第3部第1章第27話 心の豪火(2)
お約束の『噂の魔剣をちょっと拝見』してヴァルト副将軍が一通り盛り上がると、俺に大人しく剣を返却しながら彼が俺に、何かを言った。
「え?」
首を傾げている俺には構わずに、シサーが代わりに答える。対するヴァルト副将軍の視線も、俺からシサーへと移り、俺はまたも話題の脇役へと転落した。
「何だと思う?」
「さあ?」
キグナスと顔を寄せてひそひそ言っていると、やがて話がついたようだ。シサーが、俺たちの方を見た。
敢えての無表情……だけど、複雑な色合いを帯びているような気がする。気のせいか?
「ヴァルト副将軍からの、お申し出だ」
「うん……?」
「今夜、この要塞で催される社交会に、このまま参加をして欲しいそうだ」
社交……。
「な……」
に……!?
◆ ◇ ◆
どうやらこれは、問題だ。
今後の予定を検討するからと少し席を外してもらい、ヴァルト副将軍が一時退室をしてから、シサーが渋さの満ち満ちた表情で、説明をしてくれた。
ちなみに、ヴァルス語で話せば別に彼にはわからないんじゃ?と思ったりもしたんだが、どうやらシサーは少し、疑っている。
万が一にでもヴァルト副将軍が、「実はヴァルス語を話せる」可能性を危惧しているんだろう。
「社交会と言う名の、壮行会みてぇなもんだろう」
このご時世に何をのんきな、と思ってみれば、そう言うことらしい。
沈み込む人々の心を少しでも活気付け、労を労い、氷竜の襲撃に備えて士気を上げたいと。
「戦争の最中に謝肉祭を催したりするのは、珍しいことじゃねぇからな。だから、この要塞で行うわけだ」
と、義勇軍の訓練をサボりっ放しの志願兵は、そう宣った。
「何でそんなカオしてんだ?」
キグナスが首を傾げる。深く椅子に寄りかかって腕を組みながら、シサーが、吐息をついた。
「ルーベルトは、来るぞ」
「えッ!?」
「ヴァルト副将軍が俺たちを招きたい理由は、『氷竜の魔剣を手にしている』からだ」
「……それって」
俺たちが……俺が、レーヴァテインを所持しているのは、確かだ。
そしてルーベルトにそのように紹介されて会わされた場合……俺たちの立場は、壮絶微妙なものとなる。
裏で、ユリアとルーベルトが会合する算段を取り計らっているところで、その話題に上がるであろうレーヴァテインを持つ俺らと公然と会ってしまった場合、『ヴァルスの正式な使者』の一部であることを伏せるのも後に問題となるだろうし、言ってしまうのはもちろん大問題だ。
と言うか、俺たちがルーベルトと顔をあわせてしまうこと自体が問題だ。
レーヴァテインを持つヴァルス使者がルーベルトと顔を会わせたにも関わらず素性を伏せ、後に身元が公になれば伏せていたことに後ろ暗いことがあると思われかねない。
何かやましい結託が裏であってこそ、互いにそ知らぬカオをしたのではないか、と。
ルーベルトにしても、何らかの濡れ衣を着せられる口実になりかねない。
と言って、公然と「ヴァルスの使者です」と言ってレーヴァテインを翳せば、「やはりヴァルスの使者は間違いなくいる」と噂話の裏づけをすることになり、「レーヴァテインを盾にツェンカーを脅そうとしている」とか何とか、誤解を払拭する機会がないまま騒ぎになる可能性がある。
まあ、裏で動いているのは確かだし、『レーヴァテインを盾に』脅すんではないが、交渉しようと言うのはあるから、当たらずとも遠からずかもしれないが。
「……断ろうよ」
それが、最も無難な選択だ。
そう判断して提案すると、シサーが唸った。
「ヴァルトは、レーヴァテインを押さえておきたい。つまり、俺たちのことを押さえておきたいと言うことだ。ユリアたち……ジークと連絡を取りにくくなる動きはしたくねぇな。不自然な言動は不要な注意を招く。『氷竜の魔剣』を持つ人間が、氷竜対策の為にルーベルトと会うことを拒絶するのは、やはり少し、不自然だ」
「……」
「じゃあ、どうする?」
「ともかく、状況を確認して来る」
シサーが、立ち上がった。
「ユリアたちの状況とルーベルトの今、『地上の星』の状況を把握してくるから、お前たちはとりあえず、ヴァルト副将軍の指示に従ってくれ」
ともかくも、じたばたして変に目を光らされるよりもヴァルト副将軍の提案は何食わぬ顔で受け入れる方向で話がまとまると、しばらくしてヴァルト副将軍が戻ってきた。
シサーだけは一度俺たちを残して要塞を離れるが、遅れても社交会には出席する旨を伝えると、彼は快く応じた。
もしかするとシサーがいない方がいろいろと与し易いと言う考えもあるのかもしれない、と思うのは疑い過ぎだろうか。
ヴァルト副将軍が、俺たちに通訳となる人間をつけるから時間まで自由にすると良いと言いおいてシサーと一緒に出て行ってしまうと、何だか人質のような気分になった。
「シサーが戻って来る前に、何も知らないルーベルトに会わされたら、どうする?」
「まだユリアたちと何の話も進んでなくて?」
「そう」
「とりあえずは、黙ってるしかないんじゃないの……」
黙っていれば、とりあえずはトラファルガーのカタがつくまで、余計な騒ぎは起きずに済む。
「通訳ってさ、ここの要塞の人間かな。それとも『地上の星』関係の人?」
「ナヴィラスだったらどうする?」
彼もヴァルス語が話せるから、不思議はない。
キグナスが、笑った。
「ナヴィラスの方が嫌がるんじゃねぇの」
「それもそうか」
「まあ、嫌だからつって上官の命令を拒絶出来るはずもねぇけどな〜……」
キグナスの言葉に被さるように、不意にドアをノックする音が響いた。
ナヴィラスだったら本当に嫌だな。
返事を待たずに開けられたドアに顔を向け、次の瞬間、俺もキグナスも、絶句した。
「……な」
「あんた……」
「よう。また会ったな」
入って来たのは、20歳そこそこくらいの男だ。
肩の辺りまで伸びたくすんだ草色の髪と、藍色の瞳――アカンサで、俺たちにバイトを斡旋した男だ。
頬にかかる髪に隠れるように、『マキビシ』のイヤリングが光っている。――『地上の星』。
「どうして、こんなところに……」
「そりゃあお互い様だろう?」
言いながら中に入ってきた男は、先ほどまでヴァルト副将軍が掛けていた椅子に腰を下ろすと、テーブルに頬杖をついた。こちらを見て、にやにやと笑う。『お互い様』とか言う割りに、男が驚いていないのが気にかかった。
「だって……軍部の人?」
「さあ? まあ、関係者だよ」
首都要塞の関係者が、何だってあんなところで闇組織のバイトの斡旋なんかやってるんだよ?
にやにや笑いながらの雑な返答に、俺とキグナスは思わず顔を見合わせた。
これは、どう受け止めるべき事態なんだろう。
この男は『地上の星』……ヴァルト副将軍もそうなのだから、不思議はない。けれど、それほどに政府関係者に『地上の星』の人間は多いのか? だとすれば、結構窮屈だ。
知らず、レーヴァテインの鞘を片手で押さえた。
多分ヴァルト副将軍が欲しているレーヴァテイン、彼と同じ闇組織の人間……警戒は、怠らないに、限る。
「軍部関係者が、どうして仕事の斡旋なんて?」
「こんなところへ来る人間が、何であんなところで日雇いの仕事をした?」
男が笑みを湛えたままで問い返す。互いにスネが痛むようだ。
「触れられたくねーなら、そっちも突っ込まないことだ」
「……」
あっちもこっちも、食えない人ばかりで嫌になる。
かくっと首を折ってため息をつくと、男が立ち上がった。部屋の隅にあるテーブルからティポットを片手に戻って来ると、自分の為に新しいカップに注ぐ。次いで、こちらのカップにも注ぎ足してくれた。
「ありがとう」
「俺は、セル……セルで良い。そっちは、カズキとキグナスだったか?」
「そう」
あの時、彼の名前は聞いていないけれど、俺とキグナスは名乗ってある。どうやら覚えていてくれたらしい。
「偽名じゃなかったのか? ま、いーや。了解。社交界に、出るんだろ」
とりあえず、先立っての出会いについては言及しないようだ。逆に、言及して欲しくないからなんだろう。
あの時と同様、軽快で友好的な雰囲気につい緩みそうになる警戒心を保ちながら、俺は応えて頷いた。
「その予定、らしい」
「レーヴァテインってのは、それか」
「……」
一瞬返事を躊躇ったものの、良く考えれば隠すことに意味はない。どうせヴァルト副将軍から聞いているはずなんだ。頷くと、セルは「へえ」と呟きながらテーブル越しに身を乗り出した。
「俺には、良くわかんねえけどなあ。その価値が。金になりそうだとは思うけどな」
売られてたまるか。
セルの斡旋で俺たちが運んだ木箱の中身は、恐らく刀剣類だったことを思い出して、俺はレーヴァテインを庇うように体を傾げた。
「金にされても困る」
「しねーけどさ。まあでも……そいつで本当にトラファルガーが黙るんだったら……」
言いながら再び椅子に腰を落ち着けると、セルはにっと白い歯を覗かせた。
「重宝だ」
ちゃんと扱えればね。
「さてと。ずっとここにいたってしょーがねえし、俺が手配された意味もないし、要塞の中でも歩いて来ますか」
先ほど入れたばかりのお茶をずずーっと一気に飲み干して、セルが立ち上がった。
「こっちの建物だったら、わりとどこに行っても大丈夫だ。要塞を見て回るなんて、そうそうないだろう?」
そしてセルは、おどけたように恭しいポーズを取って見せた。
「不詳、私目が、ご案内を務めさせていただきますよ」
◆ ◇ ◆
いくつかのテーブルに、大皿に乗った料理やグラスが置かれている。
ざわめきの中、挨拶を交わし合い手を握り合う人々は、一見してそれなりの身分や役職にあるんだろうかと言う気がする。
セルに案内をされて、要塞のあちこちを見させてもらったり、雑談をしてみたり、やけにのどかに時間の経過を待って、社交界とやらの時間を迎えた。
シサーは相変わらずまだ、戻って来る気配はない。
社交会とは言っても、別にダンスパーティがあるわけではもちろんなく、要塞内及び関係各者の親睦会に過ぎなさそうだと言うことは始まってみてからわかった。
会場となっているのは、俺たちがヴァルト副将軍と面会した部屋があるのと同じ建物……セルはそこを、北の宮殿と説明してくれたが、その1階にある大きなホールだ。
セルに連れられてホールへ来てみると、人々が続々と集まって来ているところのようだった。
「俺たち、どうすれば良いのかなあ……」
どう考えても、軍部関係者や政治関係者の中に、俺とキグナスは浮いている。
知り合いなどいるはずもないし、ホールの入り口から中へと入っていく人々の姿を見ながら呟くと、セルが笑った。
「食ってりゃいーんだよ、別に。金に困ってる若者には、うってつけだろう?」
意地が悪い。
返す言葉に詰まっていると、セルも人の流れに目を向けながら、妙に鋭い横顔を見せた。
「魔剣の持ち主ってことで、後で紹介されんのかもしれねーけど、俺にはその辺は良くわからねーな。いずれにしても、しばらく出番はないと思う。適当に旨いもの、食ってりゃいいさ。……ただ、一応は、気をつけておけよ」
「え?」
「魔剣を狙う不届き者ってのが、いるかもしれねーかんな」
あんたは?
つい突っ込みそうになって飲み込みながら、俺は曖昧に頷いた。
扉から中を覗いてみると、ホールの奥の方にヴァルト副将軍の姿が見える。立食形式で、グラスを片手におじさんたちに囲まれていた。確かにしばらく、することはありそうにない。いや、あっても困るんだが。
キグナスが、興味津々の目付きでホールの中を覗き込んだ。腹が減っているのか、手近なテーブルに並んでいる料理の皿を覗き込んでいる。
それを眺めながら、俺は傍らのセルに尋ねた。
「セル、この辺りにいる?」
「え? ああ、まあ。どこか行くんなら、一緒に行ってやるけど」
「ううん。その辺見て来たいだけ」
「その辺? ま、いーけど。あんまり遠くに行くなよ」
「うん」
親のようだ。
ホールの中に入る気になれず、俺は先ほどセルに案内された通路を戻り始めた。
ホールの近辺には小さな部屋がいくつかあって、セルいわく、倉庫のようになっている。先ほどちらりと覗いた部屋のひとつに、俺は再び足を向けた。
中に入ると、淡いオレンジ色のカンテラが頼りなくかかっている。ほのかな灯りの中、壁際には幾つかの楽器がひっそりと沈黙しているのが見えた。
多分ここは、楽器部屋だ。
ホールで何かを行う際に、BGMとして生演奏をしている人たちがいる。今日も音楽が静かに流れているし、他の時も多分そうなんだろう。
俺の発想だと、普通そう言う人たちは自前の楽器があるんだと思うんだが、ここにあるのは予備なのか、それともこっちの世界では会場が貸し出すものなのか、もしくは今日の演奏者のものなのか。
その辺は良くわからないが、ホールにいるよりこっちにいる方が、面白そうだった。
ギャヴァンのストリートでも変わった楽器とかあったけれど、こちらはこちらでまた、使い方の良くわからない楽器とか置いてある。
長い棒に椰子の実のようなものがくっついているもの、腰のくびれた箱、かくかくと折り曲がった竹細工のようなもの。
ボンゴに良く似たタイコや、木製のウィンドチャイムのようなもの、木琴やクラシックギターのようなものも置いてある。
何となく、そのクラシックギターに似たものを指先で触れていると、背後でキグナスの声が聞こえた。
「カズキ。こんなとこで、何してんだ?」
「ああ。いや、向こうにいても、面白くなさそうだし。キグナスは食べてれば?」
「何だよそれ……」
呆れたように言い返しながら、キグナスも中に入ってくる。手近な椅子のひとつに掛けながら、俺に向かって首を傾げた。
「お前、楽器なんて興味あるの?」