第3部第1章第28話 氷竜来襲(2)
「カズキッ!!」
投げやりな俺の言葉を遮るように、強い衝撃を受けた。怒鳴りながら俺の胸ぐらを掴み上げたシサーが、そのまま俺を壁に叩きつける。
「本気で言ってるのか?」
「……本気だよ」
「目を覚ませッ!! ここでうずくまっていて何になるッ!?」
「じゃあキグナスを放置してけって言うのかッ!?」
今まで茫洋としていた俺が突然怒鳴り返したせいか、シサーは一度飲み込むように言葉を切った。
それから改めて、強い視線で俺を睨んだ。
「そうじゃねえだろう。魔物に人が襲われてる。罪もない人たちが、餌になってんだよ!! 食われてんだッ!! それを、お前にしか出来ねえことがあるのに、やらないで黙ってるつもりなのか!?」
「……」
「何の為にツェンカーに来たんだよ!? これで全滅しちまったら、本当にキグナスは無駄死にだってわかってるのか!?」
(カズキィ……)
シサーの言葉尻に被せるように、声が聞こえた。――気がした。
(行って来いよ)
「キグナス……」
「え?」
思わず振り返るが、期待に反してキグナスは変わらず横たわったまま身動ぎをしない。
また、声が、聞こえた。
(ごめんな。力、足りなくて)
(ごめんな。もう何も手ぇ貸してやれなくて――)
目を見開いたままシサーを見上げると、シサーも凍り付いたように俺を見ていた。
声だけ……幻聴?
(行けよ)
まるで、微笑んでいるような朗らかな声だった。
(行って――)
馬鹿野郎……。
涙が、止まらなくなるじゃないか……。
これで行ったら、きっと最後……戻って来たらきっとお前の声さえもう聞こえず、残る温もりさえ消えてるんだろう?
(――行って、ヴァルスの平和に、繋げてくれ)
シサーが、無言で俺の肩を軽く叩いた。
「……ごめん」
「行こう」
「――うん」
行ってくるよ。
キグナス――――――――――……さよなら。
◆ ◇ ◆
「ちッ……何だこれッ……」
床に放り出してあったレーヴァテインをひっつかみ、シサーらと共に階段を駆け上がる。
石造りの階段をいくつか通り過ぎて外へ辿り着いてみると、外は、猛吹雪だった。
「カズキ。アレンと一緒に行け」
目の前を真っ白に染めて舞い暴れる氷雪に目を細めながら、シサーが言う。
その言葉に、シサーでもセルでもない……もうひとりの人物を見上げた。
さらさらの短い銀髪に深緑色の瞳をした、どこか人の良さそうな青年だ。ひょろりと高い位置から俺を見下ろして、曖昧に笑う。
「あなたが、アレン?」
ぼそりと尋ねると、彼は小さく頷いた。
「アレンについて行ってくれ。わけは後で話す。……やれるな?」
俺が頷くのをシサーが見届けると、アレンが俺を促した。
「あちらから抜けましょう。一度、ドラゴンクローラがどう動いているのか確認したい」
ちらりとシサーを見上げ、それからアレンに続いて駆け出す。外に出て少し先には再び建物があり、そこへ続く渡り廊下があった。屋根がついている。
(やっぱり、ダンテラス要塞のどこかなのか……)
敷地は広く、宴のあった建物がどこなのかまでは良くわからない。加えて言えば、俺は、あれからどのくらいの時間が経過したのかさえ明確にわからないことに今更気がついた。
俺自身がどのくらい意識不明だったのかわからないけれど、俺とキグナスが拉致されたのにはさほど時間差はなかったのだろうから……。
(……)
きつく唇を噛んで、意図的にトラファルガーへと頭を切り替える。
今は、考えるな。
でないと、目の前のアレンさえ疑わしいのだから。
シサーが俺に『彼について行け』と言ったのだから、不安を覚える必要はない。だったら、考えるべきはそれじゃない。
だけど……。
前を駆けるアレンが帯剣しているのは、少なくともその鞘や柄を見る限りはかつて俺が持っていたものと酷似していた。
そして背には、変わった形の弓を装備している。クロスボウと言う奴だろうか。片手回しのハンドルのようなものがついている、強力そうな奴だった。そう言えば彼はアーチャーだ。多分。
「アレン」
渡り廊下から、建物の中へ入る。無愛想に真っ直ぐ伸びる通路に人の気配はなく、時折どこからか伝わる振動が空気を震わせ建物を鳴らす。
「あなたは、アルディアの息子?」
アレンが、微かに顔だけで振り返った。
「そう」
「あなたは、『地上の星』だよね」
「……」
無言で駆けていたアレンの背中が、足を止めた。
「なぜそうだと? ……こちらだ。地下道を使って向かう」
「あなたの持っている剣は、『地上の星』へと流れるルートへ乗った俺の剣だ」
俺を促しながら、通路の途中にある扉を開けて現れた階段に足を向けたアレンは、俺の言葉に目を見開いて振り返った。それから自分の腰に視線を下ろし、小さく微笑む。
「そうか……そういうこともあるものか」
普通の剣なら多分、わからなかっただろう。だけど俺がシャインカルクから貰った剣は、頼りない俺へのせめてもの心積もりか物が良く、それがゆえに闇組織が見逃すはずもなかったし、辿り着いた先では身分の高い人間の手に渡ることになったんだろう。
偶然、だけど必然のような気もする。
「そう。確かに僕も『地上の星』であることになる、んだろうな」
「アルディアは、違うと聞いた。あなたは、お父さんを裏切ってるの」
「それは否、と答えよう」
短い階段はすぐに終わり、天井の低い通路がある。幅も狭く、閉塞感のあるその通路を足早に急ぎながら、アレンが付け加えた。
「父は、『地上の星』ではないよ。それは僕が保証する。そして僕は『地上の星』だと言えるかもしれないけれど、父を裏切っているわけじゃない。セルもまた、同じ」
「どういうこと?」
「『地上の星』に同調しているのではなく、実態を知る為に潜入していたから」
「潜入……?」
「そう。……己の名を翳して結成された水面下の反乱因子を、父は認めていない。だから、僕が、代わりに」
「でもそれは、汚名を着せられることにもなりかねない」
「僕自身なら、構わないけれどね。だけど、父も知っている。ルーベルト殿の同意も得ている。僕が潜り込むのは、とても容易いことだったよ。そして同様にルーベルト殿が送り込んだのが、セルだ」
「え?」
「セルは、ルーベルト殿の秘書官のひとり。彼は、二重スパイと見せかけた、民事会サイドからの潜入官だ。ルーベルトの情報を『地上の星』に流す役割として、とても重宝されていた。もちろん、そのことをルーベルト殿はご存知だ」
そうだったのか……。
考えてみれば、ヴァルトのような要塞幹部さえ含む闇組織を国家中枢が放っておくはずもない。対策は、していたんだ……。
アレンが『政治ごとの役に立たない』なんて、とんでもない誤解じゃないか。
「セルが君らの通訳としてついたのは、君らをガードする為だったんだ。けれど、ヴァルト副将軍の動きに気を取られて目を離したことを、セルはひどく後悔している。僕からも謝罪しよう。力が及ばなくて、済まなかった。……ここを上がると、すぐ外に出る。ドラゴンクローラの一部と指揮官がいるはずだ」
セルの言葉の意味、そして、セルがヴァルトを連れて行ってから間もなく俺に助けが来たことのわけが、今更ながらわかった気がした。もしかすると、セルは部屋の扉を閉める振りをして閉めなかったのかもしれない。ヴァルトを連れ出したのは、俺が逃げる時間稼ぎの為だったんだろう。
だとすると、現れた少年もセルの差し金だと考えられる。もしかすると、ヴァルトの屋敷の前で彼に一度遭遇していたのさえ偶然ではなかったんだろう。
不明点はまだあるものの、概要が見えてきて、俺はそっと唇を噛んだ。
敵だと思っていた人の中に、味方がいたのに。
その救いの手さえ、キグナスには間に合わなかったんだ。
「シサーたちは、どこに……?」
短い階段を上がりながら、尋ねる。この通路に入った時と同様、階段を上りきったところにある扉にアレンが手を掛けた。
「この騒乱の中でも、押さえておかなければいけないところはあるんだ。少ない人手でね。シサーは腕の立つ人物だと聞いた。だから手を借りている。……君は、今はトラファルガーを片付けることを考えてくれ」
扉を開けると、扉のない出入り口がそこにあった。その外は、真っ白だ。寒さに竦む体を圧して、外へ出る。
だが、予想に反して、そこには誰の姿もなかった。もちろん、ドラゴンクローラもいない。アレンが微かに舌打ちを漏らした。
「出払ったか……。仕方ない、カズキ、行こう」
「う、うん」
「とりあえず、フリュージュの外郭にある砦に行く」
真っ白に煙る曇天を、獰猛な雄叫びが覆い尽くした。
駆け出すアレンの背中を追って、俺も雪の中を走り出す。
要塞を出てフリュージュの街へ繋がっている連絡路を辿りながら見上げる上空には、フレザイルで見たのと全く同じ姿をした氷竜が浮かんでいるのが氷雪の合間に見えた。ここから見ても、生々しいほどくっきりとわかる巨体。緩く羽を動かし、顔が裂けているような口から轟音と雪礫を吐き出している。
その周囲に、ドラゴンクローラが何騎か舞っているのが見て取れた。近付こうとしては、攻めあぐねているように距離をとる。トラファルガーの咆哮に混じる雄叫びは、ドラゴンクローラの威嚇の声だろうか。
「さっさと片付けないと、まずいな」
「何で」
「ドラゴンクローラの攻撃性は、長くは持たない」
そう言えば、元々は温厚で臆病な生き物だった。
「どうやって戦闘に使うの」
「ドラゴンクローラが、ある時期に好んで食べる岩石がある。子供を持った時だ」
足を動かしたままで、剣ではなく、背に負った弓を抜き出したアレンが上空を睨みながら答えた。
「その時期には、ドラゴンクローラの攻撃性が異様なまでに上がる。その岩石が、上げるんだ。ドラゴンクローラは本能的にそれを知っていて、子供を守る時期にだけ好んで食べるらしい」
「じゃあ、それを食べさせると……」
「そう。戦闘に使えるようになる。だけど、所詮は食料のもたらす作用だから長くは続かない。持って半日かな」
街の外郭に辿り着き、街へと階段を下りる。思いがけず街には多くの人が残っていたのか、氷竜に恐慌を来たして逃げる人々の姿が目に飛び込んできた。大きな通りは、ごった返している。アレンが、険しい表情を見せた。
「固まらないでッ!! 建物に籠もってじっとしてッ!!」
けれど、怒鳴る声など誰も聞く耳を持たない。怒号や悲鳴、激しい物音が重なり、アレンが俺を脇道へと引っ張った。
「固まるほど攻撃を受けやすくなることがわからないのかッ……。道は使えない、ちょっと足場が悪いところを抜ける。ともかく、外郭の砦まで……」
アレンの言葉が途切れた。耳に神経を集中しているような硬い表情に、俺もつられて動きを止める。
空気を裂くような重い音、堰の壊れた水流のように猛スピードで迫り来る破砕音、そして人々の悲鳴はほとんど絶叫のように高まった。
「カズキッ、走れッ!!」
トラファルガーだ。
アレンの言葉を合図に、目で確認もせずに俺は走った。
建物で遮られていて姿は見えなかった、けれどアレンの言った通り大通りを固まって逃げる人たちの姿に、トラファルガーが襲い掛かったんだろう。
細い路地を人とは逆方向へと逸れていく俺たちの後方で、トラファルガーが人間の体に与える苦痛塗れの嫌な音と悲鳴、そして建物が瓦礫へ変わる音が畳み掛けるように上がっている。
駆けながらちらりと振り返ると、僅かに見える大通りはガラス細工のように綺麗に氷結し、食われる人の姿が赤い塗装を撒き散らしていた。
「アレンッ、待ってッ」
今なら、近い。
それに気づいて、足を止める。アレンが振り返っただろう時には、俺はレーヴァテインを握って今来た道を駆け戻り始めていた。
「カズキ!!」
レーヴァテインが、熱を持つ。
トラファルガーの捕食から無我夢中で流れて来る人に巻き込まれそうになり、俺は手近な建物に飛び込んだ。取るものも取りあえずに逃げたらしい室内は乱雑で、脇目も振らずに階段を駆け上がる。
上り切って飛び込んだ手近な部屋は、寝室だ。窓の向こうにバルコニーを見つけて、俺はそこへと走り出た。