第3部第1章第16話 ツェンカーの武器商人(4)
以前……まだ、ヴァルスに来たばかりの頃、パララーザのシリーが言っていた。
フレザイルに眠る、神々の炎の剣。魔力を持たない人間でも火の魔法を使うことが出来る、と。
もしもそうならば、トラファルガーを倒す兆しは、ゼロじゃない。いや、フレザイルに眠るラグナロクがレーヴァテインで、そしてレーヴァテインの鍵がこのピアスなのだとしたら……トラファルガーを倒すことが出来るのは、俺たちしかいない。……冗談じゃない。
(あ、でもそうとは限らない……)
そうだよな。良く考えたらシサーたちはかつて、カリバーンを手に入れたわけじゃないけれど黒竜グロダールを倒している。それを思えば、別段魔剣を手に入れなくたって倒すことは出来るわけだ。ただ、その苦労が随分違って勝率がかなり変わるだけ……。
「……」
だから、冗談じゃないっての。
「どうだろうな。そうかもしんねえ。ラグナロクってのは、あれだろ?フレザイルの氷の柱に埋まってるって言う……」
先ほどの俺の問いに答えながら歩き出したキグナスの背中に、俺は目を丸くして視線を向けた。
「何?ラグナロクって場所、わかってんの?」
「俺は知らねえけどー。フレザイルのどっかに巨大な氷の柱があって、その中に埋まってるって話だぜ。誰も取ることが出来ないんだとかって。ただの伝説かもしんねえけど」
ああ……じゃあ、前にレイアが言っていたエクスカリバーの在り処みたいにデマの可能性もあるわけか。
誰かに確認出来ないだろうか。確認したって、取りに行きたくはないが、知らないより知っている方が良いに決まっている。
「ただいまあ」
なんて思っている間に、ジークの家についた。今日は、ジークが宿を提供してくれると言うことで、宿泊させてもらうことになっている。
ジークの武器屋は、1階が商用スペース、2階に居住用スペースがあって、2階は広さはあるけれど部屋数のない……言ってしまえば一部屋ぶち抜きと言う大雑把な状態になっていた。つまり、雑魚寝を予定している。
「ああ、お帰り」
シサーたちはどこかへ行ったのか、もしくは2階にいるのか、姿がない。カウンターの裏側からジークの声だけが聞こえてきて、覗き込んでみるとカウンターの床の扉がぱかんと開いていた。
(ラグナロクって……武器、だよな……)
だったら、仮にも武器商であるジークは何か知らないだろうか。
……って、そうか……。
グロダールの魔剣の行方も、もしかしてヴァルスの武器商だったら、知ってたりは、しないか?
(アギナルド……)
武器商ではないけれど、武器職人だ。アギナルド老が、もしかするとカリバーンの行方について何か知っていることがあるかもしれない……!!
うわ、そうだよ。どうして今まで思いつかなかったんだろう。蛇の道は蛇だ。知っているとは限らないけれど、知らないとも限らない。少なくとも俺だとか、普通の奴らに比べれば武器について精通していて、入ってくる情報量だって違うはずなんだから。
ヴァルスに戻ったら、必ずもう一度アギナルド老の元を訪れてみよう。
密かにそう決意しながら、ジークが何やらごそごそやっているその扉の中を上から覗き込んでみる。ともかくも、アギナルドが今ここにいるわけじゃないんだから、まずはラグナロクについてジークに聞いてみることにしよう。
「ジーク」
「んん〜?」
「……何してんの?」
「良かったら下りてきますか?」
「ん〜……お邪魔します」
興味はある。武器商の倉庫。
キグナスと顔を見合わせると、俺は持っていたタオルとかをカウンターの上に置いて階段をそろそろと下りてみた。その後ろにキグナスもついて来る。
「あ、思ったより広いんだ……」
倉庫の中は、壁にひとつカンテラをかけただけの薄暗い空間だった。広さは8畳くらい。だけどもっと狭いのかと思っていた。
壁には手作りのような木の棚が設えられていて、そこにごちゃごちゃと変なモンが置かれている。床にもごろごろと変なモンが転がっている。まともそうに見えるのは、奥の壁に掛けられている棚とその下の木箱の中身ぐらいで、あとは正直みんな『変なモン』。
あと……何だろうな。壁にいっぱい変な傷跡がある。
「……何、これ」
壁際に近寄って棚の上の『弓矢のなりそこない』みたいなもんを突付いて尋ねると、部屋の真ん中にあぐらをかいてゴリゴリと木を削っていたジークが笑った。
「それは失敗作」
「何?失敗作って」
「俺、こうやっていろいろ自分で武器を考案するのが趣味なんですよ。これ見て、これ。……見てて下さいね」
「え?」
そう言って立ち上がったジークは、すぐそばの木箱から変な鉄の棒のようなものを取り出した。長さは30センチくらい。それを右手に持って、左手で何かをカチッと……。
――ばすッッッ。
「うわ」
「ははは。ね、ちょっと便利でしょ」
いきなりその鉄の棒が、ガチャガチャガチャッと伸びて、その先端が壁に突き刺さった。変な傷跡の正体は、これらしい。こうやって何か作ってはここで実験するから、壁が傷だらけになるんだろう。
「何?槍?」
「根本的にはね。だけど伸縮自在だから、持ち運びに便利だし、敵に射程距離を掴まれないから、油断させられる」
「は〜。自分で作ったの?」
「そう。後ね、これはね……」
そう言って今度取り出したのは……何て表現すれば良いんだろう。凸みたいな形の鉄の塊から、紐で繋がれた丸いボールが出ている。
「これはね、ここで実験すると火達磨になっちゃって危ないから」
やめて。
「実演出来ないんですけど……ここをね、こうするとストッパーが外れて……で、これを回すと歯車が動いてこれが上に上がってって、ここで着火して……魔法で言う『火炎弾』を連射で撃つような感じで……」
……マシンガンだ。
かなり手動だから俺の知るマシンガンほどに速くはないだろうけれど、要はやりたいのはそういうことだと思う。
うーーーーん……。
「武器、好きなんですね……」
「既存のものだけじゃあつまらないでしょう?でもどれもこれもまだ、実用性には欠けちゃって、売りに出すのはまだ先になりそうなんですよ」
「実用性に欠けるって、何で?」
「扱い方が面倒だったり、すぐに分解しちゃったりしてね……いろいろ大変なんです」
「ジーク」
にこにこしながら、そっと見せてくれた武器をしまい直すジークのそばにしゃがみ込む。キグナスは俺の後ろで、何だかきょときょとと辺りを見回していた。
「はい?」
「ラグナロク、って知ってる?」
「ラグナロクですか?知ってますよ」
ラグナロクの行方も、知ってるだろうか。
「ラグナロクって、レーヴァテインって別名があったりする?」
「ああ。別名って言うと、語弊がありますけどね。国によってそう言う言い方をする国があると言うか……本来ヴァルスでは『レーヴァテイン』と言っていたようですよ」
ああ、そうなんだ。
「そのラグナロク……レーヴァテインが、フレザイルにあるって話を、昔聞いたことがあるんだ」
すとん、とキグナスが無言で俺の隣に座りこんだ。それを見て、俺も床にぺったりと腰を下ろしてしまう。
「ええ。僕も聞いたことがあります」
「それは、本当?」
真顔で尋ねる俺に、ジークは細い目を瞬いて首を傾げた。
「事実かどうかは、僕もフレザイルに行ったわけじゃないのでわかりませんけど。かつての僕の上司が、冒険心で確かめに行ったことがあるそうです」
「……え!?フレザイルに!?」
ぎょっとして大声を上げた俺に、ジークは苦笑して頷いた。
「子供みたいな人でしょう。けれど、伝説の魔剣の存在と言うのは、武器商としてはやはり心を揺さぶりますからね」
「……」
「あったそうです」
「本当に……?」
「ええ。氷の柱の中に。……けれど、それを抜き出すことはどうしても出来なかったそうですが」
「どうして?」
「炎を当てても、道具で破壊しようとしても、氷の柱に傷は付かなかったそうです」
それを引き出す鍵が、俺のこのピアスなんだろうか。
ああ、嫌だ。考えれば考えるほどに嫌だ。今すぐ耳を切断して誰かにくれてやりたいくらいだ。だってこれ、俺じゃなけりゃならないってもんでもないだろう。このピアスがあれば良いんじゃないのか?要は。
けれど、逆に言えば……これは、立派な、ルーベルトとの交渉材料のひとつだ。
(……)
ジークの話では、ツェンカーをヴァルスに引き込むのはちょっと、トラブルの元になりそうだ。ジークでさえ知っていること、代表者であるルーベルトが知らないとは思えない。だとしたら、こちら側に引き寄せる為には、結構でかい代償を支払う必要がある。取引材料として、トラファルガーの始末は、かなり有効と考えられる。
「にしても急に、どうしたんですか」
「いや……ちょっと、気になったもんだから」
「そうですか?」
「うん。……トラファルガーを倒すことは、ルーベルトの首を縦に振らせる理由に繋がると思う?」
ため息混じりに尋ねる俺に、ジークはきょとんと目を見開いてから、頷いた。
「それは多分、確かでしょう」
「……そう」
ジークの話に寄れば、ツェンカーの中でヴァルスへの警戒を囁く動きがあると言うのは、確からしい。
ルーベルトじゃない。アルディアでもない。……アルディアの、元支持者たちだ。
先にもジークが言った通り、ヴァルスの要人の訪問について民間人に噂が流れていると言うようなことは恐らくないだろうとのことだった。
但し、あくまでも『民間人に』だ。
国政幹部については、もちろんその限りじゃない。何よりヴァルスからの使者がルーベルト自身を訪問しているのだから、その周囲の人間には自ずと漏れる。
けれど、その目的そのものがどの程度漏洩されているかまでは定かではないらしい。
ジークいわく、ヴァルスの使者が訪ねて来たと言うことは国政幹部に漏れているだろうが、その内情についてまでは一部の限られた人間しか知らないだろうとの見方だった。
つまり、明確な目的がわからないまま、憶測が飛んでいる。
その中でも有力な説として上がっているのが、『ヴァルスがツェンカーをアルトガーデン帝国内部に組み込もうとしている』と言うもののようだとジークは言っていた。
それはどういうことかと言えば、現在の『独立自治領』を謳っているツェンカーの存在意義そのものを覆す説だ。
当然それには、反ヴァルス感情が伴っている。実際のところヴァルスはツェンカーを帝国に取り込もうと言う意志はこれっぽっちもないんだが、ヴァルスの最高権力者が直々に遥々訪問すると言うことでそんな憶測が飛び交っているわけだ。
そしてそれに伴う警戒――アルディアの元支持者たちの中では、その時に備えて武器を収集する動きが出て来ていると言う。
ジークがこの辺りの情報を耳にしたルートは、その筋からと言うわけだ。
水面下で密かに結束し、ヴァルスの要人とルーベルトが接触を持ったその時にこそ、武器を手に決起する可能性がある。そうしてルーベルトを引き摺り下ろし、ヴァルスから守り、アルディアを再び代表者の地位へと押し上げようと言うことだろう。
そのせいで今、正規の売買ルートでは武器が不足しているのだそうだ。それで、「どこかで聞いた話だ」と言うことに気がついた。
どこか――カサドール……。
ジークによれば、その動きにアルディア本人が加担している可能性は薄いだろうと言う。彼自身言っていた通り、彼の情報ルートは主に武器の流通ルートと関係しているから政治勢力の詳しい情報が入ってくるわけではないけれど、アルディア自身は本来武力主義とは無縁の気質で、それゆえにトラファルガーの襲撃を控えて武力を支持する時勢に、ルーベルトへの敗北を喫したとの話だった。
ともかくも、『ヴァルスのツェンカーへの干渉』を恐れる反ヴァルス思想の動きはもちろんルーベルトだって感じているに決まっているし、だとすればトラファルガーの件がなかったとしても、ヴァルスの要請に応じない可能性がある。応じればそれが、反ヴァルス派の誤解を後押しして暴動が起きかねないことは当然考えているだろう。であれば、静観の姿勢を取る可能性がかなり高い。
それを覆して首を縦に振らせるには、トラファルガーをちらつかせると言う手段が、今考えられる範囲では最も有効だろうと言う気は、確かにする。
ツェンカーにとって、今一番気掛かりなのは、間違いなくトラファルガーの襲撃だ。
それを片付けてやるから、代わりにヴァルスに援軍を寄越せと……こういう交渉ならば、成り立つ可能性はかなり、高い。ルーベルトにしたって、国民への弁明が可能だろう。「ツェンカーの危機に際して助力をしてくれたヴァルスに、援助をする」――何て美しい流れだ。
問題は、その助力が半端ない内容である上に、しかも俺たちが自分自身で何とかしなきゃならない可能性が限りなく高いと言うことだ。大体、普通にトラファルガーに負けちゃったら話にならない。
その辺りについてもっと情報を集めて対策を練る為に、俺たちは明日オーバスヴェルグを発って、首都フリュージュではなく北の街ロドを訪れることになっていた。ジークの武器商としての師匠であり、ツェンカーでの父とも言える人物のいる街だ。
その為に、ジークも俺たちと一緒にロドへ向かってくれることが、先ほど、決定している。
薄暗い顔をして黙り込む俺に、ジークが苦笑して俺の肩をぽんぽんと軽く叩いた。
「ま、ともかくも一度、ロドの僕の師匠を訪ねてみましょう。その時に例の火種の話も、そしてそのラグナロクの話についても、聞けることがあるはずです」
「……うん」
「ヴァルスのことは、僕だって心配です。悪いようには、しませんから。信じて下さい」
「ありがとう」
気遣ってくれるジークの言葉に、俺も何とか笑顔を作り上げ、礼を口にして立ち上がろうとした。
その時。
――クォォォォォォッ……。
そのままの姿勢で、目を見張る。遠く響く咆哮……トラファルガー……。
――ビリビリビリビリッ……。
「うぉあ。な、何だよ……」
空気を揺るがすようなびりびりした振動に、キグナスがどこか怯えたように辺りを見回した。常にどこか飄々とした顔をしていたジークも、さすがに微かに緊張した声で視線を見えるはずのない遠くへと向ける。
「響く声が、近くなってますね……」
「どういうこと?」
尋ねる俺に向けられたジークの顔は、青かった。
「トラファルガーの活動が、本格的に活発化していると言うことです」
「……」
「襲撃まではもう……」
秒読み開始でしょう、と続けたジークの声を嘲笑うように、遠く、もう一度空気を震わせる咆哮が、夜に響いた。