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QUEST  作者: 市尾弘那
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第3部第1章第19話 リトリアの始動(1)

「アムリア? アムリアッ。どこに行ったの!?」

 リトリア王国セルジュークの一軒の家で、母親の怒声が響いていた。

 が、子供の応答がないと見ると、やがてそれがぼやきに変わる。

「まったく……店の手伝いもしないで……」

 母親の声と足音が遠のいていくのを確認すると、アムリアはそっと物陰から抜け出した。

(遊びに行っちゃおー)

 若干5歳になったばかりの少年は、大人では通れない小さな建物の隙間に体を滑り込ませた。アムリアの、秘密の通路である。

 建物の横を抜けて、そのまま雨水を集める溝に潜り込む。今は乾季で、ひび割れた溝には小さな雑草が生えていた。藁と木材で作られた蓋で塞がれる狭い空間を物ともしないのは、子供の小さな体ならではだろう。

 この溝を這うように進んでいくのが、最近のアムリアの流行りだった。大人から「通ってはいけない」と言われることほど、遊び心をかきたてることはないのである。

 雨溝は、民家の間をくねくねとすり抜けて続いている。屋根がちょうど途切れた辺りで広場へ抜ける道に出ることが出来るので、アムリアは小さな鼻歌を歌いながら溝の中を進んでいった。

(ルーウェイの奴、うまく抜けられたかな)

 アムリアの家は、王都セルジューク近郊の農村から運ばれて来た果実を売る仕事をしている。遊び仲間のルーウェイの家も同業者で、商売を営む家の子供は物心がついた頃には家業の手伝いを強いられる。

 いかに、親の目を誤魔化して逃げ出すかが腕の見せ所なのだ。

 雨溝を覆う蓋は、粗い作りになっていて、時折割れ目から日の光が零れている。通る場所によっては井戸端会議をする主婦の会話や、誰かの家の庭先で話す声なども響いてきた。

 まさかこんなところを人間が通っているとは誰も思わないから、アムリアは頭上の会話を通り過ぎながら僅かに優越感に駆られる。

「……攫うのに成功したらしい」

 ぺたぺたと四つん這いに進みながら、いつものように頭上から聞こえてきた声に、アムリアは最初、何も気に留めなかった。

 けれど、続いた言葉に、思わず前へ進む手を止めた。

「生きてるだろうな」

「ああ。多少の傷は負ったかもしれないが、命に別状はないそうだ」

「なら良い」

(……)

 目を瞬いて、首を傾げる。

 まだほんの子供であるアムリアには、その言葉の意味するところは良くわからない。

 けれど、どこか不穏な会話であることを嗅ぎ取って、息を止める。

 頭上の声は、足元にアムリアがいるなどと思いもせずに、潜めた声で、続けた。

「陛下は間もなく出陣されるそうだぞ」

「……モナか」

「決まっている。……クリスファニアに到着した時が、決起の時だ」

 クリスファニアは、セルジュークから西南の位置にある大きな街だ。アムリアの家に届く品の一部は、クリスファニアを経由してくるから、アムリアも何となく名前は知っている。

 交わされている会話の正確な意味を理解出来ずとも、アムリアは何か聞いてはならない話を聞いてしまっているような気がした。これが知られたら、お母さんにひどく叱られるかもしれない。

 かたかたと小刻みに震える体でその場から動くことが出来ずに、アムリアは青褪めたまま母親が怒った時の顔を思い浮かべた。

「……様は、クリスファニアにお連れするのだな」

「さよう」

「殺す……いや、失礼。討つことに、同意は」

「……いや。だがそれに構うことはない。ともかくも、クリスファニアの方に伝達を頼む。私は、出陣の準備を整えねばならぬゆえ、そろそろ戻ろう」

 それから二言、三言の言葉を交わして、アムリアの頭上は静かになった。

 思わず止めていた息をほっと吐き出し、アムリアはそろそろとその場を四つん這いのまま動き始めた。

 まだ、心臓がどきどきしている。額を濡らしているのは冷や汗と言う奴だ。

 ようやくいつもの出口を前方に見て、アムリアは必死の思いで手足を急がせた。すぽんと雨溝から顔を出して日の光を浴びると、安堵に泣きたくなった。

 聞いてはいけない話を聞いてしまったような気がする。

 黙っていなくてはならないだろうか。

 それとも、母親に話さなければならないだろうか。

「へぎゃ」

 蓋の割れ目から顔を出したまま、泣きそうな顔で悩んでいると、遥か頭上から突如奇妙な声が聞こえた。振り仰ぐと、大人が驚いたような大袈裟なポーズで、アムリアを見下ろしていた。

「雨溝から子供が生えてますね……」

 琥珀色の眼差しを見上げ、アムリアは意図せず、震える唇を動かした。

「ぼく……」

「はい?」

「『殺す』って……」

「……は?」

 アムリアを見下ろす長身の男は、ぽつりと呟いたその言葉を聞き咎めるように間近にしゃがみ込んだ。ぼさぼさの乱れた長髪の隙間から、人懐こそうな表情が覗き、それがアムリアの気を緩めた。

「ぼく……」

「何ですか? 私で良かったら、話してみませんか?」

「……」

「……何か、怖いお話を聞いてしまったような顔をしてますよ?」

 どきりとする。そしてその声音に安堵して、アムリアは泣き出した。

「よ、良く、わかんないけど……」

「良くわからなくて良いですよ。……何か、聞いたんですね?」

 確認するように問われ、頷く。

「君は、この穴の中で遊んでいたのですか?」

 遊んでいたとは少し違うが、アムリアは再び頷いた。

「ふうむ。じゃあ、君が聞いた声の相手は、君がそこにいることを知らないで話していたと言うことですね。何を言っていましたか?」

「……」

「ああ、いーんですよ。意味がわからなくても。良く覚えていないのなら、覚えている言葉だけでも良いんです」

 優しく聞かれ、アムリアは懸命に会話に出てきた単語を思い出した。それを、ぽつりぽつりと伝える。

「陛下が……クリスファニア……で、けっき……」

「『陛下がクリスファニアでけっき』?」

「モナ……それから、『殺す』って……」

「……」

 男は、アムリアの言葉の意味を考えるようにしばし黙った。

「『殺す』と言うのは、誰のことかわかりますか?」

 問われて、アムリアは少し考えた。思い返してみても、良くわからない。首を傾げながら、男に答える。

「わからない。『討つ』って言ってた」

「『討つ』……」

 アムリアの言葉に、男の顔色がやや変わる。やはりまずいことを聞いてしまったのかとはらはらしていると、無言で考え込むようにしていた男がやがてアムリアの頭に片手を乗せた。安心させるように僅かに笑みを浮かべる。

「わかりました。ありがとう。このお話は、私が引き受けます。君は、忘れてくれれば良いですよ」

 そのことにほっとしてアムリアも笑みを返すと、男が念を押すように繰り返した。

「良いですね? 私が引き受けましたから」

「うん」

「……このことは、誰にも言ってはいけませんよ」


 リトリア王国ラナンシー城は、慌しい雰囲気に包まれていた。

 セラフィの命令を受けてラグフォレスト大陸から急遽リトリア王国を目指したグレンが城へと辿り着いた頃には、既に光の月も後半に差し掛かろうとしていた。『人魚の神殿』における『レガード』たちとの戦闘から2ヶ月が過ぎようとしている。

 グレンは現在、自分の手を離れた彼らの動向を、知らない。

 エレナとは、ヴァルス王国ウィレムスタト地方レジーナで別れた。エレナはレジーナからエルファーラを経由して、レドリックのいるロンバルト王都ウォルムスへ向かったはずである。

 数ヶ月ぶりに訪れたセルジュークは、相変わらず文明国としての落ち着いた華やかさで賑わっていた。戦時中とは言え、戦地となっているのは遥か南方の国――現状ロンバルトであるのだから、リトリア国民の生活にはさしたる打撃はないのだろう。

 だが、王城ラナンシーへ足を踏み入れた途端、慌しい気配が漂ってくるのを感じた。

 セラフィからは、リトリアは対ヴァルス戦へはおざなりな戦力の投入を図り、一方でモナ侵略の動きを見せていると聞いている。

 クラスフェルドへの取次ぎを頼んで待たされている控え室で、テーブルの上にあるフルーツの砂糖煮を摘んでは口に放り込みながら、グレンはラナンシーへ向かう途中で出会った少年の言葉を思い出していた。

 街に走っている雨溝で遊んでいたらしい少年は、どうやら問題のある会話を耳にしたらしい。

(『討つ』ですか……)

 単に誰かを狙ったり殺したりする時に使用する言葉ではない。

 概ね、「自分に理由がある」と信じている人間が使用する言葉である。

 そしてその会話の中に『陛下』と言う単語が含まれていたとすれば、『討つ』の対象は『陛下』である可能性は低くない。

 加えて言えば、民間人が使用するにはやや不自然さのある言葉ではあった。

 国王に対して『陛下』と言う言葉を民間人が使用しないとはもちろん言わないが、失礼ながらいささか品位を感じもする。一般名称でもあるが、仕える者が国王に対して使用する呼称に近い言葉でもある。

 少年の言葉を素直に解釈すれば、クリスファニアにてクラスフェルド王にとって、一大事が起こる可能性があった。

 それからもうひとつ、少年は気になる単語を口にした。

(『モナ』……)

 なぜ、『モナ』と言う単語が出て来るのか。

 クラスフェルドは、モナへの侵攻を企てている。そして、『クリスファニアで決起』と言うことは――モナ侵攻への不満が募っていると言うことだろうか。

(恐らくはクラスフェルド王配下の者に、モナ侵攻への不満を募らせてクリスファニアへの進軍をきっかけに反乱を企てている者がいる……)

 果たして自分は、その情報に対してどうすべきだろう。

 ひとつ言えるのは、ロドリスとしては今クラスフェルドを討たれては、困るのである。

 現在クラスフェルドを王に戴くリトリアは、ロドリスの友国として承認されている。実際はのらりくらりと対応の遅いリトリアではあるが、それでもリトリアがこちら側についていると言うだけで、ヴァルスに対しては十分威圧的なのだ。その効果だけでも、リトリアをこちらに引きずり込んだ甲斐があるほどに。

 けれどこれで万が一クラスフェルドが反乱者の手によって討殺されてしまうとすると、また話が変わる。

 混乱に陥れば無論のこと、仮にすぐに王位に就く人間がいるとしたって、その人物がクラスフェルドと同様ロドリスと手を携えることを諾とするかはわからない。

 元々リトリアはロドリスと反目し合う関係にあることを考えれば、戦線離脱もしくはヴァルスサイドに寝返る可能性すら考え得るのだ。それは全て、どんな人物が王位を継承するかによって左右される。

 そんな博打を持ち込みたくはないから、クラスフェルドにはこのままリトリア国王として君臨してもらわねば困るのである。

 考えあぐねながら砂糖煮の壺を綺麗に空にした頃、ようやく扉が開いた。中継ぎの者が迎えに来たのかと顔を上げると、ドアを開いたのはクラスフェルド王その人だった。宰相のフラクトルが、その背後に従っている。

「呼びもせぬのに戦の匂いを嗅ぎつけたか? 『ジェノサイド・イブリース』」

 入るなり投げ掛けられたからかうような言葉に、苦笑いをしながら立ち上がる。

「いやいや。陛下がどうなさっておられるのか、日和見ですよ」

 妙な挨拶だ。

 グレンはそっと目を眇めた。

 戦が巻き起こっているのは、周知の事実である。そして、リトリアを巻き込んだのは他でもないグレンの尽力だ。

 そのグレンに対して「戦の匂いを嗅ぎつけた」とは、いささかおかしな言葉ではないか。――ロドリスの関知しない戦が起ころうとしているのならば、ともかく。

「勝手な動きをするなとの牽制か?」

 クラスフェルドは、間違いなくモナへの侵攻を画策しているのだろう。

 にやっと笑いながらソファへどかりと腰を下ろすクラスフェルドに、グレンは殊更肩を竦めて見せた。

「まさか。我々と御国は『友軍』ですからね。思い通りに操作しようなどと思っていませんよ? もちろん陛下のお心にはアルトガーデンの為に良き計らいをして下さるおつもりがあることでしょうし」

 にこにこと嘯くグレンに、クラスフェルドは笑いを浮かべたままで目を細めた。

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