第3部第2章第1話 布石(2)
「何の祭りなんだ?」
「祭りってほどじゃねえけどさ。今優勢に立ってるコルテオがたまにやりたがるんだ。競技だからさ、丸く削った刃を使うんだけどさ」
「コルテオと言うのは何者なんだ?」
「アレマン家の私兵隊副隊長さ。腕は良い」
アレマン家……わかりはしないが、当然のように家名で呼ばれることに意味は見出せる。相応に著名な貴族と言うことだ。
使えるだろうか。国王軍、反乱軍どちらに属す貴族かで話がややこしくなるかもしれない。いや、情報を仕入れるだけならばボーダーラインだろうか。
一際大きな歓声が上がる。覗き込んでみると、ちょうど1.8エレほどの巨漢が勝利の声を上げるところだった。
「彼がコルテオか」
「そうだ」
「ちなみに商品なんかはあるのか」
シェインの言葉に参戦の意志を嗅ぎ取った男が小さく口笛を吹いた。
「公式じゃないから大したものじゃないけどな。コルテオを押さえたら良い剣がもらえるって話だぜ」
コルテオの方から「次の挑戦者はいないのか」と声が上がる。
「俺がやる」
「シェインッ? よせ」
「やめとけって、見栄っ張り」
シェインの言葉に、エディとシーレィの制止の声が上がった。殊にシーレィの言葉にかちんと来てその頭をどつく。
「誰が見栄っ張りだ、阿呆」
ごちゃごちゃ言っている間に人だかりが左右に割れ、コルテオのいる場所とシェインを繋ぐ道が出来た。
コルテオは、萌葱色の短髪に精悍で彫刻のような彫りの深い顔立ちの男だった。浅黒い肌に、にっと笑う白い歯が健康的である。
「見た目によらず腕に覚えがあるか」
言いながらコルテオは、敗者の使っていた剣を投げてよこした。受け止めながら苦笑がこぼれる。軍人に勝てる見込みなど僅かにもない。
「いや、ないな」
先ほどの男が言っていた通り、刃はヤスリがかけられていて丸かった。打ち身程度なら十分あるだろうが、切りつけられたり突かれたりと言う心配はなさそうだ。
ただシェインには少し重い。何とか一瞬で勝敗が決まるような事態だけは避けたいものである。
「ないのに挑もうとは見上げた勝負精神だな。それとも私が舐められているのかな」
「まさか。ただの野次馬根性だ。この辺で右に出る者のない剣豪だろう。やり合って負けても死なないなら、やられてみるのもまた一興だ」
言いながら、軽く片手で剣を振る。
相手に興味を持ってもらいたい。せいぜい善戦するしかないだろう。
「ではお望み通りにしてやろう。来い」
からかうようなコルテオの言葉で、シェインは剣を構えた。
「痛むか」
「もちろんだ」
剣技を競っていた場所からほど近い居酒屋で、コルテオがしかめ面のシェインに苦笑をした。
どんでん返しなど起こりようもなく、勝敗は大方の予想通りに落ち着いた。シェインの完敗である。
とは言え、『貴族風優男』にしては良く抵抗を試みたと言えるだろう。コルテオに一太刀も浴びせられなかったが、細やかな動きで思いがけず善戦するシェインに観客は喜んだ。コルテオもシェインの身軽な動きを評価し、せっかくだから軽く一杯やっていこうではないかと言う流れである。
「剣筋は悪くはない。ただノーマル過ぎるな。速さはあるが力と切れがない。……エール酒をくれ」
先ほどのシェインの剣技をそう評して、コルテオは空のジョッキを持ち上げた。店の親父が応える声が聞こえる。
「シェインと言ったな。どこで習った? 基礎はきちんと学んでいるだろう」
微かに身を乗り出して、コルテオが興味深げにシェインに問う。言葉を幾つか交わした感じでは、気持ちの良い人物だと思われた。
テーブルにはシェインとコルテオが向かい合う形でついており、コルテオの隣にはエディが、シェインの隣にはシーレィがそれぞれついている。
「習いはしたがな。誰と言うほどではない」
「お待ちッ!」
追加のジョッキが運ばれてくる。それに豪快に口をつけると、コルテオは鶏もも肉にかぶりついた。その様子を眺めながら、この状況をどう好機とするか考える。
フリッツァーの言葉を信じるならば、ソフィアはこの街のどこかにいる。望まぬままに叛旗の象徴として飾られようとしているのだ。ことが起こってしまえば、ソフィアに荷担の意志があろうがなかろうがクラスフェルドはソフィアを厳罰に処すしかなくなる。
そうなる前にソフィアを見つけ出せる手だてはあるだろうか。
「たびたび、こういったことをやっているのか?」
少しでもコルテオから話を引き出したい。
ジョッキを傾けながらのシェインの言葉に、コルテオはにかっと笑った。
「暇つぶしさ。と言って、ただの暇つぶしでもない」
「ほう?」
「腕のある人間を見つけるには確実で早いだろう? 更に民も良い見せ物として喜ぶ」
馬鹿ではないらしい。民を喜ばせる術を心得ている人間は民の心を掴む。なるほど、こういった見せ物を彼らが喜ぶと知った上での催しか。
「ところでお前たちは?」
鶏肉を咀嚼しながらコルテオがこちらに話を振った。興味津々なのはお互い様だろうか。コルテオの場合は立場上もあるのかもしれない。
「しがない駆け出しの冒険者と言って信じてもらえるかな」
「信じて欲しければ信じてやっても良いがな。俺以外に信じて欲しければ冒険者ギルドの登録証なり傭兵隊の所属書なりを取ることをお勧めしよう」
ヴァルスの宮廷魔術師にそんなものを発行してくれる機関は恐らくあるまい。偽造する以外には入手のしようがない。
苦笑いを浮かべながら、シェインはコルテオから話を引き出す取っかかりを探した。
「そう言うおぬしはアレマン家の私兵隊をまとめていると聞いた」
今度はコルテオが苦笑をする番だった。
「一応はな。副隊長だ」
「こんなところで油を売っていて大丈夫なのか? ご主人様がお怒りではなかろうな」
「平気さ。それに今私がまとめているのは傭兵隊だ」
「傭兵隊……」
通常傭兵隊を常備する貴族はほとんどいない。金がかかるからだ。必要性もないから、子飼いの私兵隊だけを手元に置くのが普通である。
だが、コルテオは現在傭兵隊をまとめていると言う。戦時中だからわからなくはないが、リトリアのお家騒動に備えてとも考えられなくはない。
「戦争への徴兵か?」
エディが口を開く。その問いにコルテオは、僅かに笑っただけだった。
「街の空気が慌ただしいよね」
一人ミネラルウォーターを口にしているシーレィが、何気なく言う。
「僕が前に来た時はもっと上品な静けさがあったけど」
「戦の準備があるしな。何せ今は国王陛下も滞在している」
「ああ。その噂は耳にしたな」
伏せる必要はあるまい。シェインの言葉にコルテオもさしたる疑問はないようだった。頷く。
「そのせいもあるだろう。名誉なことだ」
「陛下は余り来られないのか」
せっかくだから、可能な限りクラスフェルドの情報も引き出したいところだ。しかしながら相手が無責任な街人であればともかくも、れっきとした軍人とくれば些か難しいだろうか。
探るような気分で問うてみると、コルテオは意外にもあっさりと頷いた。
「文官が多い街だからな。陛下は武官を重んじる傾向におられる。まあ、近寄りにくい街だろうよ」
「武王と言うくらいだ。致し方あるまい」
「それで済む者と済まない者もいると言うことさ」
「……ほう」
思いがけず深い話に流れそうである。
そのことに好機を感じながらも反面警戒心を抱かざるを得ない。
「派閥と言う奴だな」
「その通りさ。尤も、文官だからと言ってその全てが陛下に不服かと言うと無論そんなはずもない。信義を貫く者は貫くものだ」
「例えば? などと聞いても良いものかな」
コルテオがふっと口元に笑いを刻んだ。
「構わぬよ。叛臣を挙げよと言われれば口を噤むがな」
たやすすぎる。
シェインは胸の内で警戒心を高めた。
「ベッケルやシャミナードなどは代表的な忠臣と言えるだろうな。もちろん我が主にしてクリスファニア伯であるジョエル・アレマン候は言うに及ばない」
「アレマン卿はクリスファニア伯だったか」
「その通り。陛下の信頼も実に篤い」
果たしてコルテオの言をどこまで信ずるべきだろうか。彼の言葉通りに受け取れば、現在シェインらが接触しているのは国王サイドの人間と言うことになる。ソフィアの情報は持ってはいまい。
だがもちろん良からぬことを企てていたとて、通りすがりの縁に過ぎないシェインらに「我々は現国王に叛旗を翻すつもりだ」などと言えるはずもない。つまり可能性は現時点で変わらずフィフティ・フィフティのままと言うことだ。
余り性急に話を煽るのはまずいと判断し、しばらくは剣についてやこの街のことなど世間話に終始する。シーレィが実に調子の良い合いの手を挟み、コルテオは気分良さそうに話を展開していた。
世間話の中にも、役に立たない話題ばかりではない。街の特徴や市民の気質など、知っておくに越したことはない話題はいくらでも紛れ込んでいる。
「そろそろ良い時間だな」
やがて、調子良く話していたコルテオが懐中時計を取り出して呟いた。
このままでは、せっかく美味しい立場の人間を掴まえたのに大きな収穫もなく終わってしまう。だが、話を垂れ流すほどにはコルテオに酔いは回っていない。ここは無理せず逃して違うチャンスを探すか。
一瞬でめまぐるしく計算したシェインだが、コルテオが思いがけないことを口にした。
「どうだ。もう少し付き合わないか」
「何?」
「楽しい時間を提供してくれた礼だ。どうせ旅人だろう? 宿を提供してやる」
まさかの誘いに驚愕である。
「私と共にアレマン家に来い」
◆ ◇ ◆
「話が上手すぎる」
コルテオに伴われてアレマン家に到着し、更に小一時間ほど酒を飲み交わしてから与えられた部屋へ入ると、シェインは開口一番にそう言った。
コルテオはアレマン家の主人ではないから、借りた部屋は私兵たちが寝起きする離れに繋がった客室である。来客と言うほどの人間ではない者に仮に与える部屋だ。だがそれなりに整えられており、三人一部屋であっても窮屈さは感じない。
「確かにな」
エディが短く同調した。シーレィだけが、きょとんと首を傾げている。
「何がさ」
「少しは考えろ。仮にも有力貴族の部下、それも幹部と言って差し支えのない立場の人間が、いくら話が弾んだからと言って正体の知れない人間を屋敷に招くなど普通ではない」
「よっぽど気に入られたんだね」
「……」
そんな馬鹿な、である。
言葉をなくして頭を軽く小突くシェインに、シーレィが唇を尖らせた。上目遣いに睨み上げる。
「じゃあ何なのさあ」
「それを気にしているのだろうが。エディ、何だと思う」
「考えられるのは……」
思慮深げに目を伏せて、エディが静かに答えた。
「我々がここに来た目的を知っているか」
「仮にそうだとして、俺たちを抑えておくことに何の意味がある?」
「私たちに恩を売ってから泳がせて、ソフィアの居所を掴む駒に使うと言うのはどうだ」
「つまりコルテオ……いや、アレマンがソフィアの居所を掴みたい人間だと言うことだな。後は何が考えられる?」
「後は……」
エディが語尾を濁らせるのと同時に、シェインも無言でエディを見返した。浮かんだ考えは恐らく同じだろう。
「シェインの素性を知ったか」
「もしくはエディかもしれないな」
黙って互いの顔を見つめ合う。ヴァルスの宮廷魔術師、モナの公王――どちらにしても動きが気になっておかしくはない。
「ふむ。私もありうるか」
まだ己の立場を知らないエディが考え深げに呟いた。
もしもその場合、なぜ知り得ることが出来たのかという疑問が浮上する。
エディとすれば、顔を見知っている誰かがいたと言うのが最も考えられるだろう。リトリアとモナとは隣国、そしてここは文官の多い街だ。何らかの折りにモナ公王の顔を拝む機会があった者がいないとは言えない。
一方でシェインの方はと言えば、それは考えにくい。シェインはヴァルスの宮廷魔術師としてリトリア貴族に相見える機会はなかった。考えられるのは。
(フリッツァー……)
エルレ・デルファルだ。
「シーレィ」
黙りこくったまま考えに沈み込むシェインとエディに退屈したように、シーレィはベッドの一つに寝転がって足をぱたぱたさせている。
シェインの呼びかけに、シーレィが顔を向けた。
「精霊魔法はそれなりに使えるな」
「馬鹿にすんなよ? これでもエルフだぞ」
「攻撃魔法ももちろん使いこなせるな」
「風の王を呼び出せとか言わないんならね」
「やれるならやってくれと言いたいが、まあ無茶はやめておこう。ならば頼みがある」
これは腹を括らねばならないかもしれない。
いずれにしても、この先ずっとエディ自身に己の素性を知らせぬまま連れて歩くわけにはいかないのだ。
モナにほど近い文官の街クリスファニアを、モナ公王その人がうろうろしているにも限界はある。実際のところ、この街でエディをふらふらと連れて歩くのは危険だ。
エディをヴァルスに引き寄せて、モナ公王に返り咲いてもらう時期に来ているのかもしれない。
リトリア国境にいるヴァルス・モナ軍をエディが統率してこちらの動きと連動してくれれば、手駒となる軍隊が手に入る。
「エディとシーレィはソヴェウレイユに行け」
ソヴェウレイユは、リトリアとモナの国境沿いの地域である。現在は、モナはフラウ地方から南へ降りたレスヴァーレィ地方のハンノ要塞逗留軍とリトリアはソヴェウレイユ地方のアルビヌス要塞逗留軍が睨みあっている状態のはずだ。険しい荒地であることを考慮しても、単身で馬を飛ばせば三日程度の距離だろう。
エディもシーレィもぽかんとした顔でシェインを見返した。それに応えて、シェインは言葉を選びながら口を開いた。
「今の段階では、クラスフェルドがどう動くつもりなのかがわからないが……内乱軍はクラスフェルド王がクリスファニアにいる間に攻撃を仕掛ける可能性が高い」
「だろうな」
「その際に、ソヴェウレイユのリトリア軍がどう動くか皆目検討がつかないが、こちらも手勢を用意しておく必要を感じる。ソフィアの奪回は、内乱が開始してからになる可能性が高い」
その前に見つけだし、侵入して奪取出来ればそれに越したことはないが、ソフィアの居場所は今のところ全く見当が付かない。何かが動き始めた混乱の最中であればまだ何とかしようもあるかもしれないが。
しかしながら、フリッツァーがどう動いているのかも掴めていない今、動かせる手勢は自身で用意をする必要がある危険性を感じる。
「リトリアとモナの国境には、ヴァルスとモナの混成軍が布陣している。こちらの状況や動きを把握して上手く立ち回ってくれる人間が指揮に立つことが必要だ」
「指揮に立つったって……」
シーレィが驚いたようにシェインを凝視した。エディもまた同様である。
「エディ。その前に一つ確かめておきたいことがある」