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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第1章第28話 氷竜来襲(1)

 ――争いって、憎悪の連鎖反応も原因のひとつなんだ。その連鎖を誰かが止めなきゃ、駄目なんじゃねぇかな。


          ◆ ◇ ◆


 目の前で、『副将軍であるはずの男』が血にまみれて呻いている。

 小刻みに震える体と、俺を見上げる恐怖に彩られた視線に、歪んだ笑いがこぼれた。

 キグナスの恐怖と苦痛は、どれほどのものだったろう?

 ロッドを奪われ、理不尽な痛みに曝され、最期に何を思っただろう?

 確かにキグナスは、ロッドに頼っていたかも知れない。

 けれどそれは、命を失うほどの、罪なのか?

 ごうん……と魔剣の炎が、低い唸りを上げる。

 そして、一際大きな炎を吐き出すと、それはそのまま獣の姿を取った。

 炎で象られた、狼だ。

 ヴァルトが、喉をひきつらせるような悲鳴を上げる。

 今なら、『扱い方は教えるものじゃない』と言ったレーヴァテインの言葉の意味が、理解できた。

 教えられるものじゃない――レーヴァテインの使い方が、今の俺にはわかる。それが、レーヴァテインが俺を主と認めたことなのだと言うことも。

 炎狼の上げる唸りが、空気を震わせた。ヴァルトが血塗れの全身を引きずるように、隅へ隅へと逃げようとする。

 無駄だよ。

 逃げられない。

 くらい笑みを湛える俺の意志を正確に読み取って、炎狼が地を蹴った。ヴァルトの姿が炎狼に遮られ、俺からは見えなくなる。

 だけど、足りない。

 これじゃあ足りない。

 なあ、あんた、俺に言ったよな?

 どれだけ苦痛を長引かせられるかに意味がある、と。

 すぐに言ってしまっては面白くないってさ。

 その言葉に則って、キグナスを痛めつけたのか?

 キグナスは、あんたの欲した情報なんて、持ってなかっただろう?

 だからいくら何されたって、言わなかった。……言えなかったんだよ。

 気づかなかったか?

 なあ――気づかなかったのかッ!?

「カズキッ!!」

 レーヴァテインが、俺の内側にたぎる怒りに合わせて生み出した炎の塊を、炎狼に遮られたままのヴァルトめがけて撃ち込む。

 その反動を、ただ受け止めながら無感動に立ち尽くす俺の目に、セルの姿が飛び込んで来た。

「セル……?」

 俺の右手の魔剣からは、構わずに炎が放たれている。

 ぼんやりと視線をセルの方へ彷徨わせる俺に、セルは扉を盾にするかのように僅かに身を引きながら、ヴァルトだったモノに顔を向けた。

(こいつも……『地上の星』……)

 敵、か……?

「カズキッ!! やめろッ!! 俺は敵じゃないッ!!」

 敵じゃ……ない……?

 セルが、蒼白な顔で続ける。半ば悲鳴のような声だった。

「カズキッ!! とにかく落ち着いてくれッ!! ……もう、死んでるよッ!!」

 からん……。

 硬い音を立てて、レーヴァテインが落ちる。火の弾も、炎の獣も、同時に揺らいで姿を消した。

「カズキ……」

 それを見て、セルがほっと息をついて、部屋の中へと入ってくる。

「セルは、『地上の星』だろう……?」

 無言で、青い顔で、眉を顰めてヴァルトだったもの……既に原型を留めているとは言えないソレを見つめていたセルは、俺の言葉にそのまま顔を上げる。

「そうだよ」

「だったら……敵だよ……。俺は……『ヴァルスからの使者』だから……」

「……」

「知ってるよね?」

 どこか呆然としたままで、定まらない視線で問う俺に、間近まで近づいたセルは硬い表情で頷いた。

「ああ。知ってる」

「キグナスを……返してくれ……」

 もう一度、レーヴァテインを使おうと言う気力がなかった。

 ぽつんと、血と焦げ痕だらけの暗い部屋に投げ出された俺の言葉に、セルが顔を歪める。

 俺の肩に両手を伸ばし、うなだれるように深く頭を下げた。

「俺が、目を離さなければ……」

「……?」

「力不足だった。すまない……」

 何……?

 セルは、何を言ってるんだ……?

 わからないのは、俺の頭が、おかしくなったせいなのか?

 考えようとしてみるが、すぐにどうでも良いことのような気がした。

 そう、そんなことはどうでも良い。

 今、目の前のセルが、敵ではないのなら。

 それだけを納得して、するりとセルの腕から逃れる。

 背後で静かに横たわったままのキグナスの隣に、ひざまずいた。

 のろのろと、力ない手を取ると、先ほどより僅かに体温が落ちた気がした。まだ動かしても違和感のない腕は、重く感じた。

「キグナス」

 名前を呼んでみる声が、掠れている。ぽたりとキグナスの頬に滴が落ちて、そしてようやく気がついた。

 自分が、ずっと泣いていたことに。

 絶え間なくこぼれる涙が、次々とその顔を濡らす。

 顔も、残念ながら傷だらけだ。乾き始めているこびりついた血、痣や、腫れ。

 痛かっただろう。お前、何も知らなかったのに。

 ロッドもなくて、抵抗なんか、全然出来なかっただろ……。

(これ、現実か……?)

 本当は、オチがあるのかもしれない。

 重態だけど、生きてるとかさ。

 少しずつ体温が落ちていくように感じるのは、俺の錯覚だろ?

「なあ……嘘だろぉ……?」

 キグナスは、答えない。鼓動や呼気を、確かめる気にはなれなかった。確かめるのは、怖かった。

 少しずつ温もりが失われていくのだろうその手に俺の体温を分けたいと願って無言のまま握り続ける俺に、セルもしばらくは無言だった。

 やがて、躊躇いがちに、動く気配がした。

「カズ……」

 俺の名を呼ぶ声が、途切れる。不意に慌ただしい足音が近づいてきて、頭上……この建物より遙か頭上から、轟音が響いた。

「セルッ!!」

「アレンッ。どうした!?」

 アレン……。

 聞いたことのある名前だ、とは思ったが、振り返る気になれなかった。

 背中を向けたままの俺の後ろで、セルとアレンの慌ただしい会話が聞こえる。何を言っているのかは、わからない。

 頭上から……獣の咆哮……。

(氷竜……)

 ぼんやりと、心の片隅で認識する。

「近いのか」

「まだ僕は見てはいない。上空だろう」

 突然会話がヴァルス語に切り替わった。言葉がわからない俺に不安感を与えないようにと言うセルの配慮だなどとは、俺には気づく余裕さえなかった。

「ドラゴンクローラは出ている。アーノルトとリジーが指揮に当たっているようだよ」

 2人の会話は、耳に届きはするけれど、まるで上滑りのように心から抜け落ちて行った。

 ユリアやシサーのことさえ浮かばずに、ただの役立たずとしてそこに座り込んでいる。

「カズキ」

 沈黙を挟んで、セルがアレンに何かを言う。アレンが出て行く足音がすると、セルが俺を呼んだ。

 無言のまま答えない俺に、構わずセルがもう一度呼びかける。

「カズキ。ツェンカーに、手を貸してくれねぇか」

 頭上では、空一面に反響しているかのような不気味な音が絶え間なく続いている。

「カズキ。俺たちを怒っているのはわかる。だけど……トラファルガーを放っておけば、関係のない人たちだって命を落とすんだ」

「……」

「なあ。頼むよ。この通りだ。……ツェンカーに、手を貸してくれ」

 相変わらず答えない俺に、セルもかける言葉を探し倦ねているかのように黙った。

 ぼんやりとしたまま、セルの言葉を頭の中で繰り返す。

 ……手を貸す?

 俺が手を貸したって、何も変わらないだろう?

 ああ……レーヴァテインか。必要なのは、俺の手じゃなくてレーヴァテイン。

 その辺に転がってるだろ。持って行けば良い。

 それより、キグナスのそばにいてやらなきゃ。

 ひとりにしたら、寂しいじゃないか。

「カズ……」

「カズキッ!!」

 セルが俺へ呼びかける声に、新たな声が重なる。その声は良く知っていた。俺は、ようやく背後を振り返った。

「シサー……」

「カズキ」

 シサーが部屋に足を踏み入れ、セルがどくように身を引いた。部屋の様子を見て取ったシサーは、ドアからすぐのヴァルトの残骸に一瞬動きを止め、それから改めて俺に向き直った。その背中から、見知らぬ男が顔を出す。アレンだろう。足元に兎はいなかった。

(俺の剣……)

「カズキ」

 俺に近づきながら、シサーが再び呼ぶ。

 ようやく、声が、出た。

「キグナスが……」

「聞いた」

 すとん、とシサーが俺の隣に膝をついた。

 キグナスの頬に手を伸ばし、目を伏せる。

「つらかったろうな」

「……うん」

「ちゃんと、ヴァルスに連れて帰ってやるからな」

 何の反応も示さないキグナスの、血のこびり付いた髪を撫でながら、シサーが言った。

「連れて……帰れるの?」

 痛ましい表情のまま、シサーの目が俺を見る。

「アレンに約束させた。俺たちと一緒にってわけにはいかねぇが、然るべき手段でヴァルスに送らせる」

「ほん……と……?」

「ああ。……シェインに会わせてやらないわけには、いかねえだろう……」

 シェイン……そうか……。

「そう、だね……」

 それきりまた黙りこくって動かない俺の肩を、シサーが無言で叩いた。

 それから、立ち上がった。

「カズキ。キグナスの死を無駄にしたくなかったら、手を貸してくれ」

 ごぅん、と低い音が、上の方から響き渡った。

 黙って見上げる俺の目を、シサーも静かに見返す。

「トラファルガーの襲撃を受けている。戦うぞ」

 戦う……。

 ここを、離れなきゃならないと言うことだけが、わかった。

 ここを、離れる?

 キグナスを置いて?

「……嫌だ」

 ぽつんと答える声に、シサーが一瞬黙った。

 それから、ため息混じりに言葉を続ける。

「気持ちはわかる。俺だって悲しいさ。だから悼むなとは言わない。でも、ツェンカーを放っておくわけにはいかねぇだろう?」

「レーヴァテインなら、そこにある。持って行けば良い。元々、俺のものじゃない」

 淡々と告げる俺に、シサーが片手を額に押しつけた。

「カズキ……」

「鍵もいらない。俺の耳からちぎり取れば……」

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