第3部第1章第25話 氷の大陸(2)
「何で」
「作られて放置されたドラゴンゾンビが、勝手にダンジョンに棲み付いた可能性もあるからさ」
ああ、そうか……。
ダンジョンの作られた時期と魔物の発生は必ずしも同じとは限らないもんな……。
「トートコーストの人なのかな……」
思わず、海の遥か彼方を望む。
もちろん、トートコースト大陸は、片鱗さえも見えはしないけれど。
「さあな」
ゲイトは、どうしているんだろうか。
◆ ◇ ◆
ツェンカーの東岸リュンスクの港を発ってから、5日目。
ようやく、フレザイルに船が着いた。
今回同行しているのは、俺とシサー、キグナスの3人は元より、シサーの予想通りヴァルト副将軍配下の兵士20名だ。
彼らは、どうやらフェティール要塞からロドへ帰る時に一緒に来てくれた人たちと同じメンバーらしい。つまるところは、ヴァルト副将軍にとって、子飼いの兵士たちと言うことになるんだろう。
あの時は『兵士たち』って感じで正直個体の区別なんてついていなかったが、ここに来て目立つ人たちは何人か個体識別が出来るようになってきた。
首都防衛と言う別の任務から離れられないヴァルト副将軍の代わりに彼らを取りまとめているのが、ナヴィラス。すらっとした、どこかニヒルな雰囲気を持っている。
ナヴィラスといつも一緒にいる、図体のでかい白髪の大男が、ラギラ。彼の装備は剣ではなく、バッシャーと言う棍棒のようなものらしい。モーニングスターの鎖のない奴だ。鉄の棍棒の天辺に、トゲトゲの鉄球がついている。
正確に言われたわけじゃあないけど、恐らくはこの2人がヴァルト副将軍からこの遠征を託されているんだろうと言う気がしている。
逆に言えば、レーヴァテインを手に入れてから、主に警戒しなきゃいけない人たち、なのかな……。
彼らは知ってるんだろうか。ヴァルト副将軍が、現代表ルーベルトと相対する組織に属する人間だと言うことを。
「さて、どうする」
こちらのリーダーをシサーだと見て取っているらしいナヴィラスが、兵の隊列を整えさせて尋ねて来た。
兵士たちはほとんどみんなヴァルス語を話せないみたいだけど、中には話せる人もいるみたいで、ナヴィラスはこっちに話を振る時にはヴァルス語を使ってくれる。
「俺たちは、行動の主権はあんたらに委ねろと言われている。協力はするが、好きに行動してもらって構わない」
「なあ、ここはあんまり滑らねぇんだな」
結局は船酔いでげろげろ状態だったキグナスは、青い顔で踏みしめた氷の大地に踵を軽く弾ませながら、俺を見上げた。そして、そのまますとんとしゃがみ込む。
首脳会談はシサーに任せることにして、俺もキグナスの隣にしゃがみ込んだ。
「そうだね。だって第3階層は、目的がそれでしょ」
氷の表面を触ってみると、あの床のように、磨きたてられてるみたいにつるつると言うわけじゃない。
普通に傷とかついてて、氷の細かな破片とか積もった雪とかもあるわけで、少なくともこの辺りはそうそう滑りそうにはない。
「カズキ、キグナス。何、氷と戯れてんだ? 行くぜ」
「いや別に戯れてるわけじゃ……。キグナス、行ける?」
「行ける……」
船酔いの名残を残すキグナスに手を貸して立ち上がらせると、既にシサーはナヴィラスと肩を並べて歩き出していた。それに兵士たちが続いていく。
俺たちを待ってくれているのか、足を止めたラギラが大声で笑いながらキグナスの肩をばしばしと叩いた。
「****** *********** ****!!」
わからない。
「何だって?」
「俺に聞くなよ。ヴァルス語で精一杯なんだ」
「俺だってヴァルス語とリトリア語で限界だよ」
「*********!!」
ああ、不便だ。
船の中で聞いた話によると、レーヴァテインが眠ると言う柱の場所はヴァルト副将軍が地図に記入してくれているらしい。氷の大陸をあちこち探し回る手間がないだけでも、ひどく助かる。
白い風景は、他の色がなさ過ぎて、起伏の区別がつきにくい。
空一面を覆うような曇天と相まって、フィルター越しのような曖昧模糊とした世界にいるような錯覚を覚える。
「雪とか、降らないといいけどね」
先頭を歩くシサーたちと、しんがりを歩く俺とキグナスの間には、ヴァルト副将軍の兵士が挟まっている。てれてれと歩く俺とキグナスとは違い、訓練された規則正しい歩行だった。前方を身軽な兵士が、そして後方は資材などの荷物を運ぶ兵士が整然と列を成している。
氷の大陸は、強い魔物が多いと聞いた。
だけど、これだけ戦闘を職業とする人間がわんさかいて、何をか言わんや、だ。そもそも、魔物は軍隊を忌避すると聞いている。通常人なんか訪れないだろう氷の大陸の魔物にそんなコモン・センス、通用するか否かは疑問だが、いずれにしたって「オ願イシマス」だ。俺たちの出る幕なんか、ないだろう。
すっかり他人の集団に押し付ける気満々で歩いていると、次第に空が一層曇ってきた。吹き付ける風も冷気を増して、強くなる。
「嫌だな……。天気が崩れそう」
空を見上げて顔を顰めると、自分のつま先を眺めながら黙々と歩いていたキグナスが顔を上げた。
「ざびぃ……」
「うん……」
冷たい空気は、なぜか、澄んでいるような透明感を感じさせる。
呼吸をすると、内部が浄化されるような感覚に伴って、体の中が芯から冷えたような気がした。
ツェンカーを発つにあたって、防寒装備は更に強化している。ツェンカーの北部に棲むと言う狼の毛で作ったフードつきの防寒服に身を包み、ゴツいブーツとグローブ。吹雪いた時に備えて、顔を保護するマスク。
防寒服は、思いの外ごつくはない。一応、魔物と戦うことを前提としているわけだから、ジークとヴァルト副将軍のアドバイスを参考にして防寒服の中でも最も動きやすいものを選んでいる。
とは言え、通常より動きにくいことに違いはない。
防寒服の中に、更にもこもこと着ているキグナスは、どこか着ぐるみを彷彿とさせる。
見渡す限り真っ白い景色の中、異質なものは、何もなかった。
「あ、降って来た……」
その時までは。
「*****……」
「フロスト・ニクシー!?」
前方で兵士の呟きが聞こえた、と思ったらそれにキグナスの怒声が重なった。
なだらかに盛り上がる雪の丘陵の上に、白いドレスの裾と金色の長い髪がはためく。……白い、女。
「下がれッ!!」
「***** *******!!」
前方からシサーとナヴィラスの怒声が同時に聞こえた。
そう思った瞬間、叩きつけるような冷気が前方から襲い掛かる。耳元でがなり立てる氷雪の合間に、誰かの悲鳴が聞こえた。目を開けると、白い風景の中に一瞬鮮やかな赤が、ぱっと散った。
「なッ……」
「うッ……」
「キグナスッ!! 魔法ッ!!」
前方で、兵士の首がすぱっと飛ぶのが見えた。咄嗟に口元を押さえるキグナスに向けて、シサーから怒鳴り声が飛ぶ。その声さえも、強く吹き付ける風と雪に流された。
女が、ふわりと優雅に微笑む。
「……『火炎弾』!!」
女が片手を挙げるのと重ねて、キグナスの魔法が完成する。この冷気の中でも揺らぐことのない火炎が、キグナスの意志に従って女の方目掛けて襲い掛かった。兵士たちは、フロスト・ニクシーと言うらしい女の攻撃に躊躇ったまま、動くことが出来ずにいる。
『火炎弾』と、女の放った冷気の塊がぶつかり合う。その間に、シサーが剣を構えて駆け出した。ナヴィラスがそれに続く。
「******!!」
ラギラが怒声を上げながら、兵士たちの間を駆け抜けていった。それに刺激されるように、兵士たちの数人が女を目掛けて殺到する。
「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、フランマ・フォーモ・エ・プロクセィマ、『炎の衣』!!」
キグナスが、前衛に立つ兵士たち全員に向けて火系防御魔法を放った。だが、その加護を受けることの出来なかった兵が、シサーの攻撃を避けながら放った女の冷気を避けきれずに後方へ飛ぶ。立て続けに襲うシサーの剣が女の片腕を切り飛ばし、ナヴィラスがバランスを崩した女に、剣を叩き付けた。それを避けて跳躍した女の姿が一瞬消える。
……と。
「うわあッ……」
突如、女の姿が俺の眼前に現れた。女が無事な片手を挙げる前に、ほとんど脊髄反射のように剣を叩き込む。身を引いた女に、キグナスがすぐ間近から、再び『火炎弾』――けれど単発ではなく連射を放つのが、聞こえた。
「カズキ、引けッ」
次の瞬間、マシンガンのように放たれる『火炎弾』が次々と女の体に穴を穿った。衝撃を受けるたびに空を揺らぐ女は、奇妙な踊りを踊っているように見える。
「キグナス、しゃがめッ!!」
前方からシサーの新たな怒鳴り声が響き、わけもわからずキグナスがしゃがみ込むと、いきなり目の前で女の胴が切断された。その背後から切りつけた勢いそのままに、シサーが地面に着地をする。
『アアアアァァァァァァァァァアアアアアァァァァァァァアァァァアアアアアアアァ』
女の白い目がかっと見開かれ、いやに真っ赤な長い舌が口から飛び出していた。金色に波打つ髪の中に埋もれるように、仰向けに上体が……続いて、下半身が、氷の大地に崩れ落ちた。
それを見届けて、シサーが立ち上がる。微かに顰めた顔で、小さく呟いた。
「……却って手間がかかんな」
それから俺とキグナスに怪我がないかを確認すると、背中の方を振り返った。
「** ****** ****」
短く何か言う。いろんな言葉が話せる人が羨ましい。
くわっと目を見開いたまま地面に仰向けに倒れていた、真っ白なビスクドールのような女は、やがて雪の大地に溶けていくように消えていった。後には何も残らず、彼女と共に現れた氷雪混じりの強い風だけが、今も残る。
「今のは?」
シサーが足早に前方へ戻っていくのを見ながらキグナスに尋ねると、キグナスは鼻の頭に皺を寄せて俺を見上げた。
「フロスト・ニクシー、だと思う」
「って言う魔物?」
「氷と雪を操る亜人型の魔物だよ」
俺的に言えば、西洋風雪女って感じだ。
「何人か、死んだな」
前方で集まっている兵士たちの背中を遠巻きに見ながら、呟く。キグナスが頷いて、歩き出した。
「治せる奴が、いるかもしれねぇし」
「そうだね」
俺は出来ることは何もないけど。
ナヴィラスが、俺とキグナスに視線を向けた。
「遺体を、埋める」
物言わぬ肉体となって並べられたのは、3名。ひとりは首と体が切り離され、2人は胸と腰からひどい出血をしていた。今の状態では良くわからないが、もしかするとちゃんと繋がっていないのかもしれない。
キグナスが青い顔で、口元を押さえる。
「治せる奴は……」
「生きてる奴は、軽症だ。今治してもらうほどではない」
感情の滲まない声で言うと、ナヴィラスが歩き出した。その向こうに、ラギラが雪の柔らかそうな部分を探している姿が見える。兵士たちが、ナヴィラスに続いた。
「たった1回の遭遇で、もう、3人……?」
俺たちと同じようにその場に留まってナヴィラスの背中を見送るシサーが、俺の呟きに顔を向けた。
「連携が、取れてねぇんだよ。要は」
「え?」
「対人間と、対魔物じゃあ、戦い方が違う。そして彼らは、対人間用として集団で訓練を受けたそのスジのプロだからな。勝手がわかっていないんだろう」
「……」
「魔物との戦闘は、相手の数が多い時はまだしも、強い敵が一匹、二匹の場合……こっちの人数が山ほどいたって『捨て駒』にしかならない」
「捨て駒って……」
「敵の気を散らす。それだけの役割しかしちゃいねぇんだよ、頭数なんてのは。今の……フロスト・ニクシーとの戦闘に関して言やぁ、俺ら3人だとしてもかかった時間は多分変わらねぇぜ。そして多分、死者も出ない」
「だったら、人数が増えた意味って……」
「確率の問題だ。敵にとってのターゲットが分散される。それだけだな。統制が取れてなきゃ、敵への攻撃率は、下手すりゃ下がる」
痛ましそうな色を滲ませて、シサーの視線が足元に横たわる兵士たちに注がれた。
それから、気を取り成すように、顔を上げて俺に笑いかけた。
「そんな心配そうな顔、すんなって。仮にもプロの集団だ。……すぐに、慣れるさ」
◆ ◇ ◆
ヴァルト副将軍が記してくれた地図によると、レーヴァテインはフレザイルのほぼ中央に位置する神殿に安置されているのだと言う。
また神殿か、と思ってはみたものの、良く考えれば思い切り宗教色の強い魔剣なんだから、安置されているのが神殿なのは仕方がないような気もする。
俺たちが最初に到着をしたのは、フレザイル南西部。
とりあえずの目的地までは、ひたすら歩いておよそ3日程度の距離と聞いていた。
けれど、この3日と言うのが、ハンパない。
当然、夜になれば日も沈むし気温も下がる。人のいないこの土地には宿泊施設なんか無論あるわけもなく、と言ってむき出しで野営なんか出来るはずもなく、必然的に作る羽目になる。