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QUEST  作者: 市尾弘那
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第1部第1話 終わらない昼休み(1)

「和希ー。雄高くん来たわよー」

「んー」

 階下からの母親の声に、パンを咥えたまま俺はくぐもった声で答えた。

 ごそごそと鞄に教科書を詰め込んで掴むと、階段を駆け下りる。

 6歳年下の弟、拓人ひろとは、もう小学校へ行ったらしく姿がない。台所から父親の「和希、うるさいぞー」と言う声が聞こえた。

「行ってきますッ」

 それを黙殺して、外へ飛び出る。門の外では自転車に跨ったまま小学校からの友達、下屋雄高しもや ゆたかが、ごつい顔に笑顔を浮かべていた。

「はよッ」

「何だぁ?寝坊か?」

「寝坊」

「珍しい」

 パンを咥えたまま、雄高の自転車の後ろに飛び乗る。

 柔道部らしく俺より遥かにゴツく背の高い雄高は筋骨隆々で、俺程度を後ろに乗っけても物ともしない筋肉の持ち主だ。

 短く刈り込んだ硬い毛はまるで剣山のようなので……と言うのは言い過ぎだけど、まあ痛いのは確かなのでぶつからないよう距離を取って立ち乗り姿勢のまま、俺はトーストを口の中にしまいこんだ。

「寝たの遅かったのか?」

「うん」

「何してたんだよ」

「深夜映画見てた」

 俺も雄高も、今年の春渋谷にある城西大学付属高校に入学したばかりだ。今はまだ7月なので、ピカピカの1年生と言っても許容範囲だと思う。人に漕がせている自転車の背中で風を切りながら俺は目を細めた。

 暑さを増していく季節の中、この時間から既に太陽は眩しい。

 今日も暑くなるんだろうなぁ……。

 ウチの学校は大学の方にはがっつり冷房かけるくせに、高校の方にはろくな冷房設備を用意してくれていない。「夏は学ぶのを諦めろ」と言う学校側の姿勢と俺は受け止めている。

「早く自転車、新しいの買ってくれよなー」

 ぼーっと人任せに学校へ向かう俺に、前を向いたままで雄高がぼやいた。

「んー……夏休みにバイトでもしようかなぁ……」

 俺の愛用チャリは、先週まんまと盗まれた。電車で通えば良いんだけど、俺の自宅のある代々木からはチャリで苦しみながらも通える距離なので、電車代をケチって雄高に送り迎えを強要している。自分で漕ぐより遥かに楽なので、俺は最近チャリを買う気が萎えてきている。

「俺、これで3年間通っても良いなー」

「……俺の意思はどうなる……」

「卒業してから考慮する」

 落としてやるーッと、雄高がわざと荒っぽい運転をした。笑いながら、雄高の肩につかまって持ち堪える。

「わかったよ、帰り俺が漕ぐからッ」

「ちッ、しようがねえ、勘弁してやるか……」

 キィコキィコと音を立てる自転車は、代々木公園を通過して下り坂に入った。この辺りからちらほらとウチの生徒の姿が見えてくる。

「野沢くん、おはよー」

「はよ」

「下屋、野沢、おはよー」

「おはよー」

 学校へ到着して、自転車置場で俺は自転車を降りた。雄高が鍵をかけるのを待って、一緒に校舎へ向かって歩き出す。

「あ、野沢くん、おはよう」

 華やかな声が聞こえて振り返ると、クラスメイトの秋名なつみがこっちに向かって歩いてくるところだった。

 肩口くらいまでのさらさらの髪に、切れ長の瞳。かなりの美人で、入学するなり男子生徒の注目を一身に集めている。

 俺も雄高も同じクラスなんだけど、何だか良く懐いてくれている。……ような気がする。一緒にクラス委員なんかやってるせいかもしれない。

「おはよ」

「なつみちゃん……俺もいるんだけどなー……」

「やだな、わかってるわよ。下屋くんもおはよ」

「俺はついで?」

「そんなことないってばー」

 俺自身、なつみのことをいいなあと思ってないかと言えば……そりゃあ可愛いと思うさ。希望溢れる高校生活、俺だってそのうち彼女のひとりも欲しい。可愛いに越したことはないんだろうけど、まあ見た目はともかくとしても、なつみとは話も良く合うし、いつもにこにこしていて感じも良いし、きちんとしてるし……素直に印象は良いわけで。『高嶺の花』だろうって説はあるけど。

「なつみ、宿題やった?」

 並んで下駄箱に向かう。雄高が尋ねるとなつみは上履きを取り出しながら首を傾げた。

「やったけど……やってないの?」

「やってない。写させて」

「えー。どうしよっかなー」

「あ、俺も見せて」

 上履きに履き替えて、履いて来たスニーカーを下駄箱に押し込みながら言うと、なつみが目を丸くした。

「やだ、野沢くんもやってないの?」

「やったけど、わかんないとこあったから」

「しょうがないなあー」

 やれやれ、と言うようになつみが肩を竦める。その肩をポンと誰かが叩いた。

「なっつみ!!はよッ」

 同じクラスの永友美佐子だ。いつも高い位置で髪をまとめていて、体育会系のしゃきしゃきした女の子。なつみとは仲が良い。

「おはよー、美佐子」

 構わず、俺と雄高は教室に向かって歩き出した。廊下には、登校したばかりの生徒がまだぞろぞろといる。階段を上りながら、雄高がぼやいた。

「なつみって和希しか目に入ってない気がする、俺」

「ま、まさか……」

 思わず赤くなる。そんなことないと思うけどな、別に……。

 男は顔で判断しちゃいかんよと雄高が言うのを聞きとがめて、俺は横目で睨んだ。

「それじゃあ俺、中身ないみたいじゃん」

「まあ俺様のこの濃い中身に比べたら、まだまだヒヨッコだな」

「濃いのは顔だろ」

 何をうッと雄高が俺の頭を殴った。

「いて」

 殴るなよ柔道部。

 ようやく4階の、しかも1番奥の教室まで辿り着く。既に生徒の大半は来ていて、SHR前のざわざわとした空気が流れていた。

「おはよー」

 クラスメートと挨拶を交わしながら自分の席に鞄を置く。

 窓際の1番後ろ。特等席だ。

 初夏の、キラキラと光る太陽を浴びて背の高いブナの木の葉がさらさらと揺れた。

 当たり前の毎日、どこにでもある日常。

 それがまさか突然、壊されるなんて思いもしてなかった。


          ◆ ◇ ◆


 昼休み、先日配られたアンケートの回収で職員室に行っていた俺は、ふと思いついてそのまま渡り廊下に向かった。

 城西高校は大学付属で同じ敷地内に大学があるせいか、かなり広い。大学との共用施設なんかもあって、そっちに繋がる通路を挟んで公園のように中庭が広がっている。もちろん高校の方にもそれはそれで中庭があるけど。

 なだらかな起伏の芝生に覆われた中庭には、円陣バレーをする女生徒だとかお弁当を広げるカップルだとかがいて、俺は目をこすりながらその間を縫うように続いているホールへの道を進んでいった。ホールの脇には、木陰になっているベンチが置いてある。

(眠ぃ〜……)

 あくびが零れた。

 目尻の涙を拭いながら、真っ直ぐベンチを目指す。その辺りまで来るとあまり人気もなく、俺はころんとベンチの上に転がった。

 外の空気は暑いけれど、この辺はアスファルトが少ないせいか、熱気が立ち込めてはいない。中庭にいくつもある手入れされた大きな木が木陰を作っていて、俺のいるベンチの辺りは建物の陰になる形で今の時間帯だと日は当たらないし、そのくせ風は結構通り抜けたりするので少し涼しい。

 昨日、寝たの何時だったんだっけな……3時半……いや、4時過ぎか? 映画の終盤で萎えてきたのが3時半くらいだったから、その後か。眠い。眠すぎる。

 片腕で目の辺りを覆ってうつらうつらし始めた頭で、そんなことを考える。午前中の授業はほとんど記憶がない。

 今なんか昼メシ食って満たされているし、このままじゃ午後の授業も完全に記憶喪失になるに決まってる。少しくらい眠気を飛ばしておかないと……。

 さわさわと風に揺れる葉の音が気持ち良く、俺はゆっくりと眠りの淵に沈もうとしていた。

 変な声が聞こえたのは、その時だった。

「……これかな……これよね」

 ……。

 ……何か今、声がした。

 それまで、自分の周囲に全く人の気配を感じてなかった俺は、急激に余りに顔の間近で声を聞いてぎょっとした。腕をどかして目を開けると同時に体を起こす。……あれ?

 誰の姿も、ない。

(あれええ?)

 確かに人の声を聞いたと思ったのに。

 きょろきょろと辺りを見回してみてもやっぱり人の姿を見つけることが出来なくて、俺は腑に落ちないながらも再びベンチに転がった。目を閉じる。

「うん、これみたいね。確かにこりゃあ良く似てるわー。でもちょっと品がないかな……」

「!?」

 ぜ、絶対した。今。俺に向かって言ったんだとしたら物凄く失礼なことを言ったような気がする。

 がばっと再び起き上がると、俺は思わず自分の頭を疑った。

 ……変なイキモノがいる。

「なッ……!?」

 ベンチの上で身を起こした俺の、すぐそば……伸ばした足の方にそのイキモノはいた。直径20センチくらいの……ヒト。しかも飛んでいる。

 その、ちっちゃい、ありえねーイキモノは、ぎょっとしたまま硬直している俺に向かってどこか嘘くさい笑顔を浮かべてにーっこりと挨拶をしてくれた。

「こんにちは」

 ……。

「……こ、こんにちは」

 何挨拶返してんだよ、俺……。

 透き通った蝶のような4枚羽根をパタパタと忙しく動かしながら、ふわふわと上下に揺れている。くるんと頬の辺りで巻き上がった淡い金色の髪をしていて、その瞳には白目がない。少し先の尖った耳をしていて……目を覚ませ。俺は今、幻覚を見ている。

「何よ?」

 良く出来た幻覚だ。ちっちゃいイキモノは、不貞腐れたような顔をして腕を組んだ。白目がないくせして、睨まれているのは何故かよくわかる。

「……や、何でも……」

 言葉が思い浮かばない。頭、おかしくなっちゃったんだろうか。それともまだ寝入り端かと思いきや、もう寝ちゃってたのか、俺?

「何よ、寝ぼけてんの?」

「……」

 幻覚に言われるとは恐れ入る。

「ま、いいや。あのね、ちょっと悪いんだけど、付き合ってもらうわね」

「は?」

 そもそも現状を認識出来ずにいる俺の唖然とした問い返しを全くシカトしておいて、そのイキモノは瞳を閉じた。胸の前で両手を合わせる。

「プルサーテ・エト・アペリエートゥル・ウォービース」

 その瞬間。

「なッ……う、うわあああああああッ」

 凄い勢いで俺は突然落下する羽目になった。

 そんな馬鹿な。何で中庭のベンチに転がってて、これほどGを全身に受けるほど落ちられるんだよ!? 何が起きたんだ? 俺はどこからどこへ向かって落ちてるんだ!?

 俺の視界に映っているのは、ただただ真っ暗な闇だった。どこまでも続く深くて細い穴の中を落ちているような感じ。ひたすら真っ直ぐに、落ちていく。

 わけもわからず完全に恐慌状態に陥った俺は、救いを求めて視線を動かした。スピードが凄すぎて、顔を動かすことは出来ない。ただ、視覚が与える情報から考えれば、即出口ってわけじゃなさそうだ。だってどこにも光が見えない。

 遊園地のフリーフォールのような胃がでんぐり返るみたいな気持ち悪さとかって言うのは、不思議となかった。さっきのイキモノも、わかる範囲ではどこにも姿がない。人をこんな事態に落とし込んでおいて、あんまり無責任だと思う。

(どこに出るんだ……!?)

 考えてから、ふと思う。

 どこに辿り着くんだとしても……このスピードで落ちてたら俺、間違いなく死んじゃうんじゃないの?

(……)

 だよね。

「……嘘だろおおおおおおおおお!?」

 そんな当然の結末が予想出来てしまって、再び恐慌状態に陥る。そりゃそうだろ、何で学校の中庭で昼休みに寝てて墜落死しなきゃなんないんだよ!?

(ど、どうしよう……)

 ったって、どうするもこうするもどうしようもない。だって俺の意志や意図なんか、この事態の中、どこにもないんだから。

 とは言え、そう諦めるには俺はまだ余りに若すぎるでしょ!?

 と、不意に足元……俺が落ちている方向から細い光が見えた。針ほどの大きさしかなかった光はみるみる大きくなっている。つまり俺は出口に近づいているらしい。……いやいやいやいや、だ、駄目だって。ついちゃったら死ぬって!!!!

「うわあああああああッ」

 遂に視界の全てが光に覆われた時、思い切り目を瞑って俺は絶叫していた。全身に受けるだろう衝撃を覚悟する。

 が。

(……え?)

「うーるさいわねえええ……」

 耳元で聞き覚えのある声がしたかと思ったら、ふわっと何かに掬い上げられるように体にかかっていた重力が緩やかになった。ふわふわと、まるでタンポポの綿毛が舞うように急にゆっくりと俺の体が落ちていく。これまでのジェットコースターが嘘のようだ。

「……あれ?」

 怖々と目を開けると、俺は森の中を落下しているみたいだった。鬱蒼とした木々の間を緩やかに落下していく。

 地面ももう間近……と言うところまで来て、不意に俺を掬い上げていた力が消えた。どさっと落っこちる。腰からもろに衝撃を受けて、俺は呻いた。

「……ってぇ……」

「疲れるから、重力で落ちてもらったの。ごめんねぇ〜」

 悪びれない声で、さっきの声が言った。さっきのちっちゃいイキモノだ。つ、疲れるからってあのなああ。

「し、死ぬかと思ったぞ!?」

「いいじゃないの生きてんだから。ちゃんと最後はフォローしてあげたでしょ?」

 当たり前だッ。

 怒鳴りかけて俺は、きょろっと辺りを見回した。……どこなんだろう。ここ。どう譲歩してみても、学校の敷地内じゃないことは確かだ。

 夢にしちゃやけにリアルだけど、でもこんなこと、あるわけがない。俺の中の常識が、現状起こっていることを拒否する。

「……君、誰」

 誰と言うか何と言うか……。

 ようやく口に出来た俺の問い掛けに、ちっちゃいイキモノは誇らしげに微笑んだ。

「あたしは、レイア。ピクシーよ」

「何? 名前はどっち」

「レイア」

「じゃあ、ぴくしーってのは……?」

 地面に座り込んだままで俺が尋ねると、レイアはつんと唇を尖らせた。

「ピクシーはピクシーよ。知らないの? それ以上説明のしようなんか、ないわよ」

 どうやら、ピクシーと言う種類のイキモノらしい。……俺の日常の中にはこんなイキモノはいない……。

「んじゃあレイア……」

「あたし、あんたの名前聞いてないんだけど」

 俺が何者かも知らずに誘拐してきたのかお前は?

「……和希」

「カズキ? へーんな名前ねー」

 余計なお世話なんですけど。

「ま、いいわ。レガード」

 だから和希だってば!!

 思わずそのすました顔をぴしっと人差し指で軽く弾くと、レイアは軽く吹っ飛んだ。あ、しまった。

「何すんのよッ!!」

 近くの草むらまで吹っ飛んで行って、ばすっと埋もれたレイアが怒鳴る。いやいや、こんな小さなイキモノをデコピンしたことがなかったので力加減がわからずつい。

「俺の名前は和希だってば」

「ああもうホントにそうね、レガード様とは全然違うわね。レガードなんて呼んだらレガードが気を悪くするわッ」

 レガードレガード言われても、それが何者なのか俺にはさーっぱりわかんないんですけどね……。

「あのさ……ええと、ともかくも、その……」

 レイアは不貞腐れたように草むらの中に座り込んでいたが、やがてパタパタとその背中の羽根で舞い上がった。きらきらと細かい粉のようなものが舞う。

「何よ」

 正直頭が混乱しきっていて、何を、何から、どう尋ねたら良いのか俺にも良くわからない。

 いや、夢なら目が覚めればそれで済むはず。

 そう思うものの、心のどこかで「これ、現実なんじゃ?」と言う俺の言葉が聞こえるのも否めない。

(そんなはずない、そんなはずッッッ)

 と、とにかく、夢でも現実でも何でも、状況を整理しよう。

 ええと、俺は何が知りたいんだ? 一言で言えば「何が起こったのか知りたい」んだろうが、それでこのイキモノが答えてくれるとは思いにくい。こ、細かく言うとどういうことなんだ? いや、そもそもここは、どこなんだ?

「ま、まず」

 浮かんだ考えに縋ることにして、ともかくも俺が今どこにいるのかを確認することにする。

「ここは、どこ」

「ヴァルス王国よ。ローレシア大陸の南。王都レオノーラに程近い、浄化の森」

 ……俺の知識の中にはそんな国家もなければ、大陸すらないんですけど。

「……それ、どこ」

「だからヴァルスだってば」

「だからそれはどこなんだよ!!」

 呆然状態を抜けてまた恐慌状態に陥って怒鳴る俺に、レイアは無言で首を傾げた。あのさあ、無理矢理攫ってそういう態度は不親切でしょ!?

「どこも何も説明のしようがないわ。ヴァルスはヴァルスなの。あんたのいた世界には存在しない国かもしれないけれど、ここにはあんたのいた国の方が存在しないのよ」

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