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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第1章第27話 心の豪火(3)

「ん? や、あるってほどじゃないけど……自分の世界で、ちょうど弄り始めたばっかりだったから」

「へえ?」

 キグナスが驚いたように目を丸くした。

「何だ、お前、そんな特技があったのか」

 いや、特技ってほどじゃ。

 始めたばっかりだったって言ったばかりじゃないか。

「何かやってみせてよ。何やってたんだ? ギルコ? ヴァッティーニ?」

 ごめん、何言ってんだかわからない。

 返答に困って、立てかけられたクラシックギターを引き寄せる。自分の世界のものとボディの形なんかが違って、弦を軽く弾いてみると、音の響きはもっと丸くて柔らかかった。

「勝手に触って、大丈夫なのかな」

「大丈夫だろ、壊さなきゃ。1曲くらい。な、お前の世界の曲、何かやってよ」

 きらきらと無邪気に言われると、出来もしないのについつい応えなきゃいけない気がするじゃないか。

 嫌だなあと思いつつ、ついつい抗いきれずに、俺はため息をついて椅子を引いた。変な形のギターを抱えて、腰を下ろす。

 まあ、テレビの旅番組なんかでも現地でお世話になった人に、お礼として自分の出来ることをみんなやってるわけだし。……何か、違う気もするけど。

「本当に、下手だからね」

「いーって」

 ああ、そんなに無邪気に見ないでくれ。

 いたたまれないながら、俺は弦に手を掛けた。少し音が変? まあいいや。

 諦めて、かつて……今となっては、何だか『遠い昔』のような気がする高校に入ったばかりの頃に練習したうちの1曲を、小さな声で歌い始めた。

 アメリカの、誰もが知っている大物アーティストの楽曲。古い名曲で、その曲を初めて聴いた時には、涙が出た。メロディーと、その歌詞に。

 ――世界を癒そう

 ――世界を、より良い場所にしよう

 ――なぜ僕らは、生命あるものを傷つけるんだろう

 ――君と僕の為に、そして人々の為に、生まれてくる子供たちの為に……

 そういう歌だ。

 どうして、この歌を選んだんだろう。

 かつて感動した曲、今は剣を持つ俺がこの歌を口ずさんでいる違和感……いや、むしろ、だからこそ?

「すげえッ。俺、びっくりしたッ」

 込められた歌詞のひとつひとつの意味……そんなことを考えながら、危なっかしく何とか終える。似ているようでどこか俺の世界と違う楽器に、散々と言えば散々間違えたし、音が違うまま通した部分もあったけど、それでも一応キグナスは拍手をくれた。

「だから本当に下手だったろ……」

「上手くはねえけど」

「……」

 ギターを元の場所に戻すべく立ち上がる。俺の背中に向かって、キグナスが続けた。

「でも、良かったよ」

「……どーも」

「言ってる意味はわかんねえけど、凄ぇ綺麗なメロディ。お前が作ったの?」

 滅相もございません。

 ギターを置いて、キグナスを振り返る。音楽は国どころか次元をも越えたらしい。思わず苦笑した。

「まさか。俺の世界で有名な曲。俺がこれを書いたんだったら、俺は今頃有名人だ」

「芸人か」

「……」

 何か、ニュアンスが変わっちゃうんですが。俺的には。

「傷ついている世界を救おうって曲。いつも、どこかで生命が失われていく。……流す涙は、幸せの為でありたいって、そういう曲だよ」

「……へえ」

「剣を鍬に持ち替えれば良いって。生命を奪う為ではなく、耕す為に」

「んじゃあ、騎士はみんな農民か」

 キグナスがくすくすと笑った。

「剣を持つ人間がいる限り、平和には、なんねえのかな」

「……」

 無意識に、レーヴァテインを撫でる。

「何で、その歌を選んだんだ?」

「……さあ」

 俺もキグナスも黙ると、外の方からさざめきが流れて来た。おじさんたちの笑い声に混じって、華を添えているのか女性の声も漏れ聞こえてくる。

「シサー、どうしたかな」

 大規模な戦争真っ最中のこの世界で、援軍を求めにこの国へ来て、剣を片手に……妙な波紋を投げ掛けてしまった。

 今の俺の心情には、余りにそぐわない歌。以前の俺の心にあれほど感動を呼び起こしたこの曲も、今の俺には共感が出来ない。剣を鍬に持ち替えたら、この世から消えるだけだ。

 なのに、どうして今更、この歌を選んだんだろうな。

 弦を押さえていた指先が微かに痛んで、それをまた指先で撫でながら振り返る。

「剣を、持ちたくねえんだろうな」

 俺の言葉に答えずに、キグナスの声がぽつんと響いた。

 カンテラの微かな灯りの中、真摯な眼差しでこちらを真っ直ぐ見詰めている。

「俺? 別に、そんなこと……今は、考えてないよ」

 前は、そんなふうに思ったこともあった気はするけれど。それももう、過去のことだ。――……ホントウニ?

「お前は、こっちに来ちゃいけなかったのかもしれない」

「……」

 無理に作ったみたいな苦い笑いで、キグナスが微かに目を細める。

「お前の為に」

「そんなことないよ……」

「お前のいたところは、平和なところなんだろうな」

「……」

 それは、どうだろう?

 魔物はいない。確かに。ドラゴンなんて言う圧倒的脅威に曝されているわけでもない。

 だけど、必ずどこかで争っているだろう?

「人がいる限り、平和なんて、ないよ」

「人は存在いしちゃいけないのか?」

「……そういうわけじゃないけど。でも、そうだな……」

 目前の危機を置き去りにしたような華やかな笑い声をBGMに、俺は少し、考えた。

 それが一番、手っ取り早いのか? 人のいない世界。そこには平穏が訪れる? だとすると、人の存在ってのは、何なんだろう?

「違うだろ」

 黙ってしまった俺に、キグナスが唇を尖らせた。

「難しいこと言われると良くわかんねぇけどさ、そうじゃねえと思うな。……価値、ねぇの? 人って。争うだけ? 俺も? お前も? いる価値ねぇの?」

「……」

「変われば、済む話なんじゃねぇかな」

「何が」

「人が。……たまに、思う。争いって、憎悪の連鎖反応も原因のひとつなんだ。その連鎖を誰かが止めなきゃ、駄目なんじゃねぇかな」

 数珠繋ぎに繋がっている憎しみ。

 何かを奪われたと感じる誰かが、その報復に何かを誰かから奪う。そうして奪われた誰かが、また、報復に乗り出す。

 連鎖のように繋がり、誰かが断ち切らない限りそれは永遠に終わらないと知りながら、誰もが自分の番で断ち切るのは不公平だと考える。

 そして、繰り返される争い。

 だけど、自分の身に降りかかった時に、果たして自分でその連鎖を止める勇気が自分にあるだろうか。

「ちっちゃい勇気があって、ちっちゃい優しさがあって、それがみんなだったらきっと、大丈夫になるのにな。だって、人って凄ぇじゃん? まあ中には俺みたいなぱーもいるけど、いろんなこと考えて、いろんなものを生み出して、人を思って……」

 そう言ってあどけなく白い八重歯を覗かせるキグナスは、多分本当にそう思っているんだろうなと言う気がする。

 そんなに簡単にはいかないと言うことは簡単だけれど、みんながそう……キグナスのように考えていれば、せめて心に留めておけば……?

「守る為に起こる争いは?」

「攻める側に今言った気持ちがあれば、そもそも守らなきゃならねぇ事態にはなんねぇんじゃねえの?」

「攻める側も、何かを守ろうとしてるのかもしれない」

「うーーーん。他人を攻撃することで守ろうとするんじゃなくて、別の手段を考えるッ」

「魔物は?」

「食われんのは嫌だから、戦うッ」

「……何か、今の話と矛盾が生じるような……」

 くすくす笑いながら突っ込むと、キグナスがむきになったように吼えた。

「矛盾してねえッ!! 人と人との争いの話をしてるッ」

「別の生き物との争いは肯定するんだ」

「自然の摂理の範囲内でなッ。……人間同士のそれは、範囲外だ」

 威張るように言う姿に、俺は零れてくる笑いが止められなくなった。

 笑いながら、俺は多分、キグナスの存在に結構救われているんだろうと言う気がした。

「物凄い、行き当たりばったりで思いつきで話してるだろ……」

「うん。まあな」

「こういう深いテーマは、熟考してから意見を述べることをお勧めするよ」

「俺に難しいことを要求するな」

 連鎖を止める勇気があるかは、自信がない。

 だけど、心に留めるだけでも、何かが少しは変わるだろうか?

「セルが探してるかもしれない。そろそろ、戻ろうか」

 まだ笑いを引き摺ったままでドアの方に足を向けかけると、「うん」と頷いたキグナスが、続けてぽつんと呟いた。

「俺さあ……お前に会えて良かったよ。きっと」

 思わず無言で振り返る。

 唐突な言葉、真正面から言われるにはなかなか照れ臭い言葉で、冗談で返そうと口を開きかけた俺は、その顔つきを見て言葉を飲み込んだ。

「少しはさあ、役に立てたって……思っても良いんだよな……?」

「……何で、過去形なんだよ」

 なぜかその顔つきが、どこか寂しげに見えた。

 寂しげ……いや、儚いと言う方が、しっくりくるだろうか。

 それが何かに似ているような気がして、何か……そう。

「別れの言葉には、まだ随分早いんじゃないか」

 別れの言葉を口にする時に、似て見えた。

 俺の言葉に、キグナスが一瞬虚を突かれたような顔をする。

「ん? そんなふうに聞こえたか?」

 それから、笑みを覗かせた。それを見て俺は、なぜだか少しほっとした。

 キグナスにそんなつもりがあったわけじゃないことが、わかったからかもしれない。……いや、あるはずは、ないんだが。

 けれど、呆れたように見遣る俺の前で、キグナスはまだどこか寂しげな名残を残したまま、続けた。

「何かな、何か、ちゃんと伝えておきたくなった。俺は、お前に会えて良かったと思うって。人の存在の価値なんて、俺は本当はさ、良くわからないよ。だけど、何かの役に立っていると思いたい。誰かにとって、価値があると思いたい」

「……うん」

「ご大層な意味なんてなくて良いよ。誰かの役に立ちたい。馬鹿だし、落ち零れだけど、生きていることに意味があると思いてぇもん」

 『馬鹿だし、落ち零れだし』。

 この言葉は、時々キグナスから聞く言葉のような気がする。

 もしかするとキグナスは、俺が思う以上に『自分の存在価値』と言うものに不安を感じているのかもしれない。

 多分ずっとコンプレックスのようなものを抱えていて……あ、そうか……。

(だからか……)

 ロッドに装着したあのアイテムに、ひどく依存しているのは。

 彼にとって、強力な魔法を使えることになったことが、自己肯定に繋がっているんだきっと。

「当たり前だろ」

 本当に馬鹿だな。

 『強力な魔法』は確かにありがたいし、氷竜から俺たちをカバーしたその威力は役に立つなんてレベルの騒ぎじゃないけれど、それがなくてもキグナスにはキグナスなりの存在価値が、あるのに。

 少なくとも俺にとっては……多分、笑みが戻り始めたのは、友達でいてくれるキグナスの存在がかなり大きいだろうと思うのに。

「キグナスが友達でいてくれることで、俺は随分救われてるよ」

 友達に感謝を伝える機会などなかなかあるものでもなく、これはこれで恋愛とはまた異なる気恥ずかしさがあるもので、言い方は多分かなりそっけなかった。

「馬鹿で落ち零れだけど」

「繰り返すなよッ」

 怒鳴るキグナスに、思わずまた笑った。

「だけど、それがキグナスだろ」

 そう言って再び歩き出す俺の背中に、キグナスが小さく笑って頷く声が、聞こえた。

「うん。……へへ。ありがとな」


          ◆ ◇ ◆


 宴は、わりかし単調に進んでいる。

 楽器部屋から戻ってみるとホールの中ではあちらこちらで小さな塊になって、談笑が続いているようだ。

 その光景を眺めながら、氷竜が襲撃して来た場合、一体この中の何人が生き残るんだろうなどと言うシュールなことが頭を過ぎった。

「俺、何か食おうかなあ〜」

「食えば。シサー、早く戻って来てくれないかなあ」

 じゃないと何か、落ち着かない。

 食べ物の辺りにふらふらと歩いていくキグナスを眺めながら、俺はその場で辺りを見回した。セルの姿を探すが、一見して見当たらず、周囲を取り巻くのはわけのわからない言葉ばかりだ。

(あれ? 兎……)

 きょろきょろと見回していると、不意に視界に異質なものが飛び込んできた。宴の会場には余りにそぐわない生き物。――兎。

 俺のいる場所から反対側の壁にある、開け放した扉の向こうの通路を、ひょこんひょこんと兎が通り過ぎて行った。何て不自然……兎?

(――アレン)

 心に引っ掛かったことに気がついて、そっと目を見開く。

 そうだ、確かロドでカレヴィーさんが言っていた。兎を連れて歩いている変人……じゃない、一風不思議な青年が時々訪れるのだと。

 彼の名はアレンで、確か……。

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