第3部第1章第22話 鎖(1)
自国、と言うものがどれほど過ごしやすいところなのかを、立て続けに痛感する羽目になっている。
素性を伏せて敵国に身を置いているだけでも不自由でならないのに、この上、捕虜となり得る人間の身柄を押さえてしまったとくれば、己の手柄の重さに涙が出ようと言うものだ。
魔力さえ復活してしまえば、そして油断をしていなければ、ラミアはシェインの敵ではなかった。加えて言えば、今回不意を突かれたのはラミアの方である。負ける余地がない。ラミアが「まさか」と思っている間に叩き潰すのは、それほど困難なことではなかった。
ともかくも、エディに戦闘不能となったラミアの身柄を預け、エルレ・デルファルにてフリッツァーからの書簡を受け取ったシェインは、ひとまず『眠りの魔法』でフリッツァーの尾行を置き去りにすると、セルジューク郊外の公園へ足を向けた。水辺の木陰で馬を休ませながら一息入れる風を装って、対策に頭を悩ませる。
戦闘能力を回復したシェインの最初の餌食となったラミアは、現在意識不明の状態で、端から見れば眠っているのと大差なかろう。無論、リファルト管理官に解除してもらったリミッターは、現在ラミアの魔力を封じている。
「なぜ生かした?」
怪しまれぬ程度に人目を避けた場所を見つけて落ち着くと、エディが芝に横たえられたラミアを見下ろした。シェインの魔法を封じた本人だと言うことは、ここに辿り着く前に告げてある。
水に口をつける馬に目を細めながら、シェインはどさりと地面に腰を下ろした。
「雑魚ならばともかく、こいつに関してはあそこで遺体を捨て置くわけにはいかぬゆえな」
仮にも一国の宮廷魔術師である。さすがに問題が巻き起ころう。
ラミア配下の者に関しては、引き受けていられない。リトリア当局には、暴漢に襲われたとでも何とでも処理して戴く他ない。
「そういう身上の人間か」
「まあな」
「だが、どうする? 足手まといこの上ない」
「まったくだな」
「この際、フリッツァーの部下に押しつけてはどうだ?」
「そうしたいのはやまやまだがな……」
ラミアがこのまま意識不明ならば、それも良かろう。
だが、殺してしまうわけにはいかなかったからかなりの手加減をしている為、目覚めは恐らく早いだろう。仮に『沈黙の魔法』をかけたとて、永久と言うわけにはいかない。
ラミアの身柄をフリッツァーに押しつければシェインの素性がばれることは明白であり、ラミアは捕虜として裁かれることも押さえておくことも出来なくなる。
フリッツァーにシェインの素性がばれるのは、好ましくなかった。ヴァルス貴族、それも宮廷魔術師と知られれば、味方につけるはずのフリッツァーが強敵とさえなる。
理想的なのはもちろん、ヴァルス軍に預けることではあるのだが……。
そう考えて、ちらりとエディを見上げた。
この際譲歩をして、モナ軍でも良い。
そこでシェインの思考は、『もうひとつの問題』に僅かにスライドした。悩みの要因である記憶喪失男は、無理矢理一株の草場から草を食む2頭の馬に呆れたような視線を注いでいる。
エディに己の素性を告げるタイミング及びその告げ方――これは、政治的な作用が生じる。無計画と言うわけにはいかない。フレデリクを掲げてモナに再び反旗を翻させるわけにはいかないのだ。エディをヴァルスに引き寄せてから、あるいは引き寄せられる見込みを掴んでから取りかからなければならない。そして、予見しないところからいきなり暴露されてもまた、困る。
どちらを向いても頭が痛い。
「何にしても、宿を押さえよう」
意識不明の女性を連れてうろうろしては目立って仕方がないし、動きにくい。仮の足場を作る必要がある。
「数日はここで情報を集める必要があるだろうな」
まだ未開封のフリッツァーの書簡を指先で軽く弾きながら言うと、エディも首肯した。
「書簡の裏を取るか」
話が早くて助かる。
「ま、『裏』と言うほどのことは期待出来ないだろうが……。ともかくも人目につかぬところで内容を改めてからになるな」
それと同時に、ラミアの身柄をどう処置するかも考えねばならない。現状でどこかに預けることは考えにくいから、目立たぬように連れて移動する手段を講じることが必要である。
更に言えば、フリッツァーの配下の者にラミアが何者か興味を抱かれることは避けたかった。シェインたちが、自分たちを襲撃した人間を連れて歩いているとなれば興味を抱くだろうことは想像に難くないし、ラミアの身元が割れれば「それに襲撃を受けるシェインもしくはエディは何者なのか」と言う興味をまた煽ることになる。
だからこそ甘んじていた尾行を撒くことにしたのだし、この先も出来ればついてきて戴きたくはない。
シェインの戦闘能力の一端を見せ付ける良い機会になったのだから、その報告を携えてシガーラントへお帰り戴きたいものである。
(何とかラウバルに連絡が取れぬかな……)
結局のところ、シェインの頭を最も悩ませているのはそこだった。
通常、通信は書簡をもって行われる。人が携えて馬や足、もしくは船によって各地に設置されている伝令所を介して運ばれるのである。重要な密書などは、ひとりの使者が携えていくこともあれば、訓練された伝書鳩を使うこともあるが、いずれにしても公的な機関を使用出来る立場にいなければ出来るものではない。加えて、日数を必要とし、危険を伴う所業である。
身分を使うことの出来ない環境下、国境を越えて通信を行うことは容易ではない。敵国とくれば尚のことだった。
リトリアにいる利点としては、シェインにとってヴァルスやエルファーラを除く他国では最も王都に知人がいると言う部分と、ヴァルス配下のモナと隣接している点である。
だが、そうは言っても知人の数など儚いものだし、在学中には多かった滞在者も卒業と同時にどこへ行ってしまったか知れたものではない。モナとて、リトリアからすれば『獲物』なのだから、容易に通信を行えるはずもない。
「ちょっと、手近な宿を探して来よう。エディ、悪いがそのご婦人を見張っていてくれ」
「わかった」
苦悩したまま、ともかくも宿を見つけるべく公園から抜ける。せっかく撒いたフリッツァーの配下に遭遇せぬよう気をつけながら、尚もラミアの処遇とラウバルへの連絡手段に思い悩むシェインへの回答は、思いがけず、セルジュークの雑踏の中にあった。
セルジュークの街は、メインストリートに沿って走る路地裏にまで所狭しと露店が溢れ、幅の狭い道などはひどく混雑する。人に当たらぬように歩きながら、露店と露店の間のスペースに一風変わった人影が座り込んでいるのが目に留まった。
薄汚い茣蓙を地面に敷いて、鳥かごを2つ置いている。中には2羽ずつ、計4羽の鳥が、止まり木で羽根を休めていた。
くすんだ松葉色の外套に身を包んで座る小柄な姿。恐らくは少年……いや、エルフ?
「『書簡屋』とは、何だ?」
足を止めて声をかけると、少年は顔を上げた。ずれた外套のフードから覗く耳は、精霊族の特徴を備えている。繊細で秀麗な顔つき、華奢な細い体。間違いなくエルフの子供だった。
シェインの言葉に、少年は鳥かごの前に置いた手描きの張り紙をちらりと見た。それから、白い歯を見せてにっと人懐こい笑みを浮かべる。
「『書簡屋』さ」
「初めて聞く商売だな」
「みんな、頭が固いんだよ。……何? 運んで欲しい書簡でもあるの」
「『書簡屋』の内容によりけりだ。書簡を運ぶ仕事を請け負っていると、そういうことで良いか」
どの程度信頼性のある手段が確立されているのか。依頼するかしないかは、その程度による。
前に片膝をついてしゃがみ込んだシェインに、少年はもう一度白い歯を覗かせた。
「僕は、シーレィ。見ての通りの精霊使いさ。エルフが使役を最も得意とする精霊は、何か知っている?」
「風の精霊だろう。……シルフを使うのか?」
シルフには、人間界の物を運ぶような能力はなかったはずだ。人間の無知を知っての詐欺商法だろうか。
一瞬そう考えて訝しげに眉を顰めるシェインに構わず、シーレィは鳥かごを指した。
「そう。ところで、こっちの鳥は知っている?」
尋ねられて向けた視線の先では、手の平サイズの柑子色の鳥が、つぶらな瞳を瞬いてこちらを見返していた。可愛らしく小首を傾げては、小さく啼く。
「……いや。何だ?」
「これは、雲啼と言う鳥だよ。ローレシアではリトリア北部にしか棲息してない」
「ほう」
「雲啼はね、シルフの支配を非常に良く受けるんだ」
「……」
にやっと笑うシーレィに、意図するところが読めた。
要するに伝書鳩……但し、帰巣本能を利用するわけではないから、到達地点を伝書鳩ほどに選ばない通信手段だと言うわけだ。
とは言え、鳩より更に小型の生き物ゆえ、運ばせられる書簡はメモ程度……必要最小限に限られる。長距離にも耐えることが出来ないのではないだろうか。
「おぬしの指令を受けたシルフに支配させた雲啼で、書簡を思い通りの場所に運ばせると……こういうことで良いか」
「ご名答♪」
罪のない顔で笑うシーレィに、シェインは思わず呆れた。
精霊魔法を使って便利屋を営み、人間界で商売をしようとは困ったエルフもいたものだ。
「禁忌ではないのか?」
「禁忌ってのは、見つかるから禁忌になるのさ。見つからなければ、禁忌になりようもない。……で? どうするの? 運ぶの? 運ばないの?」
早速交渉に入ってくるシーレィに、シェインは両眉をひょこんと上げてから、考えを巡らせた。
もしもそれが事実ならば頼みたいのはもちろんのことだが、確認すべき点がいくつかある。
「どの程度の距離まで請け負うことが出来る?」
詳細を聞いても、そもそもヴァルスにまで運べぬようでは検討する余地がない。
最も肝心なことを尋ねると、シーレィは「ふふん」とやや小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「ローレシア大陸なら、全土に渡って。ラグフォレスト大陸も、配達範囲だ」
「何? 事実か?」
「この雲啼って鳥はね、渡り鳥なのさ。夏になるとリトリアに渡ってきて、冬になるとラグフォレストへ行く。その程度の飛距離は、何でもない」
ならば検討の余地はある。
口を開きかけたシェインに、シーレィは「だけど条件がある」と付け足した。言葉を飲み込んで、問い返す。
「条件?」
「個人宅や、特定の人間に直接渡すようなことは出来ない。わかるね? 僕が知らない人の元へは、シルフを操ることは出来ないんだ」
「……」
それは、痛い。
「ではそもそもどうやって受け渡しをするシステムなんだ?」
「僕の把握出来る大きな建物、店、公共施設に託して、そこから個人の手に渡すようにすることだね。例えば神殿の司祭に送るのならば、神殿へ送って、雲啼の書簡を受け取った人物から司祭へ手渡されるようなさ」
「……」
シーレィの言葉に、シェインはしばし考え込んだ。もしもシーレィに依頼するのであれば、書簡の内容はそもそも暗号文とせざるを得ない。ならば、ある程度信頼出来る人物あるいは施設へ向けて送って、しかるが後にラウバルに辿り着くようにすることは出来ようが……。
「おぬしが把握している施設となると、かなり限られるのではないか?」
「舐めてもらっちゃ困る。これでもこの仕事を始める前から、広くあちこちには行っているんだ。仕事を始めることにしてからは、各地の地図や絵、資料なども作ってる。小さな町や村はその限りじゃないことは認めるけど、主要都市と言える大きなところの主要施設は、大体押さえてるはずだよ」
「……わかった。それについてはまた後で確認することにしよう」
一応、商売人としてプロのプライドはあるらしい。
だが、どこにどのように送って誰を経由するかを、こちらで手落ちのないように考案しなければならない。
レオノーラは無論ヴァルスを代表する大都市だから問題ないだろうが、まさかシャインカルクと言うわけにはいかない。王城関係者だと自白しているようなものである。
「日数は、どのくらい必要とする?」
「到着するにはほとんど必要ない。相手の都合にもよるかもしれないけど、長くたって2日で十分さ」
「上等だな」
「じゃあ、早速だけど……」
シェインを客と定めたらしいシーレィが交渉を始めようとするのを、シェインは片手を挙げて制止した。
「待て。確認するが、これまでの実績はあるのだろうな」
「もちろん。……あ、証拠を出せとか言い出さないでよ。そんなもん、あるわけがないんだ。わかるよね? こういう商売なんだから、どういう書簡を運んでるのかってことくらいさ。履歴や証拠を置いておくわけにはいかないんだ」
矢継ぎ早に弁明するシーレィに苦笑しつつ、頷く。実績があるにせよないにせよ、物証があるはずはない。
「だけど、成功率は100件運べば100件ってところさ。顧客満足、みんなにこにこ。にこにこ印のシルフ配達だよ」
100件と言うのは、かなりの誇張だろう。こんな胡散臭い書簡屋に依頼をする人間が、そう数多といるはずがない。然るべき筋から運べるのであれば、その方が安全率が跳ね上がる。
「どうやってそれを確認する?」
「確認?」
「俺がおぬしに依頼をしたとしよう。俺の届け先に確実に届いたと言うことを、俺にどのように証明する?」
シーレィは、やや嫌な顔をした。
「細かいな」
「当たり前だ。わけのわからぬところに届いては困る。そうでなくとも、おぬしが何者かに買収されて預けた書簡を横流ししないとは限らない」
「疑い深いと女にもてないよ」
「余計なお世話だ。生憎と困っていない。どうやって俺に確認させる?」
「相手に返信をさせれば良いじゃないか」
「良かろう。返信まで受け取ってから代金を支払うわけだな」
至極当然のように言ったシェインに、シーレィは更に嫌な顔をした。それから指を2本、立てる。
「前金で2千ギル」
「馬鹿を言え。前金で5百ギル払ってやる」
「ふざけんなよ。千ギル」
「7百ギル」
「千ギル!!」
「8百ギル。後金で、2千2百ギル」
「……成立」
半ば渋々、と言った風情ではあったが、後金の2千2百ギルが効いたらしい。頷くシーレィに、シェインはにやっと笑って鳥かごを示した。
「安全を期して、2羽、使ってもらおうか」
「じゃあ倍で合計6千……」
「追加料金としてプラス千ギル、後金だな」
反論を許さないシェインの姿勢に、シーレィががくーっと項垂れた。
だが、やはりなかなか客はつかないのだろう。どこからどう見ても不満顔全開で、頷く。
「汚ねぇなぁ」
「汚いのはそちらだろう。どうせ元手はゼロだろうが。計4千ギル手に入ると思えば、良い商売だろう?」
「シルフを遠くまで飛ばすのは疲れるんだぞ……。で、どこまで? 配達条件はさっき言った通りだよ」
「ヴァルス。レオノーラならば問題あるまい」
「問題ないよ。レオノーラはね……結構詳しいんだ、僕。浄化の森があるでしょう? エルフの国から最初に出たのがヴァルスだったからね。……えぇと、で、レオノーラのどこ?」
短い沈黙を挟んで、手順と書簡の内容を考える。
「王立図書館を知っているか」
「もちろん。ラテルナ通りだね。王立図書館へ運ぶの?」
「いや。その通りの一本裏を行くと、賭博場がある。そこは?」