第1部第10話 歴史の陰(1)
ガン、と勢い良くドアが開けられ、ラウバルは微かに眉を顰めた。『相手の返事を期待しない形だけのノック』が遂に省かれ、『相手の意向を全く視野に含めるつもりのない訪問』に変わったかと嘆息する。
しかし書き物机から振り返り、シェインのその強張った表情を見るなり口から出た言葉は当初の予定から変更されていた。
「……どうした?」
「ユリアから連絡が来ない」
「……」
ふざけた表情以外滅多にすることのない宮廷魔術師の、苛立ったような表情にラウバルも息を飲む。
「……何か、あったのか」
「わからないから苛立っているのだ」
ふてくされたように言い捨て、シェインは窓際の長椅子にふんぞり返った。思わず椅子から立ち上がりながらラウバルは顎に手を当てる。
「……ぬかりはないのだろう?」
「あるわけがなかろう。仮に『遠見の鏡』を手放したとて、ユリアを守る魔法など重ねてかけてある。だが連絡がないのが気に入らぬ」
「忘れてるのかもしれぬぞ」
「そんなわけあるか。ユリアだぞ」
顰め面でぼやくシェインに、ユリアの身に切実な危険があれば何らかの形でシェインの魔法が発動することを確信し、ラウバルはとりあえず安心した。そうでなければ、ユリアを下にも置かぬほど大切にしているシェインの狼狽がこの程度で済むわけがない。職務など二の次、とっくにユリアを探して行方をくらましているに決まっている。
「……安全は、確かなのだな」
念を押すようなラウバルの言葉に、シェインは片方の眉を微かに上げてラウバルに視線を向けた。
「ユリアの生命は確実に保証しよう。この天才魔術師が全精力を傾けた魔法が発動する」
「ふむ」
ならば問題はあるまい。ふと気になってラウバルは尋ねてみた。
「『遠見の鏡』以外に、どのような魔法をかけたのだ」
「防御魔法だな。『光の壁』だ。俺がその場にいて、最強に発動させたのに匹敵する防御力があるはずだ」
それは凄まじい。ラウバルは思わず片手を額に当てた。さすが、『過保護』との風評は伊達ではない。
「お前とて楽ではなかろうに」
物質に魔力付与したのではなく、ユリアに対して防御魔法の発動をさせるのであれば、発動させた時にはシェインの魔力が消費される。
「ユリアに傷を負わせることを考えれば、大したことではないな」
言いながら両腕を頭の後ろで組む。それから僅かに顰め面をした。
「それから……空間移動の魔法だな」
「空間移動……」
ラウバルも僅かに顔を顰める。何か言いかけたその機先を制すようにシェインが続けた。
「出来れば発動して欲しくないのが本音だ。だからこそ、『遠見の鏡』を持たせた。発動することは、まずない」
空間移動の魔法に関しては、まだまだ研究段階にある、と言うのが現状だ。自由自在に行きたいところへ姿を現すなどとはほとんど伝説の域でしかない。現在完成されている形では、かつて行ったことのある場所へランダムに出現すると言う何とも不便なシロモノだ。つまり、ユリアにそれが発動された場合、レオノーラまたはシャインカルクへ戻ってくれれば問題はないが、どこへ姿を消すかわからないとあってはたまったものではない。魔法道具の中にはそれを可能とするものもあると聞いたことがあるが……。
「だが、生命を失うよりはましだろう。当面の危機を回避すると言う意味では応急処置的に最も効果があるからな」
ラウバルはほっと息を吐いた。書き物机に向けられていた椅子を引き寄せ、シェインの方へ向けて腰を下ろす。
「まあ、生命に別状が及ぶことはないと言うことは良くわかった。ならばそれほど不機嫌になることもなかろう」
「状況が読めぬのが嫌なのだ」
我侭を言うように言い放ち、シェインは組んだ腕を解くとぐしゃぐしゃと赤い髪をかき混ぜる。
「……それほど気にするのならば、やはり止めた方が賢明だったのではないか」
「止められるか。ああ見えてユリアは強情だ。止めだてしたところで、無理矢理抜け出して本当に行方不明になるのが関の山だろう」
それが言い訳だと言うことをラウバルは知っている。
「お前の魔力を持ってしてもか?」
「……」
「……カズキの旅は、必要以上に危険だ。わかっているだろうが」
冷淡とも言えるラウバルの言に、シェインは痛いところを突かれたように視線を落とした。ふてくされるような表情を浮かべ、ラウバルに背を向けて長椅子の上に上半身だけ横たえる。
「レガード様の身に何が起こったとしても、レガード様の姿をしたものが平然と旅をしておれば必ず何かを知っている人物が浮上する。それを陽動と言わずして何とする。言い換えてやろうか。それは、『囮』と言うのだ」
「……」
「レガード様に何かがあったのなら、そこに陥れた何者かが見過ごすはずがない」
シェインは長椅子に横たえた上半身を僅かに起こし、ラウバルの方へ顔を向けた。
「……なぜ、おぬしは見過ごした?」
「何をだ?」
わかっているくせに嘯くラウバルを睨みつける。
「俺がユリアを送り出すのを、だ。カズキが陽動であればレガードの二の舞にならぬとも言えぬだろうが」
「お前がユリアの味方についているからな。宮廷魔術師に刃向かうほど無謀ではない」
「ぬけぬけと。俺がそんな戯言を真に受けると思うか」
「ではお前は陽動とわかっていてなぜ送り出した」
「……」
シェインは盛大に顔を顰めた。
「俺に言わせるのか?……いずれにしても、ユリアには『王の証』を受けてもらわねばならぬからな」
ラウバルは何も答えずに続きを促す。
「……いつまでも蝶よ花よと閉じ込めて可愛がるわけにはいかぬ」
「……」
「……このままではユリアはいずれヴァルスそしてアルトガーデン初の女王であり女帝として君臨することになろう。強くなってもらわねばならぬ。良き主となる為に、国民の姿をその目で直に見詰め、何を必要とし、何を恐れているのか、王城にばかりいたのでは知ることは出来ぬ。……レガードが行方不明の今、『王の証』を受けるのはユリアしかいない。ユリアが『王家の塔』へ向かわねばならぬのは、必然だ。レガードが見付かれば良いのだがな。言いたくはないが、不確定要素は未来に含めて考えるべきではなかろう」
多少詭弁が入るのは承知である。シェインがユリアを止められなかった理由はもっと至極簡単なものだ。だが宮廷魔術師と言う立場にあればこそ、口にするにはいささか憚られる。恐らくは、ラウバルも。
「まったくだな」
「かと言って、アルトガーデンの広大な領土がひとりの娘に継承される瞬間を狙うハイエナどもがいる今、王や後継者が不在の城を俺やおぬしがおいそれと空けているわけにもいかぬ。『レガード』王子をスケープゴートにするわけではないがな……。ましてユリアは顔が知られているわけでは……」
そこでシェインは言葉を途切らせた。視線をラウバルに向ける。
「……レガード様が何者かに襲撃を受けたとして」
低く、ラウバルが応じる。レガードが『王の証』を受けることを阻みたいものは大勢いるだろう。アルトガーデンが手に入るのだから。だが。
「その者はなぜ、『レガード様を知っていた』のだろうな?」
「……」
ラウバルの言葉にシェインが目を見張る。
「……そう言うことか……」
「まだ確定したわけではないがな」
得心のいったシェインは舌打ちをした。
「権力欲しさに兄が弟を襲うとは、まさに腐ったゴブリンだなあやつは」
シェインの言い草にラウバルは微笑した。
「滅多なことを言うな。確定したわけではないと言っている」
「第2王子であるレガードはロンバルトの外交などにも公には参加していない。諸外国との会議の席に参加するわけでもない。つまりヴァルス以外の諸国に基本的に顔を知られておらぬのだ。レガードの身分、立場、状況を細かく知りえて尚且つ動機があると来ればもはや確定であろうが」
落ち着かないのか、シェインは長椅子から立ち上がって窓際に歩み寄った。窓の外に視線を向ける。冷たそうな風が中に招じ入れられるのを待つかのようにカタカタと窓を揺らした。
「だがあのぼんくらがレガードに勝てるとは思えぬな。背後にいるのは誰だ?」
「ロドリスに、奇妙な動きがある」
「奇妙な動き?」
「表立ってはいないのだがな。……バルザックが絡んでるやもしれぬ」
「何……」
シェインの顔色が微かに変わった。ラウバルが静かにその視線を受け止める。
「……どこぞに潜んでたと思ったら、このタイミングか」
「まったくだ。『青の魔術師』と手を組んだかな」
『青の魔術師』と聞いて、シェインは苦笑した。まだご対面をしたことはないが、ロドリス王国の宮廷魔術師はシェインに負けず劣らず、若いらしい。そして現存する唯一のエンチャンターだと聞いている。
エンチャンターとは物体への魔力付与を得意とする魔術師を指す。ソーサラーの中にはこの能力を多少持つ者も少数だがおり、シェインもまたそのひとりだ。だが、エンチャンターと言えるほどに強力な魔力付与を出来る能力を有する者は『青の魔術師』のみだと言う。
実際のところは、もうひとり優れたエンチャンターが存在してはいるのだが、その人物は既にエンチャンターとしての能力を己に禁じており、世間には既に忘れられようとしている。つまりはエンチャンターと言える魔術師は、『青の魔術師』唯一人だ。
「詳細は現在調べさせているがな……。『王家の塔』それからロドリス、この2つの報告が良からぬ結果をもたらさねば良いと思うのだが」
どちらからともなく沈黙した。しばし各々の考えに沈み込む。
「……王女に関しては情報を待つ他ないな。風の砂漠に派遣している調査隊が何か情報を持って来るかもしれぬ」
「ああ……」
頷いてシェインはふっと顔を上げた。
「誤解しないでもらいたいのだが」
「何だ?」
「……俺は、カズキを捨て駒にするつもりは、さらさらないぞ」
「ふむ」
「……シサーたちがついていれば、少なくとも大過はあるまい。その為に、彼らに協力を依頼したのだから」
またも、それぞれがそれぞれの思いに沈み込む沈黙が訪れた。
時が経過すると共に、気がかりは増えていく一方のような気がした。減る気配がなく、まるでそれは何かの前触れのようだ。
何か――アルトガーデンの激震に、繋がらねば良いが。
(……バルザックか……)
黒石のロッドを持つ、魔術師。……かつての友。
ラウバルは自分に永き生命を与えることとなった、バルザックとの間に横たわる因縁に思いを馳せた。
一方同じ頃、ロドリス王国の森の中に建てられた屋敷のその奥、薄暗い部屋の中で黒いローブを身に纏った老人は水晶球に映し出される光景を黙したまま見詰めていた。
3人の人影が険しい山道でジャイアントスコルピオンと戦っていた。バルザックの視線はそのひとり、剣を握る少年に向けられている。
(……違う……)
彼が探している人物に、似過ぎている。だが、違うことに彼は気づいていた。
(何者だ……?)
古代のエンチャンターが魔力を付与した水晶球は、使用する者の魔力に応じて様々な場面を映し出すことが可能だ。だが、彼の探す人物……ロンバルト公国第2王子レガードの行方だけは、なぜかそこに映し出すことがない。
代わりにギャヴァンの街で、このレガードに似過ぎている少年を見つけ出した。それから時折こうして追跡をしてはいるのだが、その正体は未だにわからない。
「レガードは、どこへ行ったのだ……」
低く、呻く。
レガードが見つからなくてもバルザック自身はさほど困りはしない。
だが、彼の『契約者』が、レガードの身柄を要求している。
青い瞳と青い髪を持つ若者の顔を思い浮かべた。明るい雰囲気の表情とは裏腹の、黒い悪意と野心。……『青の魔術師』セラフィ。
セラフィとの契約が成立しないことは、バルザックにとっても少々都合が良くない。また新しい計画を考え直さなければならなくなってしまう。
(レガードはもしや……奴の手元にいるのか?)
このバルザックの魔力を持ってしてもレガードの行方が掴めないとなると、もはやそうとしか考えられない。バルザックからでさえ、その姿を隠しおおせるほどのプロテクトをかけられる人物にはひとりしか心当たりがない。
「まあ良い……。ともかくこの少年を追っていれば、レガードに辿り着くやもしれぬゆえな……」
やれやれ、と言うように首を微かに横に振ると、水晶球の映像を消失させた。立ち上がり、小さく呟く。
「待っているが良い。……ラウバル」