第3部第1章第24話 resort 後編(3)
どうやら男は、俺とキグナスにさして警戒をしていないようだ。ここに来て俺は、ようやくそのことを信じられる気がして、ほっとした。……ま、俺もキグナスも、どっちかって言えば騙すよりは騙される風貌だしな。
シサーのように「デキる」空気感がないってのは、逆にこういうところで役立つものだ。……いや、実際デキないですが。
以前、ジフに、ギルドで対面した時に、俺とシサーに対するジフの顔つきが違ったことをふと思い出した。余り喜べることじゃないが、とりあえずは喜んでおこう。
「へえ? お兄さんも、雇われ?」
「雇われってのともちと違うけどな」
「ふうん?」
首を傾げて、前を歩く男の背中を見上げていると、柔らかく吹いた風がふと、彼の髪を僅かに巻き上げた。
一瞬だけ露になった耳元に、背筋を衝撃が駆け上がる。
「……ねえ。ひとつ聞いても良い?」
男が微かに振り返る。
「何だ?」
「同じイヤリングをしてる人を見たことがある」
『マキビシ』のようなイヤリング。
どうしてこの男もしている?
顔だけ微かに振り返った男の表情が、止まる。
「へえ? どこで?」
「マカロフの乗合馬車。話してたおじさんの耳についてた」
メイアンで『紳士倶楽部』と合流した男も。
……そして。
「何か意味が、あるの?」
「さあね? 流行、ってやつだろう?」
男の横顔が、にやっと笑った。
(――ヴァルト副将軍……)
ヴァルト副将軍は、『地上の星』……!?
◆ ◇ ◆
「シサーッ!!」
「カズキッ!!」
なぜかアカンサで日雇いバイトをする羽目になって小金を稼いで一泊した俺とキグナスがフリュージュに戻ると、義勇軍の訓練を終えて帰ってきたシサーの物音を聞いて俺は転がるように部屋を飛び出た。
相変わらず、ヴァルト副将軍の別宅だ。
アカンサから帰るなり引き払うなんて不自然な真似はもちろん出来ないので、ともかくもシサーに相談しようと思って待ち構えていたんだが、対するシサーもなぜだか受けて立つ勢いだった。
「え、何? どうしたの?」
「お前こそどうした?」
互いが互いの剣幕にびっくりして、妙な間があく。
それから、伝えたい情報をお互い持っていることを理解し合って、シサーが低く「表に行こう」と囁いた。
「あ、うん」
ヴァルト副将軍の宅内で「あの人、『地上の星』だよ」とは俺もさすがに言えないので、その言葉には賛成だ。
上の階にいるユリアたちにも声をかけて、執事の人に外で食事をする旨を伝えて表に出ると、歩きながらまずシサーが言った。
「ナタリアが襲われたぞ」
「――えッ!?」
全員、揃って驚いた声を上げる。
「ナタリアって……トラファルガーに?」
「もちろん。ナタリアのリンガーが、壊滅だそうだ」
どこ?
俺の表情に、目を見開いていたニーナが補足してくれた。
「ナタリアの東北端の町よ。ナタリアでは最もフレザイルに近い地域にあるわね」
「そこが、壊滅?」
「ああ。ツェンカーから一旦それてくれたのはこっちにしちゃあラッキーだが、町が壊滅となると喜んじゃいられねえな」
「あッ……」
その言葉を聞きながら、何となく思いついた考えに、思わず声が上がった。
みんなの視線が俺に集まる。
「何?」
「いや……。じゃあ、まさかと思うけど、継承戦争から、ナタリアは……」
「今んとこはまだ、離脱したって話は聞いていない。だけど、可能性はかなり高い」
「そうだよね……」
自国がドラゴンに襲われてるってのに、他国の侵略をしている場合じゃないだろう。
喜んじゃ悪いが、ヴァルスの立場からすれば敵国が減るってことは喜ばしい。エゴイストと言わば言え。
「それについては、追い追いツェンカーにも情報が入ってくるだろう。今のところは、確かなことは言えない」
「うん。……シサーの話って、それ?」
「いや」
言いながらシサーは、足を郊外の方へ向けた。飲食店が点在する辺りからは、どんどん逸れていく。
こういう状況下で辛うじてやっている数少ない店は、当然客も少ない。そういう店で話をすれば、どうしたって話が筒抜けになる可能性がある。
誰かに聞かれる可能性を摘む為に、店で話す気はないと言うことだろう。
シサーが足を止めたのは、人気のない公園の広場だった。
遠く海の彼方には、氷の大陸が僅かに見える。
「糸を掴んだ。……と、思う」
広場の真ん中近くまで足を進め、シサーがおもむろに口を開いた。
隠れる場所も何もありゃしない広場の真ん中だから、誰かに盗み聞きをされる心配もない。
公園自体に人の気配もないけれど、それでもシサーは殊更低く、告げた。
「ルーベルトに直接繋がっているわけじゃない。だけど、秘書官に繋がるパイプを見つけた。ルーベルトには秘書官が5人いる。そのうちの1人だ。信用に足るかどうかはわからねぇが、元々ルーベルトの家で使用人をやっていて、出馬するに当たって一緒にフリュージュに来たと言う筋金入りのルーベルト派だ」
「じゃあ、その人に繋がりをつけられれば……」
「ルーベルトと連絡が取れる。ルーベルトの信用は、かなり厚そうだぜ。そいつを掴めれば、かなり強い。ちょっと時間を食うかもしれねぇが、そいつに続く糸を辿ってみる。今はまだユリアの存在は匂わせない。俺が、糸を手繰る」
シサーの言葉で、全員の顔に微かな希望が滲んだ。
今の、手も足も出ない状況が打破出来るかもしれない可能性。
「そいつを掴み次第、フレザイルに行こう」
シサーの視線が俺に向いた。
「じゃあ、レーヴァテインを……」
「押さえとくのが、ベストだろうな。トラファルガーは先日カーマインを襲撃して、今度はナタリアを襲っている。断言は出来ねえが、今ならまだ猶予はあるかもしれない。遠くないうちにもう一度くらい襲撃は予想されるが、その後は多分少し、間があく」
「そういうもの?」
「ああ。次あたりにフリュージュが襲われなければ、時間は稼げるだろう。それまでに何とかパイプを繋いで、フレザイルに行こう」
「ちょっと待って。誰が行くの?」
尋ねるニーナに、シサーは……意図的だろうか、無表情に続けた。
「フレザイルに行くのは、俺とカズキ、キグナス。それが、ベストだろう」
「ちょっと待ってよ!!」
ニーナが声を荒げた。
「その人数で、トラファルガーが何とかなるわけないでしょう!? わたしも……ッ」
「ユリアのそばにいろ」
シサーは、見たことがないほどニーナの反論を許さない強い口調で言い切った。ニーナが、言葉を飲み込む。
「俺がパイプを繋ぐ。その後の算段は、ニーナに引き継ぐ。ユリアを守って、ルーベルトの助力を引き出してくれ」
「シ……」
「ジーク。この中で一番この国に詳しいのはお前だろう。ユリアの補佐を頼む」
ニーナの言葉を遮るシサーに、ジークもややニーナを気にかけながら頷いた。
「はい。僕は元々ヴァルス国民ですから。ヴァルスの王女様の為とあらば、全力で。……あの、でも……」
「シサーッ!!」
ニーナが尚も怒鳴る。シサーがちらりと視線を向けて、冷徹な声色で告げた。
「ニーナ。がっかりさせないでくれ」
「……」
「他に割り方があるか? お前なら、ユリアをちゃんと守ってやれるだろう?」
「でも、3人でフレザイルってのは、ちょっと無謀だと言う気は僕もしますよ?」
ジークが、フォローするように口を開く。
対するシサーは、打って変わって冷徹さを潜めた苦笑を浮かべた。
「そりゃわかってる。実際問題、3人になりゃしないだろうと思ってるよ。この中で行くのは、3人だ」
「え? どういうこと?」
他に誰が……。
「ヴァルト副将軍が、フリュージュに来る」
どくん、と心臓が鳴った。
思わずキグナスと顔を見合わせる。
「え……?」
「とりあえず、首都の防衛を固める方針だろう。ドラゴンクローラ部隊を率いて、フリュージュ北部のダンテラス要塞に来るそうだ。さっき、義勇軍に通達があった」
「じゃあ、別宅に滞在する……?」
「要塞にいる必要があるだろうから、ずっととは言わないがな。当然、自分の別宅と行き来をするだろう。だとすると、俺たちの行動は漏れないはずがない」
「3人になりゃしないって……」
「ヴァルト副将軍か、もしくはその部下か……同行することになるだろう。先日のカズキの話じゃ、彼はレーヴァテインに執着しているな? それを手に入れようとするのを、見過ごすとは思えない」
「それでいいの?」
「頭数として、利用してやろうと思ってるぜ」
そう言って、シサーは小さく笑った。
「手勢をくれるなら、ありがたいだろう? フレザイルの魔物は、トラファルガーだけじゃない。強い魔物も多いんだ。兵士を貸してくれるなら、借りて行こうじゃないか。軍隊の責任者なら、フレザイルに渡る船の一隻や二隻、期待出来る」
「でも……」
「レーヴァテインは別に、奪われやしないさ。誰も取り出すことが出来なかった魔剣は、『鍵』を持つカズキに取り出せなきゃ誰も取り出せない。そして『鍵』を持つカズキでなきゃ、恐らくは扱えない」
「……それは、そうだけど……」
「ヴァルト副将軍は、レーヴァテインを手に入れてから引き離すことだって可能さ。少なくともフレザイルの地で剣を奪い合いするほど馬鹿じゃねぇはずだぜ。……『氷の大陸』でそんな無駄な争いをしてたら、生還出来ない」
「シサー」
頭が混乱してきた。
どうすればベストなんだ? どう行動するのが、最良なんだ?
ユリアはルーベルトと会わなきゃならない。下手に会うと、『地上の星』を触発して暴動になる。
ユリアを守って、ルーベルトとの交渉に持っていける人間が、彼女のそばにいなけりゃならない。
俺たちは、ヴァルスにツェンカーの援軍を連れて行かなきゃならない。交渉材料は、レーヴァテインとトラファルガーだ。
レーヴァテインを手に入れる必要がある。ユリアの交渉と同時進行で、トラファルガーを片付けられればベストだ。レーヴァテインを取りに、フレザイルに行かなきゃならない。
ヴァルト副将軍は、『地上の星』の一派――あの『マキビシ』は、『地上の星』のシンボルだ。
ヴァルス王女ユリアは今、ヴァルト副将軍の懐にいると言える。その素性を知られていないままで。
そしてヴァルト副将軍が、フリュージュに戻って来る。
「ヴァルト副将軍は、『地上の星』だ……」
いくつもの情報が頭をぐるぐると回って、優先すべきがどれなのか、最も良い流れが何なのかの整理もつかないままで、俺は口を開いた。
シサーの瞳が、こちらを向く。
「……ほぉ」
「アカンサに行って、わかった。星みたいな形のトゲトゲの飾り……ヴァルト副将軍がしてる。メイアンでも見かけた。あれは、『地上の星』の、シンボルだ」
「だったら尚更、奴の動向を知っておく必要がありはしないか?」
シサーの回答は、冷静だった。
「ユリアを、ヴァルト副将軍の邸宅においておくのは、危険だよ……」
「それについては、同感だ。ルーベルトの秘書へのパイプを繋ぐ算段の中に、ユリアの身柄をどこか別の場所へ移すことも含めて考えよう」
そこまで言ってから、シサーは頼りがいのある笑みを浮かべて、俺の肩を軽く叩いた。
「この事態が片付けば、少しは状況も変わるはずだ。……フレザイルに行って、『切り札』を取って来ようぜ」