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QUEST  作者: 市尾弘那
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第1部第10話 歴史の陰(2)

          ◆ ◇ ◆


 火の爆ぜる音で目が覚めた。ぼんやりと目を開くと、辺りは既に暗い。体がひどく重く感じられて、ぼんやりとした頭で考える。

 ……何だったっけ……?

 途端、頭にジャイアントスコルピオンの姿が浮かんだ。切り飛ばされた尻尾。猛然と俺に向かってくる姿。思い出して慌てて、体を起こす。

「カズキ!!」

 俺が目覚めたことに気がつき、焚き火のそばでシンとじっと座り込んでいたユリアが俺を呼んだ。

「俺……」

 鈍い手応えだけがあったことは覚えている。そこから先、意識が暗転してしまって記憶にない。

「ジャイアントスコルピオンの毒を受けたんだ」

「毒……」

 そうだった。結構回りが早くて視界が霞んでたっけ。

「『王女様』が解毒の魔法をかけてはくれたんだが、毒を受けると回復魔法を使っても倦怠感が残るだろう。もう少し休んで……」

 言い掛けたシンが不意に言葉を途切らせる。空を見上げて顔を顰めた。

「……とも言っていられないようだ」

 つられて空を見上げると、鈍く空を覆った雲から、たまりかねたように滴が落ちてくるところだった。……雨だ。

「凌げるところがあるか、ちょっと探ってくる。その……」

 きょろっと辺りを見回し、ほんの少しだけ岩が迫り出している壁面を指した。辛うじて大人2人くらい入れるか、というスペース。

「岩場の陰にいろ」

「あ、俺も……」

 慌てて体を起こすと、シンは冷淡に言い放った。

「足手纏いだ」

 さいでっか……。

 軽やかな身のこなしで足音も立てずに消えていくシンの背中を見送ってユリアを振り返る。促して岩陰に移動しながら、小さく首を傾げた。

 ……もしかして。

 勢いで一緒に行くとは言ったけど、良く考えたらユリアをひとりで放っておくわけにはいかないし、俺が本調子でないことを気遣ってくれたのかな……。

 ……本当に足手纏いなのかもしれないけどさ。

 先程降り出したばかりの大粒の雨は、あっと言う間に大降りになり、黄土色っぽい乾いた土は見る見る水を含んで濃い褐色へと変化していった。ところどころの僅かな窪みに水が溜り、降ってくる雨が飛沫を跳ね上げる。

 ぶるっとユリアが体を震わせた。夜になって、まだ微かに残っていた大気中の温度は雨に奪われてどんどん気温が下がっていった。吐く息がうっすらと白い。俺は羽織っていたマントを外し、ユリアの細い肩にかけてやった。

「あ……カズキ、寒くない?」

 もちろん寒い。

「俺は平気」

「ありがとう」

 ユリアは俺を見上げてにこっと微笑んだ。

 それから雨に視線を注ぐ。叩きつける激しい雨の音だけが世界を覆っていた。

「……カズキは、どんな世界に住んでいたの?」

 ひどく広範囲な攻め方で質問されると些か答えに詰まる。どんな……どんな?

 こうして改めて考えると、俺は説明できるほどきちんと自分の住むその世界と言うものを把握していないことに気が付いた。例えば政治。例えば経済。国際交流。文化。

 ひどく、恥ずかしいことのような気がする。

 元の世界に帰れたら、もっといろんなことに興味を持って積極的に知識を取り入れようと密かに決心しつつ、俺は今の可能な範囲で説明を試みた。

「……ここと同じように、いくつもの国があって……俺はその中の、『日本』と言う国に住んでて」

「ニホン」

「そう」

 『日本』と言う国名に該当する言葉がヴァルス語にないので、まんま発音すると、ユリアがたどたどしく復唱した。まさに外国人が口にするのと同じイントネーションと言うか言い方で、ちょっとおかしい。

「ここと違って、『日本』には国王がいない。代わりに『天皇』ってのがいるけど、『天皇』は何だろ、いわゆる国のシンボルって言うのかな……。直接政治には参加するわけじゃなくて、国を治めるのは別に『総理大臣』ってのがいて、他に政治家がいて……」

 ユリアはちんぷんかんぷんな顔をした。

「基本的には身分制ってのはなくて、みんな平等ってことになってるから、『総理大臣』も血筋じゃない。選挙で国民から選ばれるんだ」

「国民が?」

「そう」

 まあ、本当の意味で平等なのかどうかはさておき。代々政治家の家庭なんかは、こっちで言う貴族みたいなもんなんだろうし。

 それから俺は、自分にわかる範囲で日本の体制や海外との関係、それから自分の周囲の学校や家庭なんかの環境を手短に話した。

「……そう。良い世界に住んでいるのね」

 雨音をBGMにユリアがぽつりと呟く。顔を上げて俺を見つめた。翡翠色の瞳。

「行ってみたいわ、カズキの世界に。……カズキが生まれ育った場所を、見てみたい」

 どきりとした。それは、ただの興味本位ってやつなんだろうけど。

 でも……。

 シサーの声が脳裏を過ぎる。

――本格的に惚れたか?

(……)

 これが、例えばただ海外とか……そう言う話なら。

 ……彼女の言葉に対して、もっと気楽に「今度遊びにおいでよ」なんて……言えるのに。

 そりゃあ、彼女の暮らすヴァルスに比べて決して美しいとは言わないけれど。俺の住む東京なんかは。

 だけど、こことは違う何かはあるはずだし、ユリアと一緒に……あちこち遊びに行けたら。なんて。

(無理、だけどな……)

 シンは、まだ戻ってくる気配がない。雨はますます激しく地面を叩き、淡い窪みに出来ていた水溜りは許容量を越えて既に溢れ出していた。まるで道そのものが川のようになっている。

「……その、さ。俺、こっちの世界に来たじゃん?」

「うん」

「……例えば、ユリアが向こうに行くってこととかは……出来ないの?」

 ユリアは黙ってかぶりを振った。

「元々、人間があちらとこちらを行き来するようなことは出来ないの。だからカズキを迎えに行ったのもレイアだったのよ。妖精族なら、然るべき手段を使えば可能だから。そうでなければレイアに魔術付与した道具を与えたりしないでシェインが自分で行ったと思うわ」

 ……あの中庭に、真っ赤な髪に真っ赤な瞳で巨大なロッドと偉そうなローブを身につけたシェインが現れたら、やっぱり度肝抜くと思う、俺。

「カズキは、魔力でこちらに無理矢理引きずり込んだ。外へ押し返そうとする力が働くものに対して、中から引っ張ったのよ。外から無理矢理押し込もうとしても、無理」

 つまり、あっちの世界でシェインみたいに導いてくれる……その、魔力ってかそういうのがある人がいて、ガイドしてくれれば可能ってことなのか。……って、待って。俺、帰れんの?

「大丈夫」

 焦ったのが顔に出ていたのか、雨が作る小さな川を眺めていたユリアがふっとこちらを向いて吹き出した。

「元々あなたはあちらの人間なのだから。ぽんと外に押してさえあげれば、あっちの世界が元に戻そうと働きかけて引っ張ってくれる。……わたしは、異質だから、駄目」

「……そっか」

 別に、期待しちゃいなかったけど。

 帰りたいけど。……帰りたいって、思ってるけど。

 帰っちゃったら、ユリアとは、お別れなんだな。多分……一生。

 シサーやニーナ、レイア、シェインやキグナス、ラウバルら……みんなとも、もちろん。

 そんなふうに思ってしまうと、本当に帰りたいのかどうかさえぼやけていきそうで、どきりとした。

「……カズキは少し、変わっているわね」

 自分の世界、こっちの世界について思いを馳せていた俺は、不意に言われた言葉に顔を向けた。ユリアが俺を見てそっと微笑む。

「そう?」

「うん。魔物と戦う時に、迷っているように見えるわ」

「……ああ」

 そうか。この世界では、魔物と戦うことなんか当たり前のことだ。怖がりこそすれ、その命を絶つことに怯えているなんてやつはきっといないに違いない。

 そう思うと少しおかしくて、俺は小さく笑った。

「生きてんだなって、思うから」

「……?」

「魔物でも動物でも……人でも。生きてるのは、一緒じゃん……。俺は、死ぬのは怖い。俺が死ぬのが怖いんだから、きっと魔物もそうなんだろうと言う気がする」

「……」

「そこまでも考えちゃいないだろうけど、でもどこかでそう感じているから攻撃してくるし、抵抗する。……そう、思える」

 血塗られていく手のひら。

 けれどそれでも尚、今も思う。

 俺は死にたくない。ユリアを守りたい。だから、それを知りながら剣を振るうことを決めた。けれど心のどこかで、まだ迷う。

「自分だったら、どう、思うだろう。……全てを自分に置き換えて考えるのはある意味傲慢なのかもしれないけど、相手の気持ちを量る目安のひとつにはなる。少なくとも自分が嫌で、つらいと感じることなら、相手も喜びはしないような気がする。……だから、迷う」

「でも……魔物だわ」

「……うん。魔物だね」

 馬鹿なことを言ったような気がして、思わず笑った。けれどユリアはそんな俺を真顔で見つめていた。

「……怖いよ」

「え?」

「命を奪うのは」

「……」

「魔物でも、人でも何でも、それは相手の命を自分が決めているってことだ……。そんな重たいもの、俺には背負えない」

「……」

「だけど、俺も奪われたくないから、そうすると、背負わざるを得ないんだ」

 因果だ。

 奪われたくないと思わせる気持ちが、奪わせる。そして、背負わせる。――他者の命というものを。

 負うものが増えて、背中が重たくなってくる。次第に手が、血にまみれて赤く染まる。

「……争いごとは、好きじゃない」

「そうね……」

「他者を傷つけてまで、俺は、生きようとする自分が怖い」

 それきり、沈黙になった。ユリアも黙りこくっている。俺も、これ以上言葉を紡ぐのをやめた。

 これ以上言葉を重ねてしまえば、それは、この世界に生きることそのものを否定することになりそうで。

 雨が地面を叩く音だけが、響く。

「……カズキにばかり、危険な思いをさせて、ごめんね」

 ユリアがぽつりと言った。顔を向けると、視線はどこか遠くを見ていた。ユリアの口から零れる息も、僅かに白い。

「俺は……」

 傷つけることに慣れていく、この手。

 だけど俺は、そうしなきゃならない。

 ユリアを守りたいから。……ユリアの為じゃなく、ユリアのせいじゃなく、俺自身がそう望んでいる。

「……」

「ユリアに、約束したから。レガードを、見つけてあげるって」

「……」

「だから、平気」

 雨に定めた視線の片隅で、ユリアが微かに頷くのが見えるような気がした。











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