第3部第1章第22話 鎖(2)
「知ってる」
「ならば話が早い。目的地は賭博場の裏にある店だ。そういう指定は、出来るか」
「うん。いいよ。裏ね、裏……」
ごそごそと手描きの地図を取り出したシーリィは、視線を落とすと口を噤んで顔を上げる。
僅かな笑みを口元に浮かべて、シェインはシーリィに告げた。
「そこで働く女性に、恋文を送って欲しいのさ」
◆ ◇ ◆
シーレィの伝令を使ってラウバルからの返信を受け取るまでには、5日かかった。間に複数の人間を挟んだがゆえに、これは致し方ないことだろう。
そうは言っても通常の連絡手段から考えれば、これは驚異的な早さだし、意外なほど信頼性があると見てシーレィに素直に感謝をしたシェインは、後金はもちろんのこと、謝礼として約束より更に千ギル多く支払った。もしもまたどこかで頼むようなことがないとも限らぬから、こういう場合は気前良く振る舞っておく方が良いのだ。
(ヴァルスに戻ったら、ミオにも礼をせねばな……)
ラウバルからの直筆の返信であることを確かめて宿へ戻りながら、内心ひとりごちる。
今回の件で、大きな功労者は、レオノーラの娼婦であるミオだった。
シーレィから放つ書簡の宛先を、シェインはまずレオノーラの娼館『春霞の館』にした。宛先はミオ、差出人はシェインの名である。シェインがミオを懇意にしていることは周知のことであるから、ここは問題なくいくだろうと予想された。
娼婦の中には、文字は書けずとも簡単になら読める者も少なくはない。ミオもまた、然りだった。ミオに文字を教えたのは、他ならぬシェイン自身だ。
問題は、ミオがシェインの意図を酌んでくれるかどうかである。
シェインがミオに宛てた書簡の内容は、次のようなものだ。
旅先のセルジュークにて、ヴァッセンベルグの園に咲く棘のある珍しい花を見つけた。棘を封じて君に贈りたい。
君がいつも、口にしていた聖歌が胸によぎる。4日後には帰る。
2.1 3.1 2.24 1.18 6.20 2.1 1.15 4.3 8.8 1.20 3.15-19 6.4-12
ミオ。
俺がいない間、変わりはないか。
君がいつも祈るレオノーラの海辺で、この書簡と俺の名と共に、無事の帰還を祈ってくれ。
平文をなぞれば、恋仲にあるミオへ思慕を綴った内容に見える。
だが、事実は無論、違う。
シェインがどこで何をしようとミオにとっては関係のない話だし、わざわざ旅先から書簡を届けられる覚えはないはずである。
なのに届いたこの文面に不審を感じて、隠された望みを察してくれるかどうかだけが心配だった。
彼女に託した部分はひとつ……文中で改めて彼女の名で文章を区切った意味はそこにある。名前以降が、ミオに宛てた文面だ。
ミオは、敬虔な信者などでは到底ない。聖歌など歌いもしなければ、いつも祈りを捧げているはずもない。
そして、レオノーラには、海辺はない。
娼婦は、様々な客と相応に親しく触れ合う為、往々にして政治ごとにも利用される。彼女たちもそれを知っている。
ミオはシェインの素性を知りはしないが、余りにも不自然なその文面を見れば、頭の良い彼女はシェインが何かを自分に託したのだと察するだろう。
王都レオノーラの一部として見なされている地域で距離を遠く置かずして海が臨める場所は、一箇所だけだ。そして祈りを捧げるとくれば、大神殿以外にありえない。
――書簡と俺の名前を、大神殿に届けてくれ。
それより前の意味は、ミオにはわかるまい。わかるはずもない。
シェインの名前が出されれば、必ずガウナの手元に渡る。
ガウナは、そしてラウバルもまた、意味するところを考えるだろう。
セルジュークはもちろん、リトリア王都だ。シェインの現在地である。
だが、セルジュークからレオノーラへは、4日では帰りえない。となれば、4と言う数字に意味があることがわかるはずだ。
意味するところは、その前の「聖歌」。聖歌の第4番である。
スパルジェス メ ドミーネ ヒスゥオポ エ ムナダーヴォ
ラヴァ ビス メ エ サパ ニーベン デ アルバーヴォ
ミ シ リ リ メ デラス シークァンダム マーグヌム
ミ セ リコールディ アム サ アム……………………
――――神の栄華を褒め称えよ
我らに愛と慈悲を賜りし 聖なる母よ
戦ある時には勇気を持って
穏やかなる日には感謝の祈りを………
続く数字通りに聖歌の第4番をなぞれば、ヴァルス語の文章が浮かび上がる。――「ラミア捕獲。引取りを待つ」。
それがわかれば、冒頭もまたラミアを示し、魔力を封じてあるがゆえに引取りを要求していることがわかるだろう。ロンバルト公国ヴァッセンベルグ公家の棘のある花は、宮廷魔術師ラミアをおいて他にない。
果たして、シェイン意図は、問題なくくみ取られた。
ミオが届け出た大神殿にてシェインの書簡は無事ガウナの手を経てラウバルの手に渡り、その返信と共に鳥は再び放たれた。
書簡と共に雲啼が運んで来たチグルと言う木の実を手ずから与えた者の、「戻れ」と言う命令で雲啼はシーレィの元に戻る。書簡末尾に記されたその指示はラウバルかガウナのいずれかから下され、雲啼はシーレィの元に戻った。
「代わるか?」
「いや……もうしばらくしたら、代わってくれ」
麻で出来た粗末な衣服に身を包み、木の葉を絞った汁で髪を染め、土で顔を汚して荷車を引くシェインの姿は、どこから見ても宮廷魔術師ではない。少々容姿に繊細さが残りはするが、立派な貧民である。
一方で、荷車に積み上げた藁の束が崩れないように横から支えるエディもまた大差ない状態であった。モナ公王たる気品は、見る影もない。
積み上げた藁の束の中には空洞を設け、意識不明のラミアが押し込まれていた。ただ押し込めたのでは窒息してしまう可能性があるから、後方は外気を取り入れられるようにして布で目隠しをしてある。
藁運びの貧民を装って、意識不明のままのラミアを人目に触れずセルジュークから運び出すと、シェインとエディは時間をかけてゆっくりと国境へと向かっていた。
ラウバルからの文面もまた、一見ではそれとわからぬ内容になっている。
まるでミオからの返信を装った内容に隠された指示を辿れば、シェインとエディが次に取るべき行動は限られた。
ひとまずラミアを連れて、リトリアとマカロフの国境……林業を営む小さな村エンにて、ラミアを引き取る人間が現れる。
ラミアは、現在、まだ昏睡から目覚めてはいなかった。衰弱が心配されるが、反面、「なぜ俺がそんな心配をしてやらねばならんのだろう」と言う一抹の疑問が浮かばないでもない。
まあ、それほど長きには渡らないだろう。フリッツァーの配下がうろついている危険性もあるし、ラウバルの返信を受け取るや、シェインとエディはセルジュークを発った。
「尾行の奴らは、どうしたかな」
少しずつ陰っていく日に空を仰ぎながら、何気なく口を開く。あれきりフリッツァーの配下たちは見かけていない。再発見されてこちらが気づいていない可能性も皆無とは言わないが、ほぼそれに等しいだろう。
「さあな。一部が戻って、一部が私たちを探していると言うのが妥当か」
「クリスファニアに向かったんじゃないか」
「かもしれぬな」
いずれフリッツァーの戦力を必要とする時までに、しっかりとこちらが戦力になり得る点をお伝え願いたいものである。
時折、シェインらと似たり寄ったりの風情で歩いている農民とすれ違う。彼らが運んでいるのは、事実彼らの生活の糧だろう。こちらの偽装工作とはわけが違う。
そんなことを思いながら、シェインはフリッツァーの書簡によるソフィアの居場所に思いを馳せた。
「本当にソフィアがクリスファニアにいるのかな……」
小さくひとりごちた声は荷車を引くゴロゴロと言う音に掻き消されたかと思ったが、エディの耳に届いたらしい。
「さあな。ともかくは、行ってみる必要があるだろう」
フリッツァーが果たして、本当にソフィアの居所を伝えてくれているかどうかは、現状確かめようがない。エルレ・デルファルからフリッツァーにシェインの身元がばれるかもしれないとの危惧はあったが、現在のところではそれも明らかではない。
だが、ともかくも、一応の指針は手に入れることが出来た。
フリッツァーの書簡が示すソフィアの行方は、クリスファニア――セルジュークから西南へ下った大都市である。
セルジュークに滞在していた数日で集めた情報によれば、ソフィアがいるとされているクリスファニアには、文官が多く別宅を所有していると言う。
「何にせよ、国王軍がクリスファニアに向かったと言うのは間違いなさそうだろう。ならば、信憑性はなくはない」
「いずれにしても、得るものがある、か……」
「国王軍がクリスファニアにいるとなれば、何がしかの情報を得ることが出来よう。全くの無駄足にはなるまい」
「……こうしている間に、騒ぎが起きなければ良いが」
「……」
エディが沈黙で答えた。
ソフィアが王位継承権を持つと言う話が本当であれば、そしてアルノルト・クレーフェらが反旗を翻そうとしていると言うのであれば、その目的は明白である。ソフィアを陣頭に掲げて王を討つのだ。
力による世代交代――国王軍がクリスファニアに向かい、ソフィアがクリスファニアにいるのであれば、火の手が上がるのはもう間もなくかもしれない。
出来るならば、その前にソフィアを奪還したい。火の手が上がってからでは、リトリア情勢に深く食い込むことになる。
さっさとフリッツァーが挙兵してくれれば良いのだが。
エンに辿り着いて程なく、ラミアは昏睡から回復した。意識不明の人間の面倒を見るのは手間がかかるので、却ってありがたくもある。もちろん、手足の自由は奪っている状態で監視下においているが、思いの外、ラミアは静かだった。完全に黙秘を保つつもりでいるらしい。
シェインの投げたいくつかの問いにさえ答えるそぶりはなく、最後にはシェインも辟易して放棄した。尋問なり拷問なりは、エディはもちろんシェインにとっても管轄外であるので、預ける人間に任せることにする。ヴァルス宰相に報告はしたのだ。後は、然るべき人間が然るべき処置を施すだろう。
数日の間、シェインとエディはエンの村から程近い草地で寝起きした。
人に紛れてその村の住人を装うのは無理だからである。小さな村は、人の付き合いが深い。
木の陰に当たる地面に荷車と共にいれば、昼間は休憩しているように見えようし、夜は帰るところのない者に見えようか。
そうして、日に数度、エンの村へ足を運ぶ。
ラミアを引き取る人間の名前まで知らされていないゆえに、すれ違っていないかと思えば落ち着かない。早く荷物を預けてクリスファニアへ向かいたいとの気持ちもある。
詳細はラウバルから聞くことが出来ていないが、シェインの予想ではラミアの身請けをするのはモナに駐屯しているヴァルス軍から寄越される人間だろう。
であれば、レオノーラからカサドールを経てモナに連絡が行き、そこからこのエンへ向かうはずだ。
どれほど急いだとて、ある程度の日数がかかるのは我慢するしかない。
それらしき人物の話を聞くことが出来たのは、シェインたちがセルジュークを発ってから、半月近くが過ぎた頃だった。既に炎の月も2週目に入っている。
「ほう? 怪しげな異国人か」
真夏の盛りではあるが、リトリアの更に北部に位置するエンでは、灼熱の暑さと言うわけではなかった。
とは言え、やはり注ぐ太陽が目に眩しい。昼間には、額に汗が滲んだ。
ちょくちょくとエンの村を歩いては、村の外で寝泊りをしているシェインたちを、村人たちはどこからか流れて来た浮浪者だと思っているらしい。勝手に解釈してもらえるならばそれに越したことはないので、シェインの方も敢えて訂正はせずに放ってある。
襤褸を身に纏っていることが彼らの警戒を緩めているらしく、次第に村人とも顔見知りになって来ていた。時折、作業の手伝いを頼まれれば手伝ってやり、その礼として多少の食料を提供してくれる。
ただし、エディもシェインも口を開けばその出自が匂い取られる可能性があるので、極力口を開かないようにしている。口から先に生まれてきたようなシェインにとっては苦痛であるが、仕方がない。
だが今日は少し、状況が違った。時折作業を手伝ってやっている、林業を営む年配の女性たちの噂話が耳に飛び込んできたからだ。
見慣れない風体の異国人が、数時間おきに村を回っては出て行くのだと言うものだった。
(ようやく来たか……)
ラウバルの指示を受けた人間だ。
「どこにいる?」
短く尋ねるシェインに、集まった数人の女性は、しきりと額の汗を首から提げたタオルで拭きながら互いに顔を見合わせた。
「そこまではちょっとわかんないねぇ」
「だけどいっつも西から来るよ」
「そうさ、ヴィヴィーの家の裏手の方から来るんだよ、ありゃあ」
「やだね、あんな方に何があるのさ」
「お山にいるのかねえ」
「お山なんか魔物の巣窟だろ? あれじゃないのかい? ほら、いつだかキャラバンが来た後にさ、小さな掘っ建て小屋を残していったじゃないよ。あそこにいるんじゃないのかい?」
「いやだねえ……変なのが流れ込んできたりしなきゃいいけどねえ」
少し尋ねるだけで、女性たちは淀みなく会話を続けた。シェインがいることなど既に忘れているような顔で、しきりと「怪しい異国人」について知っている情報を代わる代わるにまくし立てる。
「ありゃあ、逃亡兵じゃないのかい?」
「まさか。こんな辺鄙なところまで流れて来やしないよ」
「こんな辺鄙なところだから逃げ出して来るのさ。隊長さんだって、こんなところまでは探しに来やしないだろ?」
「……兵士の身なりをしているのか?」
口を挟んだシェインに、女性のひとりが顔を顰めた。
「してないよ。剣は腰にぶら下げてるけどね。ほら。兵隊さんなんて言ったら、もっとしっかりした装備をしているもんだろう?」
「逃げ出す途中で捨てたんじゃないのかい?」
「ありゃあ悪い冒険者だよ、きっと」
しきりと話を続ける女性たちに別れを告げて、話に出た村の西の方へ向かってみることにした。『ヴィヴィーの家』と言うのは残念ながらわからないが、西側から村を抜けてみれば『キャラバン跡地の掘っ建て小屋』には出会えるかもしれない。
恐らくは、互いが互いのことを探しているのだろう。こちらもこうして姿を変えているのだし、向こうも本来あるべき姿ではここへ来ることが出来ない。国境越えも苦労したはずだ。マカロフから来たのであれば南方よりは警戒も緩いだろうが、それでも関所があるような道は使えない。獣道や川を渡るなどの難所を越えて来たはずである。
ふらりと、いつもと同じ様子で村を歩くシェインの姿を、特に咎め立てする者はいなかった。西へ向かって歩きながら、どうやってラミアを引き渡すかを考える。
村人の口の端にこれほど上っているとなると、その数日前から姿を現すようになったシェインと会ったりすれば、村中を勝手な憶測が駆け巡る。その中には真実に近いものがないとは言えない。危険である。全く、田舎の人間は噂話が好きなものだ。
これほどの小さな村になると、外部との出入り口がどことは限られない。きちんと区切られているわけではなく、いわばどこからでも出入りが可能である。
どこから村へ入ることが出来るかを、何となく歩いてチェックしていると、ちょうど、小さな畑の間の道に差し掛かったところでふたりの男が向こう側からこちらへ向かってくるのが見えた。
多分、エンの村人ではないだろう。
足を止めて彼らが近づくのを待つ。近づいて来た彼らも、こちらの様子を見ているようだった。やや距離を保ったまま、足を止める。鳶色の髪の男が一瞬口を開きかけ、それから動きを止めた。
次の瞬間、がばっと地に伏せるように片膝をつくと、頭を下げる。
「シェイン様……!!」
どうやらこちらの顔を見知っているらしい。もうひとりの男は、地に伏せた男が口にした名前にぎょっとしたように、慌てて倣った。
「やめてくれ。こんなみすぼらしい男にそんなことをしては、かえって目立つ。端から見たら、やる人間が逆だ」
ラウバルからの使者もさすがに貴族めいた装いはしていないが、それでもシェインよりはましである。さしずめ、行商人を装ったと言うところだろうか。
「随分、思い切ったものですね……」
シェインの言葉に従って立ち上がると、鳶色の髪の男は呆れたようにそう評した。