第3部第1章第19話 リトリアの始動(2)
「少なくとも、ガレリアに見合う相互協力は、お約束して戴けているはずですし」
「リトリアは、モナを攻めるぞ」
「は……」
あっさりと口を割ったクラスフェルドは、一瞬言葉に詰まるグレンに、念を押すように繰り返した。
「モナを攻撃する」
余りに悪びれぬ態度に、さすがのグレンも頭を抱えたい気分になった。グレンの役割はリトリア王の腹を確認することではあるが、モナへの侵攻を堂々と認められて「わかりました」とセラフィに報告するわけにはいくまい。
ロドリスは、ガレリア地方をリトリアに割くのだ。ならば、その分の働きはしてもらわねば困るのである。
「締結した条約では、『ヴァルスへの派兵を最低6万』と記されておられたかと思います」
「モナはヴァルスに押さえられている。ならばそこを攻めることは、ヴァルスを攻めることと齟齬が生じるか?」
「『ヴァルスへの派兵』ですからねぇ……。それは〜、我々とのお話には上がっていなかった行動のような気が致しませんか?」
「せぬな」
「モナは、既に敗戦による戦線離脱国とお考え下さいません? この際モナは放っておいてですねえ、ここはみなさん足並みを揃えて、やはりヴァルスの王都を落としてしまうのが一番まぁるく納まるのではないかと……」
「モナを攻めることは、ヴァルスへの牽制に繋がろう?」
「……」
ああ言えば、こう言う。
かくんと項垂れたグレンは、片手を額に押し付けて話の方向を転換することにした。
クラスフェルドはこの機に乗じて、どうしてもモナに攻め入りたいのだろう。
であればそれは許容するとして、それとは別にヴァルス戦線へ派兵の約束を取り付ければ、セラフィも文句は言わないはずだ。
「……わかりました」
「では話は済んだな」
「いやいやいやいや。ここからが本番です、陛下」
恐らくはモナへの侵攻が、クラスフェルドの寿命を縮める。
そう言いたいのはやまやまだが、それが臣下の中に燻っている火種である可能性を考えれば、浅はかに口にすることは出来なかった。
ラナンシー城の誰が加担をしているのか、部外者であるグレンには全く見当がつかない。つけようがない。今ここで口にして、フラクトルの口からどこかに漏れれば、それが導火線となる可能性さえある。
「ではですね、モナの件はひとまず置いておいてですね。ヴァルス戦線の方への派兵を増やして戴きたいと」
「ほう」
「少なくとも現状、ロンバルトを越えて行軍しているのは2万。……これはいささか少な過ぎやあしませんか? モナへ率いるのは、どの程度のおつもりです」
「現在、1万5千が先行しているな」
「1万5千……では、約束の6万にモナへの派兵が含まれていると考えても、最低2万5千は不足している勘定になりますね」
「それを率いて、俺がモナへ向かう」
「それではそれを1万に減らして下さい」
「どんな権限をもって俺にそれを指図する?」
にやにやとソファの肘掛に頬杖をつきながら尋ねるクラスフェルドは、グレンがどう答えるかを見ているだけのようにも思える。嘆息しながら、グレンはクラスフェルドに答えた。
「私が、陛下に同行させて頂くと言うのは、いかがでしょう」
「ほぉ。お前が俺と共にモナへの侵攻に行くと言うか?」
「さすがに減らした1万5千人分働きますとは言えませんがね。お手伝い出来ることはあると思います。……そして1万5千を、ヴァルスで戦端を開くロドリスに貸して下さい」
「良いだろう」
付いていた頬杖を解き、背もたれに深く背中を預けて両腕を組みながら、クラスフェルドは赤ら顔を笑いの形に歪めた。
「増兵しよう。ヴァルスへの派兵は、2万。俺は1万5千とお前を率いて、モナへ行く。それで良いか?」
「それで、手を打つとしましょうか」
少なくとも現段階でクラスフェルドの耳には入れられない。
ならばクラスフェルドのそばにいて、その機会を手に入れることが必要だろう。
場合によってはその身を守る術を、講じなくてはならないかもしれない。
◆ ◇ ◆
痩せた木々が点在する乾いた山岳地帯を、騎乗した2つの影が進んでいく。
双方傷だらけ、衣服にも切りつけられたような痕が見受けられる。
「……撒いたか」
赤髪の男――シェインが問うでもなく呟く。それから忌々しげに顔を顰めた。
「どの辺りか、見当はつくか」
やや遅れてついてくるエディが、感情の読めない表情で顔を上げた。
「おおよそは。予定していた方角と少し逸れてるな。このまま行くと東……海の方向に行ってしまうだろう」
「どこかで軌道修正しなければな……」
苦い表情で太陽を見上げるシェインに、エディは僅かな沈黙の後、問うた。
「これからどうするつもりだ?」
振り返ったシェインは、にこりともせずに応じた。
「決まっている。お姫様を奪還するのさ」
屈辱的な敗北感と共に、ソフィアを追う一団――エブロインたちの襲撃を思い返す。
――ソフィア様に傷はつけるなッ!!
対峙を覚悟したシェインたちに踊りかかろうとする男たちへ向けて、エブロインが怒声を上げた。咄嗟に散開したシェインたちは、連立する岩柱を盾に防戦一方に回るしかなかった。
――エディ!!
シェインが、襲い掛かってきた2人からの防衛戦を強いられている中、ソフィアの悲鳴のような声が聞こえた。
彼らの標的は、最初からソフィアだ。
その理由はまだわからないが、シェインとエディは、彼らにとって添え物に過ぎない。
畢竟、ソフィアへの狙いが集中し、シェインやエディがそれぞれ馬上の攻撃からの防衛戦を強いられている間に、ソフィアは男たちに囲まれた。いくら腕が立つとは言え、馬上から複数狙われては、逃れる術がない。
剣を構えて身動き出来ずにいるソフィアに、男がひとり背後から首筋に剣を突きつけた。彼らの狙いがソフィアの命だったならば、彼女の人生はそこで終焉を迎えたことだろう。
だが、幸いにして彼らの狙いはソフィアの命ではなく、その身柄だった。
自らに襲い掛かる男の馬を攻撃して落馬させたエディがソフィアの背後の男に切りつけ、それを受けて男が落馬すると、別の男がエディに切りかかった。一方でこちらも馬を奪取することに成功したシェインがエディのフォローに入ると、その隙を突いてエブロインがソフィアを殴りつけて気絶させ、己の馬に引き上げた。
――ソフィアッ……!!
そしてエブロインは、シェインやエディが手一杯と見て取るや否や、ソフィアを抱えて馬を翻したのである。
数人がエブロインに従って場を離れ、数人がシェインとエディの足止めに残り、彼らとの戦闘を余儀なくされている間にソフィアを攫ったエブロインの姿は影も形もなくなってしまった。
手勢の減ったエブロイン一団からもう一馬を略奪することに成功してその場からの撤退を図ったシェインとエディは、ようやく今、追撃してきた敵兵を振り切ることが出来たのだ。
ソフィアの身柄と引き換えに拾った命と思えば、このままにしておくわけにはいかなかった。
だが、一口に奪還と言っても、彼らが何者でどんな狙いがあってソフィアを攫ったのか、そもそも彼らはどこを拠点としている人間なのかすらわからぬようでは、行動のしようがない。
「ともかく情報を集めなければ、何も出来ぬな。エブロインと言う名前に、聞き覚えは?」
エディはリトリア宮廷に詳しい。彼の知識を期待して尋ねてみるが、エディは軽く首を傾げてみせただけだった。
「さあ。私の記憶にはないみたいだ」
「となると、かなりの小物かな。要は雑魚キャラか」
有り体に言えば、ソフィアの行方はエブロインの元、と言うことになるだろうか。
けれど、ソフィアの口ぶりを考えればエブロインは単独行動ではない。
となると、彼を飼う人間の元と言う可能性も考えられる。
いずれにしても、このまま闇雲にソフィアの行方を追っても、雲を掴むような話だろう。
「なぜソフィアの行方を追う?」
連中からの逃亡を最優先にして疾走して来た為、進んでいる方角はいささか予定外の方角のようだ。とは言え目下のところ先へ続く道は一本だけである。戦闘していた台地から続く道を適当に選択して来た為、戻るのも困難と言えた。
アテを定めることの出来ないまま、どこかで別れ道があることを期待して馬を進めるシェインに、エディがぽつりと意外なことを尋ねた。
「なぜ、とは?」
せっかく傷を治したばかりだと言うのに、また傷を負っている。以前ほど深い傷ではないとは言え、全く落ち着かない。
「このまま放っておくことも出来る、と言っているのだが」
「……」
思わずエディを振り返った。どういう意味だろう。ソフィアを見捨てようと言う話なのか、エディひとりで奪還すると言っているのか。
表情からは、窺えない。その意味を言葉で問うことにして、シェインは前に顔を戻した。
「どういう意味だ?」
「どうって……言葉の通りだ。そなたはそもそもセルジュークへ向かうのだろう。選択肢はある。付き合わずとも私は責めないと言っている」
見捨てる、と言い出したのではないことを見てとって、シェインは小さく息をついた。
「俺はソフィアに命を助けられている。返礼するのが人道だろう」
「人道か」
エディが小さく笑うのが聞こえた。
「意外と義理堅いな」
「筋は通さないとな」
それに、リトリアの動向は押さえておく必要がある。ことは、決して小さくはない。リトリアと言う国の中核に迫る動きと言える。
改めて後方を振り返ってエブロイン麾下の者たちが確かにシェインたちを見失っただろうことを確認すると、再びエディに向けて口を開いた。
「ソフィアはファルネーゼ、と言ったな。ファルネーゼ家と言うのに聞き覚えは?」
「……」
シェインは、通り一遍のことしかリトリア宮廷に関する知識はない。
いくつも名前が出てきたところで、シェインには把握しきれないと言うのが正直なところだが、とりあえずのところは情報を引っ張り上げて取捨選択していくしかないだろう。
エディは短い沈黙を挟んで、振り返ったシェインを見た。
「ある」
「どんな家だ」
「先日話した内容を覚えているか?」
先日――宿で酒の肴に語り合っていたリトリア王朝の話だろうか。
シェインの回答を待たずに、エディは淡々と続けた。
「マグヌスとライナルトがリトリア宮廷で勢力を二分していると言ったろう」
「ああ」
「ライナルトのフルネームが、ライナルト・アーガトン・ヴァン・デ・ファルネーゼだ」
無言でエディを振り返る。
ではソフィアは、リトリア宮廷において特権階級の嫡子と言うことか。
「ファルネーゼ家は、リトリア宮廷で代々宮廷枢密顧問官を務めている文官の家系だな。そしてライナルトの後ろ盾についているのが宮宰アルノルト・クレーフェ……アルノルトは現国王クラスフェルドの母ドロテーア王母に、故郷を模した庭園を献上していたく気に入られたそうだ。そのせいで王家に対する発言権が文官の中では強いと聞く。それが、ライナルト……ファルネーゼ家の後ろ盾についているわけだが」
「ほう……」
やはりエディは、リトリア宮廷について、かなりの知識を有している。
情報を頭に叩き込むシェインに、エディが僅かに声を低めた。
「そして、ファルネーゼ家は、7年前に養子縁組みで娘を迎え入れている」
「娘を……?」
眉間に皺を寄せるシェインに、エディは含みのある表情で首肯した。
「それが、ソフィアか?」