第3部第1章第20話 tremor(2)
「ロドリスの連中も、ヴァルスの宮廷魔術師を追っている」
「さようでございますか……」
「連中にとっても、でかい獲物だろうからな。何も戦場でなくたって首を獲る価値がある。宮廷魔術師の戦力は、削っておくに限る。最大の武器である魔法を封じられている今なら、尚のことだ」
「しかしロドリスにも未だ見つけることが出来ていないのですね」
「ああ」
レドリックの顔色が悪いのは、そのせいなのだろうか。
そう考えて口を噤んでいると、レドリックは視線を空に彷徨わせてソファの肘掛に頬杖を付きながら考えるように眉根を寄せた。
「オアスンからも発見の報告は上がってきていない……」
オアスンと言うのはレドリックの実母の故郷である。彼はオアスンに行くのが好きだった。これまでにも度々足を運んでは、実母の遠縁ノルディック公爵家に滞在をして過ごしている。
オアスンはロンバルト東部に位置しており、エルファーラの方へ抜けてヴァルスへ向かうにはその付近を通過せざるを得ない。ゆえにレドリックは、懇意にしているノルディック公爵を動かして、ヴァルスの宮廷魔術師捜索に当てていた。
「ロドリスの網にも引っ掛からない……と来ると、『ヴァルスへ向かうはずだ』と言う前提こそが過ちかもしれんな」
ラミアに問うでもなく、独り言のように呟くレドリックに、ラミアは疑問の視線を投げかけた。
「ヴァルスへ向かわないとなると……」
「どこへ向かうかまでは知らねーよ。が、ウォーリッツからヴァルスへ行こうとすれば、ロンバルトを通過しないことは有り得ない。ロンバルトにこれだけ網を張っているのに引っ掛からないと言うことは、ロドリスに留まっているか……あるいは」
「あるいは?」
「北へ向かったか」
「北?」
オウム返しのラミアに視線を向けたレドリックは、小さく鼻を鳴らすが特には何も言わずに頷いた。悪態のひとつでも言いそうなものなのに静かなことが、却ってラミアの胸中の心配を煽る。
「どこへ、なんて聞くなよ。それは俺だって知らないさ。単に、南へ伸ばした捜索に引っ掛からないから、逆方向の北を疑っただけだ」
ない話ではない。
ラミアはシェインの小賢しい顔を思い浮かべながら、レドリックの言葉の意味を考えた。
ヴァルスの宮廷魔術師ならばヴァルスへ戻ろうとするだろう――そんな素直な解釈が、あの男に通用するかと言えば、疑問がないでもない。ヴァルスへの道が封鎖されることに気づかぬとは思えないし、北へ向かうのはこちらの裏をかいていると言える。
だが、裏をかく為だけにアテも目的もなくこの戦時中の今、放浪するとは考えにくい。どこへ向かっているにしても、目的地がどこかあるだろうと思うのだが……。
(――!?)
突如脳裏に走った考えに、ラミアは思わず立ち上がっていた。レドリックが驚いたように、ラミアを見上げる。
「どう……」
「エルレ・デルファル……」
「ラミア?」
ヴァルスの宮廷魔術師は、エルレ・デルファルの出身だ。
そのことに思い至ったラミアは、加速する鼓動に瞬きを止めたままでレドリックを見つめた。
「レドリック様。ヴァルスの宮廷魔術師の行方が、わかりました」
「何?」
「己の恥を雪ぐ機会を与えて下さい。既にロドリスに報告済みとのことならば、わたしが動いても今更不審に思われることはありません」
「そりゃそうだが……何だよ?」
「エルレ・デルファルです」
レドリックの視線が、無言で言葉の意味を問う。ラミアは意気込んで続けた。
「ヴァルスの宮廷魔術師は、リミッターで魔法を封じられています。そのリミッターを解除出来る人間を探しに、エルレ・デルファルに向かったのです」
それであれば、捜索の網に引っ掛からない理由も説明出来る。彼は、ロドリスにあるウォーリッツの館から脱出して、そのままロンバルトには向かっていないのだ。エルレ・デルファルのあるリトリア王国へ向かったに違いない。魔法さえ回復すれば、仮にも『天才』と名高い宮廷魔術師だ。たったひとりでも追撃の兵を撃破することが可能となるかもしれない。リミッターを解除してからヴァルスへ戻るつもりなのだと思えば納得もいこうと言うものだ。
ラミアの言葉を聞いて、考え深げに黙ったレドリックは、やがて静かに頷いた。
「良いだろう。今一度チャンスをやる。お前がリトリアに出向いて、ヴァルスの宮廷魔術師を殺して来い」
「ありがとうございます」
今度こそ、確実に息の根を止めてやる。もう、余計な期待は抱かない。
そう気を逸らせて、準備に取り掛かる為に退室しかけたラミアは、終始レドリックの元気がなかったことを思い出して振り返った。
「レドリック様」
「何だ?」
「何か、気掛かりなことがあるのならば、お伺い出来ませんでしょうか」
「……」
ラミアの言葉に、レドリックは一瞬きょとんと目を丸くした後、何か言いたげに僅かに口を動かした。
それから考え直すように口を閉ざし、顔を小さく横に振る。
「何でもない。気にするな」
「さようでございますか?」
「ああ。お前はヴァルスの宮廷魔術師を追うことに集中しろ。次は、良い報告を期待するぞ」
「は。かしこまりました」
ラミアが部屋を出て行くと、口をつけられずに残った向かいのカップをぼんやりと眺めながら、レドリックは同じ姿勢でぼんやりとした。
レドリックの頭を悩ませているのは、ロンバルト軍の再編成の件だった。
ロドリス将軍アレックスからは、執拗に要請を受けている。
苦悩に苦悩を重ね、現状ヴィルデフラウ城内で動かせるロンバルト貴族に相談を持ちかけはしたものの、やはり返って来た返事は渋いものだった。
ロンバルト軍を、対ヴァルス戦線に投じるのは、どうしたって至難の業なのだ。
とは言えこのままでは、レドリックの立場が次第に危ういものとなる。
どうすべきかの判断をつけることが出来ず、レドリックは連合軍とロンバルト貴族の間に挟まれ、苦悩から逃れることが出来ずにいた。
「失礼致します」
ぼんやりとしていると、ノックの音が響いた。声と共に現れたのは、レドリックの護衛と称した監視役のエレナだ。
「ああ……お前か」
「宮廷魔術師殿がお帰りになられたようですので。お話はお済みかと」
「済んだ」
「では、少しお時間を戴けませんでしょうか」
黙ってエレナに視線を向ける。ロドリス王国近衛警備隊隊長は、無表情にレドリックを見返していた。その視線を黙って受けて、やがて口を開く。
「アレックスか」
「は」
「わかった」
また、ロンバルト軍再編成の件だ。
うんざりしながら立ち上がりかけたレドリックに、エレナが片手で軽く制した。
「殿下はお掛けになってお待ち下さいませ。そこに控えておりますゆえ、呼んで参ります」
やがてエレナに招じ入れられたアレックスは、レドリックの視線を顧みずにソファに断わりもなく腰を下ろすと、レドリックを睥睨するように目を細めた。エレナがレドリックのそばに、無言で控える。
「そろそろ色よい返事を伺いたく」
「何度も言っている。打診は何度か図ったが……」
「このままでは我々も、ロンバルトに対して実力行使をせねばならなくなりますな」
「……」
明らさまな脅しの言葉に、レドリックは顔色を失った。
これまでとは違い、ロンバルトに対して敗戦国としての処遇を施すことになると、アレックスはそう言っているのだ。
「どういう意味だ?」
掠れたレドリックの声に、アレックスは小気味良さそうに笑った。
「言葉の通りですよ。ロンバルトは敗戦国として、我々への戦力の供出を強制し、その公族には相応の責任を取って戴きます」
「間違えるなよ。俺はお前の傘下にいるわけじゃない。ロドリスと言う国と協力し合う立場に……」
「ロンバルトからこちらの望む協力が得られないのならば、こちらだけ助力するのも筋違いと言うものでしょう」
アレックスの言葉に、レドリックは歯軋りした。このままでは、やはりレドリックの立ち位置そのものが危うくなる。もはや言い逃れは出来そうにない。
そう判断しながら、レドリックは、尚も逡巡して言葉に詰まった。
「……わかった」
そして、迷いを振り払うように、言葉を絞り出した。
「わかった。……督戦隊を、編成しよう」
◆ ◇ ◆
ロドリス東部アンフェンデスまでは3日、そこから更にバートを越えてシェインとエディがリトリア王国に足を踏み入れるまでは、10日の時間を要した。
ソフィアの目指した街――シガーラント。
国境の警戒が厳しく、行商人の一団に紛れ込むなどの苦心をした為に過剰な時間を必要とし、シガーラントに到着した時には思わず肩の力が抜けた。
「問題は、フリッツァーとどう連絡を取るかだな。屋敷もわからんし、とりあえずは宿を決めて対策といこうか」
シガーラントの街は、明るい色のレンガを敷き詰めた整然とした道と、やはり同系色のレンガで統一された街並みだった。整然とした小奇麗な印象である。レンガや屋根の色調のせいか、明るい雰囲気に思えた。
通りは賑やかと言うほどではなく、思ったほど人通りが多くない。それが、どこかのんびりとした空気を醸し出している。過ごしやすそうな街に見えた。
「フリッツァーにしてみれば、私もそなたも得体の知れない人間だからな……」
「ソフィアが真実フリッツァーの娘だったならば、門前でソフィアの名前を出せば会うことくらいは出来ようが」
周囲の空気につられてのんびりと歩きながら、あっさりと言うシェインに、エディがきょとんと目を向ける。
「紹介状も何もなしにか」
「関係ないな。どういう経緯でか知らんが、自身がここへ封じられると同時に娘を養子に出している。そしてその娘が宮廷の陰謀の渦中に巻き込まれている。得体の知れない男が2人訪ねて来て、娘の名前を口に出せば興味は湧こう」
自分ならどうするかと考えてのことである。
シェインの実家クライスラー家は、名門だ。ヴァルス貴族で聞いたことがない人間はいない。
そのクライスラー家に得体の知れない何者かが正面玄関から訪ねて来たとして、果たしてどのような展開になるかを想定してみる。
まず、門兵に止められるだろう。そして誰何と訪問理由を問い質される。
身元不確かとなれば追い返そうとするだろうが、その人物が意味ありげなことを口にすれば、門兵の権限で判断出来かねて上の者に伝達する。上の者は家の内部に詳しいから、それが身内に関することであれば、内部の人間に確認をする。
仮に、「キグナスの身にトラブルが降りかかっているゆえ取り急ぎ」とシェインの耳に届けば、それがどのような人物なのかを確認せざるを得まい。
問題は、その先だ。
「『警戒』と言う名の下であることを否定はせぬがな」
「護衛つきか」
「そうなろうな。だから問題は、フリッツァーに会う手段ではない。フリッツァーの所在を確かめることと、最大の問題は……」
「いかにしてこちらを信用させて話を引き出すか、か」
「ご名答。いずれにしても、この風体ではいささか体裁が良くないな。情報を集めるついでに、表面ヅラだけでも取り繕っておくとしようか」
「情報を集めると言ったって……どうする?」
やや気後れしたような様子のエディを振り返り、シェインはにやっと口元に笑みを浮かべた。
「情報が集まる場所と言えば、決まっている。――酒場だ」
服装を改めて宿を決め、日が落ちるのを待ってから街へ再び出る。
昼間の間にも市場を回って情報収集を試みたが、成果の程は今ひとつだった。
食事がてら、まずは大衆食堂を兼ねていそうな大きな酒場へ足を伸ばす。
「いらっしゃいッ。空いてるトコに好きに座んなッ」
酒場と言うのはどこの街でも廃れない商売だ。レオノーラやギャヴァンほどではないが、この店もそれなりの繁盛を見せている。
テーブルについてオーダーをしながら、ソフィアはどのように過ごしているだろうと気になった。
エブロインの態度を見る限り、殺害されたり暴行を受けることはなさそうだと判断している。不自由は強いられようが、それなりの処遇が与えられるだろう。
ならば、食事なども適宜与えられるはずだ。
運ばれて来た野菜の串焼きや若鶏と芋のトマト煮込み、サラダや、バターを塗って焼いた薄パンとエール酒を眺め、胸が塞ぐような思いを飲み込む。
エディの言うように、シェインには別の選択肢が存在する。セルジュークへ向かい、しかるが後にヴァルスへ戻って戦陣復帰するのである。
だが、エディ――フレデリクを放り出して、ソフィアをこのままにしておくことは、出来ないように思われた。
「ここで、何をする?」
薄パンに手を伸ばしながら、エディが尋ねる。生まれ育ちが支配階級である上品なエディには、ここで何をどうするつもりなのかが想像出来ていないらしい。生まれはともかく育ちの悪い上流階級であるシェインは、半ば以上を空けたエール酒のグラスを置いて説明した。
「俺たちがやらなければならないことは、まず情報を集めることだな。俺たちは双方、この街について詳細な知識を持ち合わせてはいない。ゆえに、まずはこの街そのものの情報を得る必要がある。……情報は、どこにあるものだと思う?」
「どことは?」
「人が持っているものなのさ」
「ああ……」
「人間ひとりひとりが、複数の情報を持っている。複数の情報を持つ人間が集まる場所には、情報も数多と集まる。人のいないところには、情報は落ちていない」
「だから酒場か」
「昼間に行った市場も同様だ。それはわかるな」
手を伸ばしてトマト煮込みを薄パンに乗せるシェインの言葉に、エディは頷く。
「ところが、情報と言うのは、種類がある。剣について詳しく聞きたければ、果物屋に行っても話は聞けない。武器屋に足を運ぶだろう」
「ああ」
「俺たちが欲しい情報……フリッツァーの所在や人物について、情報を持っている人間がいる。だが俺たちには、そもそもその人物がどこにいるのかさえわからない」
「そうだな」
「ゆえにまずは、どこへ行けばフリッツァーの情報が得られるのかを知る必要がある。雑多な情報が最も多いのは、市場や酒場、闘技場などの娯楽空間、そして、娼館だ」
「娼館……」
「男の情報は女が持っているものなのさ」