第3部第1章第21話 邂逅(1)
ヴィートに導かれたのは、シガーラント郊外にある小じんまりとした建物だった。乗せられた馬車を降りて建物を見上げたシェインは、本邸ではないと判断した。
その割には、衛兵の数が異様に多い。通常からこうなのか、シェインたちへの警戒か。恐らくは、後者だろう。
フリッツァーにはとにかく、シェインたちが、ソフィアの身を真実案じているのだと言うことを理解してもらわなければならない。目的はウィルディン家への接触ではなく、ソフィアの無事にあるのだと言うことを。
案内された建物は、質の良い調度が適度に整えられていた。華美を好む人間ではなさそうだ。至るところに槍や防具が飾られていることを見て、そう言えばフリッツァーが剥奪された地位は元帥であったことを思い出した。フリッツァーは元々、軍人だ。
通された部屋には既に、白髪の男が待っていた。口に蓄えた髭も白く、皺の刻まれた顔は精悍で実直そうな雰囲気が漂っている。体躯はしっかりてしており、シェインたちを見て立ち上がると身長も高いことが見て取れた。
彼が、フリッツァーだろう。
フリッツァーと思しき人物の背後には2人の若者が控え、更に、部屋の後方にも衛兵が2人立っている。
ここからが、最初の正念場だ。
ここをクリア出来なければ、何もわからぬリトリア国内でソフィアの奪還を図るのは荒唐無稽な計画となる。
「急にお呼び立てして、申し訳ない」
柔和な笑みを浮かべて出迎えるフリッツァーに、シェインは警戒の色を浮かべて足を止めた。まずは、フリッツァーにこちらの警戒を解く努力をして戴こう。ぐるりと部屋を見渡し、衛兵に目を留めてから、フリッツァーを見返す。
「このようなところに呼ばれる心当たりがないゆえ、困惑していると言うのが正直なところなのだが」
フリッツァーは、並んで立ったシェインとエディを見比べて、頷いた。
「それはこれからお話させて戴くことだ。……何をしようと言うわけではない。そんなに、警戒をしないでもらえるか」
「警戒するなと言うのも無理な話さ……。初めて訪ねた街で、4頭引きの馬車に出迎えられてみれば、衛兵の守る立派な屋敷に招かれている。知らないうちにこの街の規律でも犯してしょっ引かれるのかと思っても仕方がないだろう?」
肩を竦めてみせるシェインに、フリッツァーは苦笑しながら部屋の中へと促した。
「何か心当たりでも?」
「さあ? 道中考えてみたが、浮かんだのは初日に娼館に向かったことくらいかな。風紀の網をかいくぐって行かなきゃいけなかったのかもしれない」
困惑顔のシェインにおかしそうに笑ってみせたフリッツァーは、改めて座るよう促しながら自己紹介をした。
「女を抱き、酒を飲むのは男の文化だ。法で規制することは出来ないさ。遅れたが、私はフリッツァー。シガーラントを治めるウィルディン家の頭主だ」
ようやくエディと並んで腰を落ち着けながら、シェインも名乗り返す。
「私は、シェイン。こっちはエドアードだ。偶然迷い込んだに過ぎない私たちにご用とはどういったことなのか、お伺いしたい」
姿勢を正して正面から切り込むシェインに、フリッツァーは笑いをしまい込んで頷いた。
「そこに控える……」
言って、ドアのそばに控えるヴィートを示す。
「ヴィートにも聞いたと思うが、あなた方が人を探しているとの話を聞いてね」
「人探しなんて数多とある話さ。いちいち手を貸していてはきりがないだろう? ……それとも、私たちの探し人に心当たりがあると思って正解なのかな」
フリッツァーは先ほどのシェインのように軽く肩を竦めてみせた。下女がテーブルにカップを置いて下がると、シェインを見据えて口を開く。
「力添えが出来るかもしれないと考えている。なぜなら、私の知る人物に同じ特徴を備えた人間がいるからだ。だが、それについて話すには、あなた方の正体が私には見えない。あなた方が何者で、なぜその人物を探しているのかを知りたい」
本題だ。
会話の主導権を、こちらに引き寄せなければならない。シェインは胸の内でフリッツァーを掴む為に必要な銛を選定した。
まず、ソフィアにとって、そしてフリッツァーにとって危険な人物ではないことを理解させなければならない。
次に、ソフィアが危機的状況に陥っている為に、自らが動く気になってもらわねばならない。
そしてそれは、シェインにとっては不本意ながらもリトリア国王の為になると言うことに気づかせる。……但し、フリッツァーが本当に反逆を試みた人間かどうかを、その前に判断する必要がある。
帝国がこのような状況でさえなければ、シェインの身元を明らかにするのが最も手っ取り早いのだ。身分のある人間には、身分が最大の保証書となるのだから。
けれどリトリアとヴァルスが相対する関係にある今、それは命取りになりかねない。モナ公王もまた同様である。
結論から言えば、シェインもエディも、その身分を明かせない。最大のネックは、そこだった。
「なぜ探しているかと言えば、命の恩人だからだ」
フリッツァーの胸中を探りながら、ともかくも口を開く。長い沈黙は不審を招く。適度にテンポを保って、フリッツァーの関心を引きつけなければならない。
「命の恩人?」
フリッツァーは、興味深そうに目を瞬いた。想定していた回答に当てはまらなければ、人は好奇心を刺激される。
シェインは短く頷いた。
「あなた方が探しているのは、17歳の少女と伺った」
「ああ。ソフィアと言う女性だ。崖から転落して重傷を負った私を見つけ出して介抱してくれたのが、彼女だ」
そこまで言ってシェインは、隣で沈黙を保つエディを親指で指した。
「薄情な男ゆえに素通りしかけたエディを叱咤して背負わせたのが、彼女と言うわけだ。ソフィアがいなかったらエディは私を見捨て、私は野山で人知れず死んでただろうな」
やり玉に挙げられて、エディが苦笑する。それを見て、フリッツァーも誘われたように小さく笑んだ。
「では、あなた方が探しているソフィアと言う人物と先に出会ったのは、そちらのエドアード殿と言うことになるか」
「ああ。こちらは、私とは逆になるな。エディがソフィアを救ったと聞いている」
答えたシェインの言葉に、エディが軽く眉を上げた。
「そんな大袈裟な話ではない。追われているようだったので、匿ったに過ぎない」
「と言うわけだ」
「追われていた?」
エディの言葉に、フリッツァーが食いつく。
「その少女は、何者に追われていたのだ」
「リトリア貴族」
「……」
声を低めたシェインに、フリッツァーが押し黙る。
奇妙な沈黙が訪れた。
「なぜ」
「彼女はそのリトリア貴族に不都合なことを聞いてしまったらしいな」
「どのような? 追っていたリトリア貴族の名は」
エディの視線がシェインに向く。それに答えてシェインは、フリッツァーに向けて口を開いた。
「今の段階で話せることではない」
「……良いだろう」
安易にべらべらと話す人間だと思われることは、不利になる。情報の重さによって使い分けられる人間だと思わせることは、使える人物だと言う印象に繋がる。その為には、決然とした意思表示が必要だった。
短く拒絶するシェインに、フリッツァーは一旦矛先を収めることにしたようだ。素直に頷いて、質問を転換した。
「しかし探していると言うことは、現在共には行動していないとなるな。ソフィアと言う人物はどうされた?」
「行方が知れない」
短い、わかりきっていると言えば言えるシェインの回答に、フリッツァーがまたも押し黙る。
「どうして行方が知れない?」
「襲われた」
「その、リトリア貴族の何者かにか」
無言で頷くシェインに、フリッツァーは難しい顔で唸るようにため息をつく。こちら側に引き寄せるべく、シェインは尚も口を開いた。
「先も言ったように、私は、彼女に命を救われている。恩には報いなければならない。必ずだ。私は彼女に感謝をしている。攫われた彼女を助けなければ、道理が通らない。だから彼女の行方を探している」
嘘ではないが、敢えて繰り返したことには意味がある。
改めて明言をして印象付けることで、一度持った信義を裏切らない誠実な人間であると思わせるのは、今後フリッツァーから協力を得るにあたって重要なことだった。
「攫われたのか?」
「ああ。攫われた後に、どこかへ売り飛ばされたのかもしれぬ」
「それが、娼館を訪れた理由か」
「若い女性が売り飛ばされる先といえば、決まっている」
どうやら、芽が出たのは娼館の方に撒いた種らしい。フリッツァーの背後に無言で控えている若者のひとりが、もしかすると子息のシルヴィオなのかもしれなかった。
「シガーラントを訪ねて来た理由を尋ねても良いか」
考えるような目つきで沈黙をしていたフリッツァーは、やがて新しい質問を口にした。
「彼女が、シガーラントへ行きたがっていたからさ」
「彼女が?」
「そう。彼女は、シガーラントに信頼出来る人物がいたらしい。だが……」
「だが?」
「それが誰なのか、私たちは知らされていない」
「……」
こちらから提示出来る情報は、そこまでだ。
シェインの方からフリッツァーに助力を要請すれば、そこに何らかの意図を勘繰られる。有力貴族とはそういうものだ。
だから、シェインたちがソフィアとウィルディン家を結び付けてはいないと思い込ませる必要がある。最初からウィルディン家がシェインらの視野に入っていないと思わせれば、フリッツァーらに対する何らの意図がないと言う思考に結びつくはずだ。助力を自分から申し出るのであれば、受身であるこちらに何らかの意図があるはずもない。
ゆえに、フリッツァーの方から接触させるように、仕向けた。
「襲撃してきた人物がどのような人物なのかも、私たちにはわからない。ソフィアの行方を探してはいるものの、手掛かりも何もない。だからとりあえずは、彼女が訪れたがっていた街へ足を向けたと言う次第だ。その過程で、彼女に似た人物の噂を聞けば、片っ端からあたっているわけさ」
「成果は」
「ないな」
「だろうな」
初めて、僅かながら自身の意見らしきものを口にしたフリッツァーに、シェインは微かに片目を上げた。フリッツァーはやや険しい表情を浮かべ、テーブルに視線を固めている。
打ち込んだ銛は、正確にフリッツァーの心に引っ掛かったらしい。こちらの話に、フリッツァーは興味をそそられている。
「だろうな、とは?」
「その前に、あなた方の身元を問うても良いか」
「……」
来た、とシェインは内心緊張を高めた。身分が最大の保証書となると言うことは、裏を返せば身分を明かせない人間は警戒を煽る。これをどう乗り切るかが、最大の難所と言える。
「他国の貴族階級である、と言わせてもらおう」
しかし、言えないものは言えない。と言って、弱い態度は不審を一層煽る。開き直った強い態度で臨むことに、シェインは腹を決めた。
シェインの回答は、フリッツァーにとって納得のいかないものではなかったらしい。恐らくは、シェインとエディの態度を見て、その判断はつけていたと見える。民間人であったならば、領主の屋敷に突然招かれては、臆しておどおどとするのが普通だ。怯んだ様子のなかったことに、そしてフリッツァーに対して腰の引ける様子がなかったことに、貴族階級の風格を見出していたのだろう。身分ある人間は、身分ある人間に慣れている。
「そうであろうな」
「だが、ご存知の通りの情勢だ」
「情勢とは?」
「帝国継承戦争さ」
「……」
「私やエディの出身国が、リトリア貴族であるあなたに何らかの先入観を植え付けないとは言えない。私とエディは貴族としてではなく個人として彼女の行方を追っている。しかし、あなたにとっては余計な思索を招く結果になり得る」
フリッツァーが警戒心を高めるのを感じる。その顔を真っ直ぐ見つめながら、弱気にならないことを自分に言い聞かせた。
自分たちはフリッツァーの助力など必要としていない、こちらの情報が欲しいのはフリッツァーの方だ――あくまで、そう思わせなければ。
「では、身元は言えないと?」
「言う必要を感じない。そしてそれを咎められる理由もない」
声に感情を含ませず淡々と語るシェインに、フリッツァーは押し黙ったままだ。シェインは軽く肩を竦めて見せた。
「そうだろう? そちらから一方的に接触してきて、我々から個人的な背景を搾取するのは手荒に思える。俺たちも、そしてソフィアも、互いの出自を知らない。ソフィアのフルネームは耳にする機会があったが、それだけだ。家との付き合いではなく利害関係のない個人同士として共に行動をし、信じ、仲間として動いて来た。あなたが我々の出自と言う余分な情報に保証を求めるならば……」
「……」
「協力は辞退する。独力で、ソフィアを探す」
無言のままのフリッツァーに、シェインはソファから立ち上がった。
「エディ。行こう」
「待ちなさい」
性急なシェインの態度に、フリッツァーが制止の声を上げた。これで、現段階における力関係の分は、こちらにあると思わせることに成功したと言っても良いだろう。
シェインの話を聞いて恐らくソフィアの身を案じるフリッツァーは、シェインらの協力を得なくてはならないと感じている。実際のところ、フリッツァーの協力を得なくてはどうにもならないのはこちらの方なのだが。
飽くまでフリッツァーにおもねらない態度を貫くつもりで、シェインは無言で振り返った。フリッツァーが嘆息する。
「あなた方が探しているソフィアは、恐らくは、私の娘だ」
打ち込んだ銛が、獲物を釣り上げた。
そう感じながらも顔に出すことはせずに、シェインは訝しげな顔をして見せた。
「まさか」
「そう問い返す理由は何だ」
「彼女の姓は、ファルネーゼと聞いている」
「それには理由がある。……少し、歩み寄って話をしようじゃないか。掛けなさい」
促されて、シェインは再度ソファに腰を落ち着けた。
「ファルネーゼを名乗るソフィアが、ウィルディン家の娘だと言うその理由を教えて欲しい」
「それを話せば、父親が娘を案じるのは当然のものとしてあなた方を呼び立てた理由を納得してもらえるか」
「もちろん」