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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第1章第20話 tremor(3)

 すぐにはフリッツァーの情報を得られると思ってはいない。ただ、この街の諸侯であるフリッツァーに関する噂話程度ならば、耳にすることが出来るかもしれない。

 ともかくもまずは、周囲の人間の会話に耳を傾け、更に情報を引き出す相手を絞り込むことである。

 幸いにしてエディはリトリア語を解するし、シェインにしてもヴァルスの高位官としてロドリス語、リトリア語はある程度習得している。ヴァルス語を含め、この店で飛び交う会話の9割は、理解することが出来るはずだった。

「周囲に気を配れ」

 しばらくは、食事をしながら周囲に気を配ることに集中する。時折僅かな会話を交わしながら、2人の男は寡黙に食事を進めた。

 酒場だから、主な会話は仕事や女の話である。客の主体が男なのだから、仕方がない。中には帝国継承戦争や各国の状況への風評や意見なども見られたが、現段階ではシガーラントの人間にとって大きな割合を占めるものではなさそうだった。

 めざましい情報はありそうにはなかったが、その中でもいくつかわかったことはないでもない。

 前提として、シガーラントはリトリア東南部ヴォルディノ地方最南の街にあたる。フリッツァーはヴォルディノ辺境伯として7年前に赴任してきた。エディの情報によれば、それは謀叛の懲罰として、王都から追われるような形である。

 だが、そのつもりで耳を澄ませていると、いささか疑問が湧かないでもない。

 聞く限り、シガーラントは情勢が落ち着いている豊かな街のように思える。人々の生活は、快適なようだ。街を歩いた感想としても、同様である。国境を含むヴォルディノ地方には、バートとの交易窓口があるのだから無論のことだ。

 加えて、辺境伯は通常、広大な領土を所有する。ヴォルディノ辺境伯シガーラント公フリッツァーもまた、例外ではなさそうだ。

 果たして、封じられた諸侯に豊かな土地を与えるものだろうか。

 余り多くはないが、会話から耳に聞くフリッツァーの風評も、上々と言えそうだった。フリッツァー以前の領主の評判が、どうやら余り良くなかったようだ。その差異からの加点もあろうが、少なくとも不満が溜り溜まっている様子ではない。

 とは言え、このような場……横暴な領主であれば尚のこと、下手なことを言ってしょっ引かれても困ると言うことも考え得るし、酒の肴程度に過ぎないのだから鵜呑みにするわけにもいかないが、会話の合間に見え隠れする感触は悪くはない。

 フリッツァーは、本当に反逆を試みてシガーラントに封じられたのだろうか。

 まずはそんな疑問を胸に浮かべつつ、新しいエール酒のグラスを受け取ったシェインの耳に、不意に大きな声が飛び込んで来た。

「本当のことよッ。俺ぁ、4年前の馬術競技会で……」

「また始まったよ。ベルントの武勇伝ッ」

 大きな笑い声につられて、目を向ける。

 先ほど入れ替わりのあった少し先のテーブルで、既に酔っているらしい数人の男たちが大声で盛り上がっていた。

 やはりつられたらしいエディも、きょとんと目を瞬いてそちらに顔を向けている。

「フリッツァー様にお誘いを受けたんだろう?」

「そうとも。……くぅ〜。あの時受けていれば、俺は今頃……」

「変わらんよ。今頃立派な馬具屋さ」

 茶々を入れるような声に、またテーブルが沸く。

 注意して会話を拾うと、どうやら彼らは馬具を扱う組合のようなものらしい。恐らく寄り合いがあって、その流れで飲みに出たのだろう。

「……こいつかな」

 粗方テーブルの皿を空にして、エール酒のグラスを軽く振りながらシェインが呟く。エディが無言でその意味を問うた。視線をちらりとモスグリーンの瞳に向けて、答える。

「第一段階さ」

 テーブルの中でも一際がたいの良さそうなベルントと言う男は、4年前にフリッツァーが催した馬術競技会で優秀な成績を修め、その技量を評価したフリッツァーから表彰の際に雇用してやるとの誘いを受けたようだ。それに際して一度、フリッツァーの屋敷を訪問してもいるらしい。

 馬を6頭も繋げた豪奢な造りの馬車が迎えに来ただの、フリッツァーの一族が直々に頭を下げただの、話はかなり誇張されている風情で細部については眉唾ものではあるが、フリッツァーに評価されたとのことについて疑惑の声も否定の意見も上がらないところを見ると、その点については真実なのだろうと思われる。

 ならば、話をしてみる価値はある。

 エール酒を舐めながら彼らの様子を窺っていたシェインは、ベルントの真後ろのテーブルが空いたことを見て取ると素早く立ち上がった。グラスを片手に移動すると、背中からベルントに呼びかける。

「ちょっといいか」

「あ?」

 また大声で笑っていた彼らは、介入したシェインに一瞬きょとんとした沈黙を挟んだ。

「おぬしらは、馬具を扱う人間と見えるが、見当違いなら他をあたる」

「おおッ。わかるかい」

 わかるも何も、先ほどまでの会話を聞いていればわからぬはずもないのだが、敢えて突っ込まずにシェインは破顔した。

「ちょうど良かった。俺はバートからリトリアに入ったばかりなのだが、持っていた馬具が壊れてな。代わりを探したいのだが、何せ初めて訪れた街だ。良い馬具を扱う業者がいれば、教えてもらえるとありがたい」

「そんならウチをおいてないな」

「馬鹿を言え。ウチだろう」

 酔いで陽気な彼らは、本気なのだか冗談なのだか、声高に名乗りを上げた。その様子に、思わずシェインも苦笑をする。

「そんなには必要ない。何だ。全員馬具商人か」

「そうとも」

「ならばついでだ。良い馬具の見分け方について、講釈してもらいたいな」

 自分の得意分野について尋ねられれば、人は嬉しいものである。シェインの投げた肴に、テーブルの男たちは意気揚々と話し始めた。時折、冗談交じりに質問や反論を投げ掛けながら巧みに話題を広げていくシェインに、気づけば会話の主導権はほぼシェインの手中に収まっている。

 ひとしきり彼らの満足いく話題を広げ、掘り下げ、話させて場に馴染むと、シェインは次の肴を投げ込んだ。

「……馬術も巧みなのだろう?」

 ベルントと言う男の馬術競技会の話は、先ほどの様子を見る限りでは酒の場では定番のようだ。投げれば、シェインに語ることは間違いない。案の定、ベルントは鼻の穴を広げて誇らしげに口を開いた。

「もちろんのことだ」

 ベルントは、仲間の揶揄や茶々を物ともせずに、新しい人物に自分の優秀さを語ることに熱中した。先ほど聞いていたより更に話が大きくなっている。そのことに思わず笑い出しながらベルントを煽り、満足を深めたところで、シェインは最後の肴を投げた。

「フリッツァーと言うのは、何者だ?」

「ここの、領主様だよ」

 ベルントの向かいに座っているハーシーと名乗った白髪の男が答えた。

「ほう。馬術競技会と言うのは、毎年恒例のイベントなのか」

「そうだよ。シガーラントは、昔からカラクティスと言う競技が盛んな街なんだ。馬上で槍を操りその腕を競う伝統競技で、シガーラントの人間は三度のメシよりカラクティスが好きなんだ。秋に、実りを感謝して行う祭りなのさ」

「だけど前の領主はその辺を全然わかってなくてね。数十年の間、馬術競技会は開催されなかった」

「それを復活したのが、今の領主様ってわけか」

 なるほどな、と内心ひとりごちる。フリッツァーはどうやら、人心を掴む術を持っているらしい。統治するにあたって重要なのは、食料と娯楽である。人々は満足いくだけの食料があり、娯楽を与えられれば、統治者を褒め称える。

「人心を知る、さぞ立派な人物なのだろうな」

 ベルントが大きく頷いた。

「ご立派な方さ。俺ぁ、もう、ここの領主がフリッツァー様に替わって本当に感謝してるんだよ」

「ではさぞ、リトリア国王の信頼も厚かろう」

「そりゃあそうさ。そうに決まっている」

 では、なぜシガーラントに封じられたのだろう。

 フリッツァーは、本当に反逆を目論んでいたのだろうか。

 けれど、その解をここで得ることは出来ない。フリッツァーの人柄や街の評判、おおよその居住区域などを聞き出して満足することにしたシェインは、明日ベルントの店を訪問する約束をして席を立った。先ほどのテーブルから呆れたようにこちらを見ていたエディを視線で促して、店を出る。

 次いで、彼らから聞き出した情報を元にいくつかの場所に足を運び、日付も変わろうと言う頃になってシェインは『華苑』と言う娼館の前で足を止めた。

 エディが困惑したようにシェインを見返す。

「入る気か?」

「入らないのか?」

 にやっと笑うシェインに、エディが軽く肩を竦める。

「私にはちょっと、向いていそうにないな。止しておくとしよう」

「楽しむことを勧めるが、ま、強要することでもない。じゃあ一度、ここで別れよう」

 モナ公王を無理矢理娼館に連れ込むのも気が引けるので、あっさりと譲ったシェインは、エディに向けて片手を振った。

「朝までには宿に戻るさ。……おやすみ。エディ」


          ◆ ◇ ◆


「人を探していると言うのは、あなた方ですか」

 シガーラントに到着してから4日目の夜。

 食事をとって宿に戻ったシェインとエディに、背後からそう声をかけた人物がいた。

 振り返ると、綺麗なシルバーグレイの髪を持つ上品な老人だ。身なりは良く、立ち居振る舞いも品がある。

 その老人は、シェインたちが戻ってくるのを待っていたかのように宿の出入り口にあるソファから立ち上がった。それを見て、シェインは微かに目を細めた。

――撒いた種に、芽が出たようだ。

「そう言うあなたは、何者だ?」

 尋ねながら、推測する。

 シェインの狙い通りならば、フリッツァー・ウィルディンの使用人……恐らくは、執事クラスの人間。

「失礼致しました。私はヴィートと申します」

「俺はシェイン。こっちはエディだ」

 答えたシェインに頷いて、ヴィートは改めて口を開いた。

「私の主人が、お伺いしたいことがあるそうです。お会い頂きたく、勝手ながらお迎えに上がらせて頂いた次第でございます」


 シガーラントでの最初の夜に、馬具商人であるベルントたちからフリッツァーについての一般的と言える情報をいくつか入手したシェインは、その後エディを連れて2軒酒場を回り、次いで賭博場へ、最後にシェインひとりで『華苑』という娼館に向かった。

 ベルントたちから得た情報の中に、次の2点が含まれていた為である。

 1点はまず、ウィルディン家の財政管理人の話だった。

 ローレシア大陸には、セム人と言う人種が存在する。彼らは遥か昔には小さな国を築いていたが、侵略戦争によって国を失い、現在ではセム人だけの国家と言うものを持たない。

 ゆえに、ヴァルスやロドリス、リトリアなど、ローレシア大陸の諸国に散らばって生活をしており、例えばリトリアに住むセム人あるいはセム人の血の混じっている人種をセム系リトリア人などと呼んだりする。

 セム系人種は国を持たないが為に時代によっては迫害を受けたりもしたが、それとは裏腹に宮廷管財人や貴族の財政管理人などに登用されることが少なくない。

 なぜなら彼らは極めて鋭敏な数学的能力を持っており、また、表立って財や金に固執することは恥ずべきことであるとされた時代に卑しい仕事と思われた金融業務は、かつて迫害を受けて職に付くことなど出来なかったセム系人種が唯一就くことが出来る職種であったからである。

 現在では金融業務へのおかしな偏見もかなり払拭されているし、セム系人種が迫害を受けているようなこともない。

 だが、その流れから現在も金融業に携わる人間にはセム系人種が多くいる。

 ウィルディン家の財政管理人も、例に漏れず代々雇用されてきたセム系リトリア人の家系であるらしい。

 シェインがそこに目を留めたのには、セム系人種の傾向と言うものがある。

 他民族の国で肩身の狭い思いをしながら、時には理不尽としか言えない迫害を受けながら生きてきた彼らは、自国を持たないがゆえに逆に民族意識が非常に強い。同胞を家族のように大切にし、同じ国内で暮らす同胞とは身分や立場をおいて親密に交流する傾向がある。

 セム系人種の交流の場としての専用の店も存在するくらいで、ウィルディン家の財政管理人も、居住地域付近のそういった専門店に足繁く通っていることに相違ない。

 ウィルディン家付近のセム系人種の集う店を特定する為に向かったのが、次の酒場だった。その店の店員には、セム系リトリア人がひとりいると聞いたからだ。

 彼女の話から店の場所を割り出してセム系人種の店に足を向けると、シェインはそこで種をひとつ撒いた。

 ベルントの話に含まれていたもう1点は、ウィルディン家の子息のことである。

 正確な家族構成などは、もちろんわからない。

 だが、フリッツァーにはシルヴィオと言う20歳になる息子がおり、悪い人間ではないが、とにかく博打が好きで夜な夜な賭博場に姿を現すのだと言う。

 その賭博場に足を運び、無論シルヴィオと言う人物の特定は出来なかったが、代わりに彼が度々訪れると言う娼館の情報を入手したと言うわけだ。

 そうして向かった娼館『華苑』にて、シェインはもうひとつ、種を撒いてきた。

 双方、撒いた種は同種である。

――自分たちの仲間である『ソフィア』と言う女性を探している。山吹色の髪に栗色の瞳の、17歳の少女だ。

――この店で働いていると言う噂を聞いたのだが、知らないか。今この場にいない人間にも、何人か尋ねてみてもらえないだろうか。

――俺は、シェイン。メインストリートに面した『橙の灯』という宿にいる。

 ウィルディン家の財政管理人と子息の出入りする場所を特定して、噂を置いてきた。

 いずれは彼らの耳にも届くだろう。彼らの耳に届けば、フリッツァーの耳にも報告が上がる。ソフィアがフリッツァーの娘ならば、フリッツァーはシェインたちのことを調べざるを得ない。

 こちらからフリッツァーへの接触を図れば引き出せない話も、フリッツァーからこちらへ接触させれば引き出せる可能性がある――苦肉の策である。


「主人とは誰だ?」

 恭しく頭を下げるヴィートに、シェインはそ知らぬ顔で尋ねた。

 けれど、確信している。この数日間、こちらにばれぬように周囲をちょろちょろとする気配があった。恐らくは、こちらのことを事前に調べたつもりだろうが、生憎とこちらは互いの素性さえお互い明確に伝え合っていない仲である。調べられたことは、たかが知れているだろう。

「シガーラントの名門、ウィルディン家でございます」

「……何?」

 その言葉に、絶句してみせる。エディはと言えば、完全にシェインに対応を任せきりで、無言で成り行きを見守っていた。シガーラントでの情報工作の過程において、舌先三寸はシェインに委ねる腹に落ち着いたらしい。

「招かれる覚えがないな。こっちはシガーラントに来たばかりの、通りすがりだ」

「人をお探しでおいででしょう」

「どうしてそれを知っている?」

 ヴィートが柔らかく微笑む。

「私どもの街でございますから。お助けすることが出来るかもしれません。ですので、主人はあなた方にお会いすることをご希望しておられます」

「……承知した」

 頷いてみせながら、シェインは内心、気を引き締めなおした。

 ここで失敗をすれば、ソフィア奪還への糸が途切れる。

 何としてでも、フリッツァーの協力と情報を引き出さねばならない。











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