられたところで、痛くも何ともない。事実である。
「拾ったのさ」
「拾った?」
「いや、逆か。拾われたのさ」
少なくともフリッツァーに聞かせた話と齟齬だけは出てはならない。フリッツァーと繋がっていると言うことは、彼からシェインたちの話した事情が筒抜けになっていると言うことである。
「ヴァルス貴族だと前提してもらえばわかるだろうが、俺は、ロンバルトにおける対ロドリス戦で単身拐かされた」
「……ほう。捕虜と言うことか」
「そう思ってくれても構わない。そうして何とか脱出をするにはしたが、まさか飛んで帰るわけにもいかないのでな。俺自身がどこにいるのかもわかっていなかったゆえ、ロドリスを彷徨う羽目になった。よって、母国からの味方と言える人間は周囲に一人もいない。連絡手段も持っていない。言わば俺は孤立無援の状態だと言える」
シェインがソフィアを助け出す為に行動するのを黙認させるには、ともかくもヴァルスと言う一国家がシェインの背後にいないことを納得してもらわなければならない。
シェインの背後にヴァルスの姿を見るようでは、コルテオはシェインを信用しない。
「戦争の最中に単身でロドリスに放り込まれた俺は、全身に深い傷を負った。死にかけの状態で倒れていた俺を助けたのがエディと、そして俺の探し人だったと言うわけさ。つまり元々は、他人だ」
「それで?」
「それだけだな。俺もエディが何者であるかは知らない」
ともかくも、彼らがいなくなったことを知った時に、怪しまれない口実だけは必要だ。元々結束のあるメンツではないと認識してもらうしかない。
「ほう? 二人ともか?」
「ああ。もしかすると罪人なのかもしれない。あるいは二人とも、実は身元確かな人間なのかもしれない。要するに、通りすがりの即席パーティさ。いついなくなっても不思議はないし、不都合もない。俺の所持品さえ盗まれなければな。どうせ互いの素性も事情も知りはしないのだから」
肩を竦めるシェインに、コルテオはさしたる疑問は抱かなかったらしい。恐らくはフリッツァーの方からもエディの正体がまるで掴めなかったことなどの通達が入っているのだろう。フリッツァーは数日シェインらの周辺を嗅ぎ回った結果のはずだし、シーレィに至ってはシガーラントでは同行さえしていなかったのだから、説得力は多少なりあったかもしれない。「ふむ」と呟きながら、深くソファに体を沈ませた。
「なぜ、ヴァルスに帰らない?」
「聞いているのだろう? 俺を押さえるよう指示した人物から」
逆に尋ねると、コルテオは苦笑いを浮かべた。素直に肯定する。
「まあな」
「ならば改めて聞くほどのことではない。聞いた通りさ」
「そうかもしれんが、お前の口から今一度説明をしてもらおう。……なぜヴァルスに帰らない?」
あくまでシェインの方に口を開かせるつもりのようだ。答えなければ話は進みそうにない。
「一点はセルジュークを訪問する必要があったこと」
「それはもう、片がついたはずだな」
「ついた。もう一点は、人を探していることだ」
「探している人物は?」
「さあな。俺の口からは言えぬ。おぬしが誰の指示を受けて動いているのかわからぬのでな」
この後に及んで嘯くと、コルテオが渋面を見せた。
「見当はついているのだろうが」
「見当が正しいとは限らぬからな。間違っていたら迷惑がかかるかもしれん」
黙りこむコルテオに、シェインは続けて口を開いた。次の問いが出る前にこちらから情報源を確定してしまおう。
「俺の身柄を押さえて置けと言うのは、某辺境伯と認識しているが間違いないか」
コルテオが、唇を歪めるように笑った。
「身柄を押さえると言う言い方は、ちょっと人聞きが悪い。フリッツァー卿より協力して人を探すと窺っている」
「……」
「間違いないだろう?」
「……ああ。間違いない」
頷きながら、シェインは内心微かに眉根を寄せた。今のコルテオの言葉に、なぜだか正体不明の違和感を覚えた。
何だろう。この違和感は。
(フリッツァーは、手放しに俺たちとの協力を諾とするほど、認めてくれていたのか?)
身元不確かな彼らを、訝しんでいたのではなかったのだろうか。
だが、事実フリッツァーとの連携がなければ見も知らぬコルテオがシェインらに接触を取る理由はない。フリッツァーと繋がっているのは確かなのだろうが……。
「おぬしの情報源がフリッツァー卿なら、おぬしも彼女を探し出して助けることに異存はないはずだ」
完全に信用することなど出来るはずがない。それは、こちらもそうだし、あちらもそのはずだ。しかしながら、目的が同じであれば一時的にでも相互協力は出来てもおかしくはない。希少な魔術師の手を借りられるのは、彼らにとっても十分メリットであるはずだ。文官を中心とする勢力には、リトリア王国の宮廷魔術師が入っているかもしれない。それに対抗する当て馬としては一般人より妥当だろう。
そう考えることにして、シェインはともかく話を進めることにした。
どんな意図があるのであれ、ここでコルテオに弾かれては話にならない。
「俺は戦力として十分な働きをする自信はある。……加えて、俺の顔など誰も知らぬだろう」
警戒されているのは、シェイン自身がクラスフェルドを脅かす存在となりうる可能性だろうか。ヴァルス権力を引っ提げてリトリア国内に侵食してくる可能性だ。
だが、これはシェインをどう動かすかによって避けられることでもある。そして国内の片がついたら消してしまえば良い。連合軍に対する良い手土産にもなろう。
少なくとも現状、シェインが身一つでいるのは確かなことなのだから。
「捨て駒だと思えば良い。……繰り返す。俺は、戦力になる」
コルテオの胸中をそう推測し、シェインは真摯に繰り返した。コルテオを押さえれば、自由度も情報量も必ず上がる。シェインとしても逃すわけにいかない頼みの綱だった。
「……良いだろう。信用したわけではないが、使ってみるとしよう。ただし、お前の素性は明かすな。余計な混乱を招く」
「願ったりだ。信用は、過程の中で自力で勝ち取ってみせるさ」
◆ ◇ ◆
翌朝を迎えても、騒ぎらしい騒ぎは起きなかった。どうやらエディとシーレィは無事に屋敷の外へと脱出することに成功したらしい。
「ソフィア・カテリーナ・ヴァン・デ・ファルネーゼ――フリッツァーの元にいたのは何年間だ」
朝食を終えた後、シェインは当面の部屋をコルテオが預かる小館へと移された。シェインの持ち金と共に二人の姿が消えたと告げると、コルテオはそれ以上追及をしなかった。
シェインの身柄を押さえたことで、ひとまずは満足をしたのだろうか。伏線が功を奏したのか、あるいは処分する手間が省けたと思っているのかは定かではない。いずれにしても、重要視していなかったことはわかる。――なぜだろう。
「さあな。俺は、ほぼ十年と聞いているが」
シェインの進めた駒の配置に、コルテオは難しい顔で盤を睨みながら唸った。チェスに似たテーブルゲームである。
ソフィアがファルネーゼ家に養子に出されたのが七年前。現在十七歳だから、生まれて間もなくフリッツァーに引き取られたことになる。
ソフィアの母は誰なのだろう。どんな経緯でフリッツァーの元で預かることになったのだろうか。母親は今どこでどうしているのだろう。
一瞬フリッツァーの娘かとも考えたが、すぐにそれはないだろうと言う気がした。元帥の娘ならば、王妃となるに不足はないはずだ。
クラスフェルドが現在独身であり、ソフィアがフリッツァーに預けられていることを考えても、王妃となることが出来ない人物でフリッツァーに縁のある女性と言うところだろうが。
いずれにしても、今回の表舞台に引っ張り出されてくることはなさそうか。
「おぬしは、フリッツァーとどういう繋がりだ?」
コルテオが手を伸ばす。硬い音を立てて置かれた駒に、シェインはそっと眉を顰めた。
「フリッツァー卿がセルジュークで元帥の地位におられた頃、その配下だったのさ。卿が罷免され、俺はアレマン卿の下へと移った。……チェックメイトだな」
ソフィアを救出したいと言うシェインの願いをとりあえずは聞き届ける姿勢を見せたコルテオだが、状況が劇的に進んだと言うわけでは、無論なかった。
シェインの行動は全てコルテオの掌握の下――監視つきでは、エディと連絡を取るのも間々ならない。何とか国境に控えるリトリア軍がどちらサイドなのかを引き出して届けたいのだが。
「フリッツァーはいつ到着する」
「数日の内だろう。もう一勝負するか」
「望むところだ」
悔しさを隠そうともせず鼻の頭に皺を寄せるシェインに、コルテオは小気味良さそうに笑った。それぞれの駒を手元に引き寄せながら、シェインは重ねて尋ねた。
「アレマン卿は、このことは」
「無論ご存知だ。間もなく会わせてやる。慌てるな」
「おぬしは、ソフィアに会ったことはあるのか」
「ないな。……彼女を探して、お前はどうするつもりだ?」
「どうもこうもあるか。彼女の意に染まぬ状況から助け出してやりたい、それだけだ」
「本当か?」
「本当さ」