第3部第1章第21話 邂逅(2)
「ソフィアは、7年前にファルネーゼ家に養子に出した」
裏づけが取れた。
はっきりと断言したフリッツァーに、シェインはエディの話を脳裏に蘇らせた。
ソフィアは確かに、7年前、フリッツァー・ウィルディンの元からライナルト・ファルネーゼの元へ、養子として手渡されたのだ。……なぜだ?
「ウィルディン家に娘は不要か」
「そうではない。それには政治的な理由がある。だがそれは、話すことではない」
やはり現状では深い話を引き出すのは、困難だ。シェインは頭を巡らせた。
ソフィアを攫ったエブロインは、ライナルト・ファルネーゼに助力するアルノルト・クレーフェの一派だ。
フリッツァー・ウィルディンの元からライナルトにソフィアが手渡された――このことには、政治的にどのような意味がある?
「だが、養子に出したとしても娘は娘だ。あなた方が探している人物が私の娘ならば、娘の身に起こったことが気にかかる。当然の父親心理だ」
「ではあなたも俺たちと同様にソフィアの身を真に案じる人物として、協力を期待出来ると思っても良いか」
ともかくも、協力を明言させることだ。
シェインの言葉に、一瞬言葉に詰まったフリッツァーは、やがて頷いた。
「……無論」
あとは、どれだけフリッツァーから情報を引き出せるかだ。
ことは恐らく、リトリア宮廷に深く絡んでいる。正体の知れないシェインとエディに、フリッツァーがべらべらと口を割るとは考えにくい。と言って現在の持ち駒では、今ひとつ状況が読めない。
「アルノルトと言う人物を知らないか」
攻める方向を考えあぐねていると、それまで沈黙を保っていたエディが口を開いた。フリッツァーの視線が、その物静かな青年に向けられる。
「宮宰だ。ファルネーゼ家と懇意にしている。……それが?」
「だとすると、不思議な事象が起こっているのだが」
「不思議な事象?」
「ソフィアを攫ったリトリア貴族は、ソフィアいわく、アルノルトと言う人物の配下に当たる」
「……」
「不思議だろう。今の話によれば、現在の父親と懇意にしている人物に追われていることになる。それは、大きく言ってしまえば、現在の父親から逃げ出して、かつての父親を訪ねようとしていたと言うことになろう」
「……」
「そなたが確かにソフィアの父親だと言うのならば、彼女がシガーラントに訪れて会いたかった人物はそなたと言うことになるが、ソフィアが逃げ出したいほどの家に手渡したのがそなたならば果たして会いたいと思うかどうかと言う疑問が浮上しよう?」
フリッツァーは、エディの淡々とした意見に黙って耳を傾けていた。だが、次第にその顔が、僅かに歪む。
「だとすれば、ソフィアは、そなたが望んで引き渡したのではなく、引き離されたのだと考えられる。間違いだろうか」
自身の口から語らぬのであれば、こちらから解を示してその正誤を判断する。エディの意図するところは、そこらしい。シェインは口を噤んで、エディに場を譲ることにした。フリッツァーから答えはない。
解を待たずに、エディは続けた。
「となると、果たしてソフィアの身柄にどういった価値があるのかと言う点が気にかかる。ごく普通の貴族の娘であれば、彼女の価値は政略結婚へのコマにしかならぬだろう。そもそも、引き離すようにして養子に引き取る理由が不明瞭だ。そなたと何らかの力関係を結びたいのであれば、それこそ政略結婚を進める方がスムーズなのだから。ならば、彼らの目的はウィルディン家と政治的な縁を結ぶことではなく、ソフィアそのものに意味があると考えられる。しかも、あれほど執念深く追ってくるとなれば、その価値はかなり高い」
「……」
「ウィルディン家と政治関係を結ぶ以上の重さがある価値とは、何が考えられるのだろうな」
場の空気が、硬化していく。それは、エディの言葉が真実を突いていると言うことに他ならない。
ソフィアには、宮廷で派閥抗争をしている人間にとってウィルディン家――当時元帥の地位を持っていたフリッツァーと政治関係を結ぶよりも深い価値があるのだ。
「……この街の領主は、7年前に赴任して来たそうだ」
エディの後を引き取って、シェインが改めて口を開いた。
「ソフィアが養子に出されたのも、7年前。噂話で聞く限りでは、ここの領主は民の信頼が厚い。気紛れな民の信頼を集めることの出来るような実力ある諸侯が娘を奪われてシガーラントに移ってきたとなると……何か、策略の匂いがするな。考えられる筋書きとしては……」
一度、言葉を切る。
この先は、賭けだ。
筋書きの正誤によっては、この後衛兵に取り囲まれる可能性もないではない。
だが、この数日で得た……そして、こうして対面して見て取った人柄から判断するに、横暴な態度に出る人物ではないと読んで、シェインは続きを口にした。
「ソフィアに政治的価値を見出したファルネーゼ一派が、その身柄を押さえる為にあなたを策略に嵌めて地方へ追いやり、ソフィアの身柄を無理矢理引き取った。そういった手段を講じる人物であれば、何らかの良からぬ謀を目論んでいる可能性がある。それを知ったソフィアがファルネーゼの手から逃れ、あなたに救いを求めようとした。だが、辿り着ける前に、ファルネーゼの投げた網に引っ掛かった。それほどの彼女の政治的価値……さしずめ」
「……」
「王位の継承権を持っている、と言うのはどうかな」
「……お前たちは、何者だ?」
唸るようにフリッツァーが問うた。その言葉は、シェインの筋書きを肯定しているのと同じことだ。
確認した。――リトリア国王の庶子は、ソフィアだ。
「先ほども申し上げた通りだ。他国の貴族階級に過ぎないさ。……もしもそうだとすれば、大事になる」
ここまで状況を知って、今更そ知らぬふりは出来ぬはずだ。あと一歩で、フリッツァーを動く気にさせることが出来る。
「どういうことだ」
「決まっている。ソフィアは必死の思いであなたに助けを求めようとしたのだ。それは、彼女にとって状況がそれほど切羽詰っていると言うことを示している」
「……」
「リトリアに、火の手が上がろうとしているんだ」
◆ ◇ ◆
(かなり、厄介なことになったな……)
フリッツァーは、とりあえずシェインとエディに宿の提供を申し出た。
表面上としては知らせてくれたことへの礼と言うことになっているが、シェインらの正体が不透明であるがゆえに監視の意味も含むだろう。
だが、当面そんなことは大した問題ではない。ともかくもフリッツァーの懐に潜り込むことには成功した。第一段階はクリアしたと言える。
であれば、次の段階は決まっていた。
いかに、シェインとエディがフリッツァーの役に立つことが出来るかを知らしめるのである。有用な人物と判断されなければ、協力体制を強いることは難しい。
与えられた部屋のバルコニーに出て、ウィルディン家の庭園を眺めながら、シェインはため息をついた。夜風が、優しくシェインの髪を撫でて通り過ぎる。
……わかっている。ソフィアがしたかったことは、してやったのだ。フリッツァーは動き出す。ここで手を引いたところで、何ら咎め立てされる理由はない。エディが以前言ったように、セルジュークでリミッターの解除をしたら、ヴァルスへ帰れば良い。後は、リトリア国内の問題だ。
クラスフェルドが討たれようが討たれまいが、知ったことではない。いや、本音を言えば、討たれてしまえば良い。だが、いずれにしてもそれについてはシェインは手を触れるつもりはない。
だが。
(ソフィアを助け出すのだけは……)
自らの手でやらねば、気が済まない。
それが、正直なところだった。
こだわる理由は、フリッツァーに言った通りだ。元々彼女に救われた命、そして彼女の身柄と引き換えに拾った命―― 一方的に受け取るだけでは、自身が許さなかった。恩には報いなければならない、そう決まっている。
けれど、ソフィアを救おうと思えば、それは図らずしてリトリアの騒動に加担することに相違ない。なぜなら、ソフィアが騒動の原点……リトリア国王の隠された庶子なのだから。
(本当に、とんでもない……)
今振り返れば、リトリア王国継承者とモナ公王が道中を共にし、ヴァルスの宮廷魔術師を拾ったと言う波乱含み極まりない事態だったのだ。当時はそこまで気がついていなかったとは言え、数奇過ぎる運命に頭を抱えたくなっても致し方ないと言うものであろう。
だが逆に言えば、これはとんでもないチャンスとも言える。
立ち回りによっては、帝国継承戦争に、大きな楔を打ち込むことが出来る。
フリッツァーは取り急ぎ、セルジュークに人を派遣して状況を確認することになっていた。まずはファルネーゼ家、アルノルト・クレーフェ、そして宮廷官僚。
シガーラントは、リトリアの辺境に位置し、尚且つこの度の継承戦争での徴兵も請け負っていない。手持ちの情報は、フリッツァー自身が儚いものだった。
(どう売り込むかだな)
昼間であれば綺麗に整えられた庭が眺められるだろうに、今はざわざわと木々が枝葉を揺らす黒い影が見えるのみだ。僅かに浮かぶカンテラの灯りが、希望の兆しのように闇に柔らかく見え隠れする。
フリッツァーと対面して、未だ不可解な点は幾つかある。
だが、それを性急に引き出すことは少なくとも現状不可能だろう。追い追い、埋めることが出来れば良い。
とは言うものの、このままではその『追い追い』が掴めるかどうかが不安定なところでもあった。
シェインとエディは、現状、フリッツァーに売り込めるほどの何も持たない。
双方、剣の腕は大したことはないし、最大のセールスポイントになる魔法は封じられている。エディも戦略を練らせればその才を発揮するかもしれないが、そもそもそこまでの権限に辿り着けない。リトリアでの人脈はない、強大な兵力を持ち合わせているわけでもない。
使い勝手として考えられるのは……。
(捨て駒、か)
リトリア宮廷に顔を知られていないこと、リトリア宮廷とのしがらみが何もないことは場合によっては利点にもなり得るが、宮廷と言う対象であるがゆえに人脈を全く持たない時点で入り込むことが出来ないとも言える。
異国で大きな行動を起こそうとすると、不自由でならない。フリッツァーに対して、この先どのようにポジションを確保すべきか、解が浮かばない。
半ば頭を抱えるように手摺りに両肘をつくシェインの耳に、隣の部屋の窓を開ける小さな音が届いた。顔を上げると、エディが顔を出すところだった。
「よう」
微かに笑ってみせる。エディは目を丸くして、隣のバルコニーに降り立った。
「リトリアの夜は、過ごしやすいな」
「季節柄、尚更な。リトリアは通年、気候が穏やかだ」
「眠れないのか」
「……今後の行動方針を定めかねてる、と言うのが本音だ」
エディから視線を背けて暗い庭園に顔を戻す。エディが無言でこちらを見つめる視線を、横顔に感じながら吐息を落とした。
「おぬしの言う通り、ソフィアにこだわる必要はなかろうな。少なくとも俺にはせねばならぬことがあり、行かねばならぬところがある。リトリアの情勢に深く関わりたくない気持ちもある」
「……ヴァルスの官僚だからか?」
声を潜めたエディの言葉に、シェインは目を見開いて手摺りから体を跳ね起こした。
「なぜ……」
「途中で気がついた。そなたと同じ特徴を持つ宮廷魔術師が、ヴァルスにいたことに」
迂闊だった。
エディは、その辺の民間人や地方貴族とは違う。
会ったことはなくとも、シェインの能力は名高い。ロドリスの宮廷魔術師と同様に「赤い髪に赤い瞳の宮廷魔術師」として知っていてもおかしくはないし、更に言えばフレデリクはヴァルスと交戦する為にヴァルス宮廷についても調査をしているはずだ。ヴァルス宮廷には、フレデリクに買収されていた官僚がいたことでも窺い知れる。
フレデリクとしての自覚がなくとも、エディはフレデリクの知識は所有しているのだから、気がつかぬ方がおかしい。
「そうか……」
否定をすることに意味はない。
そう判断して、シェインは短く肯定した。エディの表情に、詐称を責める色は見当たらない。
夜気に、密やかな声は良く響く。エディを促して室内に戻ったシェインは、改めてエディの与えられた隣室へと向かった。相変わらずベッドの上に投げ出された書物に苦笑しながら、手近な椅子を横向きに引き寄せて腰を下ろす。
ソファに掛けたエディが、バルコニーでの話を再開した。
「ヴァルス宮廷は、そなたの帰還を願っているのではないか」
「だろうな。いずれにしてもセルジュークに向かわなければならないことは確かだが、ソフィアをこのままにもしておけない。それは、個人的な感情でもあるし、ヴァルス官僚としてでもある」
「リトリア情勢に興味があるか」
「ここまで関わって、見届けないではいられないだろう。それに、この騒動でソフィアが命でも落とそうものなら、悔やんでも悔やみきれぬな。……だが」
「だが?」
「フリッツァーにどうすべきかが、今ひとつ読めていない」
親指を唇に押し付けて苦い表情で考え込むシェインに、エディが短い沈黙の後、口を開いた。
「行動を別にする必要があるだろう。とりあえずのところは」
「フリッツァーとか?」
「ああ。フリッツァーは、我々の身元を確認出来ないことに不安を覚えている。現時点で信頼関係を築くのが難しいのだから、ソフィアがいるだろう場所の特定が出来たら私たちは単独行動でそちらへ向かうべきだ。そなたはエルレ・デルファルへ立ち寄る必要もあろう」
「まあ、な」
「フリッツァーにはフリッツァーで、自身の考えに基づいてリトリア国王とソフィアを救う手立てを考え、行動してもらえば良い。元々、元帥と呼ばれる人間だ。馬鹿ではなかろう。足並みが合うはずがないのだから、合わせずに別行動を取り、しかるが後に必要に応じて再協力をすべきと思うが、どうだ?」
「再協力が成り立つかな……」
どこかで邂逅することは可能だろうか。
逡巡するシェインに、エディはあっさりと笑みを浮かべた。
「そなたは、『天才』と名高い宮廷魔術師だろう?」
「世間の風評と言う話ならば、否定はせぬよ」
「ならば、魔力を復活させれば、フリッツァーはそなたの戦力を認めざるを得まい」
なるほど……最大のセールスポイントが現在活かせないのだから、活かせるようになってから売り込めば良いと言うことか。
フリッツァーにしてみても、手元にわけのわからぬ人間がうろうろしているよりは、用事が済んだらさっさと退散してもらった方が心落ち着くと言うものかもしれない。
焦って協力体制を敷こうとしなくても、目指す場所が同じならば恐らくチャンスは再び巡ってくる。巡って来なければ、掴みに行くことも出来るだろう。
「そうだな……」