第3部第1章第27話 心の豪火(1)
「こんなところにいたのか。……相変わらず酔狂だな」
フレザイルを離れてフリュージュへ戻る船の舳先で、ひとり、ぼんやりと波間を見つめていると、背中からシサーの声が聞こえた。
振り返る俺の頭をこつんと小突きながら、俺の隣に寄り掛かる。
「ひとりになるなって言ったろ」
「うん……。ごめん」
微かに笑ってみせると、シサーも眉をひょこんと上げて微笑み返した。
並んで、波間に目を向ける。
「キグナスは、部屋か?」
「ん? うん」
もう、どういう状態かは説明の必要がないだろう。
「ナヴィラスは?」
「別に。とりあえずは、普通だよ」
「……そう」
あれから、しばらく神殿で他の生存者の到着を待ったけれど、結果としては虚しいものだった。
トラファルガーとのほんの僅かな戦闘で、生き残りは、6人だ。時間としては、ごく短い間だったにも関わらず。
吹雪が止むタイミングを待ち、重い足取りで船へと戻ると、そこで待機していた操縦士の運転で、俺たちは一度フレザイルを離れた。
ゆっくりしていられないことはわかっているけれど、気候や食糧、魔物など、悪条件の重なる中で、レーヴァテインの扱いなどじっくり悩んでいたら、別の理由で命を落としかねない。
そうして戻る船の居心地の悪さと来たら、なかった。
ナヴィラスらは、一度矛先こそ収めたものの、俺に対する敵意はむき出しだ。
俺をひとりにすると、何があるかわからない――そんな懸念の元、船中ガードをされている俺は何だかお姫様状態で、常にシサーかキグナスのそばにいるよう強く言われている。
「もーすぐツェンカーか。明日の朝には、つくかな?」
すっかり日が落ちた夜の海は、暗い。雲の切れ間から僅かに零れる月の光が、波にきらきらと反射する。
「明日の朝には、つくよ」
冷たい海風が、シサーの髪を持ち上げてはなぶる。視界の隅にそれを見ながら、闇の彼方にツェンカーの地が見えないか、探してみる。
「あっちは、進んでるかな」
シサーが、俺に言うでもなく独り言のように呟いた。
それを聞いて、あの時のニーナの、寂しそうな悔しそうな……何とも言えない表情が心に蘇る。
「ニーナなら、大丈夫だよ。ちゃんと、進めてくれているはず」
そう言ってちらっと見ると、シサーは小さく「そうだな」と頷いた。
「……後悔とかさ、してたりする?」
その横顔を見て、何となく尋ねてみる。シサーは、妙な表情で軽く片眉を持ち上げた。
「はぁ?」
「ニーナに、少しきつい言い方に見えたからさ。反省でもしてるのかなーと……あいて」
わざとしたり顔で言うと、シサーにまた小突かれた。
「『片想い』に言われる筋合いじゃ、ねぇな」
あ、なんてことを。
それを言われたら、何も言い返せないじゃないか。
口を噤んでじっと睨むと、シサーはちらりと苦笑をして、また海へと視線を戻した。
「俺がそばにいることが当たり前になり過ぎちゃ、駄目になる」
「……え?」
波の音にかき消されそうな、小さな呟き。
聞き返す俺の言葉には答えず、シサーは無言のまま遠い横顔を見せている。
「いつか、いなくなるから?」
言葉を補って再度尋ねてみると、シサーは微かに笑った。
「風の砂漠のダンジョンのこと、覚えてるか?」
「うん……?」
「多分、脈絡もなくはぐれたのは、あれが初めてだったな」
シサーが『ついうっかり』ワープトラップにはまった時のことだろう。
随分一緒に旅しているだろうに、あれがそんな画期的な出来事だったとは。
シサーが向かい合っていた舳先から体を起こし、逆に背中を預けながら続ける。
「昔、仲間がもうひとりいたんだ」
「ん? ……『もう一部屋』の持ち主?」
シサーの家には、2人の個室とは別に『誰か』が使っていたらしい部屋がある。
思い出して言ってみると、シサーは感情の滲まない声で頷いた。
「元々は、あの家は彼の持ち物だ。ラグフォレストから流れてきた俺とニーナが出会って、その後に知り合った彼と行動を共にするようになり、あそこを拠点に動くようになった」
「……うん」
「クラリスと出会ったのも、そのくらいの頃だよ。一時は4人で動いていたこともあってな。……そうだなあ」
そこで言葉を一度切ると、シサーは小さく吹き出した。
「ちょうど、お前がこっちに来たばかりの頃……お前見てると、まるで昔の自分を見てるみてぇだったな。多分、ニーナもそんな気分だったんじゃねえかな。あんなふうだったよ、俺も」
「……『あんなふう』って、どんなふう?」
「だから……。『あんなふう』だよ」
何となく馬鹿にされているような気がするのは、気のせいだと思いたい。
「それで?」
小さく唸ってシサーを睨んでいた俺は、吐息をついて、話を促した。苦笑していたシサーが、笑みを飲み込んで少しだけ、寂しげな目つきを見せた。
「だから、尚更だったんだろう」
「どういうこと? 尚更?」
「あの頃の俺の姿とカズキがダブって見えるのと同時に、俺の姿が『彼』の姿にダブって見えていた……んじゃ、ねえかな」
つまり『彼』とやらは、シサーにとってはお師匠様のような……頼りなかったシサーにとって頼りになる人物だったんだろうか。
「ラグフォレストにあるダンジョンのひとつで、あの時の俺のように、突然彼が消えた」
ぽつっと言った声に、顔を上げる。見上げたシサーの顔に浮かんでいるだろう表情は、濃い陰影に消されていて、読めない。
「見つかったのは、剣と、血溜りだけだった」
「剣と血溜り……」
シサーが軽く、腰の剣を指で弾く。
「それからクラリスがタフタルに帰って、俺とニーナの2人になった。……風の砂漠のダンジョンで、俺が彼のように、二度と戻って来ないことを考えたんだろうと思うよ。ニーナは」
「……」
風の砂漠で、狂ったようにシサーの名を呼んでいたニーナの姿が記憶に蘇った。
「あれがきっかけだろうな。多分お互い」
「お互い?」
「俺と離れることをニーナが異様に怖がるようになって、そんな姿を見て俺は、これじゃあ駄目だと思う」
「ああ……」
「俺がいなきゃ駄目な奴には、なって欲しくねぇだろ」
そっけない言い方だけど、ニーナのことをちゃんと考えてる……気が、する。
「俺がいなくなったら抜け殻みたいになっちゃ、困んだよ。いつか離れることを怖がってるくらいだったら、そばにいない方がましだろ。そんなんじゃ、意味がねえだろう」
「……」
「ひとりに戻った時に、あいつにとってマイナスになるようじゃ、そばにいなかった方が良かったってことになる。……あいつにとっては一時でも、プラスの出会いでありたいだろ」
一時でも――例えそばにいるのが、一時的なものであったとしても……。
傷を生むだけじゃない、得る何かがある出会い。
じき離れることがわかっているユリアを想っている俺にとっては、その言葉は、他人事じゃなかった。
「そばにいる間にも、それぞれが依存せずに自分でちゃんと立っていれば、離れた時にも過ごした時間に意味を見つけられる。そうであって、欲しいんだよ」
俺よりあらゆる意味で大人であるシサーは、そのあっけらかんとした性格から、何かを悩んでいる姿と言うのは考えたことがなかった。
けれど、気づく。
そう見えるのは、自分の中で確固とした考えを自らが導き出して、悩みや迷いを表に出さないだけなのだと。
強く見える人間と弱く見える人間の違い――悩まない人間も、迷わない人間も、いるはずがないのだから。
「ニーナはきっと、わかってるよ」
俺もいつかユリアのそばから離れた時に……それでも無意味ではなかったと、心の底から思うことが、出来るだろうか。
◆ ◇ ◆
フレザイルからの船が、ツェンカーの港町リュンスクに着き、そこからフリュージュまでは乗合馬車で1日もかからない。
今ひとつ『呉越同舟』テイストが消えない気まずい船中を引きずって、フリュージュに一刻も早く着くことを願わずにはいられなかった。
俺たちがレーヴァテインを持って逃亡することを恐れているナヴィラスたちも、ヴァルト副将軍の元に戻ればとりあえずはお役目御免だ。
ユリアたちはウォーリッツの手配した場所へ、そして俺たちはフレザイルへ行ってしまったわけだから、ヴァルト副将軍の屋敷は引き払った形になっているわけだけど、船も出してもらったのだし、大体借りた兵隊はほぼ壊滅なわけだし、彼の元に挨拶をしに行かないわけにはいかない。
フリュージュに到着して俺たちが最初に向かわなければならないのは、ヴァルト副将軍がいるはずのダンテラス要塞だった。
ナヴィラスの先導で要塞に入り、ヴァルト副将軍を呼ぶ為に彼が出て行くと、扉が閉まったのを確認してからシサーが深く息をついた。
「とりあえずは、ジークに連絡……かな」
ヴァルト副将軍にユリアの居場所を知られたくないので、ジークの知人の家に行くと言う名目で武器商たちの手を借りて極秘裏に、ユリアはウォーリッツの懐へと入った。
ゆえに、俺たちでさえ、現在ユリアがどこにいるのかは、知らされていない。
ユリアのそばにはニーナが必ずいるはずで、連絡手段として接触出来るのはジーク、そしてレイアだ。
こういう時、レイアの存在ってのは、ひどく重宝。
(ユリア、どうしてるだろうな)
不安な思いをしていないだろうか。
ニーナやレイアがいるんだし、大丈夫だとは思うけど。
万が一トラファルガーにフリュージュが襲われたとしたって、『国賓』と知っている国家機関中枢の懐にいるんだから、きっと、最も安全なはずだ。――『地上の星』にさえ、気取られなければ。
今、何をしているだろう。
今、何を思っているだろう。
「……ユリアと直接連絡は、取れないんだよね」
ぼそっと確認してみると、シサーが少しだけ、申し訳なさそうに困った顔で笑った。
「悪いな」
「……いや、別に……」
謝られることじゃない。
無意味なことを聞いた自分に少しバツが悪く、目を逸らしながらテーブルの上のカップを指で弾く。
俺が考えなきゃならないことは、レーヴァテインの御し方だ。
「同じ『ヴァルスからの使者』に鍵をつけるんなら、シサーにしてくれりゃ良かったのに」
ぼやきながらピアスを弾くと、シサーが苦笑いを浮かべた。
「そう言うな。仮定を語っても仕方がない。それに」
「それに?」
「俺には多分、レーヴァテインは扱えねえだろう」
「え? 何で」
「想像でしかねぇが、『エルフの剣』であるグラムドリングを抵抗なく使えてるからな。エルフが嫌う火系の属性は、持ってねぇのかも」
ああ……そう言えばシサーの剣は、エルフが鍛えた魔剣だと遠い昔に聞いたような気がする。
「キグナスなら扱えるかもしれねーけどなあ」
にやにや笑いながらそう付け足したシサーに、黙ってお茶を啜っていたキグナスが思い切り鼻の頭に皺を寄せた。
「属性で扱えたって、俺には剣が扱えねえ」
「だそうだ。ま、つーことでカズキしかいねえやな」
「剣の腕って話をするんだったら、俺だって大して扱えやしないよ」
「そんなことねえだろ。身のこなし方は、身についてきている。腕だって、随分上がったはずだろう」
そりゃあ対象が『ウチのクラスの男子』とかだったら優勝出来るかもしれないけどさ……ドラゴンだぞ? どらごん。
「もし、『鍵』が問題なく外れるんだったら、それこそナヴィラスにでもヴァルト副将軍にでも……託した方が、いーのかな」
ため息をつきながらついついそんなふうに言うと、シサーに軽く小突かれた。
「それは、最終手段だな。ことの経緯は知らねえが、『鍵』の所有者は確かにヴァルスなんだ。その処遇は国同士の間で取り決めることで、簡単に決めてトラブルが生じても困る」
ま、ね……。
何にしても、今ここでほいほい渡すわけにはいかないのは確かだけど。
シサーの言い分は尤もで、俺が反論もなくため息をついていると、ドアの外から足音が聞こえた。
やがて、部屋の前でノックの音に変わる。
「***********」
ヴァルト副将軍が何か言いながら姿を現すと、シサーが立ち上がりながら何か答えた。つられて、俺とキグナスも立ち上がる。
やがて彼に促されて全員が椅子にかけると、しばらくはヴァルト副将軍とシサーの、俺とキグナスにはわからない会話が続いた。ナヴィラスからもちろん報告は受けているだろうけれど、フレザイルでの出来事をシサーがまた改めて、説明しているんだろう。言葉を話せない俺には、口を挟む余地はない。
と言って、キグナスと雑談を繰り広げるわけにもいかないので、ただその光景を眺めることになる。
暇なので、俺は幾度も考えたレーヴァテインのことを、またぼんやりと考えた。
――足リナインダヨナァ
あの時、レーヴァテインはそう言った。
足りない?
――匂イハスルノニ
匂い……レーヴァテインの原動力となる、何か。火系属性と言われる、その資質って奴だろうか。
――道筋ガ見エナインダヨナァ
俺の中の何かと、レーヴァテインを繋ぐ道筋。
だとすれば、一度繋がってしまえば後は容易になると言うことになる。
どうすれば、俺とレーヴァテインは、『繋がれる』んだろう?
どうすれば、もっと上手に交流を……。
(――?)
「カズキ」
「え? あ、何」
シサーに名前を呼ばれて、顔を上げた。気がつけば、シサーもそしてヴァルト副将軍も俺を見ている。