第3部第1章第24話 resort 後編(2)
その言葉に従って、俺とキグナスは翌日、アカンサへ向かうことにしている。
アカンサはフリュージュから半日もあれば行けると言うことで、要は単に偵察だ。
カレヴィさんいわく、『地上の星』は本拠点をアカンサに置いている。
最初は憶測でしかなかったその言葉は、俺たちがロドにいる間に、ほぼ確かなものになった。カレヴィさんが調べさせていた情報に、戻りがあったからだ。
その戻り情報の中に、『地上の星』の見分け方のひとつとして、特殊な合図があるらしいと言う情報も手に入った。
左手を広げ、右の人差し指と中指をブイサインのように左の掌につき立て、次に、開いた右手の掌に左手の拳を押し当てる。これを、一瞬で素早くやる。同胞なら、同じ仕草を返す。
この合図が確かかどうかはわからないけれど、相手が同胞かどうかの区別が良くつかない時、そしてそれを判断したい時、彼らはその仕草を見せることがあると、一部の武器商の間では言われているようだ。
ま、アカンサが本拠点かどうかは置いておいても、ほぼ確実に出入りはしているだろうと思われるので、少なくともアカンサの様子だけは見てみる必要はある。
とは言ってもシサーは義勇軍に入ってしまった手前、そっちに行かなきゃなんないし、なので仕方がなく俺とキグナスと言うゴールデンコンビで行くことになったわけだ。……何がゴールデンって、頼りなさにおいて。
フリュージュからは、馬車も出ていると言う。時期が時期だからかなり本数は少ないみたいで、逃すとまた明日まで待つか徒歩で行くしかない。
それは嫌だから早めに出ようとしているんだけど、キグナスがもたついている。
今の状況は、そんなとこ。
「あ、しまった。ロッドをくるんでる袋、忘れてきた」
「……早く取ってきてよ」
「おう」
呆れる俺の言葉にキグナスが体を翻すと、俺はもう一度外に出てみた。……ひ〜。寒いな、やっぱり。朝と言ってもまだ早い。塗り潰したみたいに息が白い。
(あれ?)
いつまでも建物の中にいたって話が進まないので、渋々外に出てみると、ヴァルト副将軍邸のすぐ前の通りに荷車が止まっているのが見えた。
良く見ると、その前で男がしゃがみ込んで、何やら四苦八苦している様子。察するに、後輪が外れたらしい。
「大丈夫ですか」
あ、言葉、通じないんだった。
言ってから気がついて口を閉ざすと、男が俺の声に顔を上げた。
男……って言うよりは、少年だ。俺より年下かな。そんな感じのあどけなさが残った顔つきをしている。
「**************** ***** *****」
ごめん、しゃべれないし、わからない。
門を開けて外に出ながら、頭をかく。それから、身振り手振りで、代わるように示した。少年が素直にどく。
俺、こういうのを直すのって結構得意なんだよな。機械いじるのとか割と好きで、子供の頃はラジコンとか自分で分解して組み立て直したりしてたし。
俺の自信はあながち的外れなものではなかったらしく、外れた車輪は無事元に戻すことが出来た。試しに、軽く車体を持ち上げて嵌まり具合や回り具合を確かめていると、背後からキグナスの声が聞こえた。
「お待たせぇ〜。……どした?」
「や、車輪が外れちゃったみたい。もう直った」
「へえ? お前、意外と器用だなあ」
「ん。多分キグナスよりは」
「うるせえよッ」
それから少年に向き直って、指でオッケーサインを作ると笑ってみせる。少年が、感激したような表情を浮かべて、勢い良く頭を下げた。
「*** ******** *****!!」
……ま、正確にはわからないけど、多分お礼なんだろう。
「どう致しまして」
こっちの言葉も通じてないだろうが、一応答えると、俺は少年に手を振って、キグナスと歩き出した。
「無事つけるかなあ」
「大丈夫だろ。フリュージュから次の停留所がアカンサだってんだから、乗って、次に止まったら下りりゃいいんだよ」
「ま、ね……」
言葉のわからない場所で、しゃべれない人間だけで未知の場所を移動するのはかなり不安感を呼び起こす。
「とりあえず……乗合馬車の待合所に辿り着けるかが、心配だなあ……」
「ここ、どこ?」
「えぇとなぁ……あ、これだろ? さっきいた通りがこれか? んでぇ、右に曲がったからぁ……」
「面倒臭い。貸してよ」
「俺じゃあ頼りないってのかよ」
「頼りない」
心配は杞憂だったらしく、何とかアカンサまで到着をすることが出来た。
出来たのは良いけど、これまた言葉もわからずにアテもなく偵察をすると言うのは、ひどく無謀な行為だったりするわけで。
俺とキグナスは、乗合馬車を降りてから、片手の地図を頼りにアカンサをうろうろしていた。
と言っても、言葉が話せない俺たちのこと、町の人に会ったところで情報収集は出来ない。基本的には、地理的な視察だ。
「あ。あっちの道じゃねえ?」
「馬鹿、勝手に行くなよ……」
俺とキグナスに期待されていることは、大したことじゃない。
言葉もわからない異国の土地。危なっかしさがチャンピオンクラスの俺たちに、大したことが出来るはずもない。
シサーから託されたのは、街の様子を見て来て欲しいってことと、出来れば『人が多数出入りしているような場所を押さえて欲しい』ってことだった。それも別に必須じゃない。出来ればってだけ。
まあ、一応はそこに焦点を絞って、人が多数出入りしているような場所だったり、何かをいろいろ運び込んだり運び出したりしていても不自然にならなさそうな場所を探しては地図にチェックをする。
「キグナス、待ってよ」
地図ごと路地に入ってしまったキグナスを追って、俺も体を翻す。小走りに背中を追おうとして、ふと視界の隅に入ったものに、足を止めた。
(ヴァルス語……?)
路地沿いにある、バーのような雰囲気の小じんまりとした店のガラス窓に、ヴァルス語で文字を書いたびらが張ってある。
いや、イリアス語と併記してあると言った方が正しいかな。多分。
そりゃあ、イリアス語がヴァルス語になったところで、俺には読めないって点じゃあ一緒なんだけどさ。
でもキグナスなら、これは読めるはず。
……ま、雰囲気から考えるにわざわざ読んでもらう必要があるかと言うと……そりゃあ、別になさそうなんだけど。
しーかし、言葉ってのは話すより読み書きする方が難しいもんなんだな。
ってゆーか、別もんなんだろうな。
これだけ話せるようになってんのに、読むも書くも相変わらず俺には出来ない。
キグナスを忘れ去ってぼーっと張り紙を眺めていると、突然肩を軽く叩かれた。
キグナスだと思って何気なく振り返った俺は、予想に反して見たこともない男だったので、きょとんとする。
「************」
男が何か言った。もちろんわかりはしない。
年の頃は、俺より少し上くらいだろうか。くすんだ草色と言うか、灰色がかった淡い緑の髪を肩くらいまで伸ばし、何となく軽薄そうな、人なつこそうな雰囲気だ。
俺の様子を見て取ったのか、藍色の目を瞬いて、おどけるように眉を上げた。
「何だ。言葉、わかんないのか」
何だ。ヴァルス語しゃべれるのか。
「そんな張り紙見てっから、仕事、探してんのかと思ってさ」
『そんな張り紙』?
もう一度見てみるが、何度見たってもちろんわからない。
だけど、こう言うってことは求人か何かだったってことか。
男に答えようと口を開きかけたところで、ようやく俺の不在に気づいたらしいキグナスが少し先の路地から戻って来るのが見えた。
軽く片手を挙げると、キグナスは俺と男を見比べながら近づいてくる。
「カズキ。……どしたんだ?」
「ううん。……何? 仕事を紹介してくれるの?」
もう一度、男に向き直る。
「探してんならちょーどいーやって思ったんだけどな。どうなんだ? 探してんのか?」
どうすべきだろう。
返答に詰まった俺が僅かに視線を彷徨わせると、ふと、男の手が、奇妙な動きをした。
(――!?)
開いた左手に、つき立てた右の二本の指先。次に、開いた右手に押し当てた、左拳。
何気なく、素早く、そして何食わぬ顔でにこっと俺に笑いかける。
「……うん。そう」
――――――『地上の星』……!?
「仕事を、探してるんだ」
反射的に答えていた。
やばいだろうか。
やばい、匂いはする。
何気なさを精一杯装いながらも、鼓動が加速して口が渇いた。あの合図を見た瞬間の俺は、どうだっただろう。無関係の人間なら、気づかないか首を傾げるかのどちらかでしかないだろうが、俺の反応はその合図を知っている者の反応になっていなかっただろうか。
緊張する俺に、男がなつっこい笑みを浮かべ、両手をポケットに突っ込んだ。
「この時期のツェンカーで仕事探したあ、酔狂だなあ。国外人だろう?」
「……そう。ロンバルト」
ヴァルスの名を口にするのは、本能的に避ける。
俺はこの世界で、国ごとの人の外見的特徴の区別がつかないから、俺にどこと偽るのが可能なのかが良くわからない。
だけど、元々ロンバルトの第2王子を模倣しているんだから、ロンバルトと偽って間違いはないはずだ。少なくとも「日本」と答えるよりはましだろう?
案の定、男は俺の言葉をすんなりと受け入れた。
「ロンバルトからわざわざツェンカーまで? そりゃあますます物好きだなあ」
男の目つきや声音に、探るような色は感じられない。少なくとも、俺がわかる範囲では。
大丈夫、だったのかな……?
キグナスは、俺の傍らで黙って成り行きを見ている。
俺は頭の中で、不自然じゃない理屈を考えた。
「ロンバルトは今、俺が就けるような職がないんだ」
「へえ? どんな仕事を探してる? 傭兵職なら困らないんじゃないか」
男が、ちらっと俺が帯剣しているのを見て言う。俺は肩を竦めてみせた。
「強くないんだ。入隊試験で落ちる。ツェンカーならトラファルガー対策で募集してるって聞いたけど、それも入隊試験で落ちちゃった」
俺の言葉に、男は笑った。
「弱そうだ」
「うん。強くなりたいんだけど。軍に入れば訓練してくれるでしょ。だけど入れてくれない。何か仕事、ある?」
「腕が立つならないでもないけどなあ」
だから立たないんだってば。
……何とか、この男から聞けることはないだろうか。『地上の星』なら、不用意な接触は危険かもしれないとわかってはいる。
だけど、せっかくのチャンス、このまま逃すわけにはいかないだろう。
「ま、日雇いで良けりゃ、都合してやらないでもないな」
「日給?」
「仕事が終わりゃあ、その場で賃金を支払ってやるよ。荷運びなら、出来んだろ?」
キグナスと顔を見合わせる。
「やる」
「おーけぃ。ついてこいよ」
「ありがとう。運ぶって、何を運ぶの?」
歩き出した男の背中について行きながら尋ねる俺に、キグナスも続いた。男が振り返って、少し鋭い目を、細めた。
「カナモノだよ。中身は、聞かねぇ方が良い。……実はさ、予定してた運び屋が逃げやがって、ちと焦ってたんだ、俺」
「え? どういうこと?」
「荷運びの日雇いにその辺の浮浪民のガキを何人か使ってんだが、逃げやがってよ。ちょーど探してたんだよ」
言いながら、舌を出して笑う。
「最初っからお前らだってことにしとけよな」
「おっけぃ。キツいんだ?」
「本当に運ぶだけだ。倉庫に積んである木箱を、別の場所に移す。ちと重いがな。脳味噌はいらねー。……いや、深く考えねー方が、身の為だ。脅しじゃないぞ。忠告だぜ」
不穏な空気だ。
真っ当な仕事じゃないのは、まず間違いない。
「いーよ、何運ぶんだって。とりあえず今日のメシが食べれれば、俺はそれでいーんだから」
頭の悪い、金に困ったガキだと思ってもらおう。
身なりにしたって、俺もキグナスも今は目立ちたくないから大した服装をしていない。
演技が上手くいっているかはわからないけれど、軽い口調を心がけて軽く肩を竦めてみせた。俺以上に演技なんか期待出来ないキグナスが黙りこくってるのは、妥当だろう。
「それが一番良い。それが一番長生き出来んだ。ま、俺もしょーがねーから手伝ってやってるだけなんだけどな。それこそ、金の為だ。しょうがねぇやなあ」