第3部第1章第26話 樹氷の森(1)
――どんな相手も、必ず敵の最も弱いところを狙ってくる。あんたたちのメンバーで言えば、カズキかキグナスだ。
――アイテムは、アイテムでしかない。使うのは、あんたたちなんだよ……。
――アイテムに頼っていたら、いつか足元を掬われる。最後に自分を守るのは、自分の力だってことを忘れないで。
◆ ◇ ◆
目を開けると、俺を覗き込むキグナスの瞳が真っ先に飛び込んできた。
それを見て、微かに既視感――ああ。サキュバスの夢から目覚めた時も、俺を心配全開の顔でキグナスが覗き込んでいたっけ。
「良くやったなー。お疲れッ」
俺の意識が戻ったのを見て、キグナスがほっとしたように笑う。白い八重歯が、ちょこんと覗いた。
「俺、戻って来たんだ……」
体をゆっくり起こすと、どうやらそこは、『俺が飛ばされる前の部屋』らしい。あっちの部屋にはなかった階段に繋がる扉が見える。もちろん柱の破片なんかも見あたらない。
「みんなは……?」
今ここにいるのは、俺とキグナスだけみたいだった。どことなく怠さの残る体、けれど治癒済みらしく痛むところはない。
「シサーはラギラと一緒に、神殿内部に他に何かないか見に行ってる。ナヴィラスは部下を連れて、この付近を偵察に行った。今の状態じゃあ、トラファルガーをどこに探しに行けば良いのかわかんねえ」
ああ、そうか……。
傷は塞がったらしいものの、血みどろの服は変わらずだ。べったりと血の染み込んだ服を見下ろしてため息をつき、俺の隣にそっと置かれているレーヴァテインに手を伸ばす。レーヴァテインの柄についている赤い石が、俺に応えるように微かに光った。
「痛むとこ、ないか?」
心配そうに眉根を寄せて、キグナスが尋ねる。あの時も、こんなふうに聞かれたな。
「うん。ありがとう。……凄いな。本当に、魔法が強力になったんだな」
レーヴァテインは、誰かが収めてくれたのか、刀身を鞘に包まれていた。無意味にそれを撫でながら言うと、キグナスがいやに無邪気な顔で首を傾げた。
「何だ? それ」
「痛みなんかどこにもないし、むしろ怪我をする前より元気になってるよ。回復し過ぎちゃったみたいだ」
片手で、一角獣に貫かれたはずの辺りを撫でてみるが、怪我をしたその名残さえどこにもなさそうだった。
キグナスが、笑う。
「何だ。だったらもっと、けちるべきだったな」
「治るかどうかのぎりっぎり?」
「そう。『やべぇ足りてねぇ、ちょっと痛いの勘弁して』くらいでぇ〜」
「ひどいな」
俺が笑うと、キグナスもまた笑った。
「お前、また少しずつ、笑うようになってきたな」
キグナスが、自分の両膝を抱えて、軽く天井を仰ぐ。
「そう?」
「ん。かなあって思う。一時期ほどは、見てて暗くなくなったんじゃねぇ?」
「……」
ひどい言われようだ。
苦笑を浮かべて、俺は背中を壁にもたせかけた。
「慣れたのかな……」
「何にだ?」
「さあ……何にだろうね」
一時期は頻繁に感じていた頭痛が、気がつけば感じなくなっていた。
キグナスの言う通り、笑うこともその頃より多少は増えた気もする。――心の奥底に、何かを閉じ込めて鍵をかけた箱があるような感覚は、残るけれど。
まるで、自分の感情がどこかで分離したみたいだ。一時期は、全てを奥底に押し込めようとしていたものが、『何か』だけを残して、後の感情を少しずつ復帰させようとしているみたいに。
『何か』……何だろう? メディレスの言うように、それは『優しさ』とか『良心』とか……そう、言われるものなのかもしれない。
「あのな、カズキからこれ、もらったろ?」
微かな自嘲を感じる俺には気がつかず、キグナスがロッドについた金属のアイテムを指先で鳴らした。
海底のダンジョンで手に入れた、魔術師の為のアイテムだ。
「うん」
「ちょっと、つけ方、変だったみてぇ」
「え?」
俺にもキグナスにもつけ方がわからなかったから、あの時確か、ナタがつけてくれたはず。
「変?」
「うん。わかんねぇけど、フリュージュにいる間に、変な風に留めてあるなあって思って、俺、自分で少しいじったんだ」
「そうなんだ」
「そしたら……ここの、氷の大陸についてからさあ」
そこで一度言葉を切ったキグナスは、少しだけ得意そうに鼻の下をこすって笑った。
「無尽蔵に魔力が溢れ出てくる感じ」
「……え?」
何か、心の片隅で、警報が鳴った。
「無尽蔵に?」
「うん。例えばさ、入れ物があるとすんじゃん。そこに入ってるのが魔力。元々は、そこと繋がってる出口がすっげえ小さかったのが、俺」
「アイテムを見つける前な」
「そう。で、その間口を広げたのが、このアイテム」
「うん」
「……その間口が、ごそっとなくなっちゃったみたいなのが、今」
「……」
無言でキグナスの顔を見る。
アイテムとロッドの繋ぎ方を変えることで、汲み出す魔力の力量が変わった……つまり、ナタのつけ方では、まだセーブがかかっていた。
ナタは、「同じ魔力の消費量で、魔法が強力になる」とか言ってたから、実際はキグナスの言うように魔力の消費量が増えたって話ではないんだろうけど、実際の増減は置いておいて、魔法そのものが強力になっていることで、本人の感覚ではそう感じるってことなんだろう。
……そこに、意味があったわけじゃ、ないんだろうか? ただの、ミス?
「それ、平気?」
「ん〜。別にこれと言って負担はねえけどなあ」
「ふうん……?」
なら、良いのかな。
やっぱただのミス? 「あ、ごっめ〜ん」とか言ってやりそうなキャラではある。
それとも、わざとセーブするようにしていたんだろうか? ……アイテムに、頼り過ぎないように。
「キグナスって、そのアイテムなくしたら魔法、使えんの?」
「馬鹿にするなよッ。使えるさッ。……前レベルなら」
「ロッドなくしたら?」
「……」
おいおい。
「ま、追い追い修行しますとゆーことで」
「……」
「でも、使ってる魔力は俺の自前だろッ。んじゃあ俺の自力じゃんか」
「うーん」
でも、そのアイテムって言うガイドがないと、途端に間口がちっちゃくなっちゃうんだろ?
「無事レーヴァテインも手に入ったし〜。これで、何とかカタがつくといいけどなあ〜」
つい気にして考えていると、すっかりその話が終わったらしいキグナスがあくび交じりに伸びをした。
座ったまま、のそのそと這って移動して来ると、俺の隣に並んでこてんと壁へ背中を預ける。
「うん。そうだね」
もう一度、レーヴァテインを見遣る。
ツェンカーを動かす為の鍵、になるはずのもの。
「早くトラファルガーが片付いて、で、帝国継承戦争が終わってぇ……」
「で?」
「でぇ……」
促してみると、キグナスが言葉に詰まった。ちらりと視線を向けると、何かを一生懸命考えているような目つきをしている。
「何?」
「平和って、訪れんのかな」
こりゃまた、でかいところにいった。
「さあ……それは、どうだろうね」
日本では、少なくとも俺が生きていた16年の間では、戦争のようなものが起きた試しはない。
だけど、世界での戦争は、起きている。人は、どこの世界でも争い合っている。
ここでの話を聞いていても、少なくともここ数年だか十数年だかの間にヴァルスは幾度か参戦しているし、それを考えれば……そして、その真剣な横顔を見れば、安易な解答は出来かねた。
「それこそ、ユリアや……シェイン、ラウバルらの頑張りにかかってるんじゃないのか」
もちろん、レガードも。
俺の記憶の中では未だ意識を取り戻していなかったことを考えて敢えて省きつつ、心の中で付け加える。キグナスが、ふうっとため息をついた。
「そうだよな。努力すりゃあさあ、何とかなんのかな」
「平和を望んでるんだ」
「そりゃあそうだろ〜」
答えながら、キグナスが足をぽすんと投げ出す。広げた足の間にロッドをころんと置いて、それを手で弄びながら中空を眺めた。
「殺し合いは、したくねえな」
「……」
「早く戦争が終わってぇ〜、無事に戴冠が済んでぇ〜、んで〜」
「んで?」
「一緒に修行しようぜ〜」
「……はあ?」
答えが思いっきり間抜けになった。
「俺、こうやってあちこち回ってさあ、冒険者っての、やりたくなった」
「あんたの将来は宮廷魔術師なんじゃなかったの」
「う〜ん。そりゃまあな、そんだけの実力がついて、シェインみたいになれたらいーよなあって思いはするけど」
「ああなりたいんだ」
「そこ、噛み砕いて繰り返すな。偉い誤解が生じる」
「あ、そう。ああなりたくないわけね……。んで?」
「んで〜。……? 何だっけ? あ、そうそう。だから、シェインみたいになりてぇなあって思わなくはねぇけど。でも、今まで単に目標値が何もねぇから宮廷魔術師に憧れてたってのは、あるんだよ」
「ああ……うん」
何もないから宮廷魔術師ってのも、多分壮絶なことのような気がするが。
突っ込むことはせずに、俺はキグナスの話に相槌を打った。
「シェインは、シェインの意志で宮廷魔術師になった。そこに何らかの意味があるんだと思う。でも、俺は別になくて。……俺、何したいかなあって言ったら、こうやってカズキなんかとさ、あちこち行って、困ってる人とかの手助けとか出来たらいーなあって最近思ったりする」
「俺は……」
口を開きかけて飲み込む俺に、キグナスが笑った。
「わかってるよ。でも、考えるだけで楽しいじゃん? ……俺だって、実際は、冒険者になんてなるわけにいかねぇよ。宮廷魔術師になれなくたって、俺は城の役人になるしかねえもん」
「……そういうもの?」
お貴族社会ばっかりは、未だに良くわからない。何せ、こちらの世界に来て初めて目の当たりにしたと言うのに、そして俺は『王子様の代理人』だと言うのに、外をふらふらしてばかりで一向に馴染める環境にいないんだから。
今し方の、無邪気に夢を語る表情を消して、どことなく悟った目付きでキグナスが頷いた。
「そういうもの。出奔でもすりゃ別だろうけど、俺にはそんな度胸ねえし。俺は一人っ子だから、出来悪くたって、家名背負わなきゃなんねえもん。家族も、シェインも放り出すなんて、俺、出来ねえから。だから、役人。決定」
「ふう、ん……」
不自由なんだな、結構。
でも、考えてみれば確かに、シェインだって「言い放題のやり放題」に見えても、価値観が結構固定されてる部分はないわけじゃない。「主の為ならば命も懸けよう」――彼は、まだ出会って間もない俺に、そう言った。俺からすればその発想は、任侠的であると同時に不自由のようにも思える。
「でも、ちょっと夢見てるくらいは、いーじゃん?」
決められている未来……恐らくは、結婚も不自由なんだろう。ユリアに決められた婚約者がいるように、上流貴族階級であるキグナスもまた。
「それにさ、俺、もう一度……ファリマ・ドビトークに行ってみてぇんだよな」
何て奇特な。
つい絶句してキグナスを見るが、キグナスは自分の考えに沈み込んでいるかのようで、ぎょっとした俺の視線には気がつかなかったようだ。
「もう一度、あのドワーフに会いに。んでもまあ、個人的に気になるだけだから……終わってからで、いーんだけど」
「個人的に気になる?」
「ん? うん……」
少し、言いにくそうに口ごもったキグナスは、それから改めて俺を見た。
「紫の髪の女の子、いただろ」
「ああ……ナタ」
「そう。彼女のことを、あのドワーフが何か知ってんのかなと思って」
思わず無言でキグナスを見返す。キグナスも、黙って俺を見返した。
ナタって……。
キグナスの口から、ナタのことが出るとは思わなかった。
「あのコに最初に会った時、前に会ったことがあるような気がしたんだ。しばらく何だかわかんなかったけど、考えて気がついた。……ファリマ・ドビトークで前に、俺を助けてくれたのは彼女のような気がする」