第1部第12話 別離と再会
対、人と。
対、魔物と。
生命、と言う観点で言えば区別してはいけないんだろう。動物愛護団体から訴えられそーだ。魔物が対象に含まれるかはさておき。
でも、俺は、人間だから、そこにはやっぱり大きな隔たりがある。
捕食しようとする生き物に対する、抵抗。ナタの言う通り、俺には抵抗する権利があって義務がある。
迷いが生じても……防衛本能が強く働く。
でも……。
うまく、言えない。……いや、違う。うまく言えないんじゃなくて、わからない。どう違うのかも、どうしたいのかも……どうすれば、良いのかも。俺の世界とこっちの世界と、『正しい』ことが違うから、今の俺の中で基準とすべきものがわからなくなっているから、自分の中での『正しい』ことを俺は考えきゃならない。
ただ、とにかく人を殺すのは嫌だった。元の……自分のいるべき場所に戻った時に、果たして俺は、人を殺めた体験を持つ自分を、許せるのだろうか。
ナタの声が蘇る。驕りがあるからこそ、躊躇が生まれるのだと。安全に守られ、自分の手を汚すことなく生きてきた者の傲慢。
けど、どうしても正しいと思えない。思えないのに、じゃあ自分を守る為に誰かが代わりに手を汚すのもまた……良しと出来ない。そしてまた回る。堂々巡りだ。
俺がレガードとして狙われる以上、俺やユリアを守る為にシサーやシンが手を汚すハメになるのは、必然なのだから。俺は、それを見過ごし、目を瞑っていて良いのか?……良いわけがない。他人に手を汚させて自分はのうのうとしているわけにいかない。それじゃあただの、卑怯者だ。
でも……嫌だ。
どうしたら良いのか結論は出なかったけど、下山するまでの5日間、幸いにして山頂のように人の襲撃を受けるようなことはなかった。代わりに魔物はばんばん出たけど。
砂漠側の斜面に出たせいか、山のこっち側は吹き付ける風も強く、乾いていた。木や草もほとんどなく、暑ささえ乾いている。下るに連れて段々、まばらでも生えていた木々が姿を消して、粗い山肌が露になっていった。見晴らしが良くなってくる。
「あれが、風の砂漠だ」
両側に聳えていた高い土壁が途切れ、景色が見渡せる場所で不意にシンが言った。強く吹き抜ける風がシンの黒髪を弄る。言われて向けた俺の視線の先には、どこまでも続く黄砂の砂漠が広がっていた。遠く、地平線は舞い上がる砂埃のせいか黄色っぽく霞んでいる。
「凄ぇ……」
思わず呟いていた。砂漠を見たのは生まれて初めてだ。俺は鳥取砂丘すら見たことがない。
どこまでも、砂だけだ。大きな起伏はないみたいで、ただただ陽に灼かれた一面の砂。荒く、厳しい自然の、猛々しい美しさとでも言うんだろうか。この中を旅したら美しいって言う感想なんかタチドコロに消えそうだけど。
「何だ、あれは……」
呆然としている俺の隣で、シンが眉を顰めた。訝しげな声を出す。
「え?何が?」
シンの視線の先にあるのは、広がる砂漠のずっと地平線の方……左右で言えばほぼ中心点にあたるようなところに見える、黒い渦に向けられていた。……渦?竜巻!?
どこまでも黄色いその地面に対し、その遥か遠くの空高くまで渦巻く竜巻はこげ茶を通り越して黒っぽい渦を巻き上げていた。ここからは遥か遠くて害が及ぶ危険性はなさそうなんだけど、距離を差し引いてもそれほど巨大な竜巻と言うわけでもなさそうだ。
「竜巻だ……」
「あの辺りには、『王家の塔』が見えるはずだ」
「え!?」
風に持っていかれそうな髪を押さえながら、俺と同様に呆然と砂漠を見渡していたユリアと俺が同時に叫ぶ。シンはこっちを見向きもせず、真剣な眼差しを竜巻に向けたまま呟いた。
「前に来た時は、あんなものは、なかった」
「前って?」
「……」
ええええ、答えてくれないとは思ってましたけどね。もう慣れましたけどね。
「『王家の塔』よりこっち側に竜巻が発生していると言うだけの話かもしれないがな。いずれにしても竜巻なんて滅多に起こることはないんだが」
「そうなの?けど、『風の砂漠』でしょ」
「それはそうなんだが、竜巻と言う現象はあまり見かけないな。……行こう。こんなところでぼんやりしていても仕方がない」
促されて歩き出す。
そこから麓までは、もう1時間ちょいくらいの距離だった。ようやく山を抜けて、久しぶりに開放的に広がる平地に何だかほっとしてしまう。いや、砂漠なんつったらまた別の魔物がうじゃうじゃいそうで嫌は嫌なんだけどさ。
「やっと越えた……」
「うん。……お疲れ様」
吐息をつくように呟くユリアに微笑みかけ、シンに向き直った。シンが、俺が何か言うより先に口を開く。
「ここで、お別れだな」
……え!?
「ここから山沿いに北へ向かえ。3日ほど歩けばギルザードと言う街があるはずだ」
「ギルザード?」
砂漠なのに、街が?
「山越えをした者もする者も、必ず立ち寄る街だ。他に街がないからな。……例の傭兵たちも、必ず立ち寄るだろう」
「……シンは?」
「俺はこの先、行くところがある。……大丈夫だ。ギルザードまでは、恐らくジャイアント・スコルピオンかそのレベルの魔物程度しか出ないだろう。間違って砂漠の奥まで足を踏み入れなきゃな。お前でも何とかなるはずだ」
お前でもって……そりゃあシンに比べれば随分役立たずではありますが。
「行くところ?」
「ああ」
「ひとりで、行くの」
「ああ。慣れてる」
シンは視線をどこか遠くへ彷徨わせた。結局、シンのことは良くわからないままだ。
そして、随分助けてもらったお礼も何ひとつ出来ないまま。
「……わかった。ありがとう」
「また、必ず会う時が来る」
「え?」
「その時までに少しは剣の腕を上げとけ」
言ってシンは、そっけなく踵を返した。最後の最後まで、冷淡だ。そう思うと何だかおかしい。
「シン、本当にありがとう」
シンの背中に投げかける。シンは振り向きもせずにひらりと片手だけ振ると、俺たちとは逆の方向……南の方へ向けて山沿いに歩き出した。
――必ず会う時が来る。
なぜ、だろう。
まるで必然のように断言したシンの言葉が耳に残る。
しばらくその背中を見送った俺は、ユリアを促して歩き出した。
「行こう。……ギルザードへ」
◆ ◇ ◆
シンと別れたその日は、以降魔物に遭遇することもなく平穏だった。じりじりと太陽が熱い。乾いた風も強く、時折目も開けられないほどだ。
砂漠の風景は淡々としている。どこまで歩いても同じような景色が続き、衝撃を吸収する砂のせいで足も重い。ただ、左手に山がずっと続いているので、その変化で辛うじて進行がわかる。
「シサーたち、どうしたかしらね」
「うん……。ギルザードで、うまく会えれば良いんだけど」
2日目になると、さすがに魔物に何度か遭遇した。けれど、シンの言う通りジャイアント・スコルピオンばかりで、山中でも何度も遭遇をしたので対応には慣れたものだ。
俺とユリアは、レガードのことについては口にしなかった。ユリアは意識を失っていたので、『銀狼の牙』の話は聞いていない。戦闘の最中に突如行方がわからなくなったなどと聞いたらどう感じるのか判断が付かず、言えずにいた。
「……もう少し歩いたら、休憩しようか」
「うん」
疲労のせいか、旅をしている間は口数が減る。無駄口を叩いていると体力が損なわれるのだと言うことが俺もユリアも身にしみてわかっていた。黙々と歩いて行く。
……それでも。
時折、ユリアに差し伸べる手、応える笑顔。
そのひとつひとつが、近くなっていく、と思うのは俺だけなんだろうか。
それとも、それは……俺が、レガードに、似ているから……?
左手にずっと続いていた山が、不意に途切れた。地面も砂漠ではなくなって、乾いてはいるものの辛うじて草原と言えそうな地帯に突入する。ずっと砂漠が続いていくんだと思っていたから、驚いた。
「凄い……」
ユリアが呟く。山が途切れた左手には突如深い渓谷が現れていて、その高さと言うか深さと来たら目も眩みそうだ。遥か何キロも先と思える下には、激しい水の流れがあることが辛うじて見える。いわゆる断崖絶壁と言うか。
その渓谷を越えた向こう側、こっちより随分下ではあるけれど、そこからは平地が広がっていた。深い森が見える。リノへ向かう途中、遠くに見えていた森があったんだけど……それだろうか。
「あれが、聖なる森よ」
「聖なる森?」
首を傾げるとユリアが俺を見上げた。渓谷から吹き上げる風がユリアの髪を舞い上げる。
「教皇領エルファーラにある森。とても深い森」
「ふうん」
「ファーラ教の聖地とも言える教皇領にあるから、そう呼ばれているの」
山に囲まれた乾いた砂漠を歩いて来たせいで、何にも阻まれない吹き抜ける風がひどく心地良い。この砂漠そのものが結構な標高にあるんだなと言うことに今更気が付く。遥か遠くまで望めるその景色が心を癒してくれるような気がして、俺もユリアもしばらく黙ったまま、そこに立ち竦んでいた。
抜けるように広がる空は青く、どこまでも続く美しい景色が、異国にいると言う感覚を強くさせる。それは同時に、郷愁を感じさせた。
……もうすぐだ。
風の砂漠まで、辿り着いたんだから。
レガードの行方の手掛かりらしきものも少しだけ掴んだし、きっと『王家の塔』まで行けば何かわかることもあるだろう。
そうしたら、おしまい。
俺の、当たり前の日常が戻ってくる。
「エルファーラってとこには行ったことがあるの?」
景色に目を細めながら尋ねると、その言葉にユリアがにこっと微笑んで頷いた。
「あるわ。大教皇にもお目通りしたことがあるわ。……尤も、大教皇のお姿を拝見したことはないのだけれど」
「へえ」
さすがアルトガーデンの皇女様。
「いつか……」
ユリアの髪が風に舞う。遠くを見つめる瞳をそのままに、ユリアが、言った。
「こんな危険な旅ではなくて、あちこち、回ってみたいわ」
「ああ……そうだね」
気楽にあっちとこっちを行き来出来れば、もっと素直に楽しめるのかもしれないな。
帰れるんだったら、外国とさして変わらない。いや、言葉を覚えた分、下手な外国よりはこっちの方がいやすいかもしれない。
そうしたら、こっちのいろんな国とか回ってみると、きっと物珍しいことばかりだろう。シサーがいればきっといろんなことを教えてくれるだろうし、何より、こっちにはユリアが……。
「……一緒に行けたら、楽しいわね」
「うん……え?」
聖なる森に視線を注いで言葉を聞いていた俺は驚いてユリアに視線を戻した。見つめる瞳が細められている。
……一緒に?
「俺と……?」
「うん。もっとゆっくり、カズキとあちこち行ってみたいわ」
どきりとした。
い、いや、深い意味はないだろう。わかっちゃあいるさッ。でも『俺と』って言った。そう言われれば嬉しいに決まってる。
どきどきしてしまって返す言葉が浮かばない俺を、ユリアが目を細めた柔らかい表情のままで見上げた。風に舞う、黄金色の髪。
「わたしね」
何かを言いかけた、その時だった。
「……カズキ、あれ……」
ふっと顔を、これから進む進行方向へと戻したユリアが不意に言った。ぼんやりしていた俺はその声で我に返る。
「え?」
「……シサーたちだわ」
つられて向けたその視線の先には、複数の人影が見えていた。まだ、距離にすれば何百メートルとか離れてるんだけど。でも。
「ホントだ……」
俺も呆然と呟く。顔を見合わせた。
「行こう!!」
「うん!!」
どちらからともなく、駆け出す。……間違いない。シサーたちだ!!
こんなにタイミング良く、うまく会えると思っていなかった。
歓喜と安堵。……これでもう、ユリアを必要以上に危険に晒さずに済む……!!
「シサー!!ニーナ!!」
「ユリア!!」
「カズキ!!」
向こうもこちらに向かって駆け出してきた。自然と顔がほころぶ。たまっていたはずの疲れも、一気に忘れた。
「無事だったか!!」
「シサー!!」
……あれ?
駆けながら、目を瞬く。近付く人影は、3つ。サイズから考えて、レイアじゃない。
「ええええ!?」
駆けながら思わず目を丸くした。白金の髪、オレンジ色の瞳、俺よりちょっと小さな小柄な体。……思いがけない人物。
「キ、キグナス!?どおして!!!」
◆ ◇ ◆
ギルザードまではあと、ほぼ半日の道のりだ。合流した俺たちは、ともかくギルザードまで行ってそこで一度休憩しようということになった。
どうしてキグナスがいるのか、反対になぜレイアがいないのか、なぜこんなにタイミング良く会えたのか、あれからシサーたちがどうしていたのかなど、聞きたいことはたくさんあったし、俺も『銀狼の牙』のこと、シンのことを話したいのはやまやまだったんだけど。
「ここで話し込んでてもしょーがねえ。とりあえずお前らも疲れてるだろうし、街へ向かおう」
と言うシサーの言葉で、何はさておき街についてからにしようと言うことになったのだ。
それと、シサーたちと再会して僥倖なことがもうひとつあった。ユリアの荷物だ。
足を滑らせた時、その場に荷物を落としてきていたらしく、ユリアの荷物はシサーたちが持っていた。もちろん『遠見の鏡』も無事だ。それを安心したように取り出してからユリアは俺に泣きそうな視線を向けた。
「今更連絡したら、怒られそう……」
……そんなこと言われても……。
途中で日が沈み、野営をしても良いとシサーたちは提案してくれたのだが、俺とユリアは強硬に夜間突破を言い張った。
疲れているのはもちろんなんだけど。疲れているからこそ……気を張ることなく宿で休みたい。
正直、汗と返り血と砂埃でどろどろだし。可能であれば早く風呂にも入りたいし。
街の灯りは遠いけれども、それでもここからもう見えていて、実際聞いてみると4、5時間くらいだってことだし。だとすると夜半頃にはつく計算になる。
それだったら、多少強引でも今日中にギルザードにつきたい、と言うのが俺とユリアの意見だった。
まあね。実際俺は昨夜もその前も、交替要員がいなかった為夜通し見張りをやって起きてて……ユリアに見張らせるわけにはいかないし。昼間にちょっとだけ仮眠を取ったけど、これだけ歩いて戦って、仮眠なんかで足りるもんか。なので、死ぬほど眠い。今すぐにでも眠りたい。
が。
あと少し頑張れば宿があると思えばやっぱり宿で眠りたい。
シサーたちもそんな俺たちの意見を尊重してくれて、結局日が落ちてからも街を目指して歩き続けた。夜の強行軍と言うことで魔物との遭遇率は俄然跳ね上がるのはもちろんなんだけれど。
「軽やかに踊る風の精霊シルフよ、その姿を刃に変えよ!!ウォラト!!」
「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、ダテ・エト・ダビトゥル・ウォービース・イグニス!!『火炎弾』!!」
シサーのグラムドリングが閃き、ニーナの、キグナスの魔法が飛ぶ。俺もはぐれる前から比べれば多少は戦い慣れたし、ユリアの回復魔法も効率的に発揮出来るようになっている。魔法石はふんだんに持っているし、砂漠の端辺を徘徊している魔物なんて雑魚だった、はっきり言って。
怒涛のごとく、湧き出るワンダリングモンスターを撃破し、風の舞う砂漠近くの闇を薄らぼんやりと照らしている下弦の月が真上を通り過ぎようとした頃、ようやく俺たちは街までもういくらもないと言うところまで到着することが出来た。
「あれが、ギルザード……」
小さく呟く。ユリアも俺の隣に立って小さく頷いた。
人の住む空間に辿り着いたのは、いつぶりだろう。リノの村以来だから……既に半月近く経過している。安堵なのか、気が抜けたのか、体中にどっと疲れが押し寄せてくるのを感じた。
「今日はゆっくり休みな」
最後に戦ったコカトリスとサンドゴブリンの混成部隊で汚れたグラムドリングを拭いながら、シサーが俺に笑顔を向けた。