第1部第11話 躊躇い(2)
「ちょいと聞きたいことがあるな」
男は声もなく頷いた。
「その前にそのこけおどしの覆面をとってやろうか」
言って、シンは顔半分を覆う防具に手をかけた。一気に引き剥がす。
「……ほう?見た顔だな」
シンの声に振り返る。とは言っても俺が知っているはずもない。
「ガレリアに根を張っている盗賊団『銀狼の牙』のお頭さんじゃないか?」
ガレリア?どこだそれ。『銀狼の牙』?
俺には全然わからないが、シンの言葉は正解らしい。チョビ髭が青ざめたのは傷のせいだけではないだろう。
「……何者だ」
うーん、確かにどこだかの盗賊団のヘッドの顔を知ってるって言うのはタダモノじゃない気がする。そうじゃなくたって、レガードを知っているって時点で十分タダモノじゃないんだけど。ナタと言い、シンと言い……謎が多い。
「そんなことは関係ない。ガレリアからはるばる出張して来て、どんな用件だ?前にレガードに会ったとか言ってたな?知っていることを吐いてもらおうか。……誰に何を頼まれた」
シンってのは何度も言うけど、愛想がない。感情を一切表に出さないその淡々とした物言いは、何を考えているのか読めずに奇妙な迫力がある。チョビ髭は慌てたように言った。
「お、俺は何も知らねえよ」
「ほう……」
シンの鋭い瞳がすっと細められる。首筋に当てられたダガーを握る指先に力が込められた。刃が沈み込み、血が滲む。
「本当だ!!本当に何も知らないんだ!!ただ、変な男に頼まれて……」
「変な男?どんな」
「青い髪に青い瞳の若い男だ。突然俺たちの住処に現れて、バルザックってじーさんと一緒にこの男を殺せって、肖像画を渡されたんだよ!!」
息を飲む。じゃあレガードが消息を断ったのは、そのバルザックって奴と『銀狼の牙』の襲撃を受けたからなのか……!?
「見たこともないような大金渡されたから……」
「その、バルザックと言うのは何者だ?依頼して来た奴とは仲間なんだな?」
「知らねえ。バルザックは黒いロッドの魔術師だ。けど、依頼して来た奴は、バルザックのことを信用してないみたいだった。裏切らないよう監視しろとも言われた」
「レガードを襲撃した時に何が起きた」
チョビ髭は意図を問うように俺を見た。本人がいるのになぜそんなことを聞くのか訝しんでいるんだろう。お生憎だが、俺は本人じゃない。
「答えろ」
シンがまた指先に力を込める。
「わ、わかったよ。俺らとその男の仲間と戦闘になって……バルザックが魔法を使ったんだ。俺には良くわからない強力な魔法だ。その魔法が炸裂して、その場にいた全員が一瞬目が眩んだ。視力が戻って来た時にはそいつの姿は、その場になかったんだ!!」
なッ……。
「一度住処へ戻った俺たちのところに、またあの青髪の男が来て、探せって……」
「ご苦労」
言ってシンは、首に当てたダガーを真横に引いた。血飛沫が上がり、チョビ髭が仰け反る。
「シンッ駄目だッ……」
「もう無用だ。生かしておいてくだらない情報を流されても困る」
「シンッ……!!!」
血を噴いて息絶えたチョビ髭を地面に放り出して、シンが冷酷な顔つきのままで立ち上がった。それを呆然と眺めながら、唇を噛む。
……わかってる、シンの言っている意味は。でも……でも、そんなのは、違う……ッ!!!!
家族がいて、大切に思う誰かがいて……人である以上、それは絶対で……。
一方的な都合で、無抵抗な人間を殺すとかそういうのは……ッ。そういうのは、俺には、受け入れられないッ!!!!
「……お前、本当に何者なんだ」
ダガーの血を拭って立ち上がったシンは、ダガーをしまいこみながら俺を見据えた。返す言葉を持たず、項垂れた俺はユリアを抱きかかえたまま沈黙を守った。
吐き気が、する。涙が出そうだ。
俺の周囲には今、人間の男たちの死体が、転がっている。
気が変になる……。
「お前、何か変だ」
その言い方はちょっと傷つくんですけど。
「……野営する場所を、探そう……」
のろのろと、ユリアを抱えて立ち上がった。
チャクラムでシンに首を吹っ飛ばされたいくつもの死体。そして足元に転がる、ダガーで首を真一文字に切り裂かれて絶命した男の体。薄く積もった白い雪の上に散る、赤い飛沫。……吐き気が、なくならない。こみ上げる涙がなぜか、頬を伝い落ちる。
背を向けた俺にシンは何か言いたそうな視線を投げかけていたけれど、やがて小さくため息をついて俺を追い越した。
「この少し先に旅人の為の小屋がある。今夜はそこだな。魔物の襲撃を恐れることなくゆっくり休める」
「……小屋?」
「ああ。現国王クレメンス8世は名君だ。俺は王侯だの貴族だのは嫌いだが、クレメンス8世陛下は善政を布いたからな」
先導するよう先を行きながらシンが淡々と説明する。
「国民の安全に重きを置いた政策だ。金のない地方都市に国費から防護壁を造り、商人が旅をするポイントに小屋を造った」
あ、と思った。
ヘイズに行った時、こんな小さな町にも防護壁があるんだなあと思った。……そういうことだったんだ。
「リノの村にはなかったけど……」
「全ての町や村に同時に出来るわけじゃない。少しずつ進めてたんだろう。これまでそんなことをしてくれた国王はいなかったからな。……この国はまだまだ至るところに不備がある」
「……」
それもそうか。いっぺんに出来るわけがない。
ユリアを抱えているから両手が使えずに、俺は自分の肩で無理矢理、頬を伝い落ちる涙を拭った。シンは、見えているだろうにそれについては何も言わず、話を続ける。
「レガードが継ぐならば、その意志を継いだ国政をしてくれるかもしれないな。……ここだ」
シンの言う小屋は、祭壇から僅か10メートルほどの場所にあった。木製で何か農家の物置みたいな本当に小さな小屋だったけど、小さな暖炉がついている。何より屋根があるのがありがたい。
その床に、俺がマントを敷いてユリアを横たわらせると、シンは暖炉の様子を見てたまっている灰を掻き出した。薪をくべて火を起こす。
「俺、レガードの身代わりなんだ」
シンが炎の種で燃えやすい藁の束に火をつけ、薪に炎を移す。薄暗い小屋の中、シンの顔が炎に照らされて赤く染まる。
「……」
黙ってシンは、火掻き棒で薪の位置を調整した。構わず続ける。何かを話していなければ、気が変になりそうだった。油断をすると、泣き出しそうだ。
「現国王クレメンス8世が病床について……後継者としてレガードが選ばれた。王位を受ける為、レガードは『王家の塔』に向かった」
「……」
微かにシンの表情が動く。
「風の砂漠か」
「そう。知ってるの」
「……続けろ」
「……」
やっぱり秘密らしい。
「……その途中でレガードが消息を絶った。その辺の詳しい話は、ユリアが言った通り、国政に関わることだから、俺の口からは言えない。ただ、レガードを探す為、『王家の塔』に向けて旅をする為……容姿がレガードに似ていると言う俺が、選ばれた」
「……容姿が似ているのは、偶然か」
「うん。別に身内でも何でもないから。……ただ、俺は」
言って良いんだろうか。でも、一緒に旅をするシンに伝えておかないと、さっきみたいな状況で危険に晒さないとも限らない。そんな気がする。
「……こっちの世界の人間じゃない」
シンが目を見開いた。いつも淡々としているその表情に「は?」と言うちょっとぽかんとした表情が浮かんでいて……妙に見慣れず俺は小さく笑った。
「何の冗談だ」
「冗談じゃない。……俺ってレガードそっくりなんだろ。俺はレガードに会ったことがないからわからないけど。こっちの世界でここまで似ている影武者を見つけられなかったんじゃないか?全く別の世界にいた俺は、こっちに引きずり込まれたんだ」
「まさか」
「だから俺は剣なんか握ったことがない。俺の世界では必要ないんだ。人を殺すことは禁忌とされている。……人を殺すことが、俺は、本能的に許容できない」
「……」
吐き捨てるように言う俺に、シンは複雑な顔をしていたが、やがて床に座り込んで荷物を漁った。干し肉やパン、ロートスの実なんかを取り出す。俺もそれに倣った。しばらく沈黙したまま、食事に専念する。
「……お前は、囮か?」
やがて食事を終えたシンがぽつりと言った。今度は俺が沈黙をする。
「レガードが消息を絶った。何者かが絡んでいる可能性がある。そこに起こったことを探る為、レガードの容姿を持った人間が再び旅をする。レガードの消息に絡んだ何者かが、コンタクトをしてくる。……そう。さっきの『銀狼の牙』のようにだ」
「……」
俺は噛んでいた干し肉を飲み下して小さく笑った。
「そう、なんだろうな」
「……」
「はっきりとは、言われなかったけど」
わけがわからないまま、旅に出た。けれど、前に進み、いろいろ考えていくほどに気がついていく。
レガードに似た俺に、レガードの行方を調査させる――俺は、多分、囮だ。
シャインカルクで見た面々を思い出すと、胸が痛んだ。はっきり告げられずに、囮とされたことに。……命を、懸けて。
けど。
「信じてくれてるって、そう、思うことにした」
「……」
「だから、ユリアがいるんだと思う」
シンの視線が動く。俺も横たわったままのユリアに視線を注いだ。
「レガードが消息を絶つことになったその何かに絡んだ誰かが接触してきて……俺が、死んだりとか。そうなるって思ってるんだったら、王女様のユリアの同行を許すはずがないって。……ユリアがここにいることが、彼らの俺に対する信用の証なんだって、そう思ってる」
その為に、シサーやニーナをつけてくれたんだろうと。
「めでたいやつだ」
「同感だ」
そっけなく言ったシンに俺は苦笑した。同感だけど。お人良しかなって思うけど。
……そう、信じたいじゃないか。
誰より、俺の為に。
誰かを信じることは、必ず俺自身の為になる。
「……シンのこと、話してはくれないの」
パチン、と俺の背中で暖炉の火が弾ける。窓の外では、止んでいた雪がまたちらつき出していた。裸の木々が凍えている。
「……俺は、ギャヴァンの盗賊ギルドの人間だ」
……。
「え!?」
ってことは。
「シン、盗賊!?」
「ああ」
うひゃー。そうなんだ……。
――盗賊と言ってもいろいろあるのよ。職業盗賊は、ギルドと言う組合に属してるわ。別に危険な存在じゃないわよ、普通にしてれば。
いつだか、レイアが言っていたことを思い出した。本当だ。別に危険な存在じゃない。どころか頼りになる。
シンが飛び道具を武器として愛用し、気配を消したり足音も立てずに移動するのが得意なわけがようやくわかった。シサーにさえ気取られずに俺たちの後をつけることが出来ていたわけも。きっと『銀狼の牙』を知っていたのも、同じ盗賊同士だからなんだろう。
「その……ギルドのシーフが、何でレガードを?」
「言っただろう。借りがある。……それだけだ」
言ってシンは立ち上がった。
「今はまだ、それ以上は話せない。……もう、休もう」
「……うん」
半ば無理矢理話を打ち切られ、俺は仕方なく頷く。まだまだシンは謎が多い。
小屋の出入り口のところに見張りをするように蹲り、目を閉じたシンをぼんやりと見詰めて、俺も壁に寄りかかった。ため息をつく。
窓の向こう、祭壇から道の方には、男たちの死体が転がっている。
――その夜もまた、俺は、眠ることが出来なかった。